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『ストリートの人類学』という批評的エスノグラフィーの実践と理論(『ストリートの人類学』総括) その3  関根康正

関根康正

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3 ストリートの2つの見方―デリダ的差異からドゥルーズ的差異へ

ここまで,(1)「冷酷さ」を漂わせる現代のストリートは,写真家の感性に人と街の分離として嗅ぎ取られる,二重に反転した後の姿をさらしていること,したがって,(2)その消去の消去という二重の屈折を意識した系譜学を意識化しないと現代のストリートには正しく接近できないこと,つまり,近代福祉国家的な生・政治と監視管理社会との二層を遡及しなければならないこと,を見てきた。こうして,上記の意味での精緻な考古学,系譜学を可能にするストリート民族誌が急ぎ必要であることが明らかになった。
 では,それを実践することで,一体どんな世界が見えてくるのであろうか。

一言で言うなら,それは〈臨床の知〉が導き出すだろう,新しいリハビリテーションの思想(久保田・宮井 2005)とでも言うべきものである。中村雄二郎は『臨床の知とは何か』でこう述べる。「実践はまた,すぐれて場所的,時間的なものである。われわれが各自,身を以てする実践は,真空のなかのような抽象的なところでおこなわれるのではなく,ある限定された場所において,限定された時間のなかでおこなわれるからである。まず,ある場所のなかでおこなわれるということは,実践が空間的,意味的な限定を受けているということである。先に述べた決断や選択にしても,それらがまったく自由に,なんら拘束されずにおこなわれるわけではない(受動的限定はそのままで拘束を意味しないし,それを作り出す制限に変えていくとき真面目な没頭というホイジンガの言う,文化より古い「遊び」として喝破された自由の場を用意する(ホイジンガ1973(1938)))。個別的な社会や地域のような,ある具体的な意味場のなかで,それからの限定を受けつつ,現実の接点を選び,現実を拓くのである。その上にさらに,時間的な限定を加えれば,実践は,歴史性をもった社会や地域のなかでのわれわれ人間の,現実との凝縮された出会いの行為だということになる」(中村1992: 70)。ここにも,明快に私たちが今まっとうなエスノグラフィーを求められていることが主張されている。中村は〈科学の知〉と〈臨床の知〉とを,表 1 に示すように対照する。この中村の言う臨床の知は,注 4 で示したように,人類学者川喜田二郎はもっと早くに『発想法』(川喜田1967)においてアブダクションを軸にした野外科学の提唱によって主張しており,同じ批判を〈科学の知〉に向けてきた。
 この〈臨床の知〉の方向性は,コネクショニズム(たとえば(戸田山・柴田・服部・美濃共編 2003))とも無関係ではないだろうし,創発性を重視するものである。つまり,実体と機能・意味との癒着を離れて,フローの過程や経路(ルート)重視の関係論の思想である。ギブソンアフォーダンスの思想(身体とは環境にある情報を知覚(探索・発見)するために組織された「知覚システム」,すなわち「基礎的定位」「視る」「聴く」「味わい・嗅ぐ」「接触」であるとの見方)も同じ志の思想であろう。主観―客観図式を脱する現象学的行為空間への視点の転換,すなわちメルロ=ポンティの肉と襞の思想(メルロ=ポンティ1982)も無縁ではあり得ないが,それをも超えて,むしろベルクソンを継承するドゥルーズ器官なき身体や平滑空間の思想に至らなければならないだろう。
 私は,同じ問題を〈都市的なるもの〉として考察した。アンリ・ルフェーブルが『都市革命』で指摘したように産業化(工業化)と都市化は根本的に異なる(ルフェーブル1974)。産業化の進展する都市は条理空間に覆われ,人が生きられる〈都市的なるもの〉はむしろ浸食され衰弱していく。前編著『〈都市的なるもの〉の現在』においては,すでにあったかもしれないもの,あるいは未生の〈都市的なるもの〉を,フーコーのヘテロトピアの概念を援用して考察した(関根2004b)。その思考の延長上に,平滑空間としてのストリートがくるわけであり,それは当然に条理空間的なホーム中心主義の固定的視点を根底から揺るがすものとなる。そして私たちの生にとって,幻想のホームではなくストリートこそに基底があると知る必要がある。
 この主張を根幹に持つ私自身の思考は,南アジア社会の農村と都市での多面的フィールドワークに支持された同じ問題に挑戦してきた波状的な思考の蓄積に由来するものである。その思索の中心点は,主流を形成する西洋近代化を含み込んだブラーマン的な「浄―不浄」イデオロギーと,そこに回収されない基底的な「ケガレ」イデオロギーの相克という実相に迫ったところにある。それはまさに遡及的に考え直せば,条理空間と平滑空間との間での,喰うか喰われるかの浸食と越境の相克であった。今はそれぞれの詳細の説明はできないが(それぞれの項で示す論文に直接当たっていただきたい),自らの研究史を辿ってみると,下記のようになり,各項目の前者が平滑的なもの(被差別的形姿をとった受動的イデオロギー)であり,後者が条理的なもの(主流文化としての支配的なイデオロギー)であることを指摘できる。言うまでもないが,前者と後者の関係は同じ盤上の二項対立でも反対概念でもない。前者は,後者の権力空間の縁辺に宿り,それを食い破る潜在性をもった「例外状態」に根拠をもつ脱支配イデオロギーである。こう見てくると,ストリートの人類学への志向は私の中で徐々に成熟し外化してきた,必然的な帰結に思われる。

  1. 南インド農村の村落空間について,「点で囲う風景」と「線で囲う風景」((関根1993a)参照)
  2. 南インド農村の住居空間について,「一口型住居」と「二口型住居」((関根1993b)参照)
  3. 南インド農村でのケガレ観念をめぐって,「ケガレ」と「不浄」((Sekine 1989, 2002; 関根1995; 関根・新谷2007)など参照)
  4. インド社会の宗教紛争と差別状況の理解と克服の理路に関して,「二者関係の差別」と「三者関係の差別」((関根2006)参照)
  5. 南インド都市のストリートにおける,「縁辺の歩道」と「中央の車道」((関根 2002, 2004b; Sekine 2006)など参照)
  6. 南アジア系移民社会に見るトランスナショナルな生活空間における,「知識資源」と「知識資本」(関根(2007b)参照)

 間違いなく,前者は,後者の近代ないしその徹底としてのポスト近代の作る一元化の方向性を有する強制的秩序を,他者性を含む生の雑多さ,模倣と創造の融合といった下からの思考によって攪乱するものである。後者は前者からその生き血を吸い上げ支配イデオロギー構築の枯渇しないエネルギー源にしていること,他方,前者は後者の疾走する支配イデオロギーの力を一貫性など無視して流用し続けること以外に生き延びられないものであること。そうであるが,前者には生の深み,自然と人間を貫通する生命ゾーエーに届く深みがある。両者の現実の流用関係もその基底なしには始まらない。「不浄」価値の産出も,「ケガレ」の創造性の基底にあるケガレという境界事象なしにはあり得ないということである。
 その意味であくまでの前者の平滑空間的世界が 「生の流れ」の現実の基底であること,これが視点の根本的転換を示唆している。脳と身体機能のツリー的トップダウンの命令関係思考の支配された近代医学の医療的構えに対して,身体部位の機能と脳とのつながりの過程を重視するボトムアップリハビリテーションの思想(脳梗塞で半身不随になっても,不随になった手足を動かし刺激することで脳はバイパスの神経系統を構築していくという,それは同時並行的に相乗効果的に進む)が革新性をもつし,それは考えてみれば当たり前の生や身体の現実なのであった。
 こうしてストリートを考えることは,単に歩く者の眼になるとか,ボトムアップの視点をとるとかだけでなく,その要点はプロセス中心のフローやコネクションの思考に視点を据える構えへの転換のことである。言い替えれば,等身大の人間は特定の時空に限定されながら生きられていることに即応する視点の獲得である。認識中心ではなく身体の動作の側から世界が把握される動態的で生成的な事態である。ストリートは物理的にそこにあるように認識できる。普通はそう思っている。しかし,そうだろうか。そこにストリートがあるのだろうか。そうではないだろう。それをたどって歩かなければストリートにならない。歩く行為がストリートをその都度構築する。「潜在的なものは可能的なものではない」というドゥルーズの言葉は,そういう意味である。ローカルなものも,ストリートと同値できるとしたが,同じことが言える,それはすでに触れたようにアパドゥライの言うとおり,ローカリティは歴史的にコンテクスト化されながら産出されつづけたものである。
 このようなジグザグの思考の経緯を経て,私は「『ストリートの人類学』の提唱」へと向かった。ここに至る議論の主要な理論的基盤は,ケガレ研究である。先にも述べたが,私は以前から,ケガレ現象をめぐって,「不浄」と「ケガレ」との区別の重要性,それは同じ世界平面の二項対立的区別ではなくイデオロギー的な根本的差異(世界のものの見え方,世界平面そのものの差異)であることも繰り返し強調してきた。しかし今,1つの大きな反省に行き当たった。この反省はストリートの人類学において不可避であるので,ここにその変節を正直に記す。この転向ないし改宗以前に書かれた研究会の目標を整理したものが「『ストリートの人類学』の提唱」であり,本書の序論にふさわしいので再録したが,そこでのホームレスへの眼差しの記述はデリダ的な思考を抜けていないものであるが,あえて変更せずにそのままにした。というのは,私としては恥をさらすようなものだが,序論のその部分と総括のこの部分との落差をとどめる方が,誰にもその変節の意義と同時にその困難さをむしろ確かめられ,また共有できると考えたからである。私自身記憶にとどめたいし,その変節の過程を他の人とも議論したいから,上塗りしてしまってその材料を消去したくないのである。死への恐怖を滔々たる生の流れの中に微分してしまえると,簡単には私には言えないできた。しかしそこに留まっていては,やはり中途の思考と言わざるを得ない。だから,背中を押されるように転回に向けて踏み出す。
 それは,私のケガレ論そのものの中心点をゆるがすものではないが,説明過程の一定の変更を要請する。その問題の要点は他者の概念の考え方に関わる。端的に言うならば他者は死に由来するか,生に由来するかという相違に起因する問題に漂着している。これは,目下のところ,デリダ的差異とドゥルーズ的差異との相違問題を梃子にして展望を得ている。というのも,私自身がこの問題に正面から向き合わなければならないと心底気づかされたのはドゥルーズとガタリ(特に,『アンチ・オイディプス』『千のプラトー』)の読書によってである。以前から,畏友小田亮は,その点を関根は「死を特権化している」と指摘批判してくれていた。その指摘は,ずっと深く受けとめていたのだが,私の中でうまく消化できない問いとして有り続けた。しかし,ようやく見通しが見えてきた。それは,自分のケガレ論の変更ではない。そのフィールドから立ち上がってきたケガレ論の意味するところの理解が今1歩自分の中で深化したということである。多少強弁であるが。
 ケガレ現象が既成秩序の切断による混乱・無秩序の到来であることは間違いない。生の秩序をまさに断ち切る死という出来事が残された生ある者に他界という深淵を覗かせることも疑いない。ケガレ現象のこの否定的傾きは強烈なものであり,それがケガレ現象を否定的「不浄」に傾かせてきた理由でもある。しかしもう1度広く考えてみよう。南インドの村での誕生のケガレの重要性は死のケガレに劣らない迫力を持っている。初潮のケガレも強烈であり,盛大な儀礼が挙行させる。これらは生の推進,生の増大に向かう切断である。ケガレ現象が既成秩序の切断による混乱・無秩序の到来であることという規定を変える必要は全くない。フィールドの記述データは変わらないのだが,改めて考えるべきことは生の増進的切断を私自身が過小評価していた傾きがある点である。他者の極北として,生を越えたものとして死の世界を想定してしまっていた。これはこれでフィールドの死のケガレの実感をもちろん伝えはしている。しかしこれではやはり「不浄」寄りの解釈の尾っぽが切れきれていないというのが,反省点なのである。ケガレ現象が「ケガレ」に向かうベクトルを確かに力強く持っているとフィールドから把握し,それを表現するために「ケガレ」という生成,誕生の志向性を強調したのは私自身であったのに。自分自身が述べていることを,自分が十分に聞き取れていなかったということになる。広く流通している「死と再生」のパラダイムに私の思考が多少なりとも飲み込まれていて,うまく克服できていなかったことは否定しがたい,反省点である。
 未亡人の火葬場での死が,突如して聖女に転換再生することを,サティー習俗における支配的カーストの恣意的解釈の一般化として批判的に指摘していたのに(Sekine 1989; 1999),私自身が人間一般の次元での生と死との関係性において同じ恣意性ととられる議論の運び方をしなかったとは言い切れないからである。私自身の自覚としてはそうした恣意性は脱していると考えて議論していたが,死に対する見方のなかに私の限界が侵入していた。死を大きな滔々たる生の流れの中の微分として見る視野が弱かった。それ故に死は絶対的他者として立ち現れた。この見方は全体的な生の流れという見方に立てば成り立たない。そういえば,村人は後者の見方を私に教えてもいてくれた。たとえば3歳で子供が死んだとき,その子の担ってきたカルマがそこで消尽しきったためであり,それは成就というめでたい出来事であり,カルマを生き尽くしたこの子供は天国に直行していると言うのだ。これは納得できない子供の死への救済的説得という機能はもちろんあるが,それを超えて,ヒンドゥー的イデオロギーの解釈であることもさらに超えて,滔々たる生の流れという見方に触れているものと,今思い返す。子供の死の悲しみは耐え難いほど深い。しかしなおその死を飲み込んで流れる生命の滔々たる流れに身を任せている人間たち,いや生物たちが観相されているのだ。徹底的に生成的に考える。これは私がドゥルーズとガタリに打ちのめされるように学んだことである。なぜこれほど彼らの考え方がリアリティをもって今の私の中に流れ込んで来るのか,自分でも驚いている。これは宗教を信じるような信仰でもないが,科学的立証も不可能な次元の影響力である。要するに,そのように考えることが健全であり,無理な恣意性が低く,そして私たちが直面している現実に対して生産的であるからだ。まさにアブダクションである。そういう思考が彼らと共有できるのである。そこにある種の確信が生まれる実感がある。このようにじっと考え直してみると,自らが提示したケガレ現象から「ケガレ」へのベクトルは,潜在的な滔々とした生の流れ,ドゥルーズの言う器官なき身体からの差異化(ベルクソンならば意識・生命の物質化)と見なすことが,素直に可能と思われる。私自身,イデオロギー的差異だと明確に喝破していたのだけれでも,否定性の色濃い「浄−不浄」イデオロギーと決別する「ケガレ」イデオロギーの堂々たる自己主張の基盤を十分に把握し切れていなかったうらみがあった。
  しかし,今や明らかである。潜在性の生の流れの見方からは,死は,流れにはらまれた微小な差異ないし微分 differentiel であり,それが自己展開を遂げる分化 differenciation が,新たな誕生の形姿ということになろう。

 この反省は何を私のもたらしたかというと,他者の有り様の変更であり,境界の理解の劇的な変更である。このような反省に私を向かわせるのは,それが私の目指す〈地続き〉の人類学により直截に接近できるからである。確かに健康的で開かれていて生産的な思考である。
 社会的空間の縁辺という境界の理解の仕方を,他者としての死から,自己かつ他者としての生の流れへと変更することで,ホーム住人とホームレスとは連続的,相対的な差異でしかないと明瞭に言えることになる。両者の間に死にゆく者としての共同性とそこから見た落差(死ににくさの差異)は依然あるとしても,生ある者としての共同性の方がその底に厚く存在し地続きの基盤になるのである。そこでは,死にやすさ,死ににくさの差異は,生の流れのわずかな分岐の差異となるのである。ホームレスをホームの目から死の隠喩でみるような迂回を経るまでもなく,両者の間には,生の流れにはらまれた微分と分化の相対的ズレであるだけの相違しかないことになる。支配システムの作動する空間が縁辺という出来事の場所を作るのだから,この死の隠喩という否定性をくぐった見方が不在だと言っているわけではない。むしろ,死の隠喩に寄り添いすぎることは,結果的に支配イデオロギーと共犯関係に接近することになりかねない。だからむしろ,(生への転換を噛ませなければならない)死の隠喩よりも,生の提喩に直接言及する説明の方がよりまっすぐと生の増大を指向する「ケガレ」イデオロギーの本意を表現できることになる。ずいぶんと回り道をした後に,ドゥルーズの反弁証法的思考の力を借りて,自らのケガレ理論の真意の表現により接近したのかも知れないと,今は思っている。
 檜垣立哉は,2001 年度の日本現象学会第 23 回研究大会シンポジウム「今日のフランス現象学」において「『差異』の差異──ドゥルーズとデリダ」という意欲的な口頭発表を行っている(檜垣2001)。その中で,デリダドゥルーズの「差異」の差異を,表2に示すようなヴァリアントで表現し対比している。
 議論の結論部分で檜垣は、2人の間に見られる〈「差異」の差異は何を導くか〉と題して,次のようにまとめる。
 「スローガン的にいえば,デリダでは〈生〉ではない〈死〉の場面が,〈生〉における〈死〉のあらかじめの含意が重要である。エクリチュールとは,私の〈生〉が構成したものではないが,私の〈生〉を語るときにはすでにそこにある何かである。それは〈私〉にとって,到達不可能で知られえないが,そこで機能してしまう空虚である。ドゥルーズでは,〈生〉はむしろ「表象」という枠組みをはずされた,その剥きだしの姿で提示される。それは調和性をおもわせる〈生(生ける)〉という事態であるというよりは,齟齬や破綻を引き受けながら〈なまなましく(生々しく)〉うごめく物質の姿である。生命がパラドックスに直面して,素早く自己の DNA を組み替え,形態も機能もハイブリッドに(ある種のブリコラージュのように)変貌させていく生命の力がそこでの有効なモデルである。他性や絶対的な否定を〈外〉に含意することによってきわだつリアリティと,剥きだしの肯定性によって〈内〉から溢れる強度のリアリティ,この差異の所在が問われている。問題は,この2つの語り方が,現時点でのわれわれの思考を規定する,2 つの主題系に届き,なおかつそれを支える論理として機能しえていること,これを考えることではないだろうか。〈中略〉こうした展開をいささか乱暴にまとめるならば,つぎのようにはいえないだろうか。すなわち,デリダドゥルーズのあいだに引かれる差異線とは,文化(人為)と自然(産出力)との差異線を,新たなかたちで定式化することに結びつくのではないか。」
 この檜垣の論に従えば,現前の形而上学/同一性の政治学の乗り越えのために,デリダドゥルーズは2つの異なるベクトルを生ききった2人だということになる。この2つのベクトルは,共に簡単にまとめあげられるようなものではないだろうが,そこに真摯に学ぶべきものがあることだけは間違いない。これは,私たちが生きている現実に立ち向かうときに抱えこまらざるをえない,挑戦的思考の2様相なのではないかと,私にも思われる。
 そうであるが,ここで檜垣の論を引いた理由は,すなわち私自身のケガレ論の再解釈の提示を通じてここで示したかったことは,デリダ的なものからドゥルーズ的なものへと思考様式の重心を移していくことが,ストリートの内在的理解には不可避であろうということである。というのは,デリダ的な見方がホーム権力の思考方法を根底から覆すというよりは原エクリチュールという空虚の存在(到達不可能性)を支えにした脱構築によって差異の場所をずらし続ける逃走的抵抗の形になっているのに対して,ドゥルーズ的な見方はもっとストレートに思考方法の転換によって形而上学の窮状を乗り越えようとしている革新性があり,例外化された「ストリート」の生を描き出す視点転換がそこに見て取れるからである。もっとはっきり言うならば,デリダ的見方では,すなわち主張される「〈外〉の侵入」という見方には,「〈内〉中心主義」の視点が実はへばりついていて,その意図に反して支配イデオロギーと共犯的になってしまって,それを遅延させることはできても根本的には相対化できないことになる(ネグリらのデリダ批判はこの点に触れている(ネグリ/ハート2003; 2005))。逆に,一見脳天気にも見えるドゥルーズの主張「溢れ出す〈内〉」は,その外見に反してきわめてラディカルな支配イデオロギーの逸脱ないし思想的凌駕になっている点が,注目されるのである*1
 これがケガレ論の説明の仕方の転向の理由と経緯であり,ドゥルーズ的転回と呼ぶべき,この反省なしには私自身がストリートの人類学へとうまく歩を進めることができないと感じたのである。檜垣がドゥルーズの差異として取り出した表2に示される6つの特徴と1つの事例は,そのままストリートという場の様相を構成するだろう。これは画期的なことである。社会空間の縁辺という押し込まれた場所,主流社会からみれば劣等で受動的な場所と見えるところに,階層的思考の枠組みが外され,主流と縁辺の間に変わらぬ生の微分と分化を認めるのである。そこでは社会的に押し込まれた受動性を刻印されながらも,しかしその生の営みの本質においては主流も縁辺もなく,そうした差異を横断する滔々たる生の流れがあるだけである。これは,私自身,『ケガレの人類学』において,フィールドワークから実証的に論じた不可蝕民の文化の様態についての結論と,実は全く同じ主張なのであった。
 ドゥルーズは,あたかもストリートの人類学の実践者のように,こう言い切る。「最も条理化された都市さえも平滑空間を出現させるのだ」(ドゥルーズ/ガタリ1994(1980): 556)。さらには,相互に入り組んだ平滑空間と条理空間の説明を重ね書きのように説明する下りでの1節で,「真の遊牧民……彼らは動かない。動かないことによって,移住しないことによって,1 つの平滑空間を保持し,」(ドゥルーズ/ガタリ1994(1980): 538)と,ドゥルーズは喝破する。本書の関根論文で記述されている,歩道空間上に建設され維持される底辺に生きる人々の活動の中核を射抜くような驚異的な指摘の言葉である。だからもちろん,私はこの警句をストリート論の中枢に置くことにする。小田亮はすでに研究会での発表(小田 2004)において,このフレーズに触れ,そこにバトラーとイリガライの攪乱し生産する模倣を経由して愛撫という浸透的変容(移動しない移動変化)に触れていた。表面的な移動と定住の差は本質的ではないことになり,定住の中に移動が,移動の中に定住が浸透しうるのである。平滑的だった場所が都市計画という条理化が進行してストリートが建造されると,今度はそこに平滑化が始まるのである。
 ヘンリー・ダーガーという死後に作家ないし画家として発見された人物は,大都市シカゴの一角で 1 個の驚異的な人生を生き抜いた(マグレガー2000)。掃除夫として働いた病院と教会と自分の部屋を往復するだけの生活の中で長大な小説と膨大な数の挿絵を残した。彼の部屋にはベッドがなかったという。彼の精神世界はドゥルーズ的な意味でノマドであったに違いない。主流社会から見れば彼の圧倒的に受動的な社会的弱者の生活スタイルをとった場で,彼が生きた世界は想像を絶する豊穣さと生産性を生み出していたのである。条理空間の片隅でそこから圧倒的に浸透し踏み越える膨大な平滑空間が構築されていたわけである。移動しない旅の実践者が現にいた。ストリートの聖人のように。この聖人の死後,この大きな「穴ぼこ」「空隙」の縁に中をのぞき込む人が集まるように彼の残した小説と絵画の周りに人が集まり,一種の創発的共同性が誕生する。今や彼の生涯は映画になり,彼の小説は挿絵とともに世界を旅している。それは条理空間に閉塞感を覚えた人々の魂に語りかける出来事を生み出し続ける。ストリートの風,平滑空間の風,プラトーの風を人々に吹き込む。
 ストリートは、2つの見方を背負い込んでいる。1つは,支配的な主流社会の条理化のまなざしが見出す悲惨で劣等な縁辺である。これは再帰的な脱構築の中で,デリダ的な差異において生き延びる面もあろう。しかしそれだけではない。それだけでは人はそこに生きられない。もう 1 つは,縁辺を真に内在的に了解したときに見えてくる,ドゥルーズ的な差異の示唆するところの,主流と縁辺といった条理空間的区別・意味づけが実質的に無効化するような,平滑化を基本とする生の流れに則った見方である。
 ネオリベラリズムに抗するには,後者の見方が不可欠であることは,もうこれ以上繰り返す必要はないであろう。ストリートからの共同性の渦を作り出すことが,求められている。研究会での発表や論文を通じて知った,小馬徹の紹介するシェン語の創出のたくましさにも,鈴木裕之の示すストリートボーイの活力にも驚かされ,ストリート・ノレッジの生々しい展開に勇気づけられた。研究会での松田素二のストリートでの暴力の様相の腑分けと共同性の創発もこうした研究と接点をもつだろう。
 私自身のフィールドであるインドからは少し違った雰囲気ながら,別の意味でのしぶとさが見られた。何度も紹介した事例であるが,チェンナイ市のある歩道寺院の持ち主の女性は,父親の作った小さな寺院のある大通りの歩道で生まれた。70歳を超える彼女は路上を家としてその1地点で生涯を過ごす。大通りの流動の力(多くの患者が通う大病院の目の前に位置することも効果的な立地選択である)を賽銭や寄付という形で寺院に取り込んで生き抜いてきた。自己資本なしにでも身の回りの使える環境条件や社会文化的ハビトゥス*2を駆使しての流用によって,自己が生き延びるためのある種の共同性の渦を歩道寺院のまわりに努力して創出してきたのである。この5年間の間にこの家族は立ち退き命令に抗する裁判もやり抜いて今やトタン屋根の小屋まで作ってしまった(2008 年の観察)。歩道占拠者がその端をさらに歩道に分割する。そうすれば,占拠している部分は自分の敷地のようになる。6mくらいの幅が広い歩道なので専有面積は約60平米を超えていようか。今や,そこに歩道寺院と住まいとしての小屋が堂々と建っているのである。あの6年前に初めて見たときの,アル中の息子に絶望して彼の嫁が自殺した直後の,いかにも悲しげな青いビニールシートの掛け小屋の心許なさはもうない。驚嘆すべきたくましさである。この家族はこの路上に住んで4世代から5世代に入ろうとしている。世代を継いでの1個1個の人生をかけた条理化と平滑化の入り組みの軌道である。ストリートの流動の中に擦れ合うわずかの力をかき集めての共同性の渦を起こし生活の定点を構築する,たゆまぬ努力の人生であった。彼女の孫も路上でもう結婚の年齢に達しつつある。
 フーコーのヘテロピアの説明において究極の事例として示される大海原を渡る船のことが頭をよぎる。この点で,本書では海が支配的な空間に浮かぶ島社会を扱った棚橋訓の論文は,ストリートとしてのストリームをめぐって平滑空間と条理空間の間,ないし島の内部秩序と外部との間の関係付けの文化的マナーを「海続き」と捉え,その見方の内に起きてきた変遷(複視の減衰)を辿ってくれて貴重である。また,松本論文も,海に生きる今日の海峡民たちが,海域をめぐって「上からの眼差し」とは相容れない「下からの眼差し」を保有すること,その眼差しによる翻訳・交渉・抵抗が生きられていることを繊細に描写する。すなわち両論文共に圧倒する条理化する力の中においても平滑の空間を穿つ光景の所在を示唆してくれている。
 とにもかくにも,平滑空間の典型としての海にも条理化の力は働くが,その先でさらなる平滑化が起こる。そんな光景が,雑踏の路上の歩道寺院の向こう側にも見えてくる気がする。果たして,このストリートの達人たちを前にして,私たちは何を思うべきか。もはや他人事でないことだけは確かである。その切迫感をもって,志は異なるわけではないだろうが,本来のものより薄められた流行のカルチュラル・スタディーズの民族誌レベル(日常生活の場の全体記述ではなくサブカルチャーに絞って焦点化してしまう傾向)にとどまらずに*3,社会文化ハビトゥスの襞に分け入るような,全体論的なまっとうなエスノグラフィーの記述に向かうのが,私たち人類学者の役目ではないだろうか。
 とにかく,ホームを有する者も,その幻想に浸っている者も,「ストリート独裁」という問題を真剣に考えることを余儀なくされている時代が到来していることは間違いない。私の定義での意味での縁辺を繋いでいくストリートは,戦術的努力と偶然とともに生起する共同性の渦という〈場所 place〉を創出するだろう。しかし,それは本質化できるような条理的な場所ではなく,平滑化と条理化とのせめぎ合いの中に生まれる渦として存在するのである。アパドゥライならばローカルなハビトゥスという社会文化的ソフトウェアを基盤にして文脈化の中で生成する動的な「近隣」というその都度のハードウェアとして,場所を説明するだろう。
 人は生きる場としてなんらかの〈場所〉を必要としそれを求めるが,それを統一性や本質化の前提を持つものにしないという抑制の効いた機制のなかで獲得するという,微妙な「ストリート独裁」の意義を常に噛みしめつつ,流動だけの過剰なネオリベラリズムの破壊力にへばりつき逆手にとって,上記の意味での 〈場所〉の空隙 (メディオロジーにおける「媒介する行為」の意のメディアシオンさらにはトランスミッションの「物象化された組織」,またドゥルーズならば非──コミュニケーションの空洞や断絶器と呼ぶもの)を切り出すことが大事なのである*4。これを,いつか辿り着けばいい「哲学的な理想論」として述べているではなく,私たちが必ずや緊急に進まなければならない,新たな分裂的な階層社会化に抗する,他者を犠牲にしない方向に進む唯一の現実的な道として記しているのである。その意味で人類学は実学である。ストリートの聖人や達人だけがしていれば良いというような生き方ではない。ストリートで辛うじて生きているように見える人たちの場所感覚を哀れんだり,疎んだりしている暇はもうない。その気構えと身のこなしを真摯に学び,我がものにしていく努力が皆に求められる。
 「ストリートとは疲れるところだ」と,『ストリートの歌』を著した鈴木裕之は研究会でいみじくも語った。そのストリートの緊張と強度は,現代のネオリベラリズムの主流社会が人の固有の生を殺すほどに疲れさせるものであることとポジとネガでバランスしているに違いない。松田素二はそのバランスの現状を,ストリートで勃発する暴力の質を腑分けしていくことで明らかにしようとする。松田によると,ネオリベラリズム状況の進行下で,国家を下敷きにした暴力が圧倒する中にも,これまでの民族化ないし伝統化という戦術による攪乱・抵抗とはまた異なる,スラムという生活場を基礎にした新しい形の共同性の創発を兆候として見届けられるとする。近年の都市暴動の様相は楽観を許されない緊張の走るものであるが,それが秘める可能性を見据えようとしている。
 問題は切り立ち,道は険しいけれど,現実の巨大な矛盾の上に,それを承知で望むことは,ここで検討してきたストリート性が指し示すような,近代を脱臼させるような生き方の構えが一般化し,やがては,このままなら人類全体を疲弊させていくだろうネオリベラリズムの奔流自体が適正化していくことである。そうなれば,私たちはストリートをもっとおおらかに語ることができよう。いや,そこでは,もう「ストリートの人類学」は緊急の課題ではなくなっているはずだ。私は人類学を実学と考えているので,実学の学問とは自己の意義の消失をもって生命を終える,そういうものでよいのだと思っている。そういう日が来るといいのだが。


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*1:ここに示したデリダドゥルーズとの思考の差異は,ベンヤミンの「神的」暴力に対するデリダの否定的な評価とアガンベンの肯定的評価の差異に繰り返され変奏される(檜垣2006:191–192)。

*2:調査のたびにチェンナイで最大のカパーリースワラ(シヴァ)寺院を挨拶代わりに訪問する。寺院は裸足でないと入れない。何度歩いただろうか,この足裏の感触がここの人々の厚い信仰心を何よりも証明する。人の素足が本当に少しずつ石畳に刻みつけた長い年月の床のなめらかさ,その感触こそはハビトゥスの物的証明ではないだろうか,と感動するのだ。この宗教ハビトゥスが歩道寺院の存立を支えている。

*3:小田亮は,本来のカルチュラル・スタディーズの誕生とその後の足取りを辿りながら,文化人類学との交差のポイントを取りだし,民族誌的方法による「変容を促すローカルな文化の創造」注目することによる共闘の可能性を示唆する(小田 2003; 2006)。

*4:この意味での〈場所〉について,重要な哲学者を総動員して集中的に議論している仕事に(Casey 1997)がある。