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2つのマネ論──バタイユとフーコー 吉田裕

ジョルジュ・バタイユ エドゥアール・マネ 吉田裕 ミシェル・フーコー

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1 共鳴する2つのテキスト

 エドゥアール・マネが近代絵画を開始させる画家であったこと、19世紀の最も重要な画家であることについては、どこからも異論は出ないだろうが、それだけにある種の読み方が既定のものになってしまっているかもしれない。こうした読み方があるとき、違った読み方を示すことは、なかなかあり得ないことだろう。しかし、古典的な作家あるいは作品こそ、間遠ではあるとしても、新たな読み方を誘い出すものでもある。マネに関して言えば、バタイユの『マネ*1』(1955年)と、フーコーの『マネの絵画*2』(2004年)が、そのような例であろう。時間的な関係から言って、フーコーバタイユの著作を読んでいたであろうが、直接のつながりは見えてこない。しかし、2つの読み方を並置するとき、両者の間にある種の共鳴が生じるように、そしてこの共鳴関係がそれぞれの論考が直接には触れることのなかった地平を現れさせるように思われる。
 私は美術史の専門家ではないが、バタイユの『マネ』は、マネ論として、たいへん優れたものと思われる。同時にそれは、バタイユの文脈からしても、単にひとりの画家論であるに留まらず、近代以降、人間の営みのなかで芸術がどんな意義を持つたかを問おうとした、という意味で重要な著作である。他方、フーコーの『マネの絵画』は、1971年にチュニスで行われた講演のテキストであって、近年になってようやく一般の目に触れるようになったのだが、バタイユの論とは多少異なり、作品の構成論であって、フーコー的なと言うほかない精緻な分析が展開され、強い魅力を放っている。
 これら2つの論考を前にすると、私は、両者をつきあわせてみたいという欲望に駆られる。私は、前もってのこころづもりなしに2つを読んだのだが、そのあと、2つの間にある種の反響があるように思え、それを解き明かしてみたいという欲望に駆られる。
 もう少し具体的に、進むべき方向を予測してみる。バタイユのマネ論の中心にあるのは、芸術史上のある断絶という問題である。冒頭で彼は〈マネの名は、絵画史のなかで別格の意味を持っている。マネは単にきわめて偉大な画家であるばかりではなく、彼以前の画家たちとはっきりと断絶した*3〉。これを読むと、背後にバタイユの歴史認識があることがはっきりと感じられる。詳細については後で触れるが、この変化を具現するとバタイユが考え、そのゆえに論考の中心に置かれる作品は、1863年の「オランピア」である。絵画史上でもっとも有名なスキャンダルを引き起こしたこの作品のなかに、バタイユは、神の教会や王の宮殿のうちにあった威厳が消え去ったこと、画家は神話の女神の代わりに現実の女を描くほかなくなったこと、そこに近代芸術の根本的な条件があることを、指摘する。
 これに対して、フーコーの論考も、マネの歴史的な位置についての言及を欠いてはいない。彼によれば、マネの問題とは、15世紀に成立した古典主義絵画の変容である。しかし、論の重心は、美術史の上よりは、「空間」という問題の上にあり、分析はより具体的で実践的である。そのなかで「オランピア」は、取り上げられるものの、必ずしも中心ではない。彼は自分がこの作品について長く語らないのは、それがあまりに難しいからだ、という保留を付けているが、講演全体から見ると、彼の関心がほかの作品により強く向けられているのは、確かである。このほかの作品とは、1882年の「フォリーベルジェールの酒場」である。マネの最後の絵の1枚であるこの作品について、フーコーは、マネの全作品を要約する作品、観る者をもっとも混乱させる作品の1つだと言いつつ、最後に取り上げる。これがフーコーの論述の中心である。
 反対に、バタイユは、「フォリ・ベルジェールの酒場」については、さほど詳細には言及していない。彼はこの作品を〈大きな鏡の戯れが送り返す光の魔法*4〉だと言っている。彼の論旨では、マネがもたらした基本的な変化の1つは、絵画が形を失って色彩が前面に出てくることにあり、光の魔法とはこの変化の到達点であって、したがって、これは高い評価であるのだが、魔法は必ずしも詳細に分析されているわけではない。
 これらの違いがあるにもかかわらず、私には、2人のテキストの間に、ある共鳴が聞き取れるように感じられる。補助線となりそうなのは、1867年の「マクシミリアン皇帝の処刑」に関するバタイユの分析である。この作品は、ナポレオン3世がメキシコに擁立した皇帝マクシミリアンが、叛乱を起こしたメキシコ革命軍によって銃殺されるという、第2帝政の外交政策の失敗を露わにする事件を素材にし、そのためにフランス国内では公開禁止となった作品だが、彼はこの時事的な主題を持った作品に、主題を越える動きを見出し、次のように述べる。〈このタブローからは、拡がってゆく痺れの印象が発散してくる。まるで熟練した臨床医が朝飯前といった調子で、丹念に、「雄弁を捕まえ、その首を折りたまえ」というあの第1の掟を適用したかのように*5〉。
 興味をそそられるのは、「痺れ」というバタイユの指摘である。痺れはどこから来るのか。バタイユはそれを主題に対する無関心からだと言う。それはこのマネ論の範囲内では、正しくかつ十分な指摘である。しかし、「痺れ」は、もっと深いところから来ているように思える。加えるに「痺れ」が、そのあとどうなったかについては、バタイユは追跡していない。他方、この問いに応えるように思えるのが、フーコーのマネ論である。というよりも、バタイユのマネ論の傍らにフーコーのマネ論を置くことで、前者に対してこのような問いかけが、私のうちに生まれた、と言ったほうが正確である。フーコーは、マネの作品の中にもう1つの空間が現れてくるように読むのだが、この空間は、キャンバス上の「痺れ」から来ているように見える。
 反対に、バタイユのマネ論がフーコーのマネ論をより広い視野の内に置くということも起こる。フーコーは冒頭で、前述のように、マネがいかにして古典主義的絵画と断絶したかを述べる。さらに、彼はマネを以後の絵画へも結びつける。〈マネが可能にしたのは、印象派以後のすべての絵画、20世紀絵画のすべて、今もなお現代美術がその内部で発展し続けているような絵画だ*6〉。拡大されるこの見方は、バタイユの分析を傍らに置くことで、もっと明瞭に示されるだろう。ただしそれは、バタイユの分析の背後に、彼のより大きい視野であるところの経済学を想定することによってである。私は、この共鳴関係とそれによって見えてくるより広い視野を確かめたい。そのためには、まずバタイユのマネ論を、彼自身の視野の中に置き直してみることから始めねばならない。


2 バタイユの経済学

 バタイユはマネ論の冒頭で、次のように書く。

 土台がゆっくりと地滑りを遂げてしまった1つの世界の変化にマネは参与した。その世界とはかつて「神」の教会の中や王たちの宮殿のなかで組織されていた世界であったことを、まず述べておこう。それまで芸術は、圧倒的で否定し得ないある威厳、人々を統一していた威厳を表現するつとめを持っていた。しかし今や、群衆の同意を受け、職人が仕えることが出来るような威厳のあるものは、何も残っていなかった。かつて彫像師や絵描きであった──同じく書記役でもあった──職人たちは、結局、自分たちが何者であるかを表現するしかなかった。今度は自分たちが至高なやり方で存在しているということを、である。芸術家という曖昧な名は、この新しい尊厳と、正当化し難い1つの自負とを同時に証言している*7

 これがバタイユによるマネの歴史的な位置づけである。マネは神や祭司、あるいは王侯貴族の権威が消滅した時代の画家、この消滅を初めて意識した画家だとされる。近代に大きな変化が起こって、このような威厳が消滅したという事実を指摘することは、さして目新しくはない。しかし、バタイユを読んできた者には、この記述の背後に、近代や芸術という問題に限られないより大きな視野、経済学(エコノミー)と彼が呼んだ視野があることを見て取ることが出来る。この視野が、近代の意味を単に威厳の消滅だけでないところにまで私たちを連れて行くだろう。
 バタイユを基礎的なところから読み返してみる。彼の著作を読んでいくと、その主題の多様さに圧倒される思いがする。それらは、政治活動、社会学的関心、哲学、美術、文学、文化人類学などであって、もっとも知られているのは、宗教的実践、エロチスムといったところだろう。しかし、もし彼の多様な探求をもっとも根底的に支えるものは何だろうかと問われるなら、私としては、彼の経済学だと答えたい。よく知られていようが、彼の経済学は、通常この言葉で連想される、財政政策とか、景気回復とか、投資とか、利潤とかとはまったく別な世界である。それはもっぱら、人間はエネルギーをどのように創り出しどのように使うか、という問いに関わる。
 最初期のバタイユのテキストは、彼が自分の内部から湧き上がる何か制御し難い力に翻弄されているのを感じさせる。この力は性的な衝動であったり、暴力であったり、宗教的高揚感であったり、社会的な騒擾であったりする。彼はこれらの衝動がどこから来るかを突き止めようとして、『太陽肛門』『松果腺の眼*8』など1920年代の初期のテキストに、特異なイメージを提示する。彼は自分の中の力が太陽のもたらす熱から来ていると考え、次のように推論する。この熱エネルギーは、太陽が自分自身を破壊し、補充も見返りもなしに与えるものであり、したがって、過剰な力 excès であるが、それは地球上においては生命を産み出す。だから生命体は、過剰を隠し持っており、その過剰は、生命の体系の頂点に位置する人間のところに集約される。それは地上では富 richesse となって現れる、と。過剰という言葉が、最初期のバタイユのキーワードである。
 であるからには、人間は、この過剰を実現する責務を負っている。この責務がどのように実現されてきたか、つまり人間は自分自身が産み出す過剰──富──を、どのように使用してきたか、というのがバタイユの経済学(エコノミー)である。実現のさまざまな様態と変遷は、1934年の『消費の概念*9』で初めて統一的な視野のもとに示される。彼の初期の思想を集約するこの論文で、人間の持つ過剰は、過剰という性格を実現するためには、生産と生産のための消費という有効性のサイクルに含まれることのないような仕方で消費されねばならないと考え、そのゆえにそれを非生産的消費 dépense improductitive と名づけた。これは後に蕩尽あるいは焼尽( consommation あるいは consumation )とも呼ばれる。この消費形態の例証として彼が挙げているのは、奢侈、葬儀、戦争、儀礼、壮大な記念物の建造、遊び、見世物、芸術、倒錯的な性行動、などである。そしてこれらの様態のなかでもっとも根底的な実現とバタイユが考えたのは、聖なるものという感情の経験、すなわち宗教であった。なぜなら、宗教は、過剰なエネルギーが、有効性に還元されないまま、集約的に消費されるときの恐怖・驚き・茫然自失から来る脱我的体験に根拠を置いていると考えられたからである。
 これらのエネルギー消費は、しばしば爆発的な形態を取ったが、やみくもな破壊活動ではなかった。過剰分を出現させるためには、まず秩序だった生産と生産のための消費が必要だったし、また過剰なエネルギーの消費のあと、次の機会を可能にするために、生産と消費のサイクルにふたたび戻ることも不可欠だったからだ。この交替は制度的に保証されていた。概略的に言えば、交替は時間的と空間的の2つの相の下で行われ、時間的には、労働の時間と祝祭の時間の交替であり、空間的には、農民と祭司・王侯貴族の間の役割分担だった。それぞれの組み合わせにおいて、前者は生産と生産的消費を、後者は非生産的消費を担当していた。祭司・王侯貴族は、農民を搾取して富を貯えたが、必要な時が来れば──戦争、祭儀、見世物の場合──、それを放出して、悲劇的にであれ、享楽的にであれ、農民や一般大衆の心理を高揚させる義務を負っていた。この役割分担は、社会的な同意を受けており、王侯貴族は、富を提供する能力に応じて、敬意と威厳を得ていた。
 ところが、富の消費に関わるこのような社会システムは大きく変化する。それが近代である。近代という時代を導いた出来事は、論者によって、ルネサンス、地理上の発見、産業革命、アメリカ独立戦争フランス革命、というふうにさまざまだろう。その中でバタイユがもっとも重大な役割を果たしたと考えるのは、ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1905年)を受けてだが、宗教改革とそれと一体になった資本主義の登場である。
 宗教改革以前、見神体験や恍惚といった心理の宗教的な高揚は、富の共同的集約的な消費のうち実現されていたが、神の純粋性が追求された結果、神の存在はどのような人間の作為からも抜け出て、絶対的な自律性を持つことになる。そこに現れるのがルターの宗教改革とプロテスタンティズムである。同時に富の非生産的な消費によって神を呼び寄せるという方法は、この絶対的な神によって無効とされる。富は別の方向に振り向けられることが可能になる。
 他方で、王侯貴族の傍らに、これまでいなかったタイプの人間が現れる。具体的には、とりわけ絶対王制下で、巨大になった支配機構の中に入り込んで、資産の管理を行う人間が必要とされ始めるのだが、この仕事を請け負った者たちは、貯えた富は、無意味に消費されるのではなく、もっと有用な使い方に振り向けられねばならない、と考える。彼らは神、楽しみ、驚きなどの側に向けられなくなった過剰分を、設備投資などのかたちで、生産のプロセスの中に投入し始める。ブルジョワジーの登場である。こうして宗教改革と資本主義は表裏一体となって新しい時代を開く。バタイユはこれを次のように総括する。〈もし偉大な宗教改革者たちの感情に立ち戻るなら、それは宗教的純粋性の要求に究極的帰結を与えることによって、聖なる世界を、非生産的蕩尽の世界を破壊し、そして地上を生産の人間に、ブルジョワたちに引き渡したといえるだろう〉(『呪われた部分』*10
 この方針転換からどんなことが生じたか。言うまでもないが、1つは生産力の飛躍的な拡大である。これはヨーロッパ近代の輝かしい達成である。しかし、もう1つの面がある。過剰分を生産に投資することは、それを過剰として消費する機会を無くすことであり、そのことによって、当然の結果ながら、非生産的な消費がそれを実践する者たちに与えていた敬意と威厳も、消滅に向かわざるを得なくなる。簡潔に言えば、生産力は増大したが、社会の中から、聖なるものの経験とそれに伴う威厳が失われていった。それが近代という時代であった。


3 マネの時代と「オランピア

 ではそのような時代に直面して、絵を描くという仕事に従事していた者たちは、どのような運命を強いられたのか。威厳が存在していたとき、彼らは農民や一般大衆と同じく、それを賛嘆し、仕えることが出来た。彼らはキリストや使徒や聖者たちの像を、また王侯貴族の武勲や悲劇的な死を、確信をもって描くことが出来た。そのことによって、彼らは非生産的で聖なる領域に所属していた。しかし、非生産的な部分を成り立たせていた根本的な条件は失われる。そのとき画家たちの仕事はどのようなものとなるか? これがバタイユのマネ論のいちばん大きな問である。
 近代以前の時代、威厳を持つ主人があり得た頃、絵を描く人間は、描くべき主題を保証されていて、その意味で職人的と言うべき存在だった。そういう時代から、権威が失われた時、彼らから、主人も主題も失われる。それが芸術家という近代固有の存在だ。ところでバタイユは芸術家という名前を曖昧な名前だと言っている。なぜか?
 芸術家は凋落した王侯貴族と同じかというと、そうではない。なぜなら、王侯貴族は、形骸化した威厳の下で、知らぬふりをして生きていくことが出来るが、画家たちの鋭い自己意識にとっては、そのような生き方は不可能だった。逆に彼らは、失われようとするこの聖なるものの経験を自分の上に引き寄せようとする。そのとき彼らは職人ではあり得なくなる。その聖なるものは、もはや負のかたちでしか存在しない。したがって絵画は、威厳に満ちた主題を持たないまま、聖なるものの経験を描くことを引き受ける。これがもはや職人芸ではあり得なくなったものとしての「芸術」である。バタイユは次のように言う。〈芸術作品はここで、過去において──もっとも遠い過去において──聖なるもの、威厳あるものであったすべてのものの位置を占める*11〉。生産と生産的消費を循環させることで自足し、そのサイクルをいっそう拡大しようとする社会のなかで、芸術家は、過剰さの経験を、誰にも認められないまま担わなければならなくなる。それによって彼は社会から忌避される存在ともなる。彼は、後にヴェルレーヌの言う「呪われた詩人」となるのだ。
 このことから、絵画に、いくつかの変化がもたらされる。ひとつには、聖人や王侯貴族といった神話的主題は空洞化し、描かれるべきものとは信じられなくなる。バタイユはこれを「主題の破壊」だと言う。芸術家となった画家の前にあるのは、神話ではなく、自分自身の存在また彼の目の前にある現実的な出来事、ボードレールの「モデルニテ」である。
 そこから、描き方自体に変化が起こる。たとえば、陰影、ふくらみ、グラデーションを拒否した扁平に見える「平塗り」と呼ばれる描き方である。バタイユはマネの作品が〈トランプの厚みしかない〉と批判されたこと、「雄弁の首を折れ*12」というのがマネのモットーであったことを紹介している。それは描かれたものの背後に、神話や理念などありはしないという主張であり、思わせぶりの拒否だった。
 こうした変容に促されて、マネは1862年の「チュイルリー公園の音楽会」、1863年「草上の昼食」と描き続け、同じく1863年の「オランピア」に到達する。これらの作品は、それぞれスキャンダルを引き起こしたが、「オランピア」はその頂点だった。何か変わったかは、マネが下敷きにした、チチアーノの「ウルビノのヴィーナス」(1538年)と並べてみれば明瞭である。一方は女神で、美を具現するのに対して、他方は現実の女──おそらくは娼婦──であり、生身の肉体である。さらに、ほぼ同時代にあって、同じく横たわる裸婦を主題とするカバネルの「ヴィーナス誕生」(1863年)をその傍らに持ってくると、違いはいっそうはっきりとしてくる。後者は、皇帝買い上げになった作品、ということは当時の美の理念を実現する作品だったが、同じく裸体を、陰影を際だたせ、ふくらみを持たせ、美とはこういうものだ、ということを露わに仄めかしている。これに較べると、「オランピア」は奥行きをなくし、扁平に描かれ、作品自体が与えるイメージのさらに奥に何かがあるとは思わせない。それは見る者を突き刺すようなある強力な存在感を醸し出しているが、それが威厳であるとしても、種類をまったく異にしている。これはキャンバスの上でのみ実現された威厳である。バタイユは次のように言う。

 そこにあるのは、飾りをはぎ取られて再び見出された威厳である。それは誰のものでもない威厳、いやさらに何ものでもないものの威厳である……。それは、それ以上の名分なしに、そこに存在するものに帰属し、絵画の力によってこそ証し立てられる*13

 バタイユによれば、「オランピア」は、聖なるものの失墜をあからさまに示すこの仮借のなさによって、大衆の憤激を買ったのである。そこには時代はかつてと同じではないというはっきりした絵画的認識が働いていた。バタイユが評価するのはこの明敏さである。


4 「オランピア」以後

 ところで以上は、バタイユが述べていることの整理にすぎない。ではこのマネ論をもう少し客観的に見ればどうなるか。私の印象を言えば、バタイユは、マネが「オランピア」によってそれまでの絵画にどのような衝撃を与えたかについては、見事な分析を加えたが、「オランピア」以降──マネの画業はまだ20年以上残っている──についての分析は、必ずしも十分になされてはいない。
 絵画は、主題の保証を失い、あるいは主題の重圧から逃れ、何かを描くということから、どのように描くかということへと、重心を移し替えていく。バタイユの言を借りるなら、〈描くという(芸)術以外の意味作用を持たない絵画、つまり「近代絵画*14」〉 へと変容する。そして、この方向性が、どこに向かうかもはっきりと指摘される。絵画が描くべき主題を拒否したとしたら、それは遅かれ早かれ、何も述べないこと・述べ得ないことに向かうだろう。それは沈黙に向かう。〈外から与えられた因習的な威厳とは別に、何か議論の余地のない現実、その至高さが虚偽によって巨大な功利的機械に従わせられることのできないような現実を、もう1度見出さなければならなかった。このような至高さは、芸術の沈黙の中にしか見出されなかった*15〉。これが原理的な方向である。
 しかしながら、通常の読者からすると、この推測がもう少し具体的に検証されてほしい。それに、個人的な関心ではあるが、芸術のこうした変容がバタイユの言う経済学的(エコノミー)な変容と連動しているならば、前者が沈黙に近づく時、後者はどのような変容を経験しているのか、と問わずにはいられない。当然ながら、後者についてバタイユは明示的には語っていないが、重なり合うこれら2つの問を促すのは、実はフーコーの所論である。後にこれと照らし合わせたいが、そのために読んでおきたいのは、先に示唆しておいたように1867年の「マクシミリアン皇帝の処刑」と1882年の「フォリ・ベルジェールの酒場」への論評である。
 「マクシミリアン」についてバタイユは、マネが近づき得ないものに達したまれなタブローの1つではないが、という保留を付けつつも、兵士たちによる処刑という強烈で時事的な主題を持っているにもかかわらず、否それだけにかえってよく、主題の抹殺という近代絵画の所行をよく実現しているとして、そこに起きている事態を、前に引用した部分を含むが、次のように述べる。

 ア・プリオリに言って、兵士たちによって方法的に、冷酷に与えられる死は、無関心には不向きである。それはずっしりと意味を担わされた主題であり、そこから激しい感情が露呈してくる。しかし、マネはこの主題を無感覚なものとして描いたように見える。鑑賞者はこの深い無関心の中を彼についてゆく。このタブローは、奇妙にも歯の麻酔を思い出させる。このタブローからは、しみ込むような輝れの印象が発散してくる。まるで熟練した臨床医が朝飯前といった調子で、丹念に、「雄弁を捕まえ、その首を折りたまえ」というあの第1の掟を適用したかのように。……残るのは、さまざまな色彩の染みと、ある感情がこの主題から生まれたにちがいないのだが、というとまどわせるような印象である*16

 私か注意を引かれるのは、前述のように〈輝れの印象〉である。私たちはこの作品からたしかに、空間が凝固したような印象を受ける。それからもう1つは、〈残るのは〉以下の最後の部分である。そこでは〈染み〉となって残った色彩と、そのもとになった主題との落差つまり二重性のあることが示されている。「マクシミリアン」に入る以前のところで、バタイユは伏線のように、絵画に passage というものがあることを語っている。絵画は〈物語る言語、言い換えれば「現実のあるいは想像上のスペクタクル」から、絵画の裸形状態すなわち「しみ、色彩、動き」へ推移する*17〉。「マクシミリアン」にあるのはこの推移である。これは重要な指摘である。
 「フォリ・ベルジェールの酒場」については、言及は短く3度であって、その1つで次のように言う。

 最後にもう1度、マネは彼のコンポジションのひとつに空虚という不在を与えた。「フォリ・ベルジェールの酒場」は、大きな鏡のたわむれが送り返す光の魔法である。前景には、酒瓶、果物、花があって、給仕女の両側で光に直接照らされている。彼女はたしかに大柄で、快活だが、しかしどこか火が消えたようで、視線はブロンドの髪の縁のしたで、疲労と倦怠に曇っている。群衆は、実際には彼女の前にいるにもかかわらず、鏡の光に満ちたお伽話の中の反映にすぎない*18

 光と言われているのは、実際の画面上では、色彩のことだ。色彩の重要性は、絵画の関心が、何を描くかではなく、どのように描くかへと変わっていく過程の上に現れる。形態に取って代わって、色彩が前面を占め始める。この変化は、モネを先導する。
 しかし、私を突き動かすのは、もう1つの経済学(エコノミー)的な問の方である。バタイユの立論の背後にあると考えられる、彼の経済学(エコノミー)は、「マクシミリアン」や「フォリ・ベルジェールの酒場」の分析の背後で、どのように作用しているのか。また反対に、彼のマネ論は経済学(エコノミー)に何を示唆したのか。明示的に語られてはいないこの照応関係を、私は問わずにはいられない。
 私たちは先に、それまで非生産的消費という固有の消費の形式を持っていた過剰分が、近代において、生産と消費の循環するサイクルの中に繰り入れられたことを見た。それは生産力を拡大する。事実そうだったが、しかし、起こったのは、そればかりではなかった。この繰り入れは、生産過剰とそれに伴う恐慌を引き起こすこともあり得た。恐慌は、過剰さが十分に吸収されないまま残っていることの徴である。バタイユは、戦争期の『有用性の限界』から戦後まもなくの『呪われた部分』(1949年)にかけては、このような生産と消費のシステムには、なお出現可能な過剰さが残存しており、それが失われた非生産的消費を回復させる機会となり得ると考え、そこに革命や社会的変革の機会を見ようとしていた。
 ところが『至高性』──1953年から56年頃に書かれたが、草稿のまま残された──の、しかもその最後のあたりになると、この考え方に変化が起きているように思われる。この書物は、社会学的な範躊に属し、経済学を直接論じたものではない。しかし、そこで至高性 souverainte と名づけられているのは、聖なるもの sacré と呼ばれていたものにほかならない。それは『マネ』での威厳 majesté のことでもある。したがって、それらを貫いて、根底に経済学(エコノミー)の考えを見ることが出来るはずだ。
 次のような推論が可能ではないだろうか? バタイユはこの書物で、聖なるものの現れ方を古代から辿ってくるのだが、最後の部分で、つまり現代に至って、〈至高性とはなにものでもない〉と述べるに至る*19。なにものでもないとは、無力になったということだろう。暴力的でもあった聖なるものの経験は、無力なものとなるのだ。驚くべき断言だが、理解することは出来る。それは、過剰なものが生産と消費のシステムに目に見えるかたちで障害となり破綻を引き起こすという考えが不可能になったことを意味する。資本主義体制は、システムを巧妙に整備し続け、過剰分をその中に均等に配分することで、過剰生産と恐慌を回避し、集約的で爆発的な現れ方を封じるに至ったのだ。ではそのとき、過剰分はどこにどのように存在しているのか。それはあらゆるところに浸透し、隠されまた自ら進んで隠れることで、その結果不断に作用し続けながら、潜在するものとなる。
 過剰のこのような内在化と潜在化に最初に気づかれたのは、はやくもコジェーヴヘーゲル講義を契機としてであろう。歴史が完了したとき否定性は消滅する、としたコジェーヴに対して、バタイユは、否定性はなお「使い途のない否定性」として残ると主張しているからだ(『有罪者』補遺、1937年)。そして興味深いことに、〈たいていの場合、無能力となった否定性は芸術作品となる。この変貌は、通常現実的であるが、歴史の完了(あるいは完了という考え)にうまくは答えられない。それは回避しつつ答える〉と加えてもいる。
 バタイユが『マネ』で、絵画が沈黙に近づくと言うとき、それは至高性がなにものでもなくなろうとし、過剰が無力なものとなろうとしていることと通じ合っている。過剰のこの潜在化を確かめたことは、『至高性』と同じ時期に書かれた『マネ』に、おそらく作用している。それが一番よく見えるのが「マクシミリアン」についての分析だろう。彼が言っている「痺れ」は、過剰を注ぎ込まれた時に起きる現象、一種の鬱血現象に違いない。それは画面に、ある種の麻輝状態を、次いで目に見えない形でひび割れと浮遊現象を引き起こす。
 もう1つ付け加えよう。バタイユは、「マクシミリアン」をゴヤの「5月3日」と比較していて、後者について、絵画の雄弁がこれ以上遠くまで行ったことはなかった、という感嘆の念を表明し、対比を強調するが、私か引き寄せられるのは、「マクシミリアン」の主題が皇帝すなわち王の処刑であるという点である。この視点からの関心については、バタイユ自身は何も言っていない。だが私は推測を押さえることが出来ない。彼は民族学的な知見を渉猟し、王の処刑が人間に心的な高揚をもたらすこと、そして共同性を再編し強化する作用を持っているのを見ていた。それは過剰のもっとも激烈な実現形態だった。だが、マクシミリアン皇帝の処刑は、このような効果をもたらさない。この処刑は王の処刑の古代的な系譜に連なることは出来ない。なぜか? それは、マクシミリアンが植民地支配のため送り込まれた傀儡的皇帝であり、しかも送り主たるナポレオン3世はすでに、大ナポレオンの甥であることだけを売物にした偽物的な存在であったためではないのか? 近代において、皇帝も王も、過剰を集約し具現する存在ではあり得ない。そのために、この処刑は、心的な高揚ではなく、ただ痺れしかもたらさなかったのだ。
 「フォリ・ベルジェールの酒場」について言えば、彼が給仕女に見た「火の消えたような」様子、また「疲労と倦怠」は、遍在する過剰さに不断に苛まれていることから来ているだろう。バタイユが見るところ、マネの絵画においては、主題が変容するばかりでなく、空間もまたどこか不安定になり始める。そして、実を言うと、この印象が私を、バタイユのマネ論にフーコーのマネ論を近づけてみたいと思わせたのだし、また以上のような推測も、フーコーのマネ論によって示唆されたものである。単純に言えば、バタイユ的経済学(エコノミー)の現代的な帰結のひとつは、マネについてのフーコーの分析の中にもっと明瞭に現れているようにも思える。


5 フーコーのマネ論・もう1つの空間

 フーコーのマネ論は、バタイユのマネ論と趣をかなり異にしている。前者は第一義的には、15世紀以来、本来は2次元的であるのに3次元を表象させられてきた絵画を、マネはキャンバスの物質的特性を再び機能させることで、絵画本来の性質と限界を明らかにした、と評価するものである。〈マネの行ったことは、……いわば、タブローに表象されているものの内部において、キャンバスの物質的な特性、性質、そして限界を浮かび上がらせることでした。これらのものはそれまで、絵画そして絵画の伝統が任務として回避し隠蔽してきたものなのです〉とフーコーは述べる。
 これを読むと、私たちは、その5年前の『言葉と物』を思い出さずにはいられない。この記念碑的な書物で、彼は古典主義時代とは透明な表象の時代であることを明らかにし、そのあと近代に至ってこの透明性が次第に攬乱されていく有様を、博物学が生物学となり、富の分析が経済学となり、一般文法が比較言語学となる3つの人文科学の成立において示した。その際、表象の透明さは、それぞれの領域での内部的な「多元的決定=重層的決定 surdétermination 」の発見によって導かれた。最初の経路においては生命現象への関心によって、2番目の経路では労働の発見によって、3番目の経路においては接頭辞や活用語尾などの内部的な屈折への着目によってである。これらの変容と併置するなら、マネ論が問うているのは、絵画芸術における古典主義時代から近代への変容という問題である。直接の比較を言えば、先に触れた冒頭のヴェラスケスの『侍女たち』からの変容が問題になるだろう。これについては後で触れよう。まず問題を導くのは、キャンバスの物質的特性への着目である。そしてこの特性の作用は、多元的あるいは重層的という表現が遠くから示唆しているように、キャンバスという空間のなかに、もうひとつの空間が現れるという事態を引き起こすのである。
 フーコーは13の作品を「キャンバスという空間」「照明」「鑑賞者の位置」の3つの問題系によって取り上げるが、それらは時間的な系列によっているのでもなければ、単に並置されているのでもない。3つは分析の方向にしたがっている*20。そして「鑑賞者の位置」の唯一の対象となって分析の最後に置かれるのが、「フォリ・ベルジェールの酒場」である。
 フーコーの言っていることのすべてに言及することは出来ない。私は彼が立てた3つの問題系を辿り、その途中で、さきにバタイユのマネ論で取り上げた作品があるならば、それを再度取り上げることで、バタイユの論考との接点を確かめる。幸いなことに、「キャンバスという空間」では「マクシミリアン皇帝の処刑」が、「照明」では「オランピア」が取り上げられ、そして「鑑賞者の位置」では「フォリ・ベルジェールの酒場」が取り上げられる。
 「キャンバスという空間」でフーコーが見届けようとしているのは、キャンバスの中に、もう1つの別な空間が現れ出ようとしているその兆候である。彼は、マネの作品中で、縦の線と横の線が多用され、その上奥行きが塞がれることで、キャンバスの中にもう1つの空間が繰り出されようとしている、と考える。たとえば「チュイルリー公園の音楽会」では、樹木による縦の線と、人物たちの頭による水平線が画面を区切り、同時に前景の人物たちが後ろの様子をほとんど覆い隠してしまう。「オペラ座の仮面舞踏会」でもほぼ同じことが起こっていて、キャンバスは大きなバルコニーの梁と2本の柱によって区切られ、奥は壁で閉じられている。フーコーは〈マネが空間を完全に閉じてしまっ*21〉ていて、〈キャンバスというこの四角形の空間的特性は、こうして、キャンバス自身に描かれているものによつて表象され、明示され、強調される*22〉と指摘する。
 「マクシミリアン」も同じ動きの上に認められる。奥行きは、大きな壁によって塞がれており、その上端の示す横の線と、人物たちによる縦の線がある。そこに〈タブローを二重化する小さな情景*23〉が生まれる。繰り出されたこの空間は、ある圧縮を受ける。画面に銃を構える兵士と銃殺される人々が置かれるのだが、画面の小ささのために、両者の間に距離を置くことが出来ない。ではマネはどのようにして距離を表現したか? 彼は、銃殺される人物が銃口に触れるくらい近くにいるにもかかわらず、縮小して表現するという方法をとる。そこでは〈西欧における絵画的知覚の根本原則のいくつかが……解体し*24〉、そこに〈人物の空間的な位置や隔たりが、ただ絵画の内部でしか意味も機能も持たない記号によって与えられるような、絵画的空間*25〉が現れる。これがフーコーの出発点である。
 フーコーがこれらの作品の中に見た変化は、バタイユが見た変化とつながっているように思われる。奥行きの拒否への注目は、バタイユの場合の平塗りへの注目と同じだろう。「マクシミリアン」の〈痺れの印象〉は、繰り込まれて潜在する過剰さによるものだと考えたが、それと同じことがもっとあらわに、遠近法の変質という絵画的知覚の解体となって現象している。主題から色彩の染みへの移行は、描かれたものが絵画の内部でしか意味も機能も持たないような空間のあらわれと同質の出来事であるにちがいない。
 第2の「照明」という問題系で、フーコーは、古典的な絵画においては、光源はキャンバスの内部かあるいは見えないところにあるにせよ絵画空間の内部にあるのに対して、マネは〈内部の照明を取り除き、それを現実の、外部の正面からの光に置き換える*26〉と述べている。「オランピア」については、オリジナルであった「ウルビノのヴィーナス」が横から来る光源によって慎ましく照らし出されるのに対して、真正面から来る非常に暴力的な光がある、と彼は指摘する。まず重要なのは、光源がキャンバスの外側から来るとされていることだ。これは明らかに、前の問題系で、古典的な絵画空間のなかに、それから分離しようとするもう1つの空間が現れたことを受け継いでいる。この新たな空間は、キャンバスの外に逸脱しようとするのだ。
 重要なのは、この正面からの照明は、単なる照明ではなく、画家のそしてキャンバスを見つめる鑑賞者の視線でもあると指摘されていることだ。われわれの視線と照明は同じものであり、したがってこの視線が、オランピアの裸体の上に注がれ、それを照らし出し、可視のものとする。その結果次のようなことが起こる。

 このような絵においては、作品を見ることとそれを照らし出すことはひとつの同じことでしかないのです。それゆえに私たち──どんな鑑賞者も──は、必然的にその裸体に巻き込まれ、ある程度までそのことに責任を持つことになってしまうのです*27

 スキャンダルは、作品がこのような共犯性を鑑賞者に強いるからだと、とフーコーは考える。同時に、この新たな空間は鑑賞者をキャンバスの内部に引き込むが、キャンバスから出てきた空間でもある。それは内部と外部を通底させるような空間なのだ。このありようは、最後の問題系「鑑賞者の位置」で重大な問題を引き起こす。
 画家あるいは鑑賞者の視点が照明と一体化して、作品内に入り込むことは、リアリズムに落ち着くなどということではない。「鑑賞者の位置」の唯一の対象である「フォリーベルジェールの酒場」は、この位置──それは画家の位置でもある──が極めて不安定なものであることを示すからだ。
 この作品には奇妙なところがある。これは誰も気がつくことで、発表のときから、戯画的に指摘されてもいる。背後に鏡があるが、そこに映っている像と作品に描き出されている人物あるいはオブジェは、どう見ても一致しないのである。先述のように、バタイユはこの作品については紙数を割いてはいず、この奇妙さについては触れていないが、フーコーにとって、この奇妙さは講演の主題そのものである。
 フーコーが絵画において鏡に着目するなら、読者は『言葉と物』の冒頭にエンブレムのようにおかれたヴェラスケスの「侍女たち」(1656年頃)の分析を思い出さないわけにはいかない。古典主義時代を決定づけるこの作品の分析で、フーコーは、鏡のからくりによって表象が自律的となることを明らかにした。彼は近代に属する「フォリ・ベルジェールの酒場」の場合でも、同じく鏡の作用に着目するのだが、マネという画家のとりわけ現代的な画業のおかげで、未完成な講演原稿とはいえ、結末はいっそう前方まで押しやられることになったように思われる。簡単に言えば、フーコーは「侍女たち」においては、鏡による反映が最終的には王と王妃の不在によって不安を抱え込むのを見抜くにしても、この反映は正確であり、古典主義時代の表象の透明なありようをよく代表する、と考える。これに対し、「フォリ・ベルジェール」においては、反映の空間はすでに数多くの矛盾をはらんでいて、それは、近代において、たとえば言語が内部に表象に還元し得ぬ要素を導入し、先に引いたように、重層的な構造を持ち始めると彼が考えるのと呼応している。その結果、マネを見ることにおいて、彼は空間の重複と輻輳にまで導かれるのである。
 フーコーは、「フォリ・ベルジェール」の奇妙さには3つの要因があると指摘する。1つめは、この給仕女が後方の鏡の右方に映るためには、画家あるい鑑賞者は、同じように右方にずれていなければならないが、画家はこの女性を正面から見ているからそれはあり得ない、という点である。2つめは、鏡にはこの女性に話しかけている男が映っている、しかしそうであるなら、この男の影が女性に映るはずだが、そのような影は現れていない、という点である。3つ目は、この男が画家であるとしたら、その視線は、鏡の像の示すところに従えば、給仕女を見下ろす俯瞰的な視線であるはずであるのに、実際の作品の中の画家あるいは鑑賞者の視点は、女の視点と同じかむしろ下にあるという点である。したがって〈三重の不可能性*28〉があることになる。この矛盾が、この絵を見る人に魅惑と不安とが入り交じった気持ちを味わわせる、と述べた上で、フーコーは次のように言う。

 マネは、キャンバスの特性を作動させ、それを、表象作用がそこでは鑑賞者を固定する、あるいは鑑賞者にそこから見つめるべきひとつの地点、唯一の地点を固定するような、一種の規範的な空間ではなくしてしまいます。キャンバスは、その前で、そしてそれとの関係の上で、私たちが位置を変えることのできる空間として現れるのです*29

 先ほどの、絵画的知覚の根本原則の解体の確認の後、今回は1歩進んで、規範的空間の消滅とそれを統御する視線もまた不可能になることが述べられている。フーコーは「キャンバスという空間」「照明」「鑑賞者の位置」という3つの問題系を辿りつつ、おそらくは次のように考える。その内部で縦の線と横の線の組み合わせによって、そして背後が壁によって封鎖されることで空間が複製される。ついで、照明の位置によって、この内部的空間が外部へと引き出される。さらに、この照明の位置すなわち画家あるいは鑑賞者の視線の位置が両義的なものとなることで、あらわれた空間が不可視の不安定な空間であることが明らかにされる。これがフーコーが見るところのマネ的な絵画の経験であろう。


6 相互反響

 2人の思想家は、個々の作品の解釈については、違う視点を持ち、違う解釈を与える。しかし、もう少し読み込むならば、共通するもの、少なくとも触れあおうとするものが見えてくる。2つの解釈は、接続するのではなく、斜めに交差している。
 「マクシミリアン」がひとつの交点をなしている。バタイユは、神話的な威厳の消滅を発端におくことで、「オランピア」を解読したが、それに続くのは、雄弁の否定と主題の意味作用の抹殺である。後者を明らかにするために彼が対象としたのが「マクシミリアン」だった。だからこの作品は、バタイユの論旨にとって、「オランピア」に次ぐ重要さを持つ。彼は根本的な変化と共に、絵画表現上の変化についても、平塗り、痺れの印象、主題から色彩の染みへの移行等、具体的に書き留めている。キャンバスの中にある種の剥離現象が現れる。これは明らかに二重化のひとつの形であろう。たぶんそこで、バタイユの関心とフーコーの関心は、接触する。ただバタイユは、彼のマネ論の範囲では、この動きを追求する方向には進まなかった。彼にとっては、「オランピア」の魅惑があまりにも大きかったのだろう。ただし、マネのキャンバスに何か不思議なことが起こっているという感覚は強く持ち続けたように見える。それが「マクシミリアン」での「痺れ」の感覚そのほかへの着目、また「フォリーベルジェールの酒場」での給仕女の放心の表情への着目である。
 私たちは、バタイユのマネ論を支える基盤というべきその経済学(エコノミー)論まで視野を拡大し、過剰なものが、生産と消費の間でそれまで均衡が取れていた空間に押し込められ、その空間を不安定化するのを見た。そのとき、空間は、内部にもう1つの擬似的な空間を創り出したと考えることが出来るだろう。〈至高性とはなにものでもない〉とバタイユが言ったが、この無力さは、フーコーの言う三重の不可能性によって根拠を欠いたマネの空間に呼応している。
 フーコーも15世紀に成立した古典絵画の変容という視点でマネを読むが、近代全体を対象としようとして、バタイユの経済学(エコノミー)をその背後に置くこと、またフーコーが厳密に捉えて見せた絵画の変容の根底に、あの過剰なものの動きを想定することは、十分可能ではあるまいか。このようにバタイユ的経済学(エコノミー)の視野を背後に置いてフーコーの分析を読むことは、絵画の将来についてフーコーが示唆するにとどめたことを、推測するよう促す。先に引用したが、フーコーは冒頭で、マネが可能にしたのは、今もなお現代美術がその内部で発展し続けているような絵画だ、と言った。マネの絵画にバタイユが見た、主題から色彩の染みへの移行、そしてその延長上に私たちが想定した、フーコー的な空間の逸脱と輻輳は、たとえば後期のセザンヌにおいて次第に顕著になってくる空間の断裂とずれ、いくつもの空間を折りたたんだようなピカソやブラックのキュビスム、また異なった空間の侵入を誘い出すマグリットのコラージュ的構成といった、現代絵画の実験と地続きになっているだろう。そうした道筋は、絵画の動きをバタイユ的でもあればフーコー的でもある視野の中に置くことで、よりよく理解されるように思われる。

*1:『沈黙の絵画』、出口裕弘、二見書房、1872年。Georges Bataille, Manet, CEuvres complètes, tome Ⅸ, Gallimard, 1979. ただし、ここでは標題として原題である『マネ』を使用する。以下引用については、多くの場合既訳を借用させていただいた。訳者の方々に感謝したい。ただ文脈によって変更した部分がある。

*2:『マネの絵画』、阿部崇訳、筑摩書房、2006年。Michel Foucault, La peinture de Manet, Seuil, 2004.

*3:『沈黙の絵画』、前出、15ページ。op. cit., p .155.

*4:同上、145ページ。ibid., p .154.

*5:同上、73ページ。ibid., p .133.

*6:『マネの絵画』、前出、4ページ。op. cit., p .22.

*7:『沈黙の絵画』、前出、26ページ。op. cit., p .120.

*8:『太陽肛門』『松果腺の眼』とも、『眼球譚』、生田耕作訳、二見書房、1971年、に収録。

*9:邦訳では、『呪われた部分』、生田耕作訳、二見書房、1973年、に収録。

*10:『呪われた部分』、同上、170ページ。CEuvres complètes, tome Ⅶ, Gallimard, 1976, p . 122.

*11:『沈黙の絵画』、前出、89ページ。op. cit., p .141. ただし、この代替がある種の実効性を失わざるを得ないことを、バタイユは次のように書いている。〈こうした諸状況にあって、極限の状態は芸術の領野に移ったが、そのことは不都合なしには進まない。かつての信仰生活に文学(虚構)が、現実の恍惚状態に詩(言葉の無秩序)が取って代わった。芸術は行動の外部に小さな自由の領域を作ったが、その自由とひきかえに現実の世界を放棄した。この代償は甚大である……〉。『ニーチェについて』、「序文」、1945年、酒井健訳、現代思潮社、36ページ。

*12:ヴェルレーヌの「詩法」の一節。

*13:『沈黙の絵画』、前出、124ページ。op. cit., p .147.

*14:同上、69ページ。ibid., p .131.

*15:同上、77ページ。ibid., p .135.

*16:『沈黙の絵画』、同上、73ページ。ibid., p .133.

*17:『沈黙の絵画』、同上、69ページ。ibid., p .131.

*18:『沈黙の絵画』、同上、146ページ。ibid., p .154.

*19:『至高性』、湯浅博雄、中地義和、酒井健訳、人文書院、1999年、357ページ。Georges Bataille La Souvreinté, CEuvres complètes, tome Ⅷ, Gallimard, 1976, p .456.

*20:『マネの絵画』はマリイヴォンヌ・セゾンによって編集されていて、いくつかの論考が収められているが、フーコーの論証の3つの問題系は、並置されていると見る論者が多いようだ。「マネ、あるいは鑑賞者の戸惑い」のキャロル・タロン=ユゴンは、〈フーコーの講演は、マネがこうした絵画の条件を明るみに出す3つの方法を分析している〉(原著73ページ、邦訳79ページ)と述べていて、並置的に言及しているに過ぎない。また「表/裏、あるいは運動状態の鑑賞者」のダヴィッド・マリーは、鑑賞者の位置については興味深い指摘をしている(『言葉と物』における「侍女たち」との比較)が、3つの問題系については、〈チュニスでの講演では、フーコーは、マネの芸術の3つの特徴点を順に論じている。すなわち並置している。3つの特徴は同じレベルにある〉(原著83ページ、邦訳94ページ)と言っている。他方、「イメージの権利」のクロード・アンベールは、階梯があることを見てとっている。〈15世紀以来用いられてきた遠近法からマネがいかに遠ざかったかを述べながら、結論に向かって3つの段階が設定されている〉(原著149ページ、同190ページ)が、彼がこの配列に読み取っていることは、私たちがこれから見ることと、かなり異なる。

*21:『マネの絵画』、前出、11ページ。op. cit., p .27.

*22:同上、11ページ。ibid., p .27.

*23:同上、12ページ。ibid., p .27.

*24:同上、14ページ。ibid., p .29.

*25:同上、14ページ。ibid., p .29.

*26:同上、26ページ。ibid., p .37.

*27:同上、32ページ。ibid., p .40.

*28:同上、43ページ。ibid., p .46.

*29:同上、44ページ。ibid., p .47.