日常的抵抗論 終章 民衆的なものと敗北の場所 小田亮

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1.敗北の場所からの抵抗論

 社会言語学者の田中克彦氏が、「『国民文学』を通じての『世界文学』の普及は、もはやそこに参与することが絶望的となった文学的落伍者を作り出した。その文学的落伍者とは、まず何よりも言語的少数者、あるいは少数者言語の話し手としてあらわれる。言語的少数者は、圧倒的な国家語からの絶え間ない圧力に抗しきれずに、かれらの伝統的文学活動の要具である母語を放棄するよう迫られるのである」と書いているのを受けて、市村弘正氏は、つぎのように述べている。
 

 たしかに流通力とその範囲を問題にするかぎり、小さな言語は敗けいくさを戦わざるをえないだろう。遺棄されていく小さなもの。この現代性の形姿をここにも確認するほかはないのだろうか。しかし、小さな言語が放棄を迫られるままに消えていくのでないとすれば、それを肯んじないとすれば、そこに何が現れるだろうか。/困難ないくさを戦うものが小さな人間たちであるかぎり、何よりも話し手の姿とその話し方が現われるだろう。そして、かれらによって担われる、意味のレベルに還元できない「声」が現われるだろう。その姿も語り口も、話し手1人1人において異なっているだろう。小さな言語の小ささを担保するこの異質性は、国民文学的言語の平準性にどこまでも逆行する。統合の圧力によって追いつめられるとき、小さな言語が切れ切れに露わにするのは、このような存在の不均質さそのものだ。それは地域の生活を離れた統一にはなじまない抗体である。それは「一丸となる」国家語の形式をもちえない粒子である。[市村 1994:15]。


 市村氏は、おなじエッセイのなかで、つぎのようにも言っている。「文明化の過程は、小なるものを劣位におき負荷をおわせることによって進行する。小農の部落も未開社会も、一方的な敗けいくさを強いられざるをえない。それは避けがたい。しかし、敗北の場所はまた思考の場所でもあるのだ。獲得される敗北とは、このような場所を志向することだろう。……私たちが小さなものに向かわねばならないとすれば、それは『小さいことは美しい』からではなく、このような危機的認識にもとづくのである」[市村 1994:23]。
 市村氏のいうように、私たちが小さなものに向かわねばならないとすれば、それは敗者への同情によるものでも、敗北の美学にひかれてでもなく、また消滅してゆくものへの郷愁によるのでもなく、「獲得された敗北」、「敗北の場所」を共有していることを確かめ、「小さなものであること」、「抗体となること」を学ぶためである。それは、サバルタン・スタディーズ・グループのチャクラバルティが、自分たちがサバルタンのもとに出かけるのは「断片的である」ことを学びに行くのだと述べていることと通じている。
 ところで、村井紀氏は、『南島イデオロギーの発生』のなかで、関東大震災時の自警団による朝鮮人虐殺が柳田國男のいう「常民」によって行なわれたのだとし、柳田による常民の説明を引用しながら、「『自警団』というまぎれもない『常民』の『村』は――『目に一丁字もなくして』つまり文字による情報も判断もなく、インテリの懐疑も振り切って――情報の混乱のなかで、自立的に生まれたのであり、それを『動かしているのは無識の者の判断』であった」[村井 1995:60]と述べている。このような批判は、「常民」という「小さなもの」に消えていくものへのノスタルジーや「小さいことは美しい」という理由から近づくというようなポピュリズムに対する薬にはなるかもしれない。けれども、村井氏の批判は、自分の立場をそのような自警団の常民とは無縁の、全体を見通す高みにおくものである。そもそも、1920年前後に民衆を警察化するために創りだされた青年団や在郷軍人や消防団を核に組織された「自警団」は、自生的ないし自立的に生まれた「常民の村」というより、規律=訓練によって規律化された「国民」からなる市民社会というべき存在であった。そのことは、自警団が見知らぬ難民を朝鮮人かどうか判断するために用いた「国語」を話す能力を試す「試験」などによっても明らかだろう。そのような「試験」は、「国語を話せる国民」の誕生なしにはできないものだった。また、村井氏のいう「情報の混乱」も、新聞というマスメディアにすでに媒介されシステムに包摂された都市空間における「報道の空白」によるものである。つまり、情報の混乱はマスメディアの存在なしには生まれないものであった。自警団は、村井氏が自らの身を引き離している「常民の村」ではなく、自分もそこに包摂されている「市民社会」の産物だったのである。村井氏の批判に決定的に欠けているのは、常民ならぬ自分たちこそ自警団の末裔だという認識、いいかえれば、私たちが「敗北の場所」に生きているという自覚なのだ。
 「敗北の場所」に立つこと、「獲得された敗北」を共有することとは、関根康正氏のことばを借りれば、敗者と〈地続き〉の地平にいることに気づくことから始まる。それは、人類学者としての「私」が、敗者としての小さなもの、被抑圧者たるネイティヴの表象者=代理人になるのでもなく、また逆に、ネイティヴの抵抗の支援者となって、かれらを「私」の代理人とすることでもない。
 もっとも、現実に戦っている被抑圧者にとって、その戦いが敗けいくさでしかないと断言されることには当然、違和感があるだろう。「小農の部落も未開社会も、一方的な敗けいくさを強いられざるをえない」という市村氏のことばに対して、徐京植氏は、在日朝鮮人として――だが批判としてではなく対話として――つぎのように述べている。

 たしかに一方的な敗けいくさを強いられざるをえない。しかし、何とか敗けを逃れたい。敗けるわけにはいかない、と日本社会の少数者として私は思っているわけです。そこのところで私は、敗けるわけにはいかない人間として、もちろん細部を無視しようというのではなく、あるいは空疎な全体性に身を委ねるというのでもなくて、しかし、粉々になった破片を何とか復元してみようという意思、意欲をもって、この場にいるわけなのです[徐 1994:8]。


 けれども、徐氏のいう、粉々になった破片を何とか復元してみようという意思と、市村氏のいう、一方的な敗けいくさを強いられる小さなものが切れ切れに露わにする、地域の生活を離れた統一にはなじまない抗体に注意深くあることとは、どこかでつながっているように思える。というのも、そのような「破片を抗体としたままの復元」は、ベンヤミンがドイツ・バロック悲劇にならった、「目標を正確に思い描かぬままにひたすら断片を積み上げてゆくこと」[ベンヤミン1995:219-220]という、批評の手法に似ているからである。ベンヤミンは、つぎのように言っている。

 奇想天外な小片を継ぎはぎするところにモザイクの圧倒的な力が存するように、哲学的な考察にあっても、飛躍を怖れるには及ばない。個々のもの、異質のものからモザイクは集成される。……思考の細片の価値は、基本的構想の尺度をもってしては直接に測りえないものであればあるほど、それだけ決定的になる。叙述の光彩がそのような細片に依存していることは、モザイクの光彩がガラスの融解片の品質に依存していることと異ならない。造形的ないし知的な総体のサイズにたいする緊密な細工の数かずのこの関係から、ある事実の細部という細部への沈潜によってのみ真理内容は把握されうる、ということがわかる。[ベンヤミン 1994:109]


 粉々になった破片から復元されるのは、あらかじめ思い描かれた空疎な全体ではなく、つぎはぎ細工によるモザイクに他ならない。この首尾一貫しないことを怖れないモザイクにおける細部への沈潜によってのみ真理は把握される(つまり、真理は全体に向かうところ、生活の場を離れたところにはない)という点において、徐氏のいう、そのまま敗北するわけにはいかない少数者の、破片の復元の意思と、市村氏のいう、破片が露わにする不均質さに向かう志向とは、たしかにつながっている。つぎはぎ細工によるモザイクは、復元しそこなったまがい物ではなく、生活の場に接しているかぎりにおいて真正なものとなるのである。
 ベンヤミンがよび起こそうとしているのは、「空疎な全体性」や「地域の生活を離れた統一」や「『一丸となる』国家語の形式」になじまない抗体としての断片の記憶だろう。そして、小さなもの、マイナーなものが、空疎な全体性に抗うような光彩を放つ抗体としての断片へと生まれ変わるのは、なんとか復元しようとそれらの破片をつぎはぎして作られたモザイクにおいてである。このことをいいかえれば、小さなものや「断片であること」を特徴とするサバルタンは、変わらぬ固有性を保持しているゆえに抗体となるのではなく、近代化という歴史的過程のなかで一掃されるマイナーな存在とされたゆえに――いいかえれば「敗北の場所」においてはじめて――、復元されるべき断片として現われ、抗体となるのである。それらの諸断片をつぎはぎしたモザイクの光彩は、断片の個々の色彩を消すことはないが、個々の固有の色彩には還元されえず、そのつど異なった意味や語りを生み出していくことができる。
 「民衆的なもの」あるいは「サバルタン性」というものがあるとすれば、それは、「小さきものたち」のつぎはぎの仕方にしかない。その仕方こそ、本書で「ブリコラージュ的戦術」や「民衆のもののやりかた(としてのリゾーム)」と呼んできたものである。そして、敗北を強いられている小さなものを自分の代理人に仕立てあげて、全体を見通す地点にたって抵抗を可能性の領域で再構成するのではなく――序章でのいいかたを使えば、「前景」を消去するのではなく――、それを「敗北の場所」という〈地続き〉の場所で見いだすことこそ、ド・セルトーの「戦略」と「戦術」の区別や、チャクラバルティの「断片であること」や関根康正氏の「〈地続き〉の人類学」に学んだことだった。そして、そのことさえ押さえておけば、その日常的なもののやりかたを「抵抗」と呼ぶか呼ばないかという問題は、実際にはどちらでも良いことなのである。
 それよりも重要なことは、現代の資本主義システムにおいて脱領土化されたモノを自分たちの便宜によって生活の場に再領土化し、支配システムの制度や言説を模倣・反復しながらそれを変容させていく日常的実践を、共同体から市民社会へ、領土化から脱領土化へ、といった近代のできあいの進歩図式によって、あたかも全体を見通せる超越的な「固有の場所」から、支配システムの再生産にすぎないとか歴史的進歩への反動だと判定して、自分を含めた人びとの〈いま-ここ〉におけるラディカルな変革を否定してしまわないことにある。日常的実践に対する「日常的抵抗」という名づけは、そのような歴史的進歩や主体性の回復や自由の獲得といった基準に適合しているかどうかといった判断によるもの――いいかえれば「大きな物語」に依拠したもの――ではなく、そのような判断による否定を回避するためのものだった。
 けれども、それは自分たちが「被抑圧者」と名づけた他者による実践ならどんな実践をも「抵抗」と呼ぶということではまったくない。本書で述べてきたことは、一見、支配システムを再生産したりそれにからめとられていたりしているようにみえる実践が、リゾーム的な関係をつくりだすものであれば、その支配システムのツリー構造をセミ・ラティス構造に変容させていく――条里空間のなかに平滑空間を出現させていく――ラディカルな変革となっているということなのである。それは、近代のツリー構造に包摂されながらも、リゾーム的なつながりによる〈顔〉のみえる関係性からなる生活の場――それを「共同体」と呼んできた――においておこなわれている日常的実践であり、包摂される以前ではそのあたりまえのやりかたが、近代のツリー構造に包摂されたあとでは、ラディカルな変革をもたらす日常的抵抗となるということであった。
 序章で引用したように、ジャン=リュック・ナンシーは、「社会は共同体の廃墟の上に作られたのではない。それはわれわれが『社会』と呼ぶものとも、『共同体』と呼ぶものともおそらく関係をもっていなかった何ものか――部族あるいは帝国――の消滅のうちに、ないしその維持のうちに形成されたのである」と述べていた。日常的な抵抗=実践は、「われわれが『社会』と呼ぶものとも、『共同体』と呼ぶものともおそらく関係をもっていなかった何ものか」を、「社会」と「共同体」のはざまで保持するものだとも、あるいはその消滅を記憶させるものだともいえる。けれども、それは「社会」と「共同体」の二元論によって形成されたツリー構造の「周縁性」に依拠して、それを転倒させようとするものだとかんちがいしてはならないだろう。それは、「社会」や「共同体」とわれわれが呼ぶものの二元論を構築しているツリー構造の単声的な関係のなかに、その関係を反復=再生産するようにみせかけつつ、もう1つ別の声を浸透させてしまうものなのである。
 本書では、人と人との関係性から自律した主体という啓蒙主義的な観念や、そのような主体と密接に結びついている、全体を見通す「固有の場所」にたって関係やそれなかの項を客観的・一義的に把握できるということを前提として記述されたツリー構造を批判してきた。たしかに、そのような啓蒙主義的主体やツリー構造を構築することはそもそも不可能であるが、その不可能性を指摘し、啓蒙主義的主体やツリー構造における単一のアイデンティティなど虚構であることを暴露したところで、それらを解体することにならないだけではなく、そのような不可能性の指摘は、啓蒙主義的主体とツリー・システムへと向かうための前提となっていることも述べてきた。
 啓蒙主義的主体とツリー・システムは、アイデンティティを形成するための自/他の境界性を、中心-周縁という同心円的構造における周縁性として実体化して排除していく。その排除を、「他者の他者化」と呼んできた。ピーター・ストリブラスとアロン・ホワイト[ストリブラス/ホワイト 1995]は、1970年代のフーコークリステヴァの議論を、「ブルジョワ社会が自らの象徴的支配のメカニズムとしてつくりあげてきた言説の階級秩序を解体し、肉体と文化の階層を無効化する」ものとして境界侵犯を捉えているロマン主義の例として挙げながら、それらの議論に反して、境界侵犯やそれによるカーニヴァレスク的な異種混淆性は、それだけではブルジョワ的主体の階級的アイデンティティを破壊するどころか、そのアイデンティティの形成過程を構成する要素でもあるのだということを指摘している。つまり、啓蒙主義的主体を構築するために、周縁に排除した無秩序は、それが中心と周縁というシステムにおいて十分に自分から離されていれば、その排除したものへのアンビヴァレンスは、啓蒙主義的主体にとって脅威ではないのである。
 そのような周縁性を、ツリー・システムが包摂しそこなっている「辺境」とみなして、そこに支配的システムを転倒するものだと考えるのでもなく、あるいはツリー・システムの完全なる構築を不可能だと暴露することでそれを解体できると思い込むのでもなく、しかも、ツリー構造としての支配的システム(これを異性愛主義的な言語と呼んでもいい)を構築するときに排除された、それとは異なる秩序や言語がたしかに排除されつつ保持されていること、そしてそれによる日常的実践は、支配的なツリー構造の模倣や反復にしかみえないかもしれないが、そのツリー構造を変容させるものとなっているということをみる文化人類学的視点こそが重要なのだと述べてきた。
 ただし、そのことは、周縁性という意味づけそのものを拒否することを意味しない。それは、日常的実践においては、アイデンティティを形成するための境界が、中心と周縁というツリー構造がつくりだした空間秩序における周縁性として意味づけられていることを受けいれながら、その境界が同時に換喩/隠喩的な差異の連鎖における固定されない境界でもあるというように、同一の境界をさししめす単一の関係がふたつの声=意味をもっているということをみる視点である。
 まえに、スチュアート・ホールがアイデンティティの2つの型を両方とも保持すべきだと述べていたことをみてきたが、ここまでくれば、それが二者択一の両方を別々に保持するとか、臨機応変に使い分けるということだけでおわらないことがみえてくる(そのような言いかたはまだ選択や保持する主体を温存している)。つまり、アイデンティティや関係をツリー構造(同心円的構造)のなかの連帯として保持しつつ、リゾーム的な関係によるアイデンティティの政治をもめざすことが可能となるのは、人と人との対話的関係(社交)における反復や模倣において、前者の関係やアイデンティティに後者の声を浸透させることによって、ツリー構造をセミ・ラティス構造にしてしまうからなのである。それなしには、アイデンティティの政治は、その内部に抑圧される他者を生みだすことになろう。
 いいかえれば、そのような「声の二重化」は、別々なものを選択したり戦略的に使い分けたりすることではなく、あるいはツリー構造の外部にリゾームというものを想定するのでもなく、リゾームという「民衆的な方法」において、同一的な声がいつのまにか非同一的な声となるということである。そのやりかたとは、同一的な声などそもそも不可能だということを暴露することでもなく、抑圧的な同一的な声を変革する意志をもつ自由な主体を確立することでもなく、他者の声を模倣・反復することによってである。そのことは、小さきもの(マイナーなもの)の創造性を軽視することとは逆である*1。大事なことは、その模倣・反復による「ふたつの声」の生成こそが創造的であると認めることなのである。
 そして、そのようなやりかたは「辺境」でのみ可能なのではなく、日常的なものという意味での民衆的なもので実際に起こっていることであり、周縁に排除された被抑圧者に自己を同一化することなしに可能なことである。いいかえれば、そのような日常的実践をラディカルな変革という意味での「抵抗」とできるのは、なにも周縁に排除された民衆やマイノリティや被抑圧者だけではない。敗北の場所という地続きの場所にたっている私たちもまた、日常的実践を抵抗としうるのである。日常的抵抗論とは、自分がそのようなラディカルな変革やそのための創発的な連帯を求めているのでなければ、ほとんど意味のない、研究者自身のアイデンティティ・ポリティックスのための「学問的なゲーム」となってしまうだろう。
 本書では、リゾームやブリコラージュという「民衆的・日常的なもののやりかた」による変容の実践を「日常的抵抗」と呼んできた。けれども、日常的抵抗論や象徴的抵抗論と呼ばれている議論には、いくつかの問題点があった。ここで、あらためてそれらの問題点を明確にしておこう。
 まず、そのような日常的実践は、どこにでもいつでもみられる民衆的なもののやりかた以上のものではなく、それをことさら「抵抗」と呼ぶ必要があるのかという疑問も出されている。すでに述べたように、日常的な実践は「生き抜く」ための適応でもあるため、それを自分たちの生活から切り離して、「固有の場所」としての超越的な視点から俯瞰すれば、それは「現状肯定」の論理であるとか、あるいは支配システムの再生産にしかならないようにみえる。つぎに、すでに触れたように、実践の当事者が「抵抗」などと意識していない行為を、研究者が「抵抗」と解釈するのは、当事者の意識や主体性を否定したものだという批判がある。それは、研究者が「物言えぬサバルタン」に代わって上から抵抗と解釈することは、オリエンタリズムと同様の上からの表象=代弁の権力を用いていることになるという批判と結びついていた。そして、日常的抵抗論がその実践の臨機応変性を強調しているにもかかわらず、その底に首尾一貫した「抵抗する主体」を想定している場合があるという批判も、すでに本書でジェームズ・C・スコットの日常的抵抗論を例にして述べておいた。
 けれども、だからこそ、そのような日常的実践を「抵抗」と呼ぶことに意味があると考える。「じっさいには支配関係の再生産でしかない」という批判は、「生き抜く」ための実践が支配的な空間である条里空間を平滑空間にじっさいに変容させていることを見落としていると同時に、自分の立場を生活の場や「前景」から切り離したオリエンタリズム的な視点を確保しようとするものとなっている。また、実践の当事者が意識していないのにその実践を抵抗と解釈することへの批判も、自分をそのような実践をしている他者と切り離していることが問題となるのであって、たんに他者の行為をその人が意識してはいなかった意味づけをすることじたいは、その行為をそれまでとは異なる文脈に位置づけて新たな意味を発見することにもなる*2。つまり、重要なのは、他者の意識していない実践を解釈しないようにすることにあるというより、実践の当事者の生活の場と研究者自身のそれとを切り離すことなく(すなわち「前景」を消去することなく)、むしろ自己と他者が差異をふくみながら同じ場において対話するために、他者の実践を自己の実践と結びつけて解釈することにある。
 とはいっても、文化人類学やカルチュラル・スタディーズやポストコロニアル論においてさかんになっている抵抗論に危険性があることはたしかである。それは、戦略的本質主義についても指摘しておいた、自分を被抑圧者である他者に同一化させるという危険性である。田崎英明氏は、抵抗論において被抑圧者を自分の代理人とすることの危険性を、つぎのように指摘している。

 ニュー・ヒストリシズムやポストコロニアリズムの危険性は、ここにあるだろう。いままで隠され、あるいは忘れ去られていた抵抗の主体を見出すこと。それは、知識人が被抑圧者を代理する試みであるよりも、はるかに、被抑圧者によって知識人が代理されることである。知識人が、自分にとっては禁じられた――と感じられる――抵抗を、別の場所に見出し、その抵抗に同一化することで、自らの慰めとすることである。知識人が表象=代理であるのではない。被抑圧者によって代理され、表象されるのだ。抵抗を可能性の領域で再構成することで、現実からは抹消してしまうのである。[田崎 1996: 147]


 田崎氏のいう「抵抗を可能性の領域で再構成すること」というのは、本書で述べてきた日常的抵抗論にも当てはまるだろう。ただ、カルチュラル・スタディーズやポストコロニアリズムや文化人類学における近年の抵抗論の危険性は、被抑圧者の日常的実践を「抵抗」と解釈する研究者がその他者の抵抗に自分を同一化することで、けっきょく他者と自己の両方の〈いま-ここ〉を否定してしまうことにある。つまり、そのような同一化は、自分の現実から抵抗を抹消するだけではなく、他者の抵抗をも、あらかじめ規定した固定的な意味をもつ「抵抗」に閉じこめることによって現実から抹消してしまうのである。それは、自分の抵抗したいもの――資本主義やグローバル化や人種主義など――に抵抗している他者に自己を同一化することで、支配体制に抵抗している「リベラルな研究者」というアイデンティティを確保しようとする、研究者自身のアイデンティティ・ポリティックスでしかない。
 資本主義や人種主義などの抵抗すべきものと自分が考えているものに抵抗している――と自分が解釈している――他者に自己を同一化することは、けっきょくそれが「じっさいには支配体制の再生産でしかない」という解釈と同様に、抵抗の当事者である他者のほうは全体を見通すことができないけれども、自分は全体を見通せる視座をもっているとしていることになる。
 田崎氏の指摘にしたがうならば、他者の実践を当事者の意識を無視して「抵抗」と解釈することを禁欲すべきであるのはいうまでもない。けれども、「抵抗を可能性の領域で再構成すること」がつねに禁じられるべきというわけではないだろう。それを自分の生活の場と切り離しながら固定された意味として「抵抗」と解釈することなのである。
 たとえば、若者のサブカルチャーの「トライブ」のうち、パンクやレゲエは体制や資本主義への抵抗であるといえるが、体制側の人種主義をそのまま訴えるような白人の若者たちのスキンヘッズは抵抗ではないというように区別するとしたら、それはそれぞれの生活の場を条里空間において分離することになろう。移民の黒人の若者たちと失業者である白人のスキンヘッズはたしかにときには暴力的に対立しているようにみえるが、そこにはつねに/すでに互いの生活の場を〈顔〉のある関係性によってつなげていく可能性がある。そして、そのあいだをつなげていく日常的な実践こそが、条里空間を平滑空間へと変容させていく「抵抗」となるのである。そして、そのような〈顔〉のある関係性のつながりとその換喩/隠喩的拡張による非同一的な共同性の外部に、資本主義や人種主義やナショナリズムに「抵抗」することが正しく、それらにくみすることがあやまりだとするような絶対的な根拠などあるわけではない。
 研究者による「抵抗の可能性の領域での再構成」に意義があるとしたら、暴力的に対立するようにみえる移民たちの生活の場とスキンヘッズたちの生活の場とがともに平滑空間としてつながりうることを示しながら、それらの実践が条里空間を平滑空間へとかえていくかぎりにおいて、ともに可能性としての抵抗であるとみなし、さらにそれを自分の生活の場での日常的実践とつなげていくことにあるだろう。それは、たしかに田崎氏のいう、「抵抗を可能性の領域で再構成すること」にはちがいないだろう。しかし、それは、抵抗を現実から抹消せずに可能性の領域で再構成することであり、その再構成そのものが、移民排斥をさけぶスキンヘッズの若者たちの〈いま・ここ〉の生活の場と移民の若者の生活の場(そして研究者の生活の場)を平滑空間としてつなぐことであり、それ自体が変容の可能性をもたらす「抵抗」となるのである。それは、全体を見通す視座から現実をみるのではなく、〈いま・ここ〉から現実の変容の可能性をみることでもある。
 このように、抵抗を現実から抹消しないためには(いいかえれば、他者の抵抗の分析を一種の「学問的ゲーム」にしないためには)、被抑圧者である他者と自己とが隣接している――〈地続き〉にある――と見なすこと、すなわち、そのような他者とは異なりながらも自分もまた支配システムに包摂されている「敗北の場所」に生きていること、いいかえれば、抵抗のはじまる「敗北の場所」こそが自らの生活の場であることに研究者自身が気づく必要がある。


2.セミ・ラティス、リゾーム、〈帝国〉

 ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリは、ツリー(樹木)とリゾーム(根茎)を対比させながら、「樹木はつねに何かしら系譜的なところがあって、これは決して民衆的な方法とは言えない」[ドゥルーズ/ガタリ 1994: 20]と述べている。つまり、リゾームこそ民衆的な「もののやりかた」というわけである。重要なのは、リゾームが「方法」であること、そして「民衆的なもの」とは何か実体としてあるのではなく、その独自性は日常的な生活の場での「もののやりかた」にあるということだろう。リゾームは樹木・根と異なる要素からできているわけではない。別におなじ性質をもつわけでもないのに任意の一点と他の任意の一点と連結するという、そのやりかたにリゾームのリゾームたるゆえんがある。そして、それはミシェル・ド・セルトーの「民衆文化」のとらえかたに通じるものがある。ド・セルトーは、「民衆文化」を支配的文化・エリート文化と隔絶された固有の区画をもつものという見方を批判し、その独自性・固有性を、支配的文化が押しつける生産物を人びとが日常の中で活用する際の「もののやりかた」にあるのだと述べていた。そのような「もののやりかた」をリゾームと呼ぼうと思う(その「もののやりかた」がレヴィ=ストロースのいうブリコラージュとして説明できることも、すでに見てきた)。つまり、近代の支配システムに包摂され、ツリー構造をモデルとして押しつけられた人びとは、リゾームという民衆的なやりかたによって、そのツリー構造をセミ・ラティス構造に変容させているというわけである*3
 東アフリカの植民地統治に典型的に見られたように、近代のシステムは、リヴィング・システムとしてのセミ・ラティス構造をツリー構造として把握することで成立していた。この「ツリー構造化」は、その全体を高みから一望して把握する者に超越的な足場を与えると同時に、そのツリー状の位階構造(ヒエラルキー)に属するものに、全体から規定された一義的な役割を与えて主体化=従属化していくものであった。『社会分業論』においてデュルケームは、近代の社会組織に典型的に見られる位階構造をもつ役割分業によって生み出される社会的連帯を「有機的連帯」と名づけ、未開社会に見られる「類似による機械的連帯」と区別しているが、それは、「個人が自律的になるにしたがって、より緊密に社会に依存するようになるのはどうしてであろうか」という問いに答えるための区別だった。ツリー構造をもつ役割連関による有機的連帯においては、個人は自律的に全体のなかでの独自の機能=役割(特殊性)を担う主体となるがゆえに全体により緊密に組み込まれて、全体に従属するようになるというわけである。それに対して、デュルケームが未開社会に見出した「類似性による機械的連帯」は、そこでいう類似性が(デュルケームが考えたようにたんに同質性にもとづくものとせずに)、あらかじめ実体的に存在するわけでなく、隣接性の関係に置かれることがその類似性を生成すること、そして、それがさまざまに異なるやりかたで類似するという多元的で複雑な類似性であることという修正を加えれば、リゾーム的な連帯ということもできるだろう。
 ツリー状の位階構造は、個人に確定したポジションとアイデンティティを与え、個人を主体化=従属化させる権力装置として働いている。もちろん、ひとりの個人は、企業の一員であり、子どもが通う学校のPTAの役員であり、地域のテニス・サークルのメンバーであり、ある大学の同窓生であり、国民であるというように、多くのアイデンティティを持ちうるが、それぞれの役割の領分は制度的に区分されており、それぞれの役割は各領分においてツリー構造をなす分業体制のなかで単一の意味を与えられている。それによって個人は規律化され主体化=従属化されているのである。
 けれども、ハートとネグリは、『帝国』において、そのような近代的主権や、各領分に区画された規律的な権力装置がもはや機能しなくなり、別の権力のありかたと別の主体化のありかた(すなわち「帝国」および管理社会)へとすでに移行してしまっていると述べている。そして、そのような移行がなされた現在においては、ポストモダニズムの理論家たちのように、境界を横断する異種混淆性や差異の戯れや単独性を肯定することによる「解放」という論理はもはや有効性をもたないという。そのような解放の論理は、「権力がもっぱら本質的な同一性や二分法的分割や固定的な対立を通して階層秩序を維持しているという文脈においてのみ、解放的」[ネグリ/ハート 2003:189]なのであって、「〈帝国〉的支配の機能や実践に対しては無効であるばかりか、それらと合致し、それらを支えるものにさえなりうる」と述べる。
 ポストコロニアル理論についても、ハートとネグリは、ホミ・バーバ[Bhabha 1994]を取り上げて、つぎのようにいう。その解放のプロジェクトは、「諸々の差異の複数性を肯定することで、支配的な二分法的構造を撹乱すること」にあり、そのような撹乱によって「全体化を推進する権力の二分法的な諸構造が断片化され、ずらされたあとに、バーバが目指すユートピアは孤立した断片的な存在ではなく、共同体の新たな形態、『不気味なもの〔非家郷的なもの〕』の共同体、新しいインターナショナリズムディアスポラの人びとの集まりである。差異や異種混淆性の肯定はそれ自体、バーバによれば共同体の肯定なのである」[ネグリ/ハート 2003:192]。このように、断片化と差異の戯れの肯定に終始するポストモダニズム理論よりも評価しながらも、バーバが認識する唯一の支配の形式は、やはり二分法による階層秩序にもとづく近代的主権であり、ここにおいて、ポストモダニズムとポストコロニアリズムと一致すると述べる。
 ハートとネグリの主張は、単純化すればつぎのような物語になる。近代的主権は、民衆としてのマルチチュード(多数者・多なるもの)を二分法的に分割してアイデンティティを与えることによって固定されたまとまりのある「民族」ないし「人民(people)」として統治したが、近代資本主義システムに始まる脱領土化によって、しだいに境界を横断するマルチチュードの力が顕在化して、近代的主権を掘り崩していき、境界を越えていく資本と情報と労働力の流通とネットワークをそのまま管理する〈帝国〉という統治の形式へと移行した。この〈帝国〉という統治形式は、より一層の脱領土化によるマルチチュードの力の全面的解放によって崩れていくのだが、そのためには、マルチチュードが変革の意志をもつ主体としてあらゆる境界をこえて連帯する必要があるという物語である。
 しかし、このような物語は、それほど新しいものではないし、また西洋中心主義的な発展段階論と同様の硬直性ももっている。まず、ハートとネグリは、たんに異種混淆的であるというだけの事実でも近代的主権ならば階層秩序をそのまま破壊する力をもっていたことを前提とするが、それは、〈帝国〉以前の段階では、政治と経済とが明確に分離し、主体化のための規律化の装置もそれぞれの領分が明確に区分されていることで機能するという、おそらくありえないことを認めていることからきている。つまり、ハートとネグリは、〈帝国〉を過去と異なる明確な目標とするために、近代的主権の段階でも近代の支配システムが流通と異種混淆性をその内部に取り込んでいること、そして人種や民族といった近代のアイデンティティは、その境界の流動性や不安定性ゆえに強化されていくというメカニズムをもつことに目をつむっている*4
 境界を横断するような異種混淆性が支配の形式に取り入れられているという指摘は、市川浩氏[1993]がすでに1984年に、ツリー/セミ・ラティスについて解説するときに指摘していた。市川氏は、ツリー状の位階構造がリヴィング・システムとしては柔軟性に欠けているゆえに、実際の運営ではつねにそれを補完する非公式なネットワークや別のツリー構造との組み合わせが必要になることを示唆している。市川氏は例として、一時的に公式的な上下関係やなわばりを破るような裏の組織が現われる「宴会政治」や企業内でのプロジェクト・チームを挙げ、さらに、そのような裏の組織が公式の組織図として表に現われる例として、アメリカの経営学でマトリックス型の経営システムと呼ばれているものを挙げている。そこでは、たとえば、自動車メーカーのデザイン部門の社員が技術部門と営業部門の両方に属しながら、車のデザインを進めるといったことが可能となる。これは、1つの組織において単一ではなく複数のセクションにかかわっている点で、ツリー構造というより、セミ・ラティス構造のかたちを取っているといえる。
 市川氏が上のような例を挙げた1984年当時にくらべると、現在では企業組織はよりリゾーム型に近い形態、あるいは機械的連帯の導入といえるような、より柔軟性の高い形態を取り始めている。生産部門を複数の海外に移転して、国内の大規模な工場を統括するツリー状の組織から小規模な工場のグローバルなネットワークへと移行させ、労働力を派遣社員やフリーターに切り替えて、フレキシブルな雇用形態をつくっていることなどは、そのような転換の典型的な例だろう。それは、状況に応じて、いつでも切り離したり連結したりできるという柔軟性をもつ点で、リゾーム的な機械的連帯に似ている。そのために、ハートとネグリの言い方が一定の説得力をもつのであるし、他にも、たとえば、宇野邦一[2001]のいうように、「現代の権力は、ますますリゾームに似たものになっている」[宇野 2001:176]ようにみえる。そして、そのことは、本書で述べてきた、支配の装置としてのツリー構造を、生活の場においてセミ・ラティス構造へと変容させる実践を「日常的抵抗」と捉えるという議論が、植民地統治下ならばともかく、現代では無効になっているということを示しているように思われるかもしれない。
 けれども、先に述べた、「もののやりかた」(民衆的な方法)としてのリゾームと、「組織図」(リヴィング・システムの記述法)としてのセミ・ラティスという区別を用いて説明するならば、変容の実践としての日常的抵抗という議論は現在においても無効となっているわけではない。市川氏が挙げている非公式な裏のネットワークや、それを公式の組織図として表に出したマトリックス方式の経営システム(これに配置転換やジョブ・ローテーションなどによる企業内での労働の可動性を導入したり、「かんばん方式」による情報管理で流通を合理化したりしている日本のトヨティズムを加えることもできよう)は、基本的には、複数のツリー構造の組み合わせで効率を高めるというもので、その組み合わせ全体を記述すればセミ・ラティス構造になってはいるが、共時的にはツリー構造として記述できるものである。いいかえれば、マトリックス方式の経営システムにおける伝達回路の複数性は、〈一〉を加算していくような複数性であって、それぞれの回路における関係は一義的に決まっている。そのような複数の関係を重複させて、結果として組織図がセミ・ラティスに近づいたとしても、それは、リゾームとは異なるものである。そして、そのようなセミ・ラティス構造に近い組織図をもつフレキシブルなシステムが、コスト計算によってつくられている以上、「ある1点から他の1点への道筋が計量されうる」ような条里空間にとどまっていることはいうまでもない。
 また、フレキシブルな労働力を利用するフレキシブルな機械的連帯の導入も、正社員との給料や待遇の格差を利用するものであって、基本的には企業内のツリー構造を守るためのものである。それは、下請けの中小企業との系列の解消と並行しているもので、ともにツリー構造の縮小とフレキシビリティの導入という面では、社会全体のセミ・ラティス化といえるが、その柔軟性は、一義的に決められた役割連関を都合よく再編したり切り捨てたりできるというものであって、やはりそのつど役割関係が一義的に決められることに変わりはないのである。
 つまり、それらの経営システムからは、リゾームのもつ、1つの結びつきや関係性における交叉・錯綜による過剰性――1つの交叉が全体に浸透して、あらゆる関係性を複数的にしていくようなポリフォニックな過剰性――は排除されている。それは、父であり子であり、教員であり研究者であり、テニス・サークルのメンバーであり中学の同窓会の幹事であり……という「多様な役割関係の集合・束」として個人をとらえても、一つの「隣接性による関係性」における過剰をとらえたことにならないのとおなじである。
 重要なことは、一義的な役割=機能をそのつど付与するフレキシブルなシステムにおいても――つまり「近代的主権」においてであろうと「帝国」においてであろうと――、変容の日常的実践が拠っているリゾームとしての「もののやりかた」は、まず、近代的主権とその外部という二元論に規定される2つの項のどちらでもないところにあるということである。そして、さらに重要なことは、ハートとネグリが〈帝国〉という世界秩序には「もはや外部はない」というとき、そのような言い方によって隠蔽されるのは、そのような内部/外部という二元論とは無関係であったリゾームとしての「もののやりかた」という、その二元論の「外部」だということなのである*5
 そこから帰結されることは、一義的な役割=機能をそのつど付与するフレキシブルなシステムにおいても、リゾームという「もののやりかた」によれば、システムの意図とは異なるものへと変容させる実践がなされているということである。「使い捨て労働力」としてのフリーターたちのなかには、労働力として使い捨てられるということをいやおうなく受けいれながらも、いま他にやりたいことがあるという理由で、フリーターとなる人たちも少なくないだろう。やりたいことがバックバッカーとしての放浪旅行であったり、音楽や演劇などの活動であったり、ボランティア活動であったり、たんに親と同居するパラサイト(寄生)としてモラトリアム的に〈いま-ここ〉を楽しむことであったりするが、それがどんなことであれ、ツリー構造のなかで与えられる役割=機能から逸脱している。それは、支配システムのなかに導入されたリゾーム的なフレキシビリティを利用しながら、そのシステムの意図とは別に、まさにリゾーム的なもののやりかたを実践しているのである。
 もちろん、そのフレキシビリティは、ピエール・ブルデュー[2002]が、ネオ・リベラリズムを批判しながら指摘しているように、グローバリゼーションを経済的宿命であるかのようにみせかけながら、企業のコストダウンの追求に利用できる不安定就労を創出していくネオ・リベラリズムの政治的な戦略によるものであろう。それに対して、上野俊哉氏と毛利嘉孝氏は、『実践カルチュラル・スタディーズ』のなかで、〈クリエイティヴ〉な仕事をするためにフリーターを積極的に選択している若者たちについて、それを資本の側からみて「〈クリエイティヴ〉というイデオロギーの下で、資本の使い易やすい安価でフレキシブルな労働力を編成しているにすぎない」と知識人たちが暴露することには、「あらゆる自由や欲望があたかもすべて資本の支配に回収され、資本を支えるかのようにみせてしまう」[上野/毛利 2002: 223]という問題点があると指摘しながら、「われわれが批判すべき相手は、なにかをつくりだそうという欲望を資本の流れへとすべて回収し、還元しようとするあるおぞましい制度であり、その欲望そのものではない」[上野/毛利 2002: 222]と述べている。
 もちろん、「欲望そのもの」を、自分が大学などのツリー構造に属して守られながら、文化産業に踊らされているだけだと批判することに意味はない。より大事なのは、あらゆる欲望が資本の支配に回収されないような場や関係性を見いだすことである。そして、そのような関係性は、積極的にフリーターを選んだ者たちの活動が、バックパッカー旅行にしろ音楽や演劇などの〈クリエイティヴ〉な活動にしろ、あるいはボランティア活動にしろ友達と遊んでいるにしろ、相互扶助的な贈与交換によって支えられていることに見いだせるだろう*6。贈与交換は、たんに非市場的領域を周縁的に生みだすだけにとどまらない。贈与によってつくられる関係性は、まさに過剰性を含んだ関係性であって、一義的に決められた役割のあいだの関係における有機的連帯とは対照的な、リゾーム的な機械的連帯を生みだす。つまり、フリーターという、ツリー構造のためにフレキシブルな労働力を供給している層には、その「脱領土化された周縁性」を再領土化した支配システムのための空間――すなわち機能が「資本にとって使い易い安価でフレキシブルな労働力」の供給場として一義的に囲い込まれた空間――を自分たちの生活の場とすることで、そこにツリー構造とはまったく異なる関係性をつくりだして、その空間が支えていたツリー構造全体をも変容していく日常的実践が見られる。このように、セミ・ラティス構造に似たかたちをとる支配システムにおいても、それをリゾームやブリコラージュという「もののやりかた」によって変容させる日常的実践の意義は変わらない。
 ところで、すでに紹介したように、ハートとネグリは、『帝国』[ネグリ/ハート 2003]において、本質的な同一性や二分法的分割や固定的な対立を通して階層秩序を維持する支配の形式である近代的主権から、流動性や異種混淆性を容認する〈帝国〉へと支配原理が移行した現在では、すべてを均質化するグローバル化に対抗するためにローカルなものに固執する戦略がまちがっていると指摘するとともに、もはや境界を越える異種混淆性の肯定によって支配的システムを撹乱するといった戦略が無効であると指摘していた。ハートとネグリは、ローカルなものに固執する戦略のまちがいについて、つぎのように述べている。

 [ローカルなものに固執する]立場が間違ったものであるのは、何よりもまず、問題の提起の仕方がまずいからだ。問題を特徴づけるさいに、グローバルなものとローカルなものという誤った二項対立にもとづく問題設定が、多くの場合なされている。その問題設定では、グローバルなものは均質化や差異のないアイデンティティをもたらすが、それに対してローカルなものは異質性や差異を保持している、と想定されている。往々にして、そうした議論には、ローカルなものに属する諸々の差異はある意味で自然なものであるといった前提や、少なくともそれらの差異の起源は疑問の余地のないものであるといった前提が、暗に含まれているのである。諸々のローカルな差異は現在の状況に先立って存在しており、それらはグローバリゼーションの侵入から防衛ないしは保護されなければならないものである、というわけだ。……こうした観点は、諸々の社会的関係と社会的アイデンティティを固定化しロマン主義化する、一種の原基主義へと退行してしまいがちだ。それよりもむしろ問題として取り上げる必要があるのは、まさにローカル性の生産、すなわち、ローカルなものとして理解される諸々の差異とアイデンティティを創出し、再創出している社会的諸機械なのである。ローカル性に属する諸々の差異は、あらかじめ存在するものでもなければ自然なものでもなく、むしろ、ある生産体制の効果にほかならない。それと同様に、グローバル性は、文化的、政治的、または経済的な均質化という見地から理解されるべきものではない。そうではなくて、ローカル化と同じようにグローバル化もまた、アイデンティティと差異を同時に生産する体制として、つまり、均質化と異質化の体制として理解されるべきものなのだ。……いずれにしても、資本と〈帝国〉のグローバル化の流れの外部に存在し、また、そのような流れから保護されているようなローカルなアイデンティティを(再)確立することができると主張するのは、間違った振舞いなのだ。[ネグリ/ハート 2003:67-68]


 ここで述べられていることは、文化人類学やポストコロニアル理論ですでに表明されてきた「本質主義」批判を踏襲したものだといえる。そして、ローカル性が創られた外部だというハートとネグリの主張には同意できる。しかし、問題は、かれらがグローバルとローカルの二元論において生産されたローカル性以外の「ローカルなもの」や「共同体」を認めていない点にある。たしかにかれらも、二元論を粉砕したローカルなものについて、別のところではつぎのように語っている。

 いまローカルなものが称賛されているが、その際、流通や混合に反対し、ネイション、エスニシティ、人種、人民などの壁を強化するようなことがあればそれは退行であり、ファシズム的とすらいえる。だがローカルなものという概念を、孤立や純粋性によって定義する必要はない。じつのところ、もしローカルなものを取り囲む壁を粉砕するとすれば(またそれによって、この概念をネイション、エスニシティ、人種、人民から切り離すとすれば)、ローカルなものを普遍的なものに直接に結びつけることができるだろう。具体的普遍によってマルチチュードは場所から場所へと移動し、その場所をみずからのものにすることができる。この場所が、遊牧的移動〔ノマディズム〕と交雑の共有地なのである。[ネグリ/ハート 2003:453]


 けれども、このような二元論の粉砕は、ハートとネグリにとって、マルチチュードのグローバルな移動と交雑によるものとされる。つまり、あくまでも〈帝国〉と同じ脱領土化された「非-場所」という地平においてのみ、それは可能とされている。しかし、それではハートとネグリが「資本主義の組織の内的構造の変容のための露払い」[ネグリ/ハート 2003:201]と批判している、ポストモダニズム理論によるエリート主義的な越境の賛美やネオ・リベラリズムとどこがちがうのか分からなくなる。かれら自身が「差異や異種混淆性の肯定はそれ自体、バーバによれば共同体の肯定なのである」と評価する、バーバのいう「オルタナティヴな共同体」が可能となるのは、あるいは「ローカルなものを普遍的なものに直接に結びつける」ことによって「場所から場所へと移動し、その場所をみずからのものにすること」が可能となるのは、脱領土化された「非-場所」においてではなくて、具体的普遍と結びつくローカルな共同体において再領土化することによるのである*7
 その意味で、ハートとネグリが「ローカルなものへの固執」として批判しているものの一例といえる、ブルデューのいう「ハビトゥスによる防衛」[ブルデュー 2000:165]を単純に「一種の原基主義への退行」と切りすてることはできないだろう。たしかに、ブルデューはネオ・リベラリズムが宿命化しているグローバル化に抗するために国民国家を始めとする既成の諸共同体を擁護しているが、それは、それらが資本主義システムの「外部」にあるからではない。ブルデューはつぎのようにいう。

 旧秩序を守る者たちは旧秩序が秘めていた可能性のなかに、旧秩序が提供していた援助と連帯の法的なモデルや実際的なモデルのなかに、旧秩序が育成したハビトゥス(看護婦やソーシャルワーカーなどの場合)のなかに防衛の手段を見いだしているのである。これらはいずれも、現在の社会秩序をアノミーへの転落から守っている社会資本の蓄積なのである(……)。/こうした「保守(コンセルヴァシオン)」の勢力(これを保守勢力(フォルス・コンセルヴァトリス)として扱うのはあまりに安易である)は別の観点からすると新しい秩序の設置に対する抵抗(レジスタンス)の勢力でもあるのだが、さらに体制変革(スュブヴェルシオン)の勢力に転化する可能性もある。[ブルデュー 2000:165]


 アノミーへの転落から守ってくれるハビトゥスという見方は、ネオ・リベラリズムからもハートとネグリの立場からも、旧秩序を温存させ延命させるだけだということになろう。けれども、そのような見方は、どんな秩序のなかでも〈いま-ここ〉を生き抜くために行なっている日常的実践を否定してしまうことになる。また、ハビトゥス(身体化された慣習的行為)はたしかに人を既成の秩序に適応させるためのものであり、見方によっては人を規範に縛りつけるためのものとなろう。けれども、関係性のなかで身体化されたハビトゥスは、日常的な「もののやりかた」(ド・セルトーのいう「戦術」)においてリゾーム的な広がりをもつものであり、反復=再生産において「変容」をもたらすような複数性と流動性をもつものであろう。そのようなハビトゥスは単一化された国民国家の空間には固定しえない。問題は、身体化されたハビトゥスと結びつく空間が国民国家として想像されてしまうことなのであり、ナショナリズムの強靭さはたんに物語として表象されることにあるのではなく、ハビトゥスと結びつく共同体を独占していることにある。
 したがって、問題は、ハートとネグリのいうマルチチュードのグローバルな脱領土化か、ブルデューのいう(ネイションと結びつく)ローカルなハビトゥスかという二者択一ではない。そのような二者択一を避けて、マルチチュード流動性をかれらの生活の場である「非同一的な共同体」のなかに見いだすことが必要なのである。いいかえれば、たんなる脱領土化を称揚するのでもなく、「ハビトゥスによる防衛」が「文化防衛論」のようにナショナリズムにつながるような固定されたハビトゥスを評価するのでもなく、それらをともに変容させてしまうような日常的な「もののやりかた」に気づくことなのである。そして、そのような変容やそれをささえる〈顔〉のある関係からなる非同一的な共同体における平滑空間に気づくことこそ、〈顔〉のある関係に視座をおく文化人類学の課題となろう。

*1:ドゥルーズ[1992]は、あるインタヴューのなかで、マイノリティ(マイナーなもの)の創造性がみずからのモデルを作ることにあるのではないと、つぎのように言っている。「マイノリティにはモデルがない。マイノリティは生成変化であり、プロセスであるわけですからね。マジョリティに該当する人はひとりもいないということもあるでしょう。なんらかの面でマイノリティへの生成変化に組み込まれ、その生成変化の道を歩む決意ができていれば、誰もが未知の旅路に分けいっていくことができるのです。マイノリティがみずからのモデルを作るとしたら、それはマイノリティがマジョリティになりたいという願望をいだくからにほかならない。たぶん、生き延びたり、救済を見出したりするためには、そうするしかないのでしょう(たとえば国家を構えたり、認知してもらったり、あるいはみずからの権限を押しつける場合がそうです)。けれどもマイノリティの力はマイノリティがつくりだしたものから生まれるのであり、たとえこれが少しばかりモデルのなかに流れ込んだとしても、マイノリティがモデルに依存することにはならない。[ドゥルーズ 1992:286]

*2:たとえば、マルクスが賃労働をしている人たちの労働力が「搾取」されていると解釈したとき、その人たちは自分が「搾取」されているとは思っていなかっただろうし、「あなたは搾取されているのだ」と言われてもうれしくなかっただろう。しかし、その解釈は関係のあらたな意味づけをしただけではなく、新しい関係性(連帯)をもつくりだすことができたのである。

*3:リゾームは、ツリーと対立する点で、すでに紹介したセミ・ラティスに似ている。実際、リゾームとセミ・ラティスは一緒に論じられることもある。ただ、ここでは、リゾームは「民衆的な方法」を指す語としてとらえ、セミ・ラティスのほうは、与えられたツリー構造をそのような方法を用いて日常的な生活に合わせて変容させた結果として生成された「リヴィング・システム(生きた、生活の便宜のためのシステム)」を記述する用語(つまり組織図)ととらえておきたいと思う。

*4:ネグリとハートは、近代的主権から〈帝国〉への移行を、生物学にもとづく人種差別理論から文化にもとづく人種差別理論へという移行と重ね合わせて、〈帝国〉の人種差別理論(すなわち文化にもとづく人種差別理論)においては、「白人の至上性は、まず他者性を引き入れておいてから、白人性からの度合いに応じて諸々の差異を従属させることによって機能しているのであり、よそから来た、未知の〈他者〉にたいする憎しみや恐れとは無縁なのである」[ネグリ/ハート 2003:252]と書いているが、白人性(リスペクタビリティや文明や能動性・自律性)からの差異の度合いによっている人種差別理論は、まさに近代の「生物学にもとづく人種差別理論」の特徴なのであり、白人のあいだの階層やその他の差異までもがそれに従属することによって、「劣等人種への退化」という流動性の恐怖を作り出すと同時に、それらの差異を投影する他者を必要としたのである。このような近代の支配システムのメカニズムを、ハートとネグリは捉えそこなっている。ようするに、ハートとネグリは、近代的主権から〈帝国〉へ、規律社会から管理社会(制御社会)へ、人民(民族)からマルチチュードへ、という移行を強調するあまりに、そこに一元的・単線的な発展段階を設定しているように思われる。

*5:この「外部」の隠蔽は、まえに、ジュディス・バトラーの「支配的言語とその内部で構築された外部」という言説について述べたことと通じている。実際、ハートとネグリも、「こうした〔ポストヒューマンの〕身体的変容の第一の条件となるのは、人間的自然はけっして全体としての自然から切り離すことはできないということ、そしてまた、人間と動物、人間と機械、男性と女性等々のあいだに固定した必然的な境界など存在しないということを認めることである。すなわちそれは、自然そのものがたえず新たな変異・混交・混成化へと開かれた人工的領域である、という認識をもつことなのだ。私たちは、たとえばドラァグな服装をすることで意識的に伝統的な諸境界を撹乱するばかりではなく、境界の隙間を境界など顧みずに移動し、創造的かつ不確定な帯域の真只中を移動しているのである」[ネグリ/ハート 2003:282]と、バトラーと似たようなことを述べている。けれども、ハートとネグリは、バトラーとは違って「構築された外部」について否定しているのではなく、近代的主権の段階での「外部」――ローカルなものや共同体や他者化されたアイデンティティ――を構築されたものだというよりも、資本の本源的蓄積の段階での包摂がまだ形式的な包摂であったために、実質的に残されたものとみなしているようにみえる。そのさいにかれらが見落としているのは、かれらのいう〈帝国〉段階に移行した現在でもみられる不均衡であり、周縁部で行なわれているもうひとつの近代化である。ネグリとハートの物語では、近代化の過程では顕著だった不均衡が〈帝国〉の段階では、あたかも消滅して平滑化されているように語られている。かれらの用語でいえば、近代では世界システムへの包摂は形式的包摂であり、その周縁部と中心部では不均衡がみられ、あたかも「外部」がまだ存在しているかにみえたのだが、〈帝国〉の段階では、それが実質的包摂となって、その外部や不均衡が消えるというわけである。しかし、このような議論は、不均衡が、「南北」のように国境によって区分された空間とは一致しなくなっているということを、実際の不均衡が消えたかのように語るものであるし、西洋中心主義的でもある。現在進行しているグローバル化を〈帝国〉と言い表すことに意義があるとすれば、それは、ポストコロニアル状況というものが植民地的状況そのものの変化によって生じたというより、植民地という区切られた空間に押し込められていた植民地的状況が世界中に拡大したということを表せることにあろう。

*6:「資本の支配に回収されない贈与交換」という言いかたは、贈与のロマン化であり、パリーとブロック[Parry and Bloch 1986]がいうように、市場交換の対照物としての贈与の「発明」と結びついているものだという批判が予想されよう(序章の注4を参照)。けれども、ここでいう贈与交換は、そのように客体化によってロマン化された「贈与」とも、そしてもちろん市場交換とも区別されうるものである。いいかえれば、市場社会になってから客体化された「贈与/市場交換」の二元論と、非市場社会における「贈与交換/市場交換」の二項対立とは異なったものであり、贈与の「発明」という議論によって、後者の二項対立をも否定する必要はないということが重要であろう。また、上野俊哉氏と毛利嘉孝氏も、レイヴ(テクノなどの音楽つきの野外パーティ)に参加するレイヴァーたちのあいだの「ギフト・エコノミー」や、自分たちでモノを作ったり組み合わせたりするブリコラージュ的な「DiY文化」に注目していると同時に、上野氏と毛利氏は、阿部謹也氏が贈与による互酬的関係に「うるさい世間」を見ていることを取り上げて、贈与やギフト・エコノミーにポジティヴとは言い切れない面があることを認めている[上野/毛利 2002:183]。けれども、阿部氏の「世間」論で挙げられている例は、モースの贈与論とは異なり、そのほとんどが「再分配」――たとえば中元・歳暮の「贈与」は対等の関係のあいだで行われるものではない――もしくは近代において発明された「贈与」であることに留意する必要があろう。

*7:ハートは、長原豊との対談で、「マルチチュードは、さまざまな単独性 singularities が1つの集合性をもって行為する状態です。それらは、つねに差異を保ちながらも、同一行動を展開しうるのです」[ハート/長原 2003:86]と語っている。このような状態は、バトラーのいう「創発的な連帯」と重なりあう。そして、ハートとネグリのいう超越性と媒介によらない(弁証法的な対立によらない)人びとのネットワークの「内在性(遍在性)」の重視は、本書で言ってきた〈いま-ここ〉の肯定とつながりあう。けれども、単独性による差異を保ちながら集合的に行動しうるのは、それぞれが自分の声に他者の声を響かせて二重化しているからであり、また、〈顔〉のある関係において差異を肯定する非同一的な共同体をつくっているからである。ハートとネグリは、結局、社会と共同体、あるいはグローバルとローカルの二元論を批判しながら、近代ではこの創られた二元論によって支配されていたが、ポスト近代ではグローバルとローカル、社会と共同体の区別が消滅した、すなわち「外部」が消滅したと捉えることで、この二元論の枠組みのなかにとどまってしまっている。それによって隠蔽されるのは、民衆的なもの(ハートとネグリのいうマルチチュードないし「貧者」)がこの二元論の「外部」で、すなわち非同一的なローカルな共同体ないし〈いま-ここ〉の生活の場で行なっている、リゾームやブリコラージュという民衆的な「もののやりかた」による変容の実践である。そして、そのような変容の実践こそ、本書で「日常的抵抗」と名づけたものにほかならない。