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日常的抵抗論 第3章 関係の過剰性とセミ・ラティス構造 小田亮

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1.災因論の物語と代替不可能な関係

 ベネディクト・アンダーソンのいう、想像のスタイルで区別される「共同体」について述べてきたが、ネイションという「想像の共同体」はなぜ必要とされているのだろうか。いいかえれば、「国民」という共同体への誘惑はどこからくるのだろうか。
 アンダーソンは、その答えを近代以前は宗教がもっていた、自らの有限性を露わにする受苦の運命を連続性へと転化する機能をネイションという「想像の共同体」が受け継いでいるからだと説明している。アンダーソンは、ナショナリズムという近代のイデオロギーと、他の自由主義マルクス主義といった自覚された近代の政治的イデオロギーとの違いは、後者が死と不死にあまり関わらないのに対して、前者が死と不死に関わっていることにあるとして、ナショナリズムの想像力はむしろ宗教的想像力と強い親和性をもっているという。宗教は、病いや身体障害や死といった受苦の運命に関する問い――なぜわたしだけがこのような苦しみにあうのか、どうして他の者ではなく私の息子が死んだのかといった問い――に対して、運命性を連続性(死者とこれから生まれてくる者との連鎖)へと転化し、不死を暗示させることで応えるという機能をもっている。そして、ナショナリズムもまた、遥かなる過去からおぼろげに出現し無限の未来へと流れていくネイションという悠久の物語によって、運命性を連続性へ、偶然を有意味なものへと変換するのだというのである[アンダーソン 1987:25-26]。
 渡辺公三氏は、「森と器」という論文[渡辺 1990]のなかで、病いや死という受苦の経験は人間の各自の「代替不可能性」を露呈してしまうと述べている。「たとえどれほど身近な者でも、どれほど思いをよせる者でも、他者の病いに代わることはできない」からである。そして、渡辺氏は、死と病いという経験が露わにする、私という〈個〉の代替不可能性は、日常世界を成り立たせる「家族的な親疎の距離や、感情の遠近を一挙に崩壊させる」と言っている。つまり、それは、個人が他の人々との代替不可能で比較不可能な存在であることを暴露し、他者との代替可能性と比較不可能性の上に成り立つ役割関係や社会関係を成立不可能にしてしまうのである。
 たとえば、文化人類学の講義をする大学教員という役割は(近代の「労働者」という存在一般がそうであるように)代替可能である。交替するときに問題となるのは、よりましな教員かどうかという比較可能性であり、労働者の職務を典型とする機能的な役割とは、代替可能で比較可能なものとされている。それに対して、代替不可能で比較不可能な〈個〉とは、柄谷行人氏が「特殊性」(一般性による類のなかの比較可能な違い)と区別された「単独性」ということばで言い表しているような「この人」という存在である。柄谷氏は、失恋した男(女)に「女(男)は他にいくらでもいるじゃないか」という慰め方は不当だという。「なぜなら、失恋した者はこの女(男)に失恋したのであって、それは代替不可能だから」[柄谷 1994: 14]であり、「この女(男)は、けっして女(男)という一般概念(集合)には属さない」からである*1。けれども、柄谷氏は同時に、人はそのように慰めるほかないのかもしれないとも述べている。というのも、「失恋の傷から癒えることは、結局この女(男)を、たんに類(一般性)のなかの個としてみなすことであるから」――そのような「類(一般性)のなかの個」の比較可能な違いが「特殊性 particularity 」と呼ばれる――である。
 これは、病いや死によって露呈した代替不可能性に対処するやりかたの説明にもなる。つまり、社会的な役割連関からなる社会組織はそのような「単独性 singularity」によっては成り立たないゆえに、あらゆる文化は、病いや死などの災いによって露わになった個の単独性=代替不可能性を、代替可能な個として一般性によるカテゴリーや役割連関のなかに再び位置づけて対処できるものにするような「物語」をもっているというわけであるこのような物語を日本の人類学者は「災因論」と呼んでいる*2。この術語を使えば、アンダーソンの言っていたことは、ネイションもそのような災因論の物語と比較したほうが理解できるということだと言いかえられる。
 代替可能性と代替不可能性、あるいは特殊性と単独性の区別による災因論の機能の説明はわかりやすいものだった(私も以前の『構造人類学のフィールド』[小田 1994]で、この区別を使って説明していた)。しかし、この区別を用いた議論には、前章で述べた、「個人の多様性」ないし「関係性の過剰」を、1つ1つが切り離されて区別される関係性の集合としてとらえる議論とおなじような難点がある。つまり、この代替可能性と代替不可能性の区別や特殊性と単独性の区別では、生活世界における〈顔〉のある関係性がどのようにできるのかを説明できないのである。その説明では、あらゆる社会関係は、代替可能性にもとづく機能的な役割連関における関係とされ、個の代替不可能性ないし単独性は役割分業にもとづくあらゆる社会関係を崩壊させてしまうものとされている。しかし、すでに述べたように、生活の場における関係性は、つねに機能的な役割連関の関係性以上のものである。そして、代替可能性にもとづく機能的な役割連関における関係だけが社会組織を作っているわけではない。
 そもそも、一義的に決められた役割の連関からなる単一の体系というみかたは、近代において創られた社会モデルである。
 柄谷行人氏は、単独性を他との関係を一切断ち切って孤立したものではなく、「他なるものを根本的に前提にし他なるものとの関係において見出される」としているが、その関係性は、「共同体的なもの」とは鋭く対立する、共同体のあいだで行なわれる売買(市場交換)をモデルにした「交通」による「社会的なもの」と述べている。ここでも、19世紀の社会/共同体の図式に基づきながら共同体的なものを嫌悪するポストモダン思想の特徴が現われているといえよう。けれども、換喩/隠喩的想像によって創られる共同体における関係性は、けっして柄谷氏がいうような予定調和的な一義的ものではない。それは、自己の一部である「譲渡不可能なもの」を譲渡する一種の賭けとしての贈与によって創られる「社会的なもの」である。そして、重要なのは、そのように創られる関係性は、共同体の「外部」にある単独性の関係にも、あるいは機能的な役割連関にも還元されない「過剰」なものであり、災因論の物語の仕事は、露わになった「単独性」を一般性のなかの「特殊性」にもどすことではなく、「関係性のなかで保持される特異性」という「過剰性」のなかにもどすことなのである。
 そのことを、私が調査研究している西ケニアのクリア人社会における災因論の事例で見ていくことにしよう*3。クリアでは、家族や家畜の度重なる死や病気といった災いをもたらすものとして、隣人(非親族)による邪術、呪詛・宣誓、《祖先(アバコロ)》や《死霊(アマサンボ)》や《怨霊(イビケノ)》といった「死者」などが考えられている。自分たちに災いが続くと、人びとはたいてい占い師を訪ねて何が災いの原因となっているかを占ってもらい、その対処法を教えてもらう。そして、それらの災因のうち、占いにおいて災いの原因として挙げられるのは「死者」が最も多くなっている。
 クリアの災因論において災因とされる「死者」のうち、《祖先》は、子孫に自分の名前を与えることを求めてその子供に病気などをもたらしているとされている。クリアでは、初生児には男の子なら何々、女の子なら何々と、決められたいくつかの特別の名前から選んでつけられるが、他の子どもには死んだ祖先の名前(「祖名」)を付ける。クリアは親族集団への帰属は父系出自によっている(すなわち、子どもは父親の親族集団に帰属する)が、祖名は、双系によって継承される。つまり、子どもの父方と母方両方の祖先から選ばれる。祖名をつけられた子どもは、その祖先の「生まれ変わり」とされ、祖名は、昔は腕輪を立てて、祖先の名前をつぎつぎに呼んでいき、腕輪が倒れたときの祖先の名前をつけるという、一種の占いによって決められたが、その前に体の痣などがある祖先と一致している場合などはその祖先の名前がつけられたという。そして、その子どもに、病気や学校に対する不適応などの問題が起こると、その祖先が「衣服」を要求している(死者は裸で埋葬される)ということで、山羊を供犠して、その山羊の皮で子どもをくるむという儀礼を行なう(「祖先に衣服を与える」儀礼と呼ばれる)。また、子どもが病気などを続けた場合、生まれてすぐにつけた祖名が間違っていて、本当の生まれ変わりの祖先が、自分の名前をつけることを要求しているとされることもある。その場合は「正しい」祖先の名前をつけなおし、その正しい祖先にたいして儀礼をおこなう。
 そして、「祖名」を子どもにつけて「死者」による災いに対処するというやりかたは、他の「死者」にも適用される。災いを起こす「死者」のうちの《死霊》は、特殊な蛇や大きなナナフシなどの奇異な動物や怪物の姿をして生者に接触して災いをもたらす存在である。それらの動物に出会ったら、人はミルクやハチミツなどを口にふくんで吹きかけなければならないとされており、それを怠ったり気づかずにその動物を殺したりすれば、深刻な災いをもたらすといわれている。そのように人間に接触してくる《死霊》は、接触した生者の「忘れられた祖先」と言われ、占いによって降り懸かっている災いが《死霊》によるものとされれば、その原因となっている《死霊》にちなんだ名前を生まれてくる子どもの一人につける。つまり、個別化されていなかった「忘れられた祖先」を、子どもの祖名として名づけるという行為によって、系譜のなかに再び「祖名」として位置づけるわけである。
 また、他に災いをもたらす「死者」として《怨霊》がある。それは、典型的には、近隣の他民族であるマサイ人を牛の略奪のさいに殺した場合に、その殺されたマサイ人が《怨霊》として祟るというものである。占いによって、《怨霊》が災いの原因とされたときには、殺された者を性別に無関係に「娶る」という儀礼を行なう。そして、その家でつぎに生まれた子どもに殺された死者の名前を「祖名」としてつけるのである。つまり、《怨霊》を娶ることによって《祖先》へと転換しているわけである。
 このように、クリアの災因論システムでは、災因となる「死者」に対しては、その「名前」を子供に与え、系譜的な個別性を持った《祖先》として確定することが、基本的な対処法になっている。《死霊》に接触した者が自分たちの祖先としてそれを「迎え入れる」のも《怨霊》を「娶る」のも、それらに《祖先》すなわち祖名の主としての同一性を与えるためと考えることがいちおうできる。
 災いをもたらすそれらの死者の危険性は、それらが、生活世界の秩序の外部に浮遊するコントロールの届かぬ存在であるにもかかわらず、特定の生者がすでにそれらの存在と何らかの関係や接触を持ってしまっていることにあるといえよう。《祖先》は個別性を持っているが、「衣服を与える」ための供犠を行なうまでは「裸」で、文化的秩序の外にいる不安定な存在とされている。祖先が「裸」であるとは、生活世界=文化の外部にいることを表しているわけだ。また、《死霊》は蛇などの動物の姿をしている点で、人間の生活世界の外部にいる存在だが、叢林(ブッシュ)でだれのものでもない牛を見つけるということがあると、《死霊》が牛を与えてくれたといわれる。このように、《死霊》は、叢林(ブッシュ)という生活世界=文化の外部の、だれのものでもない富の潜在的な贈与者であり、《死霊》が災因として指摘されるときには、すでに不安定な互酬的関係を生者との間に持ってしまっている存在として現われている。
 そして、《怨霊》もまた、殺人者との間にいのちのやりとりという暴力的互酬性を持ってしまっている存在である。それらの存在は、死者として生者の世界の外部にいながら、偶発的に生きた人間と「交換」を行なう関係をもった存在であり、死者として(あるいは動物や他民族として)生活世界の外部にいる存在との交換においては、まだ互酬性などの確定した規範が相手と共有されてはいないわけである。
 記号論的な分析では、このような災因論システムは、生活世界や文化の秩序の外部と内部のどっちつかずの境界的な位置にいるゆえに災いをもたらす「死者」に、生活世界の秩序(家の系譜的な秩序や交換の互酬的な秩序)のなかに「祖名」(衣服を与えられた祖先)としての位置を与えることで安定させるものであり、それによって外部と内部の境界を顕在化させて、再び明確にする機能を持つとされるだろう。そして、不確定な死者を同定して祖名を与えるといった行為の機能も、病気などの原因となる危険なものはまだ名づけられていない、隠れたものであり、そのような未分化の危険状態に名前を付けることはその状態を解消することになるのだというように説明される。
 しかし、祖名を与えるというこの行為は、外部に浮遊していた死者の危険性が、子どもの名前と身体を介して生活世界の領域のなかに不安定なままに侵入してくることをも意味する。というのも、クリアでは、祖名が双系的にたどられた祖先のなかから選ばれることで、父系親族集団のなかに非父系の祖先の身体(生まれ変わり)を招きいれているというだけでなく、1人の個人に祖名が複数与えられることも少なくないし、あるいはおなじ名前をもつ出自や世代深度の異なる複数の《祖先》と、その祖名をもつ複数の生者とが対応関係をもってしまうからである。
 たとえば、儀礼でその祖先に供犠した家畜の肉を供物として与えるとき、おなじ名前をもつ子どもにその肉が与えられる。それは、その祖先の「生まれ変わり」とされるその祖先の祖名がつけられた子どもだけではなく、おなじ名前をもつというだけで、複数の子どもたちに肉が与えられるのである。その場合、他の子どもたちは、自分たちの祖名のもともとの主である祖先とは別の祖先とも同一視されていることになる。つまり、個人は、与えられた祖名によって、結果として、おなじ名前の複数の死者との多重的なつながりを持たされるのである。
 ある特定の祖先に対する儀礼において、供犠された動物の肉が、その名前をもっているというだけでその特定の祖先に由来するわけではない子どもたちにまで与えられているということを、当初は祖先とその祖名を持つ子孫とを同一視することの延長と私はとらえていて、それほど奇妙には感じなかった。この儀礼でのパフォーマンスが何を意味するのかを考えるきっかけとなったのは、ある占いの場に立ち会ったことだった。
 クリアでは、ふつう祖先に対する供犠では牛かヤギが家の囲いのなかで屠られるが、占い師が、野外のある特定の樹の下でヒツジを供犠せよと指示した例があった。その理由を占い師に尋ねると、祖名が「ムルガ」という名前だからという。その占いは、ムルガという名前の女性が病気となって占い師を尋ねてきた事例で、その災いはその名前をもつ祖先(その女性の母方の祖母)のせいだとされたものだった。ムルガという名前は、神話的時代ともいうべき飢餓時代の伝説のなかに登場する女性の名前で、その伝説によれば、ムルガはヒョウタンのマラカスを用いる占い師の始祖だったが、飢餓になって移住する途中で、ある樹の下で倒れてヒョウに食べられたとされている。そのために「ムルガ」という祖名をもつ者に対しては、おなじ種の樹の下で供犠を行なうのだというのである。このムルガは近隣民族であるルオの出身とされており、ルオではヒツジを祖先に供犠するからヒツジを用いるのだ(実際にはルオでもヤギを用いるのが普通なのだが)というのが、占い師の説明であった。そして、この伝説のムルガの子孫とされる父系親族集団がいくつかあり、それらの親族集団では供犠にヒツジを使うのだという。けれども、祖名は父系・母系にかかわらず付けられるので、ムルガという祖名はそれらのリニージ以外にも伝わっており、占い師を訪ねた病人の女性もムルガの子孫とされる親族集団出身ではなかった。それでも「ムルガ」という祖名(祖先)に対しては、おなじ種の樹の下でヒツジを供犠するように指示するのだというのである。
 つまり、ここでは、ムルガという祖名は系譜的なつながりを「表象」しているわけではなく、系譜的関係という換喩的な関係のなかに確定した位置を占めているのでもない。また、ムルガという名前が生活世界の外部を表象していて、その「名づけ」が外部との「媒介」をしたり、その外部との境界を引きなおして確定したりしているともいえない。その祖名が直に外部としての始原的世界を示しているというより、そのあいだには、直接に祖名を与えてくれた母方の祖母を含めて、〈顔〉の異なる複数の特定のムルガが存在しているのである。むしろムルガという祖名が表しているのは、無数のムルガの生活世界での「反復」であり、その反復が増殖させるずれや差異が、患者である女性の身体に顕在化しているのだと言ったほうがいいかもしれない。
 ある特定の祖先に対する儀礼において、供犠された動物の肉がおなじ名前をもつ子どもたちに与えられるというパフォーマンスが奇妙に感じられたのは、肉を与えられる子どもたち全員がその特定の祖先の「生まれ変わり」と考えられているわけではないということにあった。しかし、ムルガという祖名を介したムルガという単独の存在の「反復」を考えあわせると、「生まれ変わり」ということを1対1対応する単線的な現象として把握していたことが間違っていたように思える。
 たしかに、祖名の命名やその特定の祖先に衣服を与える儀礼という文脈では、その特定の祖先は代替不可能な単独の存在であり、そのような単独性をもつ祖先と、おなじように単独性をもつ子孫とが「生まれ変わり」ということによって結びつけられている。それによって、その祖先は失いかけていた単独性を取り戻し、系譜のなかで安定した位置を与えられるというわけだった。そのことは、親族関係のコードによって規定された役割関係において位置づけられるということを意味している。しかし、自分の単独性を示す固有名を贈与する(そしてそれは身体をも贈与すると考えられている)という譲渡不可能なものの譲渡としての贈与によってつくられる関係は、そのような役割関係ないし位置関係以上のものなのだということを、肉の分配のパフォーマンスにみられる、祖名を介した反復による祖先-子孫の「多重化」は示している。そこではすでに、固定された親族関係というコード――私は「生まれ変わり」ということをこのコードによってのみ理解しようとしていたのだが――を離れて、別のコードによる結びつきに移行していたのだ。
 肉の分配のパフォーマンスが奇妙に思えたり、ムルガの例にみられるような自己を構成する関係性の「多重化」によって、未分化の不安定な存在に確定した位置を与えるはずの行為が、別の不安定性をもたらすことになってしまうという疑問がでてきたのは、このようなコード間の移行に気づかなかったからであった。自己の多重化現象は、「名づけることによって曖昧な危険状態を統合可能にする」という媒介的統合論にそぐわない面を持っていたが、それは、たんに死者が祖名として生活世界に再侵入すること自体が危険だということだけではなく、祖名をつけるという行為とそれが生みだす関係性そのものが、1つのコード、一つの親族の秩序に回収しきれないものだからなのである。
 たしかに、「祖名」を子どもにつけることで、災いをもたらしている死者を「祖先化」するという、クリアの災因論システムは、〈個〉の代替不可能性が露呈する受苦の出来事の1つ1つを、ちょうど1つ1つの星をつなげて星座という形をつくるようにつないで、その出来事に、たとえばある死者の「祟り」だという「形」を与える物語だといえよう*4。ムルガという女性の患者の代替不可能な受苦は、その名前を通じて祖先の「ムルガ」と結びつき、そして特定の樹の下での供犠を通して、共同体の他の成員にも共有する物語となり、おなじムルガという名前の他の人びととの代替可能な関係のなかに位置づけられている。
 しかし、それは、一般性のなかの「特殊性」に変換されたのでも、社会組織を構成する役割連関としての代替可能な関係に還元されたのでもない。「ムルガ」という固有名は、一般性のカテゴリーを作っているわけではなく、そのムルガという名をもつ人びとが確定した系譜関係という役割関係(換喩的つながり)をもっているわけでもないからである。そう考えると、なぜ不確定性や混沌を招き入れるような危険な行為でもある「名づけ」がクリアの災因論システムのなかで中心的な装置となっているのかという問いは、そもそも間違った問いだったというべきだろう。というのも、「混沌を統合するための名づけが混沌を招き入れる」という矛盾は、自己のアイデンティティがつねに系譜的秩序によって一義的に確定されており、固有名としての祖名はその一義的な秩序に「名づけられぬもの」を従わせるための「媒介」であるととらえる場合にのみ現われる矛盾だからである。そして、その前提こそ問われなければならないものだろう。
 クリアの災因論において、災いをもたらす危険な「死者」に祖名という生活世界の内部的位置を与えることの意味は、その死者の位置を単一の換喩的な関係のなかで一義的に決めて安定させるということや、その災いによって露わになった個の単独性をふたたび一般性のなかの個という特殊性に変換することにあるというより、もともと複数の異なる換喩的なつながりが錯綜して隠喩的な類似によるまとまりを作っているリゾームとしての自己を構成する関係性のなかに位置づけることにあるのだ。
 祖名が、個人の統合のための「媒体」や統合されるべき個人の部分などではなく、統合されえないものの「反復」であるとすれば――いいかえれば、全体と部分の提喩的関係において一義的に確定される単一の換喩的な系譜関係など最初からないのだとしたら――、そもそも災因論によって回復されなければならない提喩的な機能的関係の単一的秩序などなく、上のような矛盾など現われていなかったのだということになる。
 病いや死によって露呈する〈個〉の代替不可能性とは、共同体の外部にある交通空間における個の「単独性」などではなく、その〈個〉の代替不可能性=特異性が見出された特定の関係性が、他の関係性との錯綜体から切り離されて特権化され、他の関係性を無意味なものにしてしまうということを意味していた。そして、災因論の物語は、その突出した関係性を、他の代替不可能な関係との、不整合を含んだ錯綜した結びつきを回復するものといえるだろう。
 クリアの災因論の物語は、固有名で表される個の「単独性=代替不可能性」が、〈顔〉のある関係とその連鎖の延長による関係性における、アット・ランダムな代替可能性と結びついていることを示している。そもそも祖名は、父系出自集団に生まれた子どもに双系出自をたどって関係づけられる多数の祖先のなかから「偶然性」を用いた占いによって決められると同時に、痣の一致などに示される「生まれ変わり」の観念という「必然性」によってあらかじめ身体的に決められたものでもあった。いちおうこの命名の占いは、だれの生まれ変わりであってもふしぎではないという「偶然性=代替可能性」を、特定の祖先の生まれ変わりでしかないという「必然性=代替不可能性」へと転換する装置だといえるが、その「代替不可能性」は、場合によっては別の「正しい」祖先へと変更されうるものであるし、また場面が変わればコードが転換し、同じ名前をもつ複数の祖先と同一視されるという「代替可能性」に簡単にとってかわられるものだった。そして、その生まれ変わりも、《死霊》や《怨霊》などの「祖先化」にみられるように、親族集団の成員が「偶然」に関係をもってしまった《死霊》や《怨霊》がその集団の子どもに生まれ変わるというように、その根底には偶然性があった。つまり、クリアの災因論の物語は、個の代替不可能性というものが「偶有性」(たまたまそうなった)によって生成されることを語っているのである。
 とすれば、災因論の物語は、個の単独性=代替不可能性の露呈によって損なわれてしまった父系出自集団における父系的系譜関係や役割関係といった一義的に決められた関係性(〈顔〉のない関係性)における代替可能性の回復などを目的としているのではなく、個の単独性=代替不可能性の根底にある「偶有性」を具体的に語ることによって、〈顔〉のある関係性をつくる条件を示しているのであり、いわば人間社会の基本的な条件としての社交性を回復しようとしているのだといったほうがよい。というのも、「社交性」とは、関係性の外部にある〈個〉の単独性を、その〈個〉の根底的な偶有性=代替可能性において、「〈顔〉のある関係性のなかの特異性」というかけがえのなさに変換することだからである。
 そして、それは、東浩紀氏が大澤真幸氏との対談で述べている「交換可能性」と重なりあうかもしれない。東氏は、つぎのように言っている。

人間には重要なことが2つあって、まずひとつは、所与の条件――僕が男性で日本人で1971年に東京で生まれて……といった条件を引き受けるということです。ラカンふうに言えば主体の刻印をもらうということですね。しかしもうひとつ大事なこととして、その条件を人と取り替えることができると思う必要がある。その交換可能性が働かないと、社会の前提となる共感が生じない。所与の条件を引き受けたうえで、僕は彼であったかもしれない、私は彼女であったかもしれないという想像力を働かせるということです。[東/大澤 2003:63]


 災因論の物語は、そのような交換可能性の想像力を働かせるためのものといえるかもしれない。すでに述べてきたように、「災い」や「受苦」の体験は、個の代替不可能性=交換不可能性を露呈させる。つまり、バラバラな個としての単独性がむきだしになってしまうが、災因論の物語は、その災いや苦しみを根源的な代替可能性=交換可能性と結びつける。そのことによって、バラバラな個の単独性を、関係性のなかの「かけがえのなさ」に変換するのである。そこに見られるのは、ポストモダニズムによる個の単独性こそが根源的だという主張とはちがって、関係性の「外部」にある個をバラバラに肯定するのでもなく、かといって個を比較可能で交替可能な役割に還元するのでもなく、あるいは個をそのような複数の役割の束ととらえるのでもなく、隣接性によって結ばれた関係性において、かけがえのなさを生むものとしての根源的な偶有性=代替可能性によって〈顔〉のあるつながりをつくり保持するという「社交性」なのである。そして、序章での言いかたを使えば、その〈顔〉のあるつながりを「前景」から、実際には顔を知らない人たちを含む「遠景」まで延長していく想像力こそが、社会を形成していくのである。
 ネイションという物語としてのナショナリズムは、アンダーソンのいうように、災因論の物語とおなじく、個人の有限性や取り返しのつかない出来事としての死や不幸を、想像された連続性に結びつけることによって有意味なものにし、個人に集団的アイデンティティを付与する物語だといえるかもしれない。そして、人間の有限性と単独性は、人間だけが死を知り、それによって有限性と単独性を意識できるという点で、人間の基本的な条件であろう。けれども、個の単独性や有限性を知ることができるのは、具体的な〈顔〉のある人と人との関係性のなかにおいてのみである。つまり、そのような〈顔〉のあるつながりで結ばれた他者の死や苦悩をみることによって、人は自らの有限性と単独性に気づくのである。ナショナリズムによる「国民的共同体」への誘惑は、それが宗教の代替物であり、災因論システムとして機能しているからだという答えは、部分的には答えとなっているが、結局は〈顔〉のあるつながりにおいて機能する災因論システムの代わりとはなりえないものなのである。
 ここでも忘れてならないのは、ネイションとそれ以前の民族的まとまりとのあいだには、その想像力のスタイルにおいて決定的な違いがあるということである。国民国家以前の王国やエトニーにおける想像された連続性は、異なる関係性を内包する親族関係や、主従関係や、土地との多元的な結びつきや名前の相続など、広い意味での交換関係を想像的にさまざまな形で延長した連続性であり、そのなかの関係性は、1つ1つ切り離すことのできる単一の換喩的なつながりの集合や束などではなく、その交換関係によって創られる類似によって錯綜した結びつきをもつ連続性である。個が位置づけられるその連続性は、「特異性=〈顔〉」のある人とのあいだの偶発的な隣接性による関係を、自分を構成する諸要素のなかでその人と類似している何かを見出したり、譲渡不可能な自己の一部を譲渡することによって創られたりする類似性によって他の代替不可能な関係につないでできたものであった。それに対して、ネイションにおける連続性は、親族関係や交換関係の距離や濃淡の差や関係性のあいだの錯綜した結びつきを無視して、明確に区切られたネイションの全体性へ個人を直接結びつけることによるものである。そこでは、個人は、特異性とそれを保持した関係性を媒介にすることなく抽象的な全体に結びつけられるために、単独性を特異性=〈顔〉のある関係性へと変換できなくなっているのである。それは、いいかえれば、社交性を排除しているからこそ可能となる連続性であり、その排除こそがネイションという「想像の共同体」やナショナリズムを可能にしているのだ。


2.セミ・ラティス構造としての「民族」

 個人と全体としての共同体とを、社会関係を飛び越えて無媒介に直接に結びつける提喩的な想像を、松田素二氏は、近代の類化のマジックによる「100%と 0%の共感のまやかし」と言っている。それは、全く見知らぬ人どうしでもおなじ民族に属しているというだけで、他民族に対する蔑視や憎悪の感情を100%共有したり、互いの思いや痛みを100%共感できたり、逆に、他の民族に属しているというだけで理解や共感を0%に閉じてしまうという現象を指している。
 松田氏は、近代の民族や性や人種などの人間分節に共通するこのまやかしを見えにくくしているのは、「自然で所与のもの」に見えるもの(血や性や人種)を分節手段として用いていることの他に、そのような分節において抑圧されている者自身の反抗や抗議が、たとえば「おなじ黒人として白人に虐げられた痛みは自分の痛みと感じる」とか「おなじ女性としてアフリカの抑圧された女性たちの痛みに共感する」というように、おなじ類化のマジックによる「100%と0%の共感」のまやかしに依拠しているからであると述べている。そして、類化のマジックによる民族分節を「ハードな民族」と呼び、それに対して、植民地政府によって「ハードな民族」として「発明」される前のアフリカの部族は、境界も固定されずに重複や帰属変更や越境を許すような柔軟な可変性をもっていたと言い、そのような民族を、松田氏は「ソフトな民族」と呼んでいる[松田 1992:28-29]。
 アフリカにおける「ソフトな民族」の柔軟な可変性を示す1つの例は、地縁関係に基づく民族集団としてのトライブ(部族)と親族関係に基づく出自集団としてのクラン(氏族)の交錯である。東アフリカでは、ある部族のなかに他の部族出身の氏族が少なからず含まれており、さらに複数の部族にまたがる氏族という存在も少なくない。植民地支配以前の東アフリカでは、生活の場においてもっとも重要で基本的な社会的単位は、4世代ほどの系譜関係をたどることのできる親族関係のある人びとが生産手段を共有しながら共住している100人足らずの集団だった。松田氏はその基本的社会単位を「一族」(社会人類学の術語では「最小リニージ」)と呼んでいるが、移動や他の集団との戦いや連合もこの「一族」が基礎単位となっていた。そして、それぞれの一族が自分たちの生活の便宜に応じて臨機応変に、他の一族と一緒になったり戦ったりという、合従連衡を繰り返して、より大きな社会を作っていた。一族を超えたまとまりは、特定で具体的な関係性を選択した合従連衡によるまとまりによって、そのつど創りだされるのであって、一族とその関係性を超越した「民族」や「氏族」の抽象的なまとまりなど、恒久的には存在していなかったのである。そのような合従連衡にみられる関係性は、松田氏が指摘しているように、「民族」を超えたものであった。私が調査している西ケニアのクリアという民族にも、マサイなど他民族出身とされているクランやサブクランがある。それは、絶え間ない移動や離散集合の結果であり、また「民族」を超えた離散集合を可能にする条件でもある。つまり、離散集合が新たな関係性のネットワークを創り、そのネットワークを理由して新たな移動が可能になるわけである。
 そのような生活のそのつどの都合のための合従連衡が、一族を構成する多様な親族関係のうちの単系出自(親子関係のうち、父-子または母-子の関係のどちらかの出自のみをたどってメンバーシップが継承されるもの)を延長した関係性の連鎖にそって行なわれるとき、そこに社会人類学者たちがアフリカで記述してきたような「分節体系」が現われる。分節体系(分節segmentはデュルケームの用語の「環節的社会」に由来する)とは、最も小さな政治的地域単位である村がいくつか合わさって三次地域分節をつくり、三次地域分節がいくつか合わさって二次分節となり、二次分節がいくつか合わさって一次分節を構成し、最も大きな政治的地域単位である部族はいくつかの一次分節からなっているというような、より大きな単位のなかにより小さな単位が組み込まれている入れ子構造になっていて、それらの地域分節の体系が各地域分節を「所有」しているとされる有力なクラン(氏族)の親族集団(クランの分節単位としての親族集団をリニージと呼ぶ)のあいだの出自関係によって表現されている政治体系を指している。すなわち、その有力なクラン内部の分節体系――最大リニージ、大リニージ、小リニージ、最小リニージといったいくつかのレベルに分かれた単系的出自集団の分節からなる体系――と、その部族の入れ子構造になっている政治的単位の分節体系が一致しているような体系のことである。
 分節体系ないし分節リニージ体系の特徴は、各政治的地域分節が場合に応じて「分裂」もすれば「融合」もするという点にある。各分節が政治的集団として顕在化するのは、おなじレベルの他の分節との対立・紛争が起こった場合のみであり、そのときそのレベルより以下の分節は顕在化したより大きなレベルの分節のなかに融合して見えないものとなる。たとえば、Xという一次地域分節を「所有」しているXクランの最大リニージであるAの下位分節のa1大リニージとa2大リニージとのあいだに紛争が起こった場合、a3などおなじレベルの他の分節はその争いに関与しないが、XクランのB最大リニージの下位分節であるb1大リニージとa3とのあいだに紛争が起こると、それはAとBとのあいだの紛争となり、それまで対立していたa1とa2とは、おなじAという上位分節に「融合」する(図1を参照)。このように、分節リニージ体系では、分節のあいだの合従連衡が出自集団の分節レベルに応じて決まっていくというのである。
 しかし、そのような図式は、植民地政府が移動や「部族」間の越境を禁止した植民地状況において、「部族(トライブ)」と呼ばれた各民族がそれぞれ1つの分節リニージ体系をつねに有しているかのように固定化されて描かれた姿であった。それは各最小リニージ族が臨機応変に作り出す合従連衡の一部にすぎなかったのである。
 実際、南スーダンの分節リニージ体系を最初に見事に描き出したエヴァンズ=プリチャードによる『ヌアー族』という古典的研究[エヴァンズ=プリチャード  1997]においても、他の集団と合従連衡しながら戦う地域集団の核となるリニージには、「よそ者」や「娘たちの子どもたち」と呼ばれる人びとや他民族であるディンカ人出身の一族などがさまざまな関係性をたどって一緒になっていたことが記述されている。その後、アフリカを調査研究した社会人類学者は、エヴァンズ=プリチャードが抽出したヌアーの分節リニージ体系をモデルとして各民族の分節体系を図式化していったが、その図式からは単系出自以外の関係性が排除されていた。単系出自をもとにした一族の合従連衡には、メンバーシップが重複しない出自集団を作れること、そしてその出自をどの世代までたどって集団を生成するかによって、さまざまな規模の出自集団が作れるといったメリットがあるため、実際に多くの社会で親族集団を作るさいに単系の出自をたどることが多く、それが優先的な規範となっていたようにみえたのはたしかである。そのために、そのような合従連衡による分節体系があたかも社会の骨組みとしてつねに存在しているように思われてきたが、そのような分節体系はある特定の目的に応じて実現されるものであってそのような特定の状況を離れて存在していたわけではなく、また、人びとの頭の中にそのような体系が社会の理念的な骨組みとしてあったわけでもなかった。
 エヴァンズ=プリチャードは、『ヌアー族の親族と婚姻』[エヴァンズ=プリチャード 1985]のなかで、典型的なヌアーの村やキャンプ(これは「一族」ないし「最小リニージ」にあたる)にみられる親族関係の網の目を紹介する際に、ヌアー人自身が明確に行なっている父系リニージ関係と親族関係との区別の重要性を強調している。リニージ関係とは単系親族集団(ヌアーの場合は父系親族集団)が織り成す体系のなかの集団間(リニージ間)の関係を指し、親族関係のほうは親族カテゴリーによる個人間の関係を指す。エヴァンズ=プリチャードは、リニージ体系をもつ社会に暮らした経験のない人にはこの区別を理解することは難しいかもしれないと言う。というのも、リニージ関係も親族関係もおなじ親族カテゴリーを示す語で表されるからである。ヌアー人たちは、リニージ間の父系関係であるリニージ関係を「ブス」、個人間の親族関係――父系関係だけではなく母方の親族関係や姻戚関係や養子関係も含む――を「マル」という語で表している。ヌアーの村の住民たちは全員がお互いにマル、すなわち親戚である。そういうと、緊密で閉じられた関係からなる排他的な共同体のように思うかもしれないが、「ヌアーランドのどこへ行っても、一生のうちに接触するすべての人間と何らかの親族関係――本当の親族関係であっても、神話あるいは擬制によるものであってもかまわないのだが――を設定することができる」[エヴァンズ=プリチャード 1985: 13]のであり、よそから村やキャンプに移住するときには、別の関係で自分とも相手とも関係のある第三者を介したり、養子など擬制的な関係を作ったり、何らかの親族関係をたどって村の住民のだれかとマルの関係にある者として移入したりしているのである。
 つまり、村は「一族」(最小リニージ)によって構成されているにもかかわらず、そこには多くの非父系親族が含まれているのだ。そのうちの典型的な非父系親族が「娘たちの子どもたち」であった。また、姻族を通した非父系親族の家族も成員として加わっているのもふつうだった。さらに、村によっては近隣の他民族であるディンカ人出身者やアヌアク人出身者やその子孫たちが養取や結婚を通してマルとして含まれている。このように、村人がすべて互いにマルであるといっても、そのマルはさまざまな関係が含まれた「異種混淆的」なものであり、異民族も含まれるような開かれたものであった。そして、村のなかの親族関係はカテゴリーにおいても関係の近さにおいてもさまざまに違っているにもかかわらず、すべての関係は、意味が異なりながらも日常的な絆としてはおなじ比重が与えられている。このような異種混淆的なマル関係からなる村が最小リニージとしてリニージ体系に組み入れられているのは、その村の土地を「所有」しているとされる有力クランの優越リニージが、父系的なリニージ関係(ブス)によってより大きなリニージに包摂されるからであり、有力クランには属さない成員たちは、マル関係のどれか1つを通じて優越リニージとつながり、その優越リニージを介してそのリニージ体系に接木されているからであった*5
 ここにみられるのは、おなじ関係がブスでもありマルでもあるという複数性である。そしてそのような意味の交替にとどまらず、同一の個人とのあいだのマル関係といってもたどり方によっては複数の意味をもち、しかもその1つ1つが、前節でクリアの災因論における個人と祖先の関係について見てきたような複数性を含んでいるという過剰性もそこにはある。つまり、「ソフトな民族」のもつフレキシビリティは、そのような1つ1つの関係がもつ過剰性にあるのである。
 そして、村や一族のなかの関係がクランだけではなく民族をも超えており、さまざまな多元性をもっているということは、ヌアーに限ったものではない。松田素二氏は、「民族」を超えた離散集合を示すものとして、クリアとおなじ西ケニアのマラゴリという民族における「アバメニャ・システム」を紹介している[松田 1999:99-104]。アバメニャというのはマラゴリ語で「流れ者」とか「居候」という意味で、数家族単位で移動し、移動の途中である一族にやっかいになっている人びとのことである。しばらく寄留して別の土地に行く場合もあれば、長く滞在し、なかには土地の娘と結婚しそこに一族をたてて新たなクランを起こす者もいた。かれらが「何民族か」は問題にされず、出自を問わずに受けいれられたのである。このアバメニャ・システムは、「部族」を固定することで支配するために「部族の境界」を越境することが禁じられた植民地支配以降も働いていたという。そして、アバメニャの存在は、植民地政府が固定しようとしていた部族の境界を超えて、異なる民族のなかに自分たちとおなじクランや一族をもつことを可能にしている。
 このような寄留民システム(これはよそ者を歓待するシステムでもある)以外にも、東アフリカには、血盟関係など、個人のあいだや一族と一族のあいだに同盟関係を結ぶシステムもあり、人々はたいてい「部族」や「クラン」を横断するような関係性をもった(婚姻関係もそのひとつである)。民族や氏族や一族といった共同体は、多様な関係性をその内部にもっており、その多様な関係性を延長していくことで、境界や包摂/被包摂関係の階層を越えたりショートカットしたりするような結びつきを実現させている。重合も交叉もショートカットもない階層的体系をツリー状の非交叉体系と呼び、重合や交叉やショートカットがあるものをセミ・ラティス構造と呼ぶ。ツリー構造では帰属関係は単一だが、セミ・ラティス構造では複数の帰属関係があり、しかもたどりかたによって意味も異なっている。つまり、アフリカの民族や氏族や一族などの共同体はツリー状の構造ではなく、セミ・ラティス構造をもつのである。
 セミ・ラティスとは、建築デザイナーのクリストファー・アレクサンダーが「都市はツリーではない」という論文[アレクサンダー 1967]で、ツリー構造と対比させるために用いた用語である。ツリー構造の包摂関係では、各カテゴリーないし集合がたがいにまったく無関係か一方が他方に完全に含まれているかのいずれかになる。123456という6つの要素から作られるさまざまな集合(64通り)の包摂関係で説明すると、たとえば(12)(345)(6)/(3456)/(123456)という5つの集合からなるシステム(まとまり)はツリー状になる。このとき、各集合の関係は、(45)(6)と(456)のように、集合がより大きな集合に完全に包摂されるか、あるいは(123)と(45)のように、共通の要素をもたずにまったく無関係かのどちらかである。それに対して、セミ・ラティスでは、(123)という集合と(234)という集合もともにそのまとまりの構成要素となっている(図2・図3を参照)。
 この123…という各要素をそれぞれ「一族」を指すとすると、ツリー状の構造が近代以降の「ハードな民族」であり、提喩的関係による「想像の共同体」であるのに対して、セミ・ラティス構造がツリー状の階層的な集団区分における境界線を交叉する関係性の横断線のある、「ソフトな民族」を表しているといえよう(アフリカの「民族」や「氏族」がセミ・ラティス構造をもつというとき、それらの基本的構成要素となっている「一族」――図の123…で表した各一族 ――それ自体がセミ・ラティス構造をもつことに注目する必要がある)。
 このセミ・ラティス構造には現実的なメリットがある。ツリー構造による集合の形成がたかがしれた数になるのに対して、セミ・ラティス構造では、膨大な数の合従連衡ができるのである。日常的な生活の場において働いているのはこのような分類の図式である。それに対して、ツリー構造は近代の科学的思考や分類方法の特徴であり、近代の知と支配のテクノロジーなのである。それは、不確定性がすくない分だけ把握しやすく支配しやすいものとなる。そのような把握の例が、アフリカ社会における合従連衡を分節リニージ体系というツリー構造として記述するというものであった(図4を参照)。そこでは、実際には民族誌に記述されている横断線――「よそ者」や「娘たちの子どもたち」や「他民族出身のクラン」やさまざまな同盟関係など――は消し去られている。たしかに、クリアで調査していても、いったん人類学者の頭のなかに分節リニージ体系という理念型がインプットされると、ツリー状の分節体系を抽出することはできる。しかし、クリア人に自分のリニージを聞いても、その状況でさまざまな分節を答えたり、答えたリニージが姻族であったりしるし、また日常的な関係性は血盟兄弟などのほうが重要だったりする。つまり、ツリー構造の分節リニージ体系の抽出は、そのような交叉線や横断線を無視することで可能となるのである。そして、セミ・ラティス構造は、アレクサンダーも指摘していたように、要素が少ない場合、ツリー構造とよく似た形を見せるので、理念的モデルとして通用するけれども、そのようなツリー状の理念的モデルは、人びとのなかにあるわけではなく、私の調査でもクリア人からそのような体系化されモデル化された分節体系全体を聞こうとしても、分節のレベルもきれいには分けられず、家族単位の「養取」や移動によってたえずどこにでも引かれている横断線によって否定されてしまうのがふつうだった。
 アフリカの植民地において、セミ・ラティス構造の「民族」をツリー構造の「部族=トライブ」として把握し、それを実際に押しつけることは、まさに知と権力とが結合した支配のテクノロジーによる、固定された「部族」の発明だった。実際問題として人頭税の徴収や労働力の徴収の単位として「部族」が固定される必要があったのである。原住民からの徴税や賦役は植民地経営の財政的基盤であり、そのためには、部族の境界を越境することを禁じるとともに、その内部にもツリー構造をつくったほうが効率的だったのである。
 ところで、セミ・ラティス構造をツリー状の構造として把握するという例はレトリック研究にもみられる。それは、フランスの記号学者たちの集団であるグループ μ が唱えた「提喩一元論」で、換喩/隠喩的な想像のスタイルを提喩的な想像としてとらえてしまう近代の知のあり方をよく示している例となっている。グループ μ の「提喩一元論」は、隠喩も換喩も二重の提喩(提喩による置き換えを2回にわたって繰り返したもの)としてとらえることができるというもので、エレガントな理論としてレトリック研究では話題になったものである。ここでは、ふたたび佐藤信夫氏の『レトリック感覚』のなかの説明を借りて、白雪姫というプリンセスの名前の隠喩を、二重の提喩としてとらえるやりかたを紹介してみよう[佐藤 1992:200-201]。この「色の白い女の子」は、一般化して「白いもの」という類(カテゴリー)で表現できる。つまり、「色の白い女の子」を一般化して「白いもの」という全体で表すという提喩的操作がここでなされている。つぎに、この「白いもの」という類を特殊化して「白雪」という種で表すという提喩的操作をすると、「色の白い女の子」が「白雪」という語によって表現する隠喩が成立する。つまり、「色の白い女の子」→「白雪」という隠喩は、「色の白い女の子」→「白いもの」→「白雪」という二重の提喩ととらえられるというわけである。
この分析は、隠喩の類似性をおなじカテゴリーに属するものととらえることで、異なるものとされていたレトリックを同一の原理によって説明するという点で、みごと成功していると言えそうだ。けれども、女の子の肌の白さを雪にたとえるという比喩を用いるとき、人は無意識においても「白いもの」などという類(カテゴリー)などを設定するだろうか。おなじ佐藤信夫氏の本には「隠喩」の例として、つぎのような太宰治の文章が挙げられている。

 晩秋の夜、音楽会もすみ、日比谷公会堂から、おびただしい数の烏が、さまざまな形をして、押し合ひ、もみ合ひしながらぞろぞろ出て来て、やがておのおのの家路に向つて、むらむらぱつと飛び立つ。
「山名先生ぢや、ありませんか?」
 呼びかけた一羽の烏は、無帽蓬髪の、ジャンパー姿で、痩せて背の高い青年である。
  「さうですが、……」
呼びかけられた烏は中年の、太った紳士である。青年にかまはず、有楽町のはうに向つてどんどん歩きながら、「あなたは?」(太宰治『渡り鳥』)[佐藤 1992: 102-103]


ここでの隠喩は、音楽会から出てきた人の群れを烏にたとえたものである。そのあいだの類似性は、黒く見えること、そして群れであるが他の鳥とはちがって孤独そうな姿といったものだろう(家路に飛び立つ烏というイメージは童謡の「七つの子」のイメージが投影されているのかもしれない)。しかし、この類似性はグループ μ の理論で言えば、どういう全体的な「類」が想定されているというのだろう。たとえば、そこに「黒いもの」という「類」が想定されているといえるだろうか。このような生きた隠喩(あるいは創発的な隠喩)においては、類似性はたとえば「黒さ」という共通の要素をもつ集合という、明確に境界づけられた類(類別的なカテゴリー)が成り立っているのではなく、むしろそのような「類別的なカテゴリー」を想定したとたんに、見えなくなってしまう「何か」――たとえばここの例でいえば、そのとき1回きりかもしれないが直観された「群れのなかの孤独」といったものなど――が類似しているのだといったほうがよいだろう。このような類似性は、カテゴリー全体に共通する属性――たとえば「白さ」――によってあらかじめ規定されているようなものではなく、家族的類似性とおなじようにそのつど創りだされるものである。そして、ここでの議論において重要なことは、そのようなカテゴリーなしに類似性による結びつきは可能だということである。というより、日常生活において創られる(そして人びとの認識をかえていく)生きた隠喩は、全体を一望できるという仮定によってはじめて想定される固定的なカテゴリーなどなしに実感される類似性によって結びつけられるものといったほうがいいだろう。
 生活のなかの分類が、ある「類」に含まれる全部の「種」に共通する要素がないような結びつきによってできていることを、ロドニー・ニーダムは、(科学的な「単配列分類」に対する)「多配列分類」という用語で示している[Needham 1975]が、ようするに、グループ μ の「提喩一元論」は、生きたシステムとしての多配列分類(セミ・ラティス構造)を無理やり単配列分類(ツリー状構造)として理解するという、オリエンタリストにも共通する近代の知のあり方を示しているといったら言い過ぎだろうか。
 ところで、近代のシステムによってツリー構造を押しつけられても、人びとはそれをそのまま受けいれているわけではかならずしもない。というのも、生活の場においてつねに新しく起こる出来事に対処するためには、セミ・ラティス構造の柔軟性が必要となるからである。したがって、人びとは日常的な実践において、押しつけられたツリー構造をセミ・ラティス構造に変容させていくことになる。そのような変容について、再びアフリカの「民族」に話をもどして述べてみよう。
 すでに見てきたように、植民地化以前の「ソフトな民族」はクランや部族を横断するセミ・ラティス構造を持っていた。それは、親族関係や近隣関係や血盟関係などの換喩的関係の錯綜した関係性のいずれかを延長してつくられるまとまりであり、換喩/隠喩的想像のスタイルによる想像の共同体であったといえる。松田素二氏は、それは、クランや部族といった集団を横断する同盟関係を作ることで、全面的な民族対立を回避するためのアフリカ社会の知恵でもあったと言っている。どういうことかというと、Aという部族(民族)とBという部族(民族)の間で紛争が起きたとき、ツリー状構造の「ハードな民族」ではAとBの全面的な対立となるが、セミ・ラティス構造の「ソフトな民族」の場合は、実際にはAのなかのa1という集団とBのb3という集団が対立しても、a1はb1と同盟関係にあり、b1集団はa1と敵対するどころか支援を受けることができる。また、a2やb2といった集団は、a1とb3の紛争にいっさい参加しない。こうしてAとBは全面的に敵対することはなく、a1の若者も、紛争中でもB民族のb2集団のキャンプ近くへ行って牛の放牧をすることができるし、同盟関係にあるb1集団のキャンプ地に寄留することもできるのである(図5を参照)。
 松田氏は、このような「アバメニャ・システム」が、植民地統治によって「ハードな民族」を押しつけられ、それを受けいれていったようにみえる後も持続していたと述べている。たしかに、人々は、それ以前には知らなかった「ハードな民族」を受けいれているようにみえるが、それは、システムに暴力的に包摂された結果であり、否応のないものだった。しかし、力によってツリー構造を受けいれた後もなお、「ソフトな民族」で行なっていたのとおなじような実践を日常的には維持しているというわけである。このことは、とても重要な意味をもっている。というのは、そのような日常的実践が、公式的にはハードなツリー構造を受けいれながら、それを見えにくい形でソフトなセミ・ラティス構造に変容させていくということを意味するからである。植民地化以前の「ソフトな民族」と植民地化以降の近代の「ハードな民族」という分け方をすると、すでに失われた「ソフトな民族」(近代以前にはアフリカだけではなく、どこにでも広く見られたものだが)を復活させるという、ほとんど不可能な課題を掲げているように聞こえるし、また、近代と伝統との固定的な二元論という、それこそ近代的な区分に囚われているということになろう。ここで述べていることはそうではなく、近代のツリー構造がグローバル化された現代にあっても、日常的実践においてそれを現にセミ・ラティス構造に変容させているということに眼を向けることの重要性なのである。
 植民地化以前の東アフリカの「民族」のセミ・ラティス構造は、前節でみてきたようなリゾームとしての錯綜した関係性を政治体系として秩序化したものだったともいえる。ただし、その「体系」は近代の知におけるツリー構造とは違って、日常的実践において用いられるリゾームとしての錯綜した関係性を保持した体系だった。そして先に、社会人類学が実際にはセミ・ラティス構造をもつ部族や氏族をツリー状の分節リネージ体系として理念型としたという話をしたとき、要素が少ない場合、ツリー構造とセミ・ラティス構造はよく似た形を見せるため、少数の横断線を例外として排除するだけでそのような理念型が抽出できたと述べた。植民地化以降の東アフリカの人びとは、日常的実践において、リゾーム的な関係性を利用して押しつけられたツリー構造をひそかにセミ・ラティス構造に変容させているというわけだが、逆に、その変容がたやすくできるのも、ツリー構造とセミ・ラティス構造とがよく似ているからだといえよう。
 押しつけられたツリー構造を日常の生活の場でセミ・ラティス構造に変容させているという例は、もちろん東アフリカの「民族」以外にもみられる。ここでは、吉岡政徳氏が記述している、メラネシアのヴァヌアツの例を紹介しよう[吉岡 1994]。吉岡氏によれば、異なる言語・文化を基盤とする多数の集団が多様のまま残された新しい独立国家ヴァヌアツには、それぞれの伝統的文化を核とする「カストムの世界」と、学校組織やキリスト教や行政や独立運動などの新しい「スクールの世界」の2つの世界が併存しているという。しかし、吉岡氏は、首都を中心に植民地全体に拡がる「スクールの世界」に包摂されたローカルな地域社会は、国民国家という近代に同化し、明確に境界づけられた「ネイション」を受けいれるのでもなく、また伝統的文化を基盤にしてそれぞれのエスニシティを創りあげて近代の国民国家への同化に対抗するのでもないようにみえると言う。つまり、ツリー構造による近代に包摂された結果、それにもとづいて「スクールの世界」と「カストムの世界」とを区分しながらも、ネイションやエスニック・グループという「ハードな民族」を実際には受けいれていないというわけである。その理由を、吉岡氏は、人びとが、その2つの世界のギャップを古くから使われていた「マン・プレス」(場を共有する人びと)という概念によって埋めてきたことに求めている。「マン・プレス」とは、さまざまなアイデンティティの境界線や島をも超え、また逆に、言語・文化的な近縁関係さえも断ち切る形で成立しうるもので、「場以外に何の共通性を持たない人々をまとめあげるあいまいな概念」[吉岡 1994: 229]である。つまり、本書で使っている言い方を使えば、隣接性のみで関係づけられる換喩的なまとまりといってもいいだろう。吉岡氏は、このあいまいな概念による〈場の論理〉を〈エスニシティの論理〉やナショナリズムと対置させながら、独立運動以降の「マン・ニューヘブリデス」(ニューヘブリデスという植民地の場を共有する人びと)や「マン・ヴァヌアツ」(ヴァヌアツという国家の場を共有する人びと)というまとまりをつぎのように説明している。

 ……カストムとスクールが併存する地域の人々にとっては、マン・プレスは容易にニューヘブリデス全体に広がることが出来た。人々のスクールの世界におけるアイデンティティの場がそれであったからである。そして、彼らのマン・プレスは変幻自在にその形を変えうるものであった。カストムにおける人々のアイデンティティの場である個々の言語・文化集団は、この〈場の論理〉によって島全体へと拡大し、さらには、スクールにおけるアイデンティティの場である植民地全体へと接合されていたのである。しかし、このことは、エリート達のナショナリズムが人々にも共有されていたことを意味するわけではない。エリート達にとってのマン・ニューヘブリデスは、自らの国家をかち取ろうとする主体的な植民地民族であったが、人々にとっては、それは分裂を起こすほどバラバラではないが、同一の場を与えられたということでなんとなくまとまっている住民にすぎなかったのである。
(中略)
 ヴァヌアツの人々は、国家の側が、植民地の上に「想像の共同体」としての国民を作り上げる努力をしようとしまいと、それとは関係なく、現実に与えられた場を共有することでまとまっている。人々の側から生まれたこの〈場の論理〉は、自らの言語・文化圏、島、そして国家という場を、チェーンの輪をつなげるように結び付け、それによって、同一の国家に組み入れられた多数の異なる言語・文化集団を、これといった内的な共通性を持たないまま、それでも住民としてなんとなくまとめているのである。[吉岡 1994: 231-233]


 つまり、ヴァヌアツの人びとは、吉岡氏のいう〈場の論理〉によって、「スクールの世界」において押しつけられたナショナル・アイデンティティを受けいれつつ、それと「カストムの世界」における個々の言語・文化集団のアイデンティティとを「チェーンの輪をつなげるように結び付ける」ことで、アイデンティティの分裂や葛藤をともなうことなく、接合しているのである。ツリー構造の観点からみれば、人びとは、「スクールの世界」において押しつけられた、提喩的な想像のスタイルによる「想像の共同体」に対抗的にローカルな「カストムの世界」を創造するか、あるいはそのニューヘブリデス全体という「想像の共同体」を受けいれてナショナル・アイデンティティを確立するか、どちらかを選択するように強いられているようにみえるが、実際には、人びとは、植民地時代に創られた「言語・文化集団、島、国家」というツリー構造にもとづくハードな区分を、境界があいまいな場を共有しているという〈場の論理〉によってセミ・ラティス構造に変容させているのだといえるだろう。
 ここで重要なことは、この〈場の論理〉というときの〈場〉が、エリートのナショナリズムや土着主義運動におけるように、国家や島といったあらかじめ与えられた、明確な境界をもつ抽象的な全体なのではなく、自分たちがその場所で人との関係をもっているということによって成り立っているということである。いいかえれば、〈場の論理〉によるあいまいなまとまりとは、明確な境界をもたない「差異の連続体」における家族的類似性によってなんとなくまとまっている隠喩的な結びつきと、「現実に与えられた場を共有すること」という隣接性による換喩的な延長とによって想像される共同体となっている。そこでは、他人と自分がともにおなじ空間にいて接触している「前景」が消去されておらず、そのために、その「前景」から「チェーンの輪をつなげるように」想像されるニューヘブリデス(あるいはヴァヌアツ)という「想像の共同体」も、もはやツリー構造をもたないものとなっている。
 逆にいえば、ツリー構造が成立するのは、自分が具体的な他者と接触してしまう「前景」を消去して、それらの関係性から身を引き離し、カテゴリーの全体を抽象的で客観的なものにする限りにおいてなのである。エリートのナショナリストたちが想像する〈植民地民族〉という主体はそのような空虚なカテゴリーとして成立する、提喩的な想像のスタイルによる「想像の共同体」であった。それに対して、「差異の連続体」としての言語や慣習を共有することからくる家族的類似性による隠喩的なまとまりを、場を共有しているというだけの隣接性による換喩的な想像のスタイルによって延長しつなぎあわせるという論理が、人びとが生活の場で用いる〈場の論理〉というわけである。
 ところで、アフリカにみられた、敵対する民族や氏族に自分と同盟関係にある集団があることによって民族間や氏族間の全面対決につながることを避けているというメカニズムは、1950年代の英国社会人類学のアフリカ研究においても見落とされていたわけではなかった。けれども、そこでは、a1とb3の紛争のとき、たとえば、もともとa1とおなじクランであるということで同盟関係を結んでいるb1の人びとに生じる忠誠心の葛藤――Bという部族に属していることによるBへの忠誠心と、a1とおなじクランという出身クランを通したAへの忠誠心の葛藤――が、全面的な敵対を防いでいるといった説明がなされていた(そのような説明を「忠誠心葛藤理論」という)。
 けれども、エヴァンズ=プリチャードらによる民族誌的記述を見ても、また実際に東アフリカで調査してみても、そのような葛藤など実際にはほとんどないようにみえる。忠誠心葛藤理論は、分節リニージ体系をツリー構造としてとらえてしまったことから出てきた説明ということができるだろう。すでに見てきたように、ヌアーなどの分節リニージ体系の特徴は、おなじリニージ関係(父系的関係)が、そのリニージ間の分裂を表したり融合を表したりするという交替可能性にあった。そして、このリニージ間の分裂と融合の交替可能性は、ヌアーでは、リニージ関係としての「ブス」と日常的な親族関係としての「マル」とのあいだの交替可能性によって成立していた。リニージ関係としての父系関係(ブス)は、つねに有力クランの内部の潜在的な分裂の関係を表しているが、村などでの日常的な関係としては他の非父系関係との錯綜した結びつきによって融合を示すマル関係のなかに埋め込まれている。つまり、おなじ父系的関係が、分裂を表すリニージ関係としてのブスにも、また日常的な親族関係として融合を表すマルの1つにもなるということが、この交替可能性を生んでいるのである。有力クランのリニージ体系における同位の他のリニージとの間で戦いが起これば、その分裂はブス関係によって表される。けれども、そのリニージとの父系関係は日常的にはマル関係の一部として働きつづけるのである。そして、より大きな(上位の)リニージがそれと同位のリニージと争いを起こせば、今度はそのあいだのブス関係によってその争いは表され、その内部の父系関係はブスではなくなり、日常的なマル関係のなかに再び埋め込まれるわけである。そこには恒常的なツリー状の包摂関係がないので、当然恒常的な忠誠心も生じることはない。したがって、この構造的な交替には、忠誠心の葛藤など生じる理由がないのである。
 このように、セミ・ラティス構造のなかでは、b1にとってa1と関係をもつ(おなじ集合に帰属する)こととBという民族に帰属することのあいだには矛盾も葛藤もない。忠誠心やアイデンティティの葛藤理論は、ツリー状の構造ないし提喩的想像による「ハードな民族」についての見方を、そうではないセミ・ラティス構造を創りだす換喩/隠喩的想像のスタイルに当てはめてしまっているのである。
 たしかに、国民国家の中のエスニシティがネイションとおなじくハードな分節原理に依拠していることにより、すこしでも境界性を帯びている人びとに、民族アイデンティティの葛藤をもたらすだろう。たとえば、『在日韓国・朝鮮人』[福岡 1993]のなかで、福岡安則氏は、日本社会に問題なく適応している在日コリアンの若者たちでも、その多くは自分が「日本人」でも「韓国人」や「朝鮮人」でもない、あるいは「半分日本人で半分朝鮮人」といった揺れ動くアイデンティティの葛藤をもっていると述べている。福岡氏は、ある在日韓国人三世の女性が、日常的に通名の日本名で暮らし、「差別された体験がない」といい、「日本人の友だちとつきあっているときは、日本人として違わないんだっていう感じ。従姉妹とかとつきあっていると、やっぱり韓国人は韓国人」と述べ、しかもそういう2つの自己を意識的に使い分けているのではなく、「その場の雰囲気にスッと適応している感じ」だと言っていることを紹介している。けれども、それに続けて、「だが、彼女の場合でも、突っ込んで聞き取りをしていくと、自分が『在日』だと日本人の友だちに知られたら差別を受けるのではないかという、ある種の脅えの感覚を内面化している。日本社会での民族差別を感じとっていないわけではなく、みずからの置かれた立場を深刻に考えようとしていないだけだということが窺われる。問題状況を直視することからの無意識的な逃避、と言ってもよい」[福岡 1993:78-79]と述べて、彼女を「葛藤回避」タイプと呼んでいる。もちろん、福岡氏が感じ取ったという、彼女の内面の奥にある「葛藤」と無意識の「逃避」は、日本社会に現にある差別が強いるものであって、福岡氏の意図は、彼女の逃避を責めることにあるのではなく、多くの「在日」の若者たちがアイデンティティの葛藤を体験しているのに、周りの日本人が、「違いを意識せずに、みんなとおなじようにすればいい」と言っているのに対して、「ちがいをちがいとして認めあう」なかから、「共生」が生まれるのだということにある[福岡 1993:227-229]ということを疑っているのではない。けれども、「ちがいをちがいとして認めあう」という多文化主義の立場から、「2つの自己を意識的に使い分けているのではなく、『その場の雰囲気にスッと適応している感じ』」という彼女の感覚を「葛藤回避」ととらえてしまう、そのやりかたからは、アイデンティティというものを「ハードな民族」によるものとしてしかとらえられない近代の支配のテクノロジーから脱け出すことはできないだろう。
 アフリカ社会の「ソフトな民族」のあり方が私たちに教えてくれるのは、「半分○○人で半分××人」という揺れ動くアイデンティティが葛藤を生み出すのは、それがツリー状の構造をもつ「ハードな民族」だからであって、個々の関係性からくる自己に対する豊かな意味づけは、そのようなハードなアイデンティティなしにできることであり(というより、そのようなハードなアイデンティティによっては得られないものであり)、しかも、それはクレオールのように暴力的に「脱領土化」された人々だけに可能なのではなく、だれにでも生活の場では日常的にそのようにしているはずだということなのである。

*1:そして、それが比較不可能であるのも、「あの女(男)よりもっと良い女(男)がいるよ」という慰め方がおなじように「不当」であることによってわかるだろう。

*2:「災因論」という術語は、長島信弘氏の造語である。

*3:クリアはタンザニア北西部とケニア南西部の国境地帯に住むバンツー系民族で、その大部分が牛を多く飼う農民である。以下で紹介するクリアの災因論については、拙論[小田 1989b]でくわしく述べている。

*4:浜本満氏は、災因論での災いの「原因」は、実際には因果関係における原因というより、その出来事全体の「表情」であるといったほうがよいという議論を展開している[浜本 1989]。

*5:ヌアー(ヌエル)のマルとブスの交替については、拙稿[小田 1989a:第4章]を参照されたい。