読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

シチュアシオニストの活動とその意義 三浦丈典

序論

 本論文は1957年から72年にかけて、ヨーロッパを中心に精力的に活動した前衛グループ、「シチュアシオニスト・インターナショナル(以下SI)についての研究である。SIはギー・ドゥボールアスガー・ヨルンらを中心としたヨーロッパ広域に渡るアヴァンギャルド・グループで、シュルレアリストの末裔として、1950年代か70年代初頭にかけて、美術や建築、政治などで革新的な活動を行い、それらは戦後の前衛運動の中核に位置しているばかりか、その後の建築、都市計画に少なからぬ影響を与え、最終的にはポストモダンと呼ばれる都市像を生み出す一因となった。
 本論は大きく分けて3つの章から構成され、付録資料として”The Situationist City”( Simon Sadler, The MIT Press,1998 )の日本語訳を併記した。第1章では彼らSIの活勣の系譜とその意義について、建築、都市計画という視点に礎を置きなから考察し、第2章では、その茫動における空間と時間に対する考え方についての分析を試みる,そして第3章ではSI解散後のムーヴメントについて、そして現代社会との結びつきと今後の可能性について論じる。


シチュアシオニストの活動

 近代主義全盛の時代において、同時代的にそれを批判した希有な存在として知られるSIだが、彼らの最終的な目標は資本化された合理主義社会の改革だった,彼らが主張するには、CIAM(近代建築国際会議)が掲げた「ユニバーサルでクリーンな」*1近代都市のイメージは人間を生き生きとした生活から隔絶し、労働者を機会の付属物へとおとしめる。そのような現状に対して、シチュアシオニストたちは「スペクタクル」*2という概念を創出した。「スペクタクル」は合理主義社会がそれを巧妙に隠蔽するための手段として生み出された、一種の幻想であり、商品へのフェティシズムによろ視覚的世界の濫用、イメージの洪水を指し示す。
 「スベクタクルの社会、すなわち合理化された大量生産社会に対抗するためにシチュアシオニストがとった方策は、「転用=ずらし(ディトルヌマン)」*3と呼ぱれ、それは換言すれば、ある製品を本来とは違った方法で使用することによって、使用者の主体性を回復しようとするものだった。こういった活動はコラージュやアッサンブラージュの手法を確立したダダやシュルレアリスムの影響が強いと思われるが、シチュアシオニストはその舞台を芸術の一分野としてではなく、日常生活全体ヘと拡大したという意味で意義深い。
 そしてこのような眼差しはやがて都市全体へと拡がっていくことになる。彼らは計画家や資本家たちによって企図された均質で幾何学的な都市に対し、何とかそれを無効化し、市民が都市全体を自分なりに「転用」する可能性を模索する。その一環として彼らは「漂流(デリーヴ)」*4というテクニックを編み出すのだが、これは目的もなく都市を彷徨し、敢えて回り遠をしたり、時には道路を無視してどこかに侵入したりしながら、地図には決して表現されないような都市のさまざまな心理学的効果を発見し、またそれを記述しようとする試みであった。これはやがて「心理地理学」という彼ら独自の学問体系を導くことになる。


「パリの心理地理学的ガイド」ギー・ドゥボールアスガー・ヨルン、1956年
シチュアシオニストたちは合理的なグリッド状の地図では表現できない人間の感情や場所の雰囲気を何とかして記述できないかとさまざまな方法を試みた。「心理地理学」そのうちのひとつである。



空間/時間への眼差し

 結局のところ、彼らの革新性の大部分は、空間/時間への独自の眼差しに因っていると言える。フレデリック・ジェイムソンが語るように*5、近代社会とは、空間、時間を分断する文化であった。経済効率や権力支配をより強固なものとするために、空間はグリッドによって分割され、地図化されることで初めて空間として認知され、一方時間は統一的な単位を与えられることで、全ての活動が短縮化へ向かって邁進した。それに対しSIが求めたのは、空間、時間が途絶えることなく持続された社会であった。そこでは余暇や労働といった時間の区別が解消され、それらが一体となって「祝祭の場」となることが奨励され、近代化の過程で顕在化した空間の分節、例えlば大規模交通整備による都市の破壊やそれに伴う社会階級による居住地域分離を批判lし続けた。
 そのような思想によって導かれた最も壮大な計画が、建築家コンスタントによる「ニュ−バビロン」*6である。ノマディズム、遊戯的生活、迷宮の創出という3つの原理を礎とする「ニューバビロン」は近代都市計画のカウンター・プロジェ
クトとして提示され、それは70年代になって沸き上がるアーキグラムスーパースタジオ、或いはメタボリズムなどの「動的都市」に多大なる影響を与えている。それは軽量鉄骨による大架橋によって地上から16メ一トル浮遊しなから、既存の都市の上空を網目状に覆い尽くすのだが、(ヨーロッパ中のさまざまな都市上空にスーバーインポーズされる)横方向には果てしなく広がり、それは拡大縮小し続ける,「ニューバビロニアン」と呼ばれる住人たちは固定した住居を持つのではなく、流浪生活者(ノマド)として、恒常的な漂流生活を行うものとされる。
 コンスタントはこの計画で無数の模型やドローイングを残しているが、最大の特徴は、プランを見ると明らかなように、建築本体が図面のフレーミングから常にはみ出しており全景を留めていない。途切れることなくのべつなく拡がる都市こそがSIの理想であって、このような表現作為が意識的に行われているものは建築史上他に類を見ない。


アムステルダムの地図にスーパーインポーズされたニューバビロンのセクター」コンスタント、1963年



崩壊、その後

 その後、彼らは1968年のバリ5月革命のデマゴキーをピークに徐々に求心力を失い、レ・アールの市場取り壊しと歩を合わせるように、72年に解散する。度重なる内ゲバや除名脱退の繰り返しで、言わば非業の死を遂げたわけだが、それ以降も社会学を中心にさまざまな分野で数多く参照され、1989年にポンピドゥー・センターでシチュアシオニスト回顧展が開催されると、欧米ではその研究が更に活発に行われるようになった。そしてそういったなかでも、とりわけ強い影響を受けたのは現代美術とコンピューター社会のふたつだろう。
 70年代以降発達した「ポスト・ミニマル」と呼ばれる芸術活動は「作品そのもの」を提示することからの離反であり、それが置かれた「環境」や、その作品によって顕在化した「状態」こそがテーマとなる,これはまさにSIが求めたものだった。また
欧米のシチュアシオニストの一部は68年以降、自らの新たな都市空間を形成するために電脳空間へと接近し、シリコンバレーを中心にいくつかのコンピューター・メッカが生まれ、90年代以降、爆発的に広まったネットワークは現在の都市を大きく変えようとしている。
 滅ぴたかに見えたシチュアシオニストたちは、そのかたちを変えつつも、我々の現代社会に新たな視点を投げかけようとしている。




*1:"The CIAM Discourse on Urbannism 1928-1960" Eric mumford. The MIT Press, 2000

*2:"The Situationist City" Simon Sadler, The MIT Press, 1998

*3:"The Situationist City" Simon Sadler, The MIT Press, 1998

*4:"The Situationist City" Simon Sadler, The MIT Press, 1998

*5:「ポストモダニティの条件」 デヴィッド・ハーヴェイ 吉原直樹 訳 青木書店 1999

*6:"Situationistas" Xavier Coasta, Libero Andreotti 1996