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知識と権力 ──言説としてのオリエンタリズム── 黒瀬 勉

 オリエンタリズムを問題にする際、サイードはそれをオリエントに関する学問・研究、つまり、オリエントを研究する学者の仕事に限定しないで、広く、西洋とオリエントの区別と差異に基づく思考様式としてとらえる。したがって、『オリエンタリズム』の中で言及されている者は、サシやルナンのような専門のオリエンタリストにとどまらずに,アイスキュロス、ダンテ、マルクスフローベール、カミュなどと実に多彩である。古代ギリシアアイスキュロス以来、オリエントは西洋に対する他者のイメージ、それも最も奥深いところから繰り返し現れる他者のイメージを提供してきたし、それによって、西洋はオリエントと対照的なものとして自らを規定してきた。特に、近代になると、啓蒙主義以後に、言語学、人類学、生物学などの諸科学が形成したオリエントに関する言説の網の目によって、西洋とオリエントの差異が強化・拡大されていく一方、西洋はオリエントを政治的、軍事的、文化的に支配していったのである。
 こうした18世紀以後の西洋のオリエントに対する権力の行使の形態としてのオリエンタリズムを説明するのに、サイードはフーコーの「言説」という概念を援用する。近代オリエンタリズムとは、政治的権力、知的権力、文化的権力などの様々な種類の権力との交流の中で、形成されたオリエントに関する言説のことであれその言説を通じて西洋がオリエントに課した規律=訓練である。( A,12,234 )フーコーは、18世紀以後の西洋ほど、性に関する言説が、まさに権力が行使されている場所で、権力の行使の手段として、異常なまで増大した社会はないだろうと言っている。このことはオリエントに関する言説についても言えるだろう。つまり、18世紀末以後の西洋ほど異文化に対する言説を、権力の行使の手段として、増大させた社会はないのである。したがって、近代オリエンタリズムとは、言説の網の目によって、オリエントを威圧し、支配し、再構成し、さらには創造さえした西洋の様式のことである。( A,3 )
 このような西洋とオリエントの関係のあり方は、『オリエンタリズム』の中で何度も使われている representation と represent という語で象徴的に示されている。複数の意味が重なって使用されている場合もあり、図式的には区別できないが、それを一応整理すると、次の様になる。

  1. 表象 西洋がオリエントに対Lて持った像、イメージ、観念。
  2. 表現 自分の感情などを表現しないエジプト人娼婦について、フローベールが彼女に代わって語る。( A,6 )西洋がオリエントについて思索を始めたその当初から、オリエントにできない唯一のことは、自己を表現することであった。( A,238 )
  3. 代理 オリエントには自らを表現、解釈することができないから、西洋がオリエントに代わってオリエントを解釈する。
  4. 代表 ムハンマドのイメージ、キャラグターがオリエントを代表する。もしくは、それにオリエントを代表させる。( A,66 )「セム族Jのような類型概念が、それに属するとされる人々を代表する。
  5. 再提示(再現前化) 啓蒙主義以後、増大していく知識としてのオリエンタリズムの正統性は,先行する学者、権威、詩人などを借用・引用することによって生じた。つまり、過去の規範的なテキスト、過去に描かれたイメージを再提示(再現前化)することで、生じた。( A,177 )
  6. 上演 オリエンタリズムは学問の1つの分野であるが、そこで描かれたオリエントはヨーロッパに属する演劇舞台の外観を呈するようになる。( A,63 )ダンテの『神曲』は、オリエントをヨーロッパのための演劇舞台に取り込んだ。

サイードがオリエンタリズムの中で現れるオリエントを「西洋の学問、西洋の意識、そして時代が下がってからの西洋の帝国の中にオリエントを引きずりこんだ一連の力の組みあわせの総体によって枠づけられた表象の体系( a system of representations )」というとき、これら全ての意味が一体となっている。( A,202 )表象は、言語、文化、政治環境、制度に組み込まれていて、表象する者をしっかりと捕らえており、オリエントに関する知識はこうした「表象の体系」の中で分配・再分配されてきたのである。そして、サイードによれば、オリエンタリズムの歴史において、18世紀後半に表象のあり方が変化し、近代オリエンタリズムが誕生したのである。これはフーコーが『言葉と物』で論じている学問的関心の網の目の誕生と同じ時期である。そして、近代オリエンタリズムの誕生以降、オリエントの事物と民は、西洋の研究によって矯正を受けるべきものとみなされ、西洋の支配の枠組の中に閉じ込められ、またその枠組のもとで表象される存在になったのである。( A,40 )
 ところで、サイードはフーコーの『言葉と物』に大きな影響を受けているが、『言葉と物』での表象論とサイードの表象論にはかなりの違いがある。フーコーの言う古典主義時代の思考では、「存在一般の表象可能性、表象の現前によって顕現する存在」といったことが確信されており、( D,219 )表象と存在をつなぐものとして言語が考えられていた。だから、「われ思う」と「われあり」を結びつけたデカルトの言説は古典主義時代の言語の本質であり続けたので、ある。( D,322 )その思考では、語は諸存在が顕現し、表象が秩序づけられる網の目を形成すると考えられた。こうしたことを前提にして、表象を分析し、共通要素を定め、命名することで、自然の諸存在を明確に示し、それらを同一性と相違性の体系の中に位置づける博物学が成立したので、ある。そして、存在が顕現してくる透明体であることを言語がやめたときに,古典主義的思考は終われ近代の経験が始まったのであり、フーコーはそれを「表象の後退」とか「表象的言説の支配」の終末と呼んでいる。( D,222 )
 このように『言葉と物』では、表象という語が18世紀の古典主義時代の思考様式を表すものとして使用されている点で、『オリエンタリズム』と違っているのだが、それよりも基本的な違いは、サイードが表象の外在性 ( exteriority ) を言うことである。( A,21 )フーコーの表象論で、「存在一般の表象可能性、表象の現前によって顕現する存在」ということが言われたのに対して、オリエントに関する表象の場合には、そこにオリエントの存在が反映されず、表象は存在に対して外在的でしかないとされている。考慮されるべきことは、あるものの存在が顕現している真の表象が存在するかどうかではなくて、表象は、表象であるがゆえに、表象する者の言語、文化、制度、環境に組み込まれているということなのである。( A,272 )例えば、オリエントに関してなされた陳述の妥当性の決定が、オリエントに依存することなく、過去の規範的なテキストの引用でなされたりしたことである。そうすることで、現実のオリエントに即して真か偽か確証されないまま、多くの表象が真理として妥当していったし、また、明らかに誤った表象が繰り返し形成されていったのである。だから、オリエンタリズムとは、「真理とはそれが錯覚であることを忘れられてしまった錯覚」というニーチェの言葉の意味での、「真理の体系」と言われるのである。( A,203 )


サイードによると、ヨーロッパがオリエントに対して政治的・経済的に攻勢になるにつれて表象の範囲が拡大していき、オリエントを可視的にする技術がより科学的になり、より学問的権威を持つようになってきて、18世紀の後半を境にしてオリエントに関する表象のあり方が変化していった。( A,22 )そして、18世紀後半に西洋の学問のあり方が深層のレベルで変化したとする『言葉と物』の影響を受けて、サイードは言語学的にオリエントを見る近代オリエンタリズムの誕生をこの時期とするのである。古典主義時代の思考の終末とともに、経済学、生物学、文献学の3つの学問が誕生するが、サイードの理解によると、近代オリエンタリズムとの関係で最も重要なのは近代文献学の誕生である。フーコー自身も、文献学の誕生は経済学や生物学の誕生よりはるかに控え目なものであったが、その影響は西洋文化の中で、はるかに遠くまで、拡がっている、としているのである。( D,294 )
 フーコーが古典主義的思考の終末と文献学の誕生において大きな役割を果たしたと考えているのはボップによる言語分析である。古典主義的思考は、すべての動詞は唯一の動調《ある》(エートル)に帰着するとし、また、語根は具体的な物や感覚に触れる対象を指示する名詞であるとしていた。このような「古典主義時代の分析に特徴的な名詞と《ある》という動詞の二極性」( D,302 )に対し、ボップの分析が明らかにしたのは、動詞的意味を持つ多くの語根が存在し、動詞の語根は物を示すのではなく、行為や過程や意志を指示しているということであり、また、人称代名詞と動詞こそが言語の本源的要素であり、名詞は行為の過程を静止し凝固させるにすぎないということであった。 ( D,302 )言語は活動する主体の側に根を持ち、人間の意志と力から生じたとするこうした言語分析から生じる帰結は、言語が人間の自由と深い関係があると考えられるようになったということである。それは、フーコーが引用している「言語は人間的なものである。それは、その起源と進歩をわれわれの全き自由に負っている」というグリムの言葉に端的に表れている。 ( D,303 )こうした背景から、後で見るルナンの場合のように、言語とその言語を使用している民族や国家の発達程度を結びつける議論がなされることになるのである。
 さらに、フーコーの分析で、ルナンを典型とする文献学的なオリエンタリズムとの関連があるのは、語根の分析が諸言語の間の「近縁関係 ( par-enté )」の新しい規定を可能にしたということである。 ( D,304 )フーコーによると、古典主義的思考は、全ての言語の間に連続性を認めていた限りにおいて、比較することを基本的には排除していた。ところがボップとグリム以後、複数の言語の直接的な比較が可能となり、体系として存在する特徴の比較から、インド=ヨーロッパ語族とセム語族は基本的に異質で、両者の間には連続性がない体系とされたのである。比較文法、諸言語の語族への再分類、言語の神聖起源の拒否──サイードもこうしたことを18世紀末から19世紀の初めにかけての新しい文献学の成功としてあげている。 ( A,135 )
 サイードによると、この時期のイギリスとフランスの文献学を比べると、フランスの文献学には宗教への挑戦的な姿勢がより鮮明であった。 ( C,273 )言語を完全に人間的な現象と見なし、言語を説明するのに、神のような人間外の力によるのを拒否する傾向がフランスの文献学に顕著だったのである。言語の神聖な起源や最初のエデンの園の言語に対して、文献学的手続きによって創造・構成された祖語の観念(インド=ヨーロッパ祖語、セム祖語)が取って代わった。( A,136 )そして、このような原初的起源を表す類型概念が「近代オリエンタリズムの基礎」( A,234 )を形成することになる。言語をルーツに還元し、そしてそのルーツを人種、精神、性格、気質などと結びつけていくことによって、「セム語族」のような言語学上の一般概念に対して、言語学や文献学に留まらずに、歴史学や人類学のような他の学問においても並行概念が付加されることになっていった。起源を表す類型概念を基礎にして東西の比較がなされるようになりそして、その比較は「西洋と東洋の明白な存在論的不平等と同義なもの」だったのである。( A,150 )サイードによると、オリエントと比較研究を結びつけていったのは、文献学からオリエンタリズムの分野に進んできたルナンである。( A,130 )
 サイードはルナンの業績を解釈する際に、それまであまり注目されてこなかったルナンのセム語研究に力点を置いている。この最初のオリエンタリズム的研究の中で、ルナンはへブライ語、アラム語、アラビア語などのセム語がインド=ヨーロッパ語より劣っていることを学問的に叙述した。ルナンによれば、近代精神を設立したのは文献学者で、あり、また、文献学は近代の優越性の象徴なのだが、 ( A,132 )それに対し、イスラムとアラビア語は、理性に対する憎しみ、進歩に対する敵意を表しているのである。( C,281 ) ルナンはセム族を発展のおしとどめられた民族と見なしていたが、この発展がおしとどめられたというのは、セム族は、現代に生きていようが、決して彼らの起源から逃れることができないということである。ルナンは、近代国家の形成に際して、アムネジア(民族や集団が彼らの過去や伝統を喪失すること)が重要な役割を果たしたと言う。つまり、諸民族や文化がその過去を忘れないと、近代的な国家の統合はあり得ないと考えていたのである。 ( F,143 )セム族の場合、起源の呪縛から解放されないから、近代的に成り得ないということである。起源は神学的で、そこから派生するものを、中心から支配する。 ( B,372 )現代生きている個人も、「セム族」という時間と個別性を超越したカテゴリーによって解釈され、「セム的」本質によって、その言葉と行動が理解可能とされた。このように、「原初的カテゴリー」への「差し戻し(参照 refer back to )」を押しつけることが、オリエンタリズムの規律=訓諌なのである。 ( A,234 )
 また、ルナンは有機的なインド=ヨーロッパ語族に対L、セム語を無機的で発達の阻害された言語とすることで、そうした堕落した言語で書かれている『コーラン』のような聖典には何ら神聖なものが含まれていないことを示そうとした。つまり、ルナンは伝統的な神聖な権威を近代文献学の威力で無力なものにしようとしたのである。フーコーは、文献学の誕生の西洋文化への影響の大なることを言いながら、『言葉と物』では、ルナンには全く触れていない。文献学の誕生の西洋文化への影響を、サイードの意図に即して一言で言うと、ルナンを代表とする近代文献学によって遂行された「神聖な権威の消滅がヨーロッパの自民族中心主義の出現を可能にした」( C,47 )ということになるだろう。近代オリエンタリズムとは、こうして形成された西洋中心主義に基づいて、オリエントに「参照の体系 ( a system of reference )」を押しつけることである。


 ところで、イスラム文明に辛辨で高圧的な態度をとったルナンと対照的なオリエント学者として、サイードは20世紀のオリエント学者マシニョンをあげている。サイードによれば、ルナンとマシニョンはオリエント学者の中で「対立しあう両極」を形成する存在なのである。 ( C,288 )マシ二ョンは、オリエントに対する「憐欄 ( compassion )」( A,271 )を主張し、ルナンのようにオリエントに発達の阻害された文化を見ずに、逆に、オリエントにこそ西洋が失って、再び所有しなければならない真理があるとし、オリエント学はこうした真理の証しになると考えた。マシニョンはこうした立場からルナンの自民族中心主義に反論し、イスラム文明のための不断の闘士となった。( A,270 )マシニョンに見られるこのような「西洋を治癒するものとしてのオリエント」という考えは、ロマン主義オリエンタリズムである。啓蒙主義時代の合理主義に対する反動から、例えばシュレーゲルのように、インドには西洋文化の物質主義と機械論を打破するものがあり、インドによってヨーロッパが再生する、とする考え方が出現した。この「ヨーロッパがアジアによって甦る」という観念がオリエンタリズムの一種とされるのは、それはアジアに対して露骨に抑圧的なものではないが、そこには「極めて陰湿な思い上がり(ヒュブリス)」が潜んでいるからである。というのは、そこで問題にされているのは、「アジアではなく、ヨーロ ッパにとってのアジアの用途」でしかないからである。( A,115 )再生と復活という聖書的イメージと結びついて、啓蒙主義以後、こうしたロマン主義的観念は繰り返されていったが、サイードはマシニョンをこうした伝統に位置づけるのである。
 サイードによると、ルナンとマシニョンの基調は西洋とオリエントの差異であり、その差異を前提に思考したことである。ただ、マシニョンはそれに「憐欄」を付け加えたのである。( C,288 )マシニョンもオリエンタリズムのヴィジョンに捕らわれていて、彼の思考においても、「セム族」という「還元的カテゴリー」が強く支配しており、イスラムとオリエントに古代性が、西洋には現代性が割り当てられた。結局、マシニョンの場合でも、伝統的な「我々」と「彼ら」という差異と二項対立が再生産されているのである。ここで差異に関して言っておくと、西洋中心主義への反省から、様々な文化の多様性・差異を尊重することが主張されているが、それは、それぞれの文化は独自の価値を持っていて、文化間に格差がないと考えられているからである。それに対して、近代オリエンタリズムが依拠し、たえず再生産してきた差異は、あくまで西洋と東洋の格差に基づくものであった。西洋はオリエントに代わって解釈する主体として、一方、オリエントはあくまで西洋に見られる客体、規律=訓練を課せられるべき客体としてある、とされてきたのである。オリエントに対する敵意と共感という違いはありながらも、ルナンもマシニョンも東西の差異に依拠している限りは、両者は「相互に補完しあって」、19世紀以後のオリエンタリズムの歴史を形成してきたと見なされるのである。言わば、両者は「同じコインの表と裏」なのである。( C,288 )だから、ルナンとマシニョンは、オリエンタリズムという1枚のコインの両側として、「対立しあう両極」なのである。ロマン主義オリエンタリズムとは、ルナンの場合のようなオリエンタリズムが裏返されたものである。
 デリダによると、レヴィ=ストロースの民族学は、脱中心化が行われたときに初めて、つまり、西洋文化が「参照の文化 ( culture de référence)」と見なされるのをやめねばならなくなったときに登場した。( E,414 )ここでデリダが言う参照とは、ある1つの中心、ある1つの主体、絶体的なアルケー(始源)などへの参照のことである。デリダによると、レヴィ=ストロースが彼の「神話学」の中で、語っているのはこうした参照を放棄すること、つまり、神話という無中心の構造を持つものを語るのに、起源や中心にまで、遡ることを絶対的に要請するエピステーメーや言語表現を放棄することである。もしそうしなければ、民族学もすべての科学と同様に言語で表現される以上、民族学者が自民族中心主義を告発するその瞬間に、自民族中心主義の前提をその言語に取り入れてしまうことになるのである。サイードがマシニョンに関して言っていることも基本的には同じことである。オリエントに共感を持ち、ルナンの自民族中心主義を批判しながらも、マシニョンは現代オリエントの民を「セム族」という起源に還元することで、「参照の体系」であるオリエンタリズムの思考様式にとらわれたのである。19世紀のヨーロ ッパ人がオリエントについて語れば、「ほとんど全面的に自民族中心主義的だった」( A,204 )と言われているが、脱中心化の進行した現代で、も、オリエントについて語ろうとすれば、言語表現に反省的でないと、西洋の自民族中心主義の前提をその言語と思考の中に取り入れることになってしまう。
 ところで、グリステヴァは『外国人』の中で、古代ギリシアから外国人や異人の問題がどのように取り扱われてきたかをたどり、フロイトによって、「他者、それは私自身の無意識」という認識に至ったとしている。( G ,223 ) クリステヴァによると、フロイトは外国人の問題を取り扱わなかったが、彼の「不気味なもの」から読み取れるのは、我々が外国人を避けたり、外国人と戦ったりする時、我々が相手にしているのは我々の無意識である、ということである。無意識という言葉を使っていないが、サイードも同じ様に考えているのは、「西洋の文化は、一種の代理物であり、隠された自我でさえあるオリエントに対して自分を引き立てることによって、強さとアイデンティティーを得てきた」( A,3 )と言っていることからわかる。原始社会も近代社会も、「我々」は「彼ら」とは違う、「彼ら」ではない、という否定的(ネガティヴ)なやり方で、自分たちのアイデンティティーを確立してきた。( A,54 )「彼ら」とは「我々」の隠された陰画的(ネガティヴ)な自我なのである。グリステヴァは「自分が自分にとって外人であると知らずに、どうして外人を受け入れられょうか」( G,222 )と言っているが、サイードが分析したオリエンタリズムとは、まさに「自分が自分にとって外人であることを知らずに」、もしくは、それを否定することで、自己形成してきた西洋の知の様式のことなのである。
 クリステヴァは、精神分析が発見したこと、つまり、外国人の問題を検討するのは、結局は自分自身を検討することであるという真理で、現代人はやっていけるだろうか、と問うている。現代の複雑な人種・民族問題を前にして、フロイトの魅力的で貴重な発見に一体どんな有効性があるのだろうか。「精神分析は、他者及び自己の異質性への旅となろう。あい容れぬものを尊重するという倫理をめざす旅」。( G,222 )本当に、人聞はこうした旅に出発していくのだろうか。


引用した文献とその略号。

  • A : E. W. Said ,Orientalism,penguin books,1991. 原著は1978年に出版。
  • B : E.W.Said ,Beginnings,Columbia University Press,1985.
  • C : E.W.Said ,the World,the Text,and the Critic,Harvard University Press ,1983.
  • D : M.Foucault ,Les mots et les choses,Éditions Gallimard,1966.
  • E : J.Derrida, L'écriture et la différence, Éditions du Seuil, 1967.
  • F : 青木保『文化の否定性』(中央公論社、1988年)
  • G : ジュリア・クリステヴァ『外国人』 (池田和子訳、法政大学出版局、1990年)

 A 、B 、D 、E の次の邦訳を参考にさせていただき、多くのことを教えられ ました。『オリエンタリズム』(今沢紀子訳、平凡社、1986年)、『始まりの現象』(山形和美他 訳、法政大学出版局、1992年)、『言葉と物』 (渡辺一民 他 訳、新潮社、1974年)、『エクリチュールと差異』(野村英夫 他 訳、法政大学出版局、1983年)の下巻に収められた論文「人文科学の言語表現における構造と記号とゲーム」。

 この論文は大阪カント・アーベント第20回例会(1992年7月11日、大阪大学)での口頭発表に加筆したものである。
(大阪府立工業高等専門学校非常勤講師)