「知のあり方」について──『オリエンタリズム』の視点から 近藤紀宏


              


 
 21世紀を迎え、20世紀を振り返ればまさに「〈西洋〉*1の時代」と捉えることが最もこの世紀の本質を明確にすると考えられる。また、この状況は「知」なるものを語る上でも妥当するだろう。この近代的な「知」とは即ち、前近代的な「神の視点」を越えた「人の視点」から「知」を語ることであり、こうした知の生産様式をいち早く確立した西洋の卓越かこの「知」を語るなかでも見出すことが出来るといえるだろう。
 こうした中で、エドワード・W・サイードが著書『オリエンタリズム』や以後に展開した西洋批判は、この「知」を語る中でも画期的といえるものである。そこで、本稿ではこのサイードの主張を出発点とし、より深く、「知のあり方」そのものについて考察したい。
 以下、第1章では、オリエンタリズムそのものに関する検討を行う。オリエンタリズムはサイードか主張するように、知がひとつの完結し、体系だった様式として規定出来る(第1節)が、さらに、この知の本質がフーコー的な、権力を帯びる知として規定出来る(第2節)ことを論証する。
 次いで第2章では、この権力の体系の知を直接取り扱う「知識人」のあり方についての検討を行い(第1節)、その上で最終的には、ここまでで論証した「知のあり方」そのものに、サイードがオリエンタリズムとして繰り返し批判した構造と同じものが存在していることを明らかにし(第2節)、ここから結論を導くこととしたい。


第1章オリエンタリズムの検討


第1節 サイードの主張

 オリエンタリズムとは、元来はエキゾチックな異国趣味を指していたものであるが、西洋(=オクシデント)の東洋(=オリエント)に対する文化的ヘゲモニーの総体を意味するようになっていったものである。そして、この思想を明らかとすることに対して決定的な影響を与えたのかサイードであり、彼の著書『オリエンタリズム』である。ここでいうオリエンタリズムとは専ら後者の意味で用いるものであり、オリエンタリズム像の正しい理解を得るためには、当然この『オリエンタリズム』で明らかにしようとしたサイードの主張を整理することが必要である。
 では、『オリエンタリズム』におけるサイードの主張とは一体どのようなものであろうか。まず、オリエンタリズムとは、オリエントというものを一元的に把握しつくそうとする学問意欲から生み出された知的な活動の総体である、と規定される。確かに、サイード自身も言及しているように、オリエンタリズムが「もっとも広く一般に認められているのは、学問に関係するもの」*2であり、オリエンタリズムは現在でも「オリエントと東洋人(オリエンタル)に関する学説や命題を展開することによって、なお学問として生き続けている」*3のである。しかし、オリエンタリズムは決して単なる知的な活動にとどまるものではなく、極めて政治的な、あるいは思想的には西洋中心主義的な内容を含んだものである。その理由は、第1に、政治的な観点から捉えると、オリエンタリズムは容易に西洋による覇権主義植民地主義と結びつき、ここから西洋とオリヱントとの関係が形成されていったという事実があり、オリエンタリズムとは「オリエントを支配し再構成し威圧するための西洋の様式」*4に他ならないからである。また、第2に、思想的にも、こうした学問的な蓄積を利用することにより、西洋はオリエントに対して「精密で、かつ正確な情報」を提供する立場に立つことか出来たからである。つまり、西洋の側からにとってオリエントは単なる「対象」とすることが出来るのであるが、もう一方のオリエントの側からの自己表象活動は、その力関係によって、西洋にとって問題とする必要はなかったのである*5。結果として、こうした観察者としての西洋と対象としてのオリエントという構図が固定されることが、西洋のオリエントに対する優位性を生み出し、その結果、近現代の歴史が示したように、西洋による帝国主義か世界を席巻する事態となったのである。
 しかし、この「精密で、かつ正確な情報」は、価値的には中立的なものである。そのため、オリエントの側においても、百科辞典のように、整理された形で示されたオリエント像は、それまで曖昧模糊としていたオリエント像を明らかとするためには非常に魅力的ですらあったために、積極的に受容されたのである。この点について東洋の側から考えると、オリエントがオリエンタリズムの言説を受容することとは、自らのアイデンティティを形成するためにオリエンタリズムを利用したということであり、また、オリエントのアイデンティティが西洋の提供する言説に由来するものであるということによって、オリエントは西洋が存在することで自らの存在を確認することが出来るという関係が形成されてしまうのである。つまり、オリエントが自らを規定するためには西洋の存在が不可欠となるという皮肉な結果を招くこととなり、そのため、帝国主義などで露骨に見られるような西洋の抑圧をオリエント自らか招くことになったと言えるだろう。
 このような、東洋の側にとって、オリエンタリズムがアイデンティティ形成の手段として利用されたという事実は、実は、もう一方の西洋の側においても認められることである。というのも、西洋にとっては異質に映るオリエント──しかし実際には西洋の起源でもある──を異質なものとしてあらゆる形で「対象」とすることによって、西洋とオリエントは別個のものとして分離され、西洋はオリエント起源の可能性を、極めて巧妙な方法で自ら排除することが可能となるからである。つまり、こうした極めて知的な形で「ヨーロッパ文化が、一種の代理物であり隠された自己でありさえするオリエントからみすがらを疎外することによって、みずからの力とアイデンティティーとを獲得した」*6のであり、オリエンタリズムのもつ巧妙さを示すことが出来るだろう。
 ところで、一方で「西洋」「東洋」とは一体どこを指すものであるのか、という問題がまた存在する。サイード自身も指摘するように、オリエントとは観念の上で割り出されたものであって、自然的な事象ではなく、また、単なる場所ではない。しかし、具体的にどこからかオリエントであるのか、また西洋であるのかという問いに明確に答えることは非常に困難である。例えば、日本においては、西洋を語感の類似性や近代化の過程の歴史的背景から、英独仏を中心とした「西欧」地域と同一のものと考える風潮が強く、しばしば混同されることすらある──さすかにアメリカを西洋に含まないということはまず考えられないが*7。同様にまた、オリエントについても、具体的にどこを指しているかについて回答を与えることは困難である*8。つまり、こうした「西洋」「東洋」という区分は実体として存在するものではなく、観念の上に成り立つものである。
 しかし、サイードはオリエンタリズムを捉えていく際に、いくつかの限定条件を挙げているが、その第1点として、「オリエントか本質的に符合する現実をもたない観念、あるいは創られた想念であった、などと断定してはならない」*9としている。また、第2点として、「オリエンタリズムは虚偽と神話からできあがったものにすぎず、もしこの事実か語られるならば、虚偽と神話は一挙に吹き飛んでしまうなどと、絶対に考えてはならない」*10としており、サイードはオリエンタリズムに関する議論が決して単なる観念の次元のものではないことを重ねて強肩している*11
 というのも、その理由として第1に、オリエンタリズムは実際に東洋に対する政治的・経済的そして思想的な理論及び実践として存在し、大きな影響を与えているという事実か挙げられるだろう。また、第2に、オリエンタリズムは単に、オリエントにおける知的な真理の総体とするよりも、オリエントに君臨する、極めて西洋的な権力を表象するものとするほうがより現実に対応する捉え方であるからである。さらに、第3には、このように捉えられるオリエンタリズムは本質的に、その目的が意図的であるかどうかに関わらす、ひとつの「知の様式」として規定することが出来るからである。つまり、オリエンタリズムとは単なる観念上のものではなく、知的な活動の総体かオリエンタリズムの本質なのである。よって、オリエンタリズムとは「知の様式」である、と言えるだろう。


第2節 権力を帯びる知

 前節では、『オリェンタリズム』の主張を整理することを目標としてきたが、その中で、オリエンタリズムとは「知の様式」の1つであると規定出来ることが明らかとなった。しかしながら、オリエンタリズムをこのように「知の様式」と捉えることに関して、問題がない訳ではない。というのも、ここでいうオリエンタリズムのコンテキストにおける知の本質とは何なのか、という問題が大きく残されているからである。そこで、本節ではこの問題について取り組むことになるが、サイードは、このオリエンタリズムを理解しようとしたり、より正確に捉えようとしたりする際には、ミシェル・フーコーが説明するディスクールの概念を援用することが不可欠であるとしている*12。つまり、ディスクールとしてのオリエンタリズムという側面からオリエンタリズムを掟えること、換言すれば、オリエンタリズムを多くのオリエンタリストか残した膨大な言説の総体として捉えるということが必要なのである。具体的な方法として、サイード自身が直接主題としなかったフーコーの権力論を視野に入れ、オリエンタリズムのコンテキストにおける知の本質とは権力性を帯びたディスクールであることを論証していきたい。即ち、オリェンタリズム理解をより鮮明なものとするために、オリエンタリズムが「権力を帯びる知|であると明確にしていきたい。
 ただし、具体的な論証に入る前に、ここで用いる権力というタームがフーコーのコンテキストで用いられるタームであることははっきりさせなければなるまい。即ち、権力とは「排除する」「抑制する」「取締る」「抽象する」「隠蔽する」といった極めてマイナスのニュアンスを含んだものではなく、現実的なものを生み出すものである*13。換言すれば、権力とは何よりも主体同士の関係を規定する力、あるいは現実を生み出す力そのものなのである。
 つまり、権力そのものは悪であるとか、善であるとかといった価値を持つものではない。権力が価値を伴うということは、この権力がいかにマネージメントされるかにかかっており、その結果として価値が伴うものなのである。さらに、権力とは「内から働く力」として捉えられるものであり、外部から働く力として捉える従来の視点とは決定的に異なっている。そして、このようにして捉えることによって、社会のあらゆる局面における関係──例えば学校や会社の諸制度、さらには教師と生徒、男性と女性の関係など──か考察出来るのである。また、こうした権力が形成される契機としては、対象となる主体に対して「規律=訓練」( dlscipline )を加え、監視の対象とすることによって支配=被支配の関係が形成される、と説明される構図が与えられる。そして、この構図の中で対象は「訓育されるべき、もしくは再教育されるべき、さらに分類されるべき、規格化されるべき、排除されるべき」*14事例とされ、このような構図の中で権力関係は形成されるのである。
 では、実際にオリェンタリズムという「知の様式」に対して、この枠組みを適用してみよう。まず、「オリエンタリズムそのもの」が権力性を帯びたものであるという説明は、サイードがその著書で明らかとする説明──観察者としての西洋と対象としてのオリエントという構図が形成され、固定されたことによる──から容易になされるであろう。即ち、西洋のオリエンタリストたちがオリエントに関する様々な言説を残し、整理し、ここからさらなるオリェントに関する言説か再生産されるという循環過程によって、オリエントは西洋の監視のもとにおかれたのである。換言すれば、オリエンタリズムとは西洋がオリエントに対して規律=訓練を加えるために、オリエントを「再教育するため、さらには分類し、規格化し、排除し」たものであると言えよう*15。また、オリエンタリズムに対するもう1つの限定条件、すなわち「観念や文化や歴史をまともに理解したり研究したりしようとするならば、必ずそれらの強制力──より正確に言えばそれらの力の編成形態(コンフィギュレーション)──をもあわせて研究しなければならない」*16という条件に関しても、このフーコー的な権力論を援用することが、オリエンタリズムに対する十分な説明となるだろう。
 しかし、この説明では依然として「知の様式」としてのオリエンタリズム、すなわち、ディスクールとしてのオリエンタリズムが権力性を帯びるという構造を明確にしたとは言えまい。そこで、以下において、問題の焦点を、「ディスクールとしてのオリエンタリズム」に対してフーコーの権力論を絞ることによって、オリエンタリズムが「権力を帯びる知の様式」であることをより明確にしたい。
 前述の通り、オリエンタリズムディスクールとして規定できることは明らかであるから、ここで、オリエンタリズムを形成する多くのオリエンタリストたちの膨大な言説そのものについても注目する必要があるだろう。もっとも、ここではサイードが行ったようなオリエンタリストの著作そのものを検討するということではない。ここで問題となっているのはディスクールとしてのオリエンタリズムであって、個々のオリエンタリストの言説そのものではないからである。そして、このようにディスクールとしてオリエンタリズムを捉えることによって、「知の構成要素」そのものをより細かく捉える視点へと到達することが可能となるのである*17。すなわち、ここに至ることで問題は、オリエンタリストたちの個々の言説においてオリエンタリズムとして主張された内容から、オリエンタリズムヘと至る過程、すなわち形成過程を問題とすることへと移行するだろう。
 また、知がどのようにして成立するか、換言すれば、知の形成過程そのものを考察する必要もある。しかし、この疑問に対して回答を与えることに対して困難は生じないだろう。というのも、知とは何らかの事象に対して、その事象を対象として設定し、分析し、記述し、再配置することで成立すると簡単に説明できるからである。つまり、知とはある対象を「分類し、規格化し、排除」するということに他ならない。また、このような説明が成立するとき、知の形成過程そのものもオリェンタリズムか形成される際に行われる規律=訓練の過程と同じものてあるということに至るのである。つまり、オリエンタリズムにおいては、オリエントのある事象が対象として設定され、分析され、その結果を記述され、その内容か再配置される、すなわちオリエントが「分類、規格化、排除」されると説明されることであり、両者で説明される構図は、過不足なく符合するものである。そうすると、知は形成される段階において既に何らかの目的を持った形での規律=訓練を受けており、また、監視される対象として存在していると言えるだろう。そして、このように説明される知の様式はフーコーが権力を帯びる契機として示したものそのものであり、また、ここから現実の社会や政治に対しての影響が生み出されていくということは、フーコーの捉える権力そのものである。さらに、オリエンタリズムの評価が普通に言われるような抑圧や暴力的であるといったものであることも、権力のマネージメントの結果という観点から説明することか出来るだろう。よって、オリエンタリズムのコンテキストにおける知の本質が「権力を帯びる知」であると考えることが出来るのである。
 以上、オリエンタリズムが「権力を帯びる知」の総体として規定出来ることを示してきた。


第2章 「知」とは何か

第1節 知識人のあり方

 第1章では、オリエンタリズムに関する検討を行ってきたが、その結果、第1に、オリエンタリズムが「知の様式」として規定できることを、第2に、その知の本質が「権力を帯びる知の様式」であることを論証してきた。しかしながら、このように知が権力を持つということであれば、何らかの形で知を扱う者は誰しも、知を取り扱おうとする際には、常に注意を払わなければならないだろう。そうすると、この知の取り扱い方、さらには知そのもののあり方か新たに問題となってくるだろう。
 また、サイードはオリエンタリズムを通して、こうした「権力を帯びる知」となる知のあり方を徹底的に批判したということが出来るが、サイード自身の活動も、「知のあり方そのもの」を問うことに関する話題へと向かっている。その中でも、サイードは知識人のあり方を焦点として考えており、実際に『オリエンタリズム』の最終部において以下のような問いを投げかけている。

「知識人の役割とは何であるのか。知識人とは、彼が属している文化や国家を正当化するために存在するものなのだろうか。知識人は、独立した批判意識、つまり対立的批判意識にどれだけの重要性を付与するべきなのだろうか。」*18

そして、この問いに対する回答として、サイードは『知識人とは何か』という書物を著していると考えることが出来、ここから知識人と呼ばれる人々、更には知を扱うもののあり方について考察することとする。本節の目標は、第1に、サイードの主張を明らかとすることであり、第2に、第1の目的に到達するため、サイードが目指している知のあり方を明確にすることである。ところで、本稿において、知識人論を通して知のあり方について一定の見地を得ようとする理由は、知識人は知に関して最も深く、また直接に関わるだけに、知識人について考察することは、知の取り扱い方、さらには知そのもののあり方を考えるための有効な手段であると考えられるからである。
 では、実際にサイードの『知識人とは何か』について検討することにする。サイードにとって、知識人たる者の目的は明確であり、それは「自由と知識をひろげること」*19である。しかし、一見自明とも思えるこの主張さえも、達成されるためには多くの困難を伴っているのである。
 一方、サイードによって知識人に求められるあり方は、大きく捉えると3点こなるだろう。第1点は「社会の中で特殊な公的役割を担う個人である」(強調引用者)*20ことである。第2点は、サイード自身が「知的亡命」と譬える状況に立つこと、すなわちアウトサイダーとして存在することである。そして、第3点は「専門主義(プロフェッショナリズム)」ではなく、「アマチュア主義(アマチュアリズム)」と呼ばれる立場に立つことである。
 ところで、こうしたサイードの主張の根拠としては、3つの観点からの説明が可能であると思われる。第1点は、この『知識人とは何か』からの説明である。第2点は、サイード自身の経歴からの説明である。第3点は、『オリエンタリズム』の批判から導かれる説明である。そこで、以下において、これらの観点からの説明を順に行うこととする。

(1)「知識人とは何か』からの説明
 サイードが目指す知識人とは、サイードの批判の対象となる現在の知識人のあり方を克服する知識人のあり方であるとも言えるだろう。そこで、現在の知識人かおかれている状況をサイードに沿って検討することとする。
 サイードは現状の知識人について考察する際に、「独立し自律したかたちで、仕事をまっとうする知識人は存在するのだろうか、あるいは存在しうるのだろうか」*21という問いを発するところをその出発点としている。しかし、サイードはこうした知識人の存在には否定的てあり、ここには知識人が直面している「専門主義(プロフェッショナリズム)」という状況が存在し、これが問題であるとしている。すなわち、知識人には現在、専門分化・エキスパート制度・権力に近い立場に置こうとしたり、あるいは政府の立場に屈服させようとしたりする圧力がかかっていて、「このような専門家の立場、つまりもっばら権力に奉仕し、権力からおこぽれを頂戴しようという立場」*22からの誘惑に多くの知識人は敗れ去っているのである。そうして、知識人は自らか深く関わる問題に関してさえも、見ざる聞かざる的な態度をとる習慣に陥ってしまい、サイードか「きわめつけの墜落」*23と強く非難するような、現在の知識人か生み出されてしまうのである。
 こうしたサイードの批判した知識人像は、インテリジェントとしての知識人像と符合するだろう。それゆえ、こうした知識人のあり方を克服する方法としては、インテレクチュアルとしての知識人となること、換言すれば、一連のプロセスを排除できる形のプロセスをとることであると言えるだろう。すなわち、第1に、知識人は権力の外倒に立って発言することか必要である。第2に、なんらかの機関に属した形ではなく個人として、自己の発言そのものに責任を負って発言することが求められる。そして、第3に、専門家としてではなく、幅広い分野──いわゆる「専門」の領域以外の分野──において、幅広い観点に立った発言が求められる。
 以上のように考えると、このプロセスを実践するためには、サイードが示した3つの主張を踏まえることが必要であると言えるのである。

(2)サイード自身の経歴からの説明
 サイードが求める知識人のあり方は、サイードがたどった経歴から説明することも可能であると思われる。そこで、サイードの経歴を追うこととする。
 サイードは、1935年にイェルサレムで生まれたアラブ・パレスティナ人である。その後、カイロに移り、同地のヴィクトリア・カレッジなどで教育を受けた後、1950年代初め、アメリカ合衆国へ移る。そして、プリンストン大学、ハーヴァード大学で学位を取得し、現在はコロンビア大学の英文学・比較文学教授であり、アメリカ合衆国市民である。
 このようなサイードの経歴をみてくると、彼が「故郷を持たぬ者」であることが分かる。その意味で、アウトサイダーとして存在することを自身が比喩的に用いている「知的亡命」はサイードには文字どおりの「亡命」であり、サイードは容易にこの立場に立つことか出来たと考えられる。しかも、サイードはアメリカ市民であるが、パレスティナの権利闘争には精力的に参加しており、例えば「亡命」パレスティナ人の議会であるPNC(パレスティナ国民議会)の議員として活動したり、インティファーダ闘争に関するアメリカ合衆国の政策を批判するなどしたりしている。一方、アメリカ政府のコンサルタントとなる活動は一切行っていないなど、権力の外側に立つアウトサイダーとしての存在を首尾一貫している。このようにサイードは自身の立場を実践し、これを理論化していると考えられるのである。

(3)「オリエンタリズム』の批判から導かれる説明
 サイードがこのような知識人観に至った背景には、『オリエンタリズム』で批判した「権力を帯びる知|を克服するための理論的帰結があるという説明も出来ると思われる。すなわち、当然のこととして、徹底的に批判したオリエンタリストのとった立場から脱却する必要があり、サイードにはその手段を提示することか求められるからである。
 確かに、『オリエンタリズム』において、多くのオリエンタリスト達の目的は学問的にオリエントを一元的に把握しようとすることであった。しかし、こうした営みはオリエントを対象として固定化し、西洋の支配下に置くという結果をもたらした。その原因は、正に知に権力を付加させていったということであるが、サイードにとっては知か権力と結びついた形で語られることは、何よりも墜落した知の形なのである。
 よって、オリエンタリズムを克服するためには、第1に、権力を離れた場所から発言することが必要となる。また、第2に、オリエントの専門家、すなわちオリエンタリストの立場として語ることは、オリエンタリストが既に権力者である以上許されない。そのため、アウトサイダーの立場、換言すれば部外者の立場に立つことが必要である。このように、サイードか求める知識人像はこのオリエンタリズムを克服するための方法であると考えられるとも言えるのである。

 以上、サイードによって知識人に求められるものが前述した3点であるということを論証してきた。
 しかしながら、ここまでのサイードの主張にも未だ大きな問題か残っており、このことについて考察しなければならないだろう。即ち、知識人として表象される人々とはどこまでの範囲なのかという問題である。実際、この問題は、一般に知識人について考える際にも常に問題となるものである。そして、サイードの知識人諭を理解するためにもまた同様であるが、サイードの知識人論においては、一般に知識人について考える以上に、より重要な問題である。というのも、第1に、サイードの捉える知識人の範囲は普通に言われる知識人の範囲よりも広いと考えられ、またそう捉えるべきであるからであり、第2に、サイードが主張する知識人のあり方も、この普通に言われる知識人観よりも広い範囲であるという点においてこそ、深い意義を見出すことが可能となるからである。
 実際にサイードが視野に入れる知識人の範囲は、現在普通に言われる学者・ジャーナリスト・政府の専門家・有識肴なとを越え、より広い範囲を指していると考えることか出来る。しかし、これは「知の大衆化」や「知の商品化」を求めるべきであるという動きとは全く異なった理由によるものである。というのも、サイードは現在知識人に求められる仕事を行う人として「知識人であることと、大学教師であったり、例えばピアニストであることとは、なんら矛盾しない」*24と明言しており、知識人の範囲を狭く考えるのではなく、広く考えていると言えるからである。また、サイードも指摘するような、現在の知識人のあり方に問題を見るならば、当然この立場を脱却して新たな立場を構築することが求められるからである。つまり、サイードの知識人観を広げて考えるべきであるという本稿の主張は、サイードにとっての、こうした新しい立場の1つの様式として考えられたものである、と言うことも出来るのである。
 また、サイードがこの『知識人とは何か』で問題とし、批判の対象としている知識人は、前述したようにインテリジェントとしての知識人である。つまり、サイードが大学のあり方について論じたり専門用語か持つ問題性について論じたりするときには、批判対象であるインテリゲンチャやインテリジェントとしての狭い知識人たけではなく、より広く、あるべき形のインテレクチュアルとしての知識人を念頭に置いて考えなければならない。その点で、知識人をより広い範囲──何らかの形で知を扱う者──に拡大して考える必要があるという本稿の主張とも符合すると言えるだろう。さらに、オリエンタリズムの検討から明らかとなったように、知が権力を持つ可能性がある以上は、普通は知識人とは言われることはなくとも何らかの形で知を扱う者は、権力構造が知そのものから発生することを自覚しなければならないだろう。というのも、知を扱うということの危うさが、オリエンタリズムの成立過程から明らかになったと考えられるからである。それゆえ、サイードか求める知識人のあり方を普通に考えられる知識人一般に限定せず、何らかの形で知を扱う者全てにまで拡大して考えなければならないだろう。

 このように、知識人の範囲を普通に考えられる範囲から拡大して、広く何らかの形で知を扱う者一般とすることは、サイードの知識人論がいわゆる知識人論としての価値を持つと同時に、それ以上に「知のあり方」そのものを問う際の大いに有効な回答とすることとなるだろう。また、ここから本稿の最終的な目標である「知のあり方」そのものの考察へと向かうことが出来るだろう。


第2節 「知のあり方」について

 本稿では、ここまで『オリエンタリズム』『知識人とは何か』を週してサイ一ドの主張している内容そのものと、サイードの主張から導かれる「知のあり方」とはいかなるものであるかという問題に対する検討を行なってきた。とはいえ、ここまでで論証された「知のあり方」はあくまでもサイードの主張であり、この段階で広く一般的な「知のあり方」とすることはいささか早急に過ぎるであろう。つまり、本稿で求めるような、広く一般的な形で語ることの出来る「知のあり方」を明確にするためには、ここまで検討してきたサイードの主張から導かれる「知のあり方_が成立する条件について考察する必要がなお残っていると言えるだろう。
 そうすると、実際にサイードの主張から導かれるような「知のあり方」を成立させるための条件がどのようなものであるか検討するために、改めて知そのものの性質を考えること、すなわち、知か作られる過程について考えることが必要であるだろう。しかし、この過程は既に明らかとしたものである。すなわち、知は何らかの事象に関して、その事象を対象として設定し、分析し、記述し、再配置することで成立すると言えるのである。また、サイードが明らかにした、オリエンタリズムが形成される過程も、オリエントのある事象かオリエンタリストたちによって対象として設定され、分析され、その結果を記述され、その内容が再配置されるというものであり、知の形成過程と同じ構造を持つことは前章で論証したとおりである。
 また、このように知を形成する過程は、サイードが『オリエンタリズム』『知識人とは何か』から主張した内容に関しても、そのまま適用することが可能である。すなわち、サイードはまず批判すべきものとしてオリエンタリズムを対象としており、このオリエンタリズムというものがいかなるものであるかを分析し、その結果として明らかになった事柄を記述し、この内容を「再配置」することでオリエンタリズムに対する批判を形成しているのである。そして、ここからさらにオリエンタリズムにおいて批判されるべき本質にあるもの、すなわち「知のあり方」を検討するために知識人を対象とし、この知識人というものがいかなるものであるかを分析し、その結果として明らかになった事柄を記述し、この内容を再配置することで知識人が「知的な形」で語り得る対象となり、ここから「知のあり方」に関しても語ることが可能となるのである。
 確かに、このような形で形成され、語られるサイードの主張は、一見した限りにおいても強い説得力を持っていると言えるだろう。実際、その批判の内容も根拠も近代西洋の様式そのものに対して非常に厳しいものである。しかし、前述したような、サイ一ドの主張が形成される過程と知の形成過程そのものと全く同じ過程であるという事実は、サイードの主張するような「知のあり方」を成立させることを根本的に困難なこととするのである。というのも、サイードかオリエンタリズムを批判したり、あるべき知識人像を求めようとしたりする際のプロセスと、知が形成されるプロセスが同じものであると考えられるということは、サイードの立場がオリエンタリズムで見られたオリエンタリスト──こともあろうか、サイードの批判はまさにこのオリエンタリストの残した言説である──の立場と同じものでしかないという、サイ一ドの一連の主張にとってはまさに決定的な問題を指摘することが可能であるからである。これを換言すれば、サイードの批判──つまりオリエンタリズムとは「権力を帯びる知」であるということだが──が批判として成立するものであるとき、サイード自身が展開したオリエンタリズム批判も「権力を帯びる知」となってしまい、このオリエンタリズム批判のディスクールが、単なるサイードの主張という域を越えてオリエンタリズム批判の根拠という「権力の表象」となるという、オリエンタリズムと同じ構図を持つ可能性があるということなのである。
 このように、サイードが主張するような「知のあり方」が成立する条件を知の成立過程そのものから考えると、知とは対象を「分類、規格化、排除」することで成立する、すなわち知とは、対象に対して規律=訓練を施すことで成立するというフーコ一の理論を援用したサイードの捉え方は、サイードの主張の中にも内包されているのである。つまり、サイードの立場は依然として「オリエンタリズム』で批判の対象とした多くのオリエンタリストの立場と同じ段階でしかない。つまり、この「知のあり方」が成立する条件とは、サイードが語る次元をも乗り越えていかなければならないということになるだろう。


結び

 サイードか批判したオリエンタリズムや、知識人像を軸とした、『オリエンタリズム』以後の近代西洋的な「知のあり方」に対するサイード自身の考察は、私かその主張を整理していく中で、近代西洋に対する実に厳しく、また、説得力を持つ批判であると思われた。実際、サイードの批判する内容そのものの価値は、現在でも少しも減じているものでもなく、未だに残る、あるいは強化されてさえもいる近代西洋的な様々な抑圧──これこそかオリエンタリズムなのであるが──を克服しなければならないことを強く訴えていると言えるだろう。それゆえ、サイードの主張は多くの人々が賛同するところであり、現在でも人文諸科学の分野の文献だけてなく、社会科学の分野の文献においてさえもサイードに関する言及をあちらこちらで見ることが出来るのである。しかし、実際にはこうしたサイードの主張が社会における主流とはなってはおらず、この原因はどこにあるのだろうかという疑問もまた私の中には大きな問題であった。
 確かに、たとえサイードの主張がどれほど優れているとしても、急激に社会に対して影響を与えることは困難であるだろう。また、サイードのイスラム理解に限界かあるという事実にも*25、サイードの限界があるということが出来るだろう。しかし、この問題への回答は、本稿においてここまで検討してきたサイードの主張そのものに、正確にはその主張へと至る論理的なプロセスの中に根本的な問題が内包されているからであると、ここまでの本稿の考察から考えられる。すなわち、サイードが批判を展開する方法と、批判の対象としたオリエンタリストか学問的に展開した方法に同じ方向性を見出すことか出来るのである。つまり、サイードの主張も、その主張が与える影響が大きい──換言すれば、規律=訓練が及ふ範囲か広い──ほど「権力の表象」となってしまうという問題を孕んていることが最大の原因なのである。そして、この論理的な帰結に至ることで、本稿のそもそもの目的と、サイードの限界についての回答に同時に答えることが可能であると思われるのである。
 さらに、このサイードの主張にも限界があるということには次のような、一見冷酷とも言える論理的帰結に至る可能性があるだろう。そして、それは以下のように言うことが出来るだろう。すなわち、サイードが展開したオリエンタリズム批判も「知のあり方」についての議論も、そのプロセスにおいて、自らが徹底的に批判したオリエンタリズムを形成してきたオリエンタリストのプロセスと同じ構造を内包している。そして、このプロセスというものか、近代西洋が取り続けてきた知の形成過程、換言すれば、人間の視点に立って語られた近代的なエピステーメーに基づいた知であり、このプロセスを取り続けることで形成された知、すなわちほとんどの学問的な知は「権力を帯びた知」となってしまう。つまり、オリエンタリズムとしてサイードか批判したり、あるいはサイード自身も抜けることが出来ないでいたりする、この近代西洋の様式を克服することこそか本当に求められる「知のあり方」なのである、と。
 確かに、この近代西洋の様式をどうやって克服するのか、という問いは依然として残されるだろう。しかし、このようにサイードの主張を検討することで明らかとした知に関する事柄から、少なくとも、第1には近代西洋の様式そのものが問題の多い、批判されるべきものである、と言えるだろう。また、第2にはサイード自身の考察の中には、既にサイード自身か批判した要素か内包されているのではないか、と考えられるのである。

*1:この「西洋」とほぼ同じ意味を表す「西欧」という語も存在し、あまり明確な区別をされることがなく使用されているが、本稿では地理的概念としての意味を強く表す「西欧」ではなく、観念として形成されたものという意味をより強く表す「西洋」に統一することとする。

*2:エドワード・W・サイード『オリエンタリズム』(板垣雄三杉田英明監修、今沢紀子訳、平凡社、1993年)、上巻19ページ。

*3:サイード『オリエンタリズム』、上巻20ページ。

*4:サイード『オリエンタリズム』、上巻21ページ。

*5:サイードによると、マルクスも『ルイ・ポナハルトのブリュメール18日』のなかで、公然と「彼ら:東洋人]は、自分で自分を代表することができず、誰かに代表してもらわなければならない」と言っている。サイード「オリエンタリズム』、下巻213頁。

*6:サイード『オリエンタリズム』、上巻22ページ。

*7:山本雅夫『ヨーロッパ「近代」の終焉』(講談社、1992年)、68〜71ページ。

*8:もっとも、『オリエンタリズム』で問題とされるオリエントとは、インド、日本、中国、その他の極東地域についてはその重要性を認めつつも除外し、千年にわたって西洋にとって東洋を代表してきたアラブ及びイスラム圏とされる。サイード「オリエンタリズム」、上巻49〜50ページ。

*9:サイード『オリエンタリズムJ、上巻25ページ。

*10:サイード『オリエンタリズム』、上巻28ページ。

*11:サイ一ドはこのほかにもう1つの限定条件かあり、オリエンタリズムに関しては3つの限定条件かあるとしているが、このもう1つの条件に関しては第2節で言及することになる。

*12:サイード『オリエンタリズム』、上巻22ページ。

*13:ミシェル・フーコー『監獄の誕生一監視と処罰』、196ページ。

*14:ミシェル・フーコー『監獄の誕生一監視と処罰」、194ページ。

*15:サイ一トは『オリエンタリズム』のなかで、この規律=訓練という用語を多用しており、自身の議論を展開するためにフーコーの議論を利用していることは明らかである。サイード『オリエンタリズム』、上巻22ページなど。

*16:サイード『オリエンタリズム』、上巻26ページ。

*17:このことは、フーコーのとった方法論、微視的視点に立った考察とも合致する。また、優れたフーコー論を展開したドゥルーズは、フーコーの分析を「ミクロ物理学的」と評している。要尚中『オリエンタリズムの彼方へ』岩波書店、1996年)、30ページ。

*18:サイード『オリエンタリズム』、下巻281ページ。

*19:サイード『知識人とは何か』(大橋洋一訳、平凡壮、1995年)、42ページ。

*20:サイード『知識人とは何か』、33ページ。

*21:サイ一ド『知識人とは何か』、108ページ。

*22:サイード『知識人とは何か』、135ページ。

*23:サイード『知識人とは何か』、154ページ。

*24:サイード『知識人とは何か』、115ページ。なお、サイードは自身ピアニストであり、音楽論として『音楽のエラボレーション』(大橋洋一訳、みすず書房、1995年)という著作を著している。

*25:稲永繁美「オリエンタリズム諭──異文化理解の限界と可能性」(「イスラームを学ふ人のために』世界思想社、1993年)、283ページ。