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魚を抱えた恵地寿様 武盾一郎/丸川哲史(聞き手)

丸川 新宿西口でダンボールに絵を描いてからの話だけど、その後、震災後の神戸のコミュニティー(震源地)で描くことになった。平行して、ラブホテルやライブ・イヴェントなんかでも描いていたよね。武さんは、絵を残すタイプではないみたいだったけど?

 ほとんど残っていない。当時僕はできあがった絵は死体だと思ってたんだ。絵とは描いている過程にしか価値はないと思ってた。だからライヴ・ペインティングにこだわったんだ。そんで世の中に現存できない絵をずっと描いてきたんだけど、分かってるくせに落ち込んじゃうんだよね。気がついたら僕の絵は何処にもいないって……。

丸川 描いては消える、ということを繰り返してきたんだね。

 最初は一瞬にして消えるものが永遠だと思ってたんだけど新宿で描き続けて2年目、逮捕された後から少し変わってくる。それまでは自分が全てを破壊できると思ってた。でも拘留生活の中で、体制が人1人握り潰すなんてその気になればわけないことだって痛感したんだ。1人でいきがってたけど、まるで勝ち目ナスなんです。だから長期戦で考えた方がいいと思うようになった。10年かけて復讐してやる、という感じかな。

丸川 それはどういうこと? 今は引きこもってるみたいだけど、そこに「長期戦」があるの?

 動きそのものが考えだったんだけど、絵そのものに動きを入れるというか。新宿が面白かったのは、絵そのものよりも、新宿に描きに行ったということだよね。描きに行ったという行動を絵の中に封入したいということ。
 僕は精霊と呼んだんだけど、新宿で生まれて初めて目に見えないものを感じてしまったということが僕の運のつきなのね。そこからずっと精霊を求めてるわけ。神戸にも東大駒場寮にも、車で放浪したりするのも、それを求めるためなんだよね。巡礼っつーのかな。新宿にいたときホームレスの人たちとはあんまり話をしなかった。絵だけを描くんだ、という意気込みだった。だからこそ受け入れてもらったんだと思うし、そんなもの(精霊)を感じちゃったのかもしれない。で、神戸には精霊がいないということに気がついた。何かはあったかもしれないけど。

丸川 神戸では、そこに住んでいる人や支援者なんかと、ある種のせめぎ合いがあったようだけど? そのせめぎ合いは、プラスになったの? マイナスだったの?

 神戸に行っててすごく思ったのは、長田町が一番ひどかったでしょ。で、結局復興の名のもとにコミュニティが解体されていく。なんかそれが哀しかった。被差別者集落が表面上消えるわけなんです。皮肉な事に行政が解放した、って側面を持ってしまう。世の中は組合や市民団体が言ってるような単純な仕組みじゃないってつくづく思った。 六本木ヒルズもかつては貧民街だったそうなんです。六本木ヒルズというアメリカ型資本主義の象徴が貧民集落を解体させてしまう。常にコミュニティは解体されていく。ばらばらになっていく。
 そこでめぐりめぐって、精霊そのものを描くことになっちゃう。僕の描く下層精霊集落は解体されないんです。元気に独自に生き抜いてるんです。今描いてるのはそれね。描いてる場所は団地だけど、ここに精霊が居るワケじゃない。ここに来たくて来たわけじゃなくて、ここしかなくて。昔は若い人が多かったけど、今は老人が圧倒的に多い。ある意味ここは解体されていない下層民集落、公団住宅なんです。
 車に暮らしてた頃、東北地方でウロウロしてたことがあって、青森の誰もいないようなところで、月明かりに照らされた花があって、自分から発光しているように見えたんです。それが精霊かなって感じたんです。うっすらと微かにだけど、自らの力で光を放っている。凛とした力強さ、儚げだけど何だかしっかりした存在感があるような。そんな感じ。新宿で感じたものとは同じじゃないけど、似たようなものかな。小さいけど弱いわけじゃない。で、そこから植物へ興味が行くようになったんです。

丸川 時代状況の変化もあるし、武さんの内部での深化というものもあるよね。

 21世紀は明るくなるはずなのに、ここまで来ちゃったのか、というのはある。1995年からの出来事はオウム事件とかあるけど、それらはみんな地下からにゅっと出てくる感じで、要するにアンダー・グラウンドだったんだよ。でも、ニューヨーク・テロの時は空から地球を覆うような憂欝というのを感じた。もう逃れられない。

丸川 何かあればまたどこかへ行くの?

 今は意識的に行かないようにしているところはある。常に社会間題との接点は求めるんだけど、反戦デモとかは行かなかったし。

丸川 ニュースとか見て、どう?

 人間の盾なんかが揶揄られてたけど、あれは勇気があると思った。デモなんかは違う視点とか違う考え方が訪れないと、厳しいと強く感じたのね。ニューヨーク・テロからイラク戦争までを見ると、アメリカ型資本主義はもう斜陽なんだって思った。アメリカという国は滅びないかもしれないけど、アメリカ的なものはもうダメだと感じたんですよ。だからあんなに必死になって醜くくて残酷なことをする。で、なんで日本はアメリカにヒステリックなまでに追随するのか、ホント信じらんない。

丸川 そういったことは、具体的に絵として出来ているの?

 今描いてる絵の元になってるのが『古事記』なんです。イザナギイザナミが最初に産んだ子供がヒルコなんですが、骨の無い奇形児だったんで、葦船にのせて捨てられるんです。その捨てられた世界を描きたい。捨てられたからといって、そう簡単に死なない、捨てられた過去なんてまるで関係なかったように、今も元気に生さてる。それが一番のテーマ。疎外された存在がシステムに対して攻撃をかけるというより、勝手にそこで元気に生きてしまう姿を描さたい。別に『古事記』に神秘性を求めてるんじゃあないんです。
 『古事記」にはヒルコがその後どうなったかは出てこないんだけど、中世になって、恵比寿(蛭子)様として民俗信仰となって、海から帰ってくるんです。魚を抱いて。『古事記』というのは体制側が作った物語で、そこでヒルコは抹殺されるんだけど、500年くらいたって、庶民が復活させるんです。しかも七福神になって。僕は、そうだな、と思う。またそこから500年くらいはたってるから、また出てくる。そこを狙ってるわけだ。(笑)

丸川 それはいい話だ。(笑)

 だから、意外と庶民の保守性はしぶとい。日本はお上の都合でお上から政治が変わってって、逆に庶民がいにしえのものを残しておくという、不思議な構図がある。それが面白い。捨てられた存在が、独立して元気に生きている。しかも、めでたいものになる。
 今僕の活動場所はストリートではないけれども、テーマは一貫して主流から排されたものなんですね。ストリートをもう少し抽象化すると、僕の場合、捨てられたもの(管理外)、だったということになる。
 『古事記』も面白いけど、江戸時代にたくさんあった先代文字の偽書、例えば『秀真伝(ホツマツタエ)』というのがある。これも面白い。そこの字宙観は、この宇宙は子宮で今の僕達は妊娠過程で、僕が死ぬってことは実は生まれるということなんだそうです。死ぬことは生まれることだというのは、面白い。縄文人の宇宙観に自分達は宇宙からやって来て宇宙に帰っていくってのがあったらしいんですけど、それとかぶるものを感じた。僕はホツマツタエに妙な信憑性を感じたりしてるんです。
 で、死体だった絵が、そこから生き返ってくるということに気づいたということでもあるんです。

丸川 江戸の偽書というのはグラフィティだよね。文字まで作っちやうわけだから。壁に描いてあるワケじゃないけど、感覚としてはグラフィティ。

 そうね読めないもんね。アメリカ流のグラフィティじゃなくて、日本流のグラフィティがある。グラフィティって資本主義とのせめぎ合いということはあるじゃない。下手するとそっちへいっちゃう。

丸川 あと200年くらいガマンすれば、日本にもまた何か帰ってくるのか。

 いや・もう出てる。(笑)今は気づかないだけで。

丸川 基地反対闘争から、近所のマンション建設反対まで、いろんなところで壁の文字とか、看板の文字とか、それこそ筵旗の文字みたいなものがあるよね。

 左翼フォントって言うの、(笑)それが微妙に息づいてるよね。それはグラフィティと重ね合わせることが出来るのかな。

丸川 出来る。1つのルーツだね。

 そういえば、ロシア・アヴァンギャルドっぽいところもある。

丸川 というか、ロシア・アヴァンギャルドも確実にルーツの1つね。レーニンとニューヨークと百姓一揆がルーツかな。(笑)ケーテ・コルヴイッツなんかどうなんですか。

 好きです。シュケーロスも好きだし。フリーダ・力ーロも好きです。20世紀はコミュニズムと芸術はセットで輸入されてきたと言われてる。だから芸術はそのまんま左翼思想だったりしたわけで、日本の芸術はそこにこだわりすぎて、いったん留まっちゃった感はあるけど、今の状況ってスッチャカメッチャカだし、そういった今までのものが使えないから、僕らも含めてこれから絵とか文章とか描く人にとっては面白いよね。

丸川 武さんの中で、今は何が起こってますか。世代の継承として意識されていることなどありますか。

 祖父さんがプロテスタントだったんだよね。そして親がマルクス主義者。これって、日本近代の典型だよね。キリスト教、マルクス主義と来てそして『古事記』、しかもヒルコ。

丸川 なるほど今は、ヒルコってことですか。

 そそ。庶民から復活して福をもたらすの。肴(さかな)持って。

(たけ じゅんいちろう・画家)
(聞き手=まるかわ てつし・台湾研究)