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悪名を継ぐ 上野俊哉

 シチュアシオニストの理論と実践をめぐる議論と文脈はヨーロッパとアメリカ、そして日本では全く異なっている。いかなる思想や理論もそれぞれの地域や背景と切り離して論じることができないのは当然だが、日本におけるシチュアシオニストの語られ方あるいはその「語られなさ」にはつくづく失望させられる。
 たとえば多くの社会科学系の研究者はシチュアシオニストを無視しているか、あるいはせいぜいただの60年代的な運動のエピソードとしてそれを片付けてしまっている。気のきいた都市論や地理学の論者たちは、ハーヴェイやソジャのテクストに影響されルフェーヴルの理論の読み直しに忙しい。しかし、ルフェーヴルと決定的な関係をもっていたシチュアシオニストの思想と活動については黙殺、無視を決め込んでいるのだか、まったく知らないでいるかのどちらかである。ポストモダニスト左翼はドゥボールの思想を「疎外論」と断じ、さらにゴダールとも豊穣な横断性をもつ彼の映画を、まさにゴダールの唯一性=特異性との関係において比較、批判する。さらにもっとがっかりさせられるのは、ストリートやクラブにたむろする若者たちがシチュアシオニストを知らないこと、あるいはその系譜のかすかな影響や余波すらとどめていないことである。これはアナキズムの系譜が若者文化や街路文化に全くと言っていいほど接続していないことと関係している。アナキストアナキズムに関心を持つ活動家や研究者と、ストリートの生活世界の間には深刻な溝がある。これは日本の社会の街路に、アナキズムを示すマークの落書きがほとんどないことから見ても明らかである。
 日本にはドゥボールの著作の翻訳も良質なものがある。かつての雑誌「アンテルナショナル・シチュアシオニスト」の全訳も完成しつつある。にもかかわらず、誰もシチュアシオニストのことなんか知らないし、どうでもいいと思っているかのようだ。それくらい日本におけるそれらの書物は知られていない。良質な翻訳と正確な解説があるにもかかわらず、この社会でシチュアシオニストの理論と実践の種子が発芽しにくい理由はなんだろう?「正しい」解説者や翻訳者であれば、こう言うかもしれない。シチュアシオニストの思想の都合のよいところだけを好んで取り上げ、それを商品化したり、それじたい「スペクタクル化」するような紹介者や「間違った」解説や導入のせいである、と。わたしなどはさしずめその筆頭になるのだろう。なるほどたしかにわたしは「プロ=シチュ」、つまりはニセのシチュアシオニストの運動にすぎなかったパンクロックとシチュアシオニストの関係を強調したり、メディア・アートやメディア・アクティヴィズムとそれとの関わりを論じてきた。それだけではない。しばしば、わたしはドゥボール、つまりは真の「正しい」シチュアシオニストによって批判され、除名され、非難されていったドゥボールの過去の友人たちの仕事に注目し、その積極面や可能性を論じることをしてきた。
 実際、わたしはドゥボールが除名したオランダ人の芸術家コンスタントにもインタビューをした。ハッカーやアクティヴィストの国際会議で、やはりかつて除名されたハンガリーのコタンニィとも話をした。わたしはドゥボールが書いていたこと、言ったことを、ちょうど裏側から、別の当事者から反応をうかがう機会に何度かめぐまれた。彼らは口をそろえて、ドゥボールによって非政治的な「芸術家」として位置づけられてしまったことに今も強く違和感をもっている。そういう出会いの体験とテクストの往復のなかで、わたしはドゥボールにある種の「教条主義」と極端な原理主義の匂いをかいできた。最終的にはドゥボールと挟をわかった、もう1人のシチュアシオニストの思想家、ラウル・ヴァネイジェムの日常生活批判の論理や、犠牲や贈与という概念を挺子に社会を論じる方向性に可能性を見いだしてきたのも、ドゥボールのがわから位置づけられたシチュアシオニストの「正史」、「核心」を違った角度から見てみようとする試みであった*1
 アメリカで最も有名なアナキスト、エコロジー思想家であるマレ・ブクチンにしても、ドゥボールらシチュアシオニストの中心的なメンバーたちに、ほとんどスターリニズムと同質の何かを感じたというふうに回顧している*2。しかしだからといって、ドゥボールがまるきり間違っていたとか、ドゥボールが批判した人々の方が正しいとかと言うつもりはない。第1に、わたしは単に議論の相対化をしておきたかった。第2に、何が今ここでシチュアシオニストの理論と実践を活かしているか? ということに関心があったし、今もそういうつもりでいる。だから「正しい」シチュアシオニストの位置などというものにわたしは何の関心もない。シチュアシオニストの営為と仕事を判断する基準は「正しさ」ではない(それが学問的なものであれ、「革命的」なものであれ……)。
 シチュアシオニストの活動と発想を、その正当=正統的な核心においてよりも、その周辺部の「悪名」とともに継いでいくこと。ドゥボールが「間違い」として排除したもののなかにひそむ、わずかな真実や可能性のかけらを拾い集めること。

 たとえば、シチュアシオニストと音楽のシーンとの横断的接続はパンクでついえたわけではない。テクノやトランスのレコードスリーブを何気なく見ていて「シチュアシオニスト」や「スペクタクル」という言葉につきあたることもある。トランス・テクノのコンピレーション・アルバムの1つである「トランス・ヨーロツパ・エクスプレス」(かつてのクラフトワークの名盤とタイトルが同じだが無関係)には、それぞれの曲=トラックの解説のパンフレットが付録としてついている。DIYというバンドの解説部分はシチュアシオニストと「スペクタクルの社会」を参照している。全てが商品化され、表象やイメージのかたちのなかに生きた経験と日常生活がのみこまれていく「スペクタクル」支配に立ち向かう戦術としてここではDIYが提起される。DIYとは Do it yourself の略であり、日本でもごく普通に使われている言葉である。しかし、ヨーロッパにおけるこの言葉の意味は日本での使われ方と実は全く異なっている。日本ではせいぜい日曜大工、園芸や家具の「器用仕事」を意味するにすぎない。ヨーロッパでは、DIYはもうすこし運動に結びついた概念として使われている。出来合いのモノ、商品を買って使用するのではなく、できるだけ自分(たち)でモノや空間を作りだしていくこと、それは単に手作りを優先するというニュアンスをこえて、消費社会とその生活に対抗、抵抗する生き方や集団性に向かうキーワードとしてこの言葉は使われている。
 キャンピングカーで旅をしながら様々な祭りやフリーマーケットを組織していくヒッピーやニューエイジ・トラヴェラー、警察や法律の目をかいくぐり無許可のレイヴ・パーティを野外で展開するレイヴァーとそのオーガナイザー、空き家や倉庫を不法占拠して生活空間やコミューンを作っていくスクウォッター、電線から電気を盗み、路上にサウンドシステムを組み上げるヒップホッパーたち……こうした活動はどれもDIYにもとづいており、日常生活のスペクタクル化(あるいは商品化)に抗う身ぶりとして位置づけられている。だからトランス・テクノのジャンルにこういう名前のバンドがあることは自然なことであるし、そのシーン=現場にシチュアシオニストの概念や言葉が紛れ込んでいることも珍しくはない。パンクとシチュアシオニストの偶然の、そして半ば「不適切」な遭遇は、このように別のかたち、別の文脈に転位している、と言ってもいいだろう。
 一方で、ヨーロッパにおいてももちろんレイヴやクラブの文化は商品や消費の世界や生活と無縁ではない。煙草やビールの企業によって完全にイベント化された、文字どおり「スペクタクル」や「疑似イベント」となったレイヴやパーティも数多い。しかし他方には、かぎりなくDIY的な活動にもとづいたかたちのパーティがある。同じレイヴのシーンに帰属する人間のなかにも、シチュアシオニスト的な身ぶりや思考と結びついた集団と、全く無関係の集団の両方がいることにになる。サイケデリック・トランスのレイヴにはまったあげく、ついに最近DJをはじめてしまった筆者は、この春クロアチアザグレブで複数のクラブで千人から2千人を前に数回DJとしてプレーした。あの民族紛争時にもザグレブには「アークジン」や「フェラル・トリビューン」といったサブカルチャー系のラディカル雑誌や新聞が活発に反戦、反民族主義の論陣を張り、多様な文化の運動の試みがあった。ザグレブユーゴスラヴィア連邦軍(セルビア)の戦闘機に威嚇されたり、郊外で砲撃戦があったようなころにも、実はクロアチアのテクノのシーンは活発な活動を繰り広げていた。むろん、2千人近く人が集まる大きなクラブにはたくさんの着飾った、どちらかと言えばヤッピー予備軍的な若者が集っていて、そういうクラブはほとんど日本などと同じように「消費社会」、「スペクタクル社会」の1コマとしてのパーティしか見ることができない。しかし他方、アナキズム、スクウォッティング、環境運動や人権運動のNGOと結びついた、よりアンダーグラウンドで小規模なクラブには、それこそシチュアシオニストやドゥボールからハキム・ベイのTAZ(一時的自律領域)の発想を自覚的に受け継いだ若者たちが踊ったり、たまったりしている。日本では考えられないことだが、いわゆる街の愚連隊や不良たち(たとえばフーリガンやクラバーたち)が、アナキズムや対抗文化の政治や思想の系譜や歴史を意識的にふりかえろうとしていたりするのである。
 このように、しばしばヨーロッパと日本の若者文化やサブカルチャーのあり方の違いをわたしは強調してきたが、この議論の仕方にある種の「近代(化)主義」、あるいは「西欧中心主義」のバイアスを感じる向きもあるかもしれない。しかし、あくまでも問題の焦点は68年前後の文化/政治上の出来事と運動(動き)がどのように現在に、特に若者に受け継がれ、伝えられているか? という点である。このかぎりにおいて、やはり彼我の状況の違いは強調せざるをえない。
 ことのついでにアメリカの事情についてもふれておこう。少なくとも日本よりは、北米ではシチュアシオニストヘの関心や認知度は高い。ZONE BOOKS は積極的にシチュアシオニスト関係のテクストを翻訳、発行しつづけているし、SEMIOTEXT(E) や Autonomedia を拠点や版元とする書き手たちも、今もってその影響を隠してはいない。しかし、同時にアカデミズムや「現代美術」の枠のなかにシチュアシオニストを回収、整理してしまうような流れも非常に強くなっている。よく言われるように、1989年にポンピドーセンターやICAで行なわれたシチュアシオニストの回顧展以降、いわゆるポストモダニズムの先駆形態としてシチュアシオニストを位置づけたり、現代アートのエピソードの1つとしてそれを見なすような傾向が一般化してきた。1997年に雑誌 OCTOBER はシチュアシオニストについての特集を組んでいるが、この特集などは「現代美術」や「研究」の文脈と枠組みにシチュアシオニスト以後の動向を還元し、封じ込めるような機能を少なからず果たしているように見える。
 たとえば、この OCTOBER の特集号のゲスト・エディターであり、冒頭の論文「ドゥボールを読みなおすこと、シチュアシオニストを読みなおすこと」を書いたトマス・F・マクドナフは、セディ・プラントの「ザ・モウスト・ラディカル・ジェスチュア」におけるポストモダン思想とシチュアシオニストの思考の比較や、ロンドンの作家スチュワート・ホームらの「アートストライキ」や「盗用主義」の運動の試みを居丈高に批判している。そこではシチュアシオニストの読みなおしは決して運動の現在のなかでなされるのではなく、通常の学問や研究の営みのなかにほどよく収められてしまっている*3
 たしかに合衆国の左翼の間ではシチュアシオニストとドゥボールの思想は、ある程度までは社会理論の「古典」となっている。フレドリック・ジェイムソンもそのポストモダン文化分析のなかで再三にわたって、「スペクタクル」によるイメージと現実の全般的操作化を「物象化の最終形態」として論じている。つまり、かつてフランクフルト学派の分析概念が占めた位置に、シチュアシオニストの発想や概念が置かれている場合がある。この文脈では少なくとも、「現代美術」やアカデミズムの閉域にシチュアシオニストを囲い込む、ということは行なわれていない。しかしながら、シチュアシオニストの運動全体がもっていた文化実践、日常生活を基盤とした活動力の可能性の方はほとんど省みられていないと言うしかない。運動と理論、文化と政治の両方のエッジを極限まで研ぎすましつつ、両者をともに展開しようとしたドゥボールのラディカルな意図は、ここではより小さな射程のなかに収められてしまっている。
 それではストリートや生活世界との回路と実践的身ぶりを失わないままでシチュアシオニストの理論と活動を引き継ぐような仕事はどこにあるだろうか? 実はこれはドゥボールやその周辺では全く期待していなかったような場所で行なわれている。意外にも、スチュアート・ホール以降、つまりいわゆる「バーミンガム学派」以降のカルチュラル・スタディーズは一貫してシチュアシオニストの可能性の核心部分を自覚的に引き継いでいる。それは「シチュアシオニズム」というドゥボールらからすれば、存在しようのない、あってはならない標記と規定によって把握されているにせよ、まぎれもない事実である。
 またルフェーヴルとシチュアシオニストとの交渉、関わり、影響関係、そして決裂という経緯も、文化研究と密接なかたちで展開している都市論やラディカル地理学の文脈において積極的におさえられている。こうした動向は、決してアカデミズムにシチュアシオニストの実践を取り込んでしまうことを意味していない。最初にその根拠をいくつか示しておこう。70年代の「バーミンガム学派」における記念碑的な著作である「危機の取り締まり」では、シチュアシオニストの理論と実践が国家と市民社会のなしくずし的で全般的な一体化、私的領域と日常生活に遍在する(保守)政治と権力関係に対応する方策、戦術であったことがいくどか顧みられており、ホールたちが共産党をはじめとする旧来の左翼とは全く違う目線でシチュアシオニストの試みをとらえていたことを確認することができる*4
 カルチュラル・スタディーズの比較的通俗的な教科書を覗いてみても、しっかりシチュアシオニスト・インターナショナルの提起した諸間題と、文化研究の課題の重なる点を明確に整理している。列記すれば、日常生活を批判の対象と同時に拠点とすること、イメージによる支配、つまりは「スペクタクル」を問題にすること、アートの特権性を解体し、都市空間における移動やさまよいのもつ意味を批判の戦略とすること、そして既存の要素を組み替えたり、並び替えることで新しい意味と状況を構築しようとすること……などの点で、SIとCSは交差するものとしておさえられているのだ*5。このことはわれわれが予想し、考える以上に「常識」となっていることを理解する必要がある。こうした文脈すら、英語圏における半可通な理解としてしりぞけるのは、あまりにも不毛で頑なな態度ではないのか?
 実際、ホールらのバーミンガムの現代文化研究センターの業績以外でも、カルチュラル・スタディーズの重要な仕事のいくつかはシチュアシオニストの方法と発想の核心を決定的におさえている。スタンリー・コーヘンはローリー・テイラーとの共著「逃走論──日常生活の抵抗の理論と実践」においてたびたびシチュアシオニストとドゥボールの仕事に言及し、それを引き継ぐ方向を模索している*6。生きられた経験がことごとく表象とイメージのなかにたたき込まれ、近代的な生産様式のなかで日常生活の全体が「スペクタクル」の巨大な集積となる、という状況においては、どこにも逃げる先はありはしない。逃走する宛てもなく、イメージと「スペクタクル」の支配と全般化に対抗する足場、挺子、「現実」が失われていることを、コーヘンはドゥボールとともに確認する。むろん、この状況認識はポストモダン理論の現代社会の把握とも重なるものだが、コーヘンの提起する「逃走」はボードリヤールの議論に見られるような「何をやっても無駄」という諦めとシニシズムに彩られた待機的戦術とは異なっている。コーヘンたちはルーティン化した日常から脱出する新しい風景を自己表現とアイデンティティの追求に見いだそうとするのだが、これは単なる自分探しでもなければ、「アイデンティティの政治」でもない。すでにこの著作の初版の段階(1976)で、コーヘンたちは特定の空間を構築、作り上げること、具体的には「飛び地を作る活動」 Activity Enclaves というものであった。
 趣味に耽溺すること、ドラッグをレクリエーション的に使用すること、ギャンブルにふけること、特定の空間を不法占拠すること、通常の美の規範からずれた「崇高」や感覚的ショックを追求すること……こうした様々な試みや身ぶりが「飛び地」、つまりは束の問の解放空間の設定として位置づけられる(ドゥボールらシチュアシオニストの中心メンバーはほとんどアルコール中毒なみに飲んでいたらしい。また、まれにメスカリンによるトリップを楽しんでいたという証言もある)。イメージとスペクタクルの操作から「逃げること」を単なる逃避としての移動ではなく、具体的かつ抽象的、心理的(内的)な空間の獲得としてとらえている点は今日においても重要な発想と言えるのではないだろうか(日本のポストモダニストが80年代に提起した「逃走論」は、とどのつまり資本主義の加速化に「ノルこと」を鼓舞していたのだが、コーヘンたちの発想はこれとはずいぶん異なっていることがわかる)。もちろん、このコーヘンたちの空間論的な発想は、都市論や地理学に接続する、いわゆる「空間論的転回」以後の文化研究のあり方とも密接に関わりあっている。
 オーストラリアでメディア論と文化研究の分野で活発な議論を展開しているマッケンジー・ワークはその主著である「ヴァーチャル・ジオグラフィー」で旧東欧の社会主義圏で起こったことを念頭におきながら次のように言っている。

 スペクタクルとは疎外された労働過程の時間的かつ空間的な地図であって、この地図は労働生産物の終わりなき像とイメージ化のかたちをとっている。この地図はひとつのネットワークなのであり、この一定程度の展開を通じて、他者はこのネットワークのただなかで──それをこえたところでも外部でもなく──、今やつねにひとつの〈イメージ〉となっている*7

 マッケンジー・ワークは「ベルリンの壁崩壊」、「天安門事件」など、現代における特異で大きな出来事がメディアのネットワークのなかを流通し、この出来事の情報化の速度と時間のずれのなかで形成されるもうひとつのヴァーチャルな地理的な編成を問題にしている。このヴァーチャルな空間編成と別のところにわれわれは出る=逃げることはできない。疎外された労働とそうでない労働や状態を想定することができないように、「スペクタクル」は実際の空間と外延を等しくする、まるでボルヘスの小説に出てくるような「地図」であり、ネットワークでもあるのである。しかし、コーヘンたちが問題にしていた「飛び地」もまた、この「地図/スペクタクル」の外部にあるわけではない。「スペクタクルの社会」を読んだ者ならわかるように、「スペクタクル」の概念は複雑であり、単なる疑似現実やイベントのことではない。むしろ、それはマルクスの「資本」や「商品」の概念と重なっている。しかも同時に、この現実を枠付けるマッピングの編成としても見られているのである。だからこそ、シチュアシオニストは「心理地理学」や「漂流」の概念を通じて、このマップの書き換えの試みに取り組んでいたのである。
 しかしながら、シチュアシオニストのこうした空間と地図化のラディカルな実践が、結局、建築や都市計画の概念や言説に体裁良く回収されていく事態がつづいたように*8、「スペクタクル」批判の政治と思考もまた、巧妙にシステムと秩序のがわによって利用されていったことに敏感な論者もカルチュラル・スタディーズの領域には少なくない。たとえば、コベナ・マーサーは68年以降の政治と、イギリスにおける支配と管理の手法を分析した論文において、シチュアシオニスト的な「転用」の技術が保守主義と人種主義の政治に「転用」されたという逆説的な事態をするどく指摘している*9。マーサーによれば、保守政治家イノック・パウエルは「イギリス帝国」が19世紀末にまぎれもなく文化的に構築された「神話」であることを認めていた。まさに「転用」の概念と実践を通じて、事実の可逆的な接続、つまりは人種主義、ナショナリズム、ポピュリズムの(コン)テクストを結びつけることがパウエルの演説や言葉によって実現されていたというのである。ニューレフトや運動のがわよりも、確実にシチュアシオニストの手法と戦術を纂奪していたのは新保守主義のがわであった。
 このことはイギリス社会以外の文脈でも見て取れる。まさにシチュアシオニストの思考の廉価版を引き受けたボードリヤールの思想は、確実にシミュレーションによる操作と管理の発想に「転用」されていたのだし、また晩年から死後にわたって、ドゥボールが古典的な思想家、作家としてフランスの論壇(?)で位置づけられていった経緯を思いおこすこともできるだろう。

 このようなシチュアシオニストをめぐる隘路はそっくりそのままカルチュラル・スタディーズが抱えている諸問題とも重なっている。特に文化を通した「抵抗」の概念をバーミンガム学派以降のカルチュラル・スタディーズは様々に変奏してきたが、「抵抗」が成立しにくい状況、あるいは何が「抵抗」でありうるのかが必ずしもはっきりしない状況がいたるところで起こっているからである。つまり、「スペクタクル」とこれを批判する身ぶりの関係がきっちりと区別できないようなケースも珍しくはない(たとえば、君が代や日の丸の法制化に反対する運動を揶揄するつもりは全くないが、こうした運動の論理が「スペクタクル」批判をモチーフにしていながら、しかしその運動自体が状況全体のなかで一つの「スペクタクル」として、つまりは体制の安全装置として機能してしまうような面倒な事態がなくはないはずだ)。
 バーミンガム学派以降を自覚的に意識する論者たちのなかには、もうこの「文化を通した抵抗」という構え自体が不可能になっている、と見る向きもあるほどである。しかし、「抵抗」の概念と、それを戦術とする文化政治 cultural politics という考え方はそう簡単に捨てるべきではないとわたしは考える。「抵抗」の概念のねりなおしは、先のスタンリー・コーヘンの議論を見てもわかるとおり、「空間」論的な把握と密接に関わっている。これはそもそもシチュアシオニストたちが「漂流」や「心理地理学」を提起していることとも重なるが、文化研究のがわからも、またシチュアシオニストの回顧のがわからもミシェル・ド・セルトーの仕事に光が当てなおされている。
 第1に都市のなかでの移動と言語行為を重ねて考えるというセルトーの発想がシチュアシオニストとCSの両方に関連している。しかもセルトーもまた、ルフェーヴルなどと同様に「日常生活」という時空を重視し、これを批判の実践的拠点と考えていた。セルトーはイエズス会の神父でありながら、68年の政治と実践に強くシンパシーと関心をもっていた。第2にはセルトーによる「戦略」と「戦術」の概念の区別に「空間」の領有の有無が関連していることである。自分自身の空間を領有し、権力関係をコントロールすることができる場合、主体は「戦略」を行使している。逆に「戦術」とは白分自身に固有の空間をもっていないなかで、つまり他者の空間において何とかやりくりをしながら自律性を追求することが「戦術」として定義されている。シチュアシオニストによる「状況の構築」も、カルチュラル・スタディーズが様々な文化の現場/シーンにおいて見いだしてきた「抵抗」も、明らかに後者の「戦術」に近しいものとしてとらえることができる。
 セルトーが「戦略」と「戦術」の差異のメルクマールにしている「空間」とは、必ずしも物理的な広がりをもった空間であるとはかぎらない。ある環境が「空間」の代りにをるものを用意することもある。レイ・チョウはウォークマンのようなコンパクトな電子テクノロジーが通常の先進国で使用される場合と、現代の中国で聴取に使われる場合の違いを取り上げ、後者の場合には戦術的な空間性が実現されていると見ている。しかし、そもそも個的で私的な「抵抗」というものに意味がない以上、このようにテクノロジーによって可能とされる「戦術」というものの位置はきわめて微妙である。むしろ、同じ行為、同じ身ぶりや、全く同じテクノロジーが「戦略」と「戦術」のどちらにもなりうるということが言える。セルトー的な空間把握と抵抗の概念を念頭におくと、一方に純然たる「スペクタクル」があり、他方にこれに対する批判と解体の実践があるというふうには割り切れなくなってくる(こうした点にドゥボールの議論はあまり立ち入っていない)。
 シチュアシオニストと文化研究の共通するフィールド、方法について考える場合には、もう1度ルフェーヴルを見なおす必要が出てくるだろう。すでにハーヴェイやソジャによって切り開かれてきた都市地理学の前線において、ルフェーヴルは無視することができなくなっている。
 先に引いた OCTOBER のシチュアシオニスト特集ではルフェーヴルがインタビューに答えており、公私にわたったドゥボールとのやりとりを含めて興味ぶかい証言をいくつか残している*10。例のパリコミューンを「祝祭」として見るモデルについてや、68年前後の反乱についての評価など、ドゥボールのがわからは徹底したルフェーヴルに対する断罪が行なわれている。このインタビューで必ずしもルフェーヴルは弁明はしていない。極端な「除名」の方法による組織の運営や、エキセントリックな人間関係について批判的なコメントが見られるほかは、逆に自分の理論における「契機=瞬間」 moment の概念と、シチュアシオニストの「状況」の概念との重なりを積極的に提起し、影響関係やプライオリティについてはほとんどふれていない。
 ドゥボールの主張と証言をリテラルに受け取れば、ルフェーヴルの議論に耳を傾けることなどは愚の骨頂に見えるかもしれない。しかし、現在の理論の前線からも、またシチュアシオニストをより広い実践的地平に解放するためにも、ルフェーヴルを人間主義的なマルクス主義やブルジョワ社会学だとする視点から自由な目で読みなおすべきときがとっくに来ているのではないか?
 ロブ・シールズが1999年に出した「ルフェーヴル、愛と闘争──空問的弁証法」はまさにそういう新しい読解の好例と言えるだろう*11。同じような読解はドゥボールについてのモノグラフにも最近は見られるようになってきた*12。こうした試みに共通するポイントを指摘しておこう。
 第1にマルクス主義的な「全体性」のとらえ方の変化である。以前からアンセルム・ヤッペの議論のように、ドゥボールのスペクタクル批判の理論をルカーチ以来の物象化論、西欧マルクス主義の文脈でとらえる試みはこれまでもあった。だが、その場合には旧来の意味でのマルクス主義的な「全体性」の概念と、ヒューマニズム的な「全体的人間」のモデルがひそかに温存されていた。しかし、最近の一連の仕事はむしろ、ドゥボールやシチュアシオニストが批判のパースペクティヴの消失点にしていた「全体性」の概念は充溢した全体ではなく、方向性やプロセスとしての全体性、つねに開かれた、オープンエンドの、言わば「穴だらけの全体性」として位置づけられている*13
 第2に、これは全体性の概念の変更とも関わるが、日常生活を批判的にとらえ、そこにおける「退屈」 banality を解体する「契機=瞬間」 moment の概念の提起である*14。この「契機=瞬間」は「退屈」との差異=差延においてのみ現れることができ、特定の情動や感情と結びついた「空間」を設定しようとする。そのことによって日常生活全般の「スペクタクル化」、あるいは「植民地化」に抵抗すると考えられている。この概念によって、せまい意味での物理空間だけでなく、日常のなかの特定の時聞や一時的な過程をも空間論の枠組みで概括してとらえることができるようになる。
 このような視角は、レイヴやストリートの文化、それを論じる文化研究と、今日的な意味でのシチュアシオニスト的な実践を横断的に接続することを可能にしてくれる。そのための条件はもうそろっている。ドゥボールの遺言にしばられるか、あるいは悪名を継ぐのか?

(うえのとしや。社会思想史)

*1:わたしがかつてシチュアシオニストとその周辺について論じたテクストは以下のとおり。上野俊哉、「シチュアシオン──ポップの政治学」、作品社、1996。「 Living (with) map ──アスガー・ヨルンにおける地図のエピステモロジー」、「10+1」NO.3、1996。「回収不能」、「現代思想」1997年?月号。「シチュアシオニストを斜めから見ること」、「孤立の技術一アンテルナショナル・シチュアシオニスト4」解説、1998。

*2:Muray Bookchin, Anarchism, Marxism, and the Future of the Left── Interviews and Essays, 1993~1998', AK. press, 1999 ,p86

*3:Thomas F.McDonough, 'Rereading Debord, Rereading Situationnistes, in 'OCTOBER 79──Guy Debord and the Internationale situationniste, A Special Issue', MIT Press, 1997

*4:Stuart Hall and Others, 'Policing the crisis──Mugging, theState, and Law and Order' ,Macmilan, 1978, p243, p292

*5:Philip Bounds, 'Cultural Studies ── A student's guide to culture, politics and society', Studymates, 1999, p63 なお、同じ発想から、パンク、DIYそしてレイヴの活動とカルチュラル・スタディーズの切っても切れない関係もこの同じセクションでは論じられている。

*6:Stanley Cohen and Laurie Taylor, 'Escape Attempts──The Theory and Practice of Resistance to Every day Life', Routledge, 2nd edition, 1992

*7:McKenzie Wark, 'Virtual Geography ──Living with Global Media Events', Indiana University Press, 1994

*8:これについてはたとえば以下の著作を参照せよ。Simon Sadler, 'The Situationist City', The MIT Press, 1998

*9:Kobena Mercer 1968: Periodizing Politics and Identity',ln 'Welcome to the Jungle', Routledge, 1994

*10:Kristin Ross, 'Lefebvre on the Situationists: An Interview ,in 'OCTOBER 79──Guy Debord and the Internationl situationniste, A Special Issue', MIT Press, 1997

*11:Rob Shields ,'Lefebvre, Love & Struggle──Spatial Dialectics', Routledge, 1999

*12:Len Bracken, 'Guy Debord ── Revolutionary'、Feral House, 1997

*13:Ibid, p155

*14:Rob Shields, 'Lefebvre, Love & Stmggl ── Spatial Dialectics' Routledge, 1999, p66