読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

The Warrior, the Merchant and the Sage「戦士・商人・知者」 フランコ・ベラルディ(bifo) (渡邊太訳)


 2003年2月15日、世界中で何百万人もの人々が戦争をやめさせるためにストリートへ出たとき、軍事的なグローバル権力はすべての合意をいまにも失いそうであり、これがその危機の始まりを示す警鐘であると、みんな感じていた。しかし、権力はもはや合意にもとづくものではなく、むしろ恐怖、無知、そして技術的−経済的な金融的・心理的な自動運動にもとづいている。政治はもはやコントロールすることができず、大衆行動は修正したりやめさせたりできない。その後の日々のなかで、私たちは、大規模な平和運動が戦争をやめさせるには不十分であること、民主主義はテロリズムとセキュリティ偏執狂が設定した軍事的自動現象を拒絶する手段をもたないということを学んだ。たとえ、大多数の世論が戦争に反対したとしても、戦争を導くダイナミックスはストップしない。恐怖とは、ブッシュ政権がすべてを賭けた政治的発明である。論争的、プロパガンダ的、イデオロギー的な道具を用いて合意をつくりだす必要はなく、恐怖にもとづく心理的な自動現象を利用すれば十分だ。恐怖は、テロリストの攻撃以前から生まれている。恐怖は、「汝の死は私の生命」という原理がすべての諸個人の精神に教え込む、残忍で継続的な競争から生まれてきた。
 20世紀の歴史は、3つの形象の闘争と同盟の歴史であった。知者は、人間労働の後継者であり、労働行為の無限の継承と労働を拒否するふるまいの無限の系列とによって蓄積された、知性の担い手である。労働の拒否は、知性の進化的動作を誘発する。知性は、社会的に有用な形式へと実現された仕事の拒否である。知性ゆえに、人間労働を機械に代替させることができる。仕事の拒否ゆえに、科学は前進し、発展し、実用化できた。はじめから、近代科学はこの点でその機能を認識していた。
 知識は、社会が必要とする必要労働時間を縮減することによって、便利なものをつくりだす人間の能力と、すべての人間にとっての自由の空間を増殖させてきた。これはすなわち、知ることは力であるということを意味する。商人と戦士は、知識を権力の道具として利用しようとする。この目的のためには、彼らは知者を服従させなければならない。しかし、このことは簡単には起こらなかった。なぜなら、知識は支配を容認しないからである。そこで、戦士と商人は、思考することの力を金と暴力の力へと従属させるために、罠と詐欺とにうったえた。
 1958年に出版された『訓練中の魔法使い』という本で、ロバート・ユンクは、第二次世界大戦における核爆弾の現実化を導いたマンハッタン計画の歴史をとおして、戦士がいかにして知者を捕獲したかについて記述している。科学者集団は、このようなゆすりに直面した。ヒトラーはたぶん核爆弾を準備しているだろう。私たちは奴に先んじるために急がなければならないのだ、と。
 ユンクによると、「1939 年夏、マンハッタン計画に従事していた 12人の物理学者は、原子爆弾の製作をやめることに同意できた。しかし、彼らは機会を逃してしまい、科学的発見の未来の帰結にふさわしい思想と行為を決定的に表現できなくなったのだ。そのうえ、そのような決定的な状況において、彼らには、自分たちの専門分野の伝統への十分な信頼も欠如していたのだった。戦争が終わって、フォン・ヴァイツゼッカーは、こうコメントしている。「私たちがファミリーであるという事実だけでは十分ではない。おそらく、私たちは、メンバーに対して規律的な力をもつインターナショナルなまとまりであるべきなのだ。しかし、そのようなことが近代科学において可能なのだろうか?」(R. Jungk: Gliapprendisti stregoni, Einaudi, Torino, 1958, pag. 92)
 私たちは、ヴァイツゼッカーの言葉のなかに、半世紀後に私たちが再び直面した問題を見出す。もし、私たちが、知識そのものに外在する目的、とりわけ、人間性の共通関心に相反する目的のために、政治的・経済的・軍事的な権力が知識を利用することをやめさせたいのであれば、知識を生産する人々は、どの組織形態を、そして、どんなルールを、自分たちに課すことができるだろうか?
 当時、アメリカ政府は科学者集団を手なずけて、ゆすりにしたがうよう納得させた。知者が戦士に降伏した結果がヒロシマだ。その瞬間、知者を戦士から解放する闘争が再びはじまり、それは1968年に頂点に達した。1968年は、まずなによりも、すべての知者が戦士に対して彼女/彼らの知識を貸し与えることの拒否だったのであり、知者を社会のサービスに位置づけるという意志決定だったのだ。その頃、商人がやってきて、知者を誘惑し、彼女/彼らの知識を技術−経済的自動現象の支配に従属させようとしていた。知識の真理性の評価は、競争性や経済的効率、効用最大化の追求に従属させられた。サッチャーレーガンに端を発する 20年間において、知識は資本への完全な従属という条件のもとで行使されてきた。科学は、技術の自動現象に組み込まれ、機能的効果を導く合目的性を変化させる可能性を剥奪されている。知識を生産のために集約的に応用することは、膨大な力を解放するデジタル技術圏の創出において実現された。利潤経済のカテゴリーにつなぎとめられたことで、技術は労働生産性を増加させるが、同時に、それは重層的な悲劇として、賃労働、孤独、不幸、精神病理への人間存在の従属性をも増大させる。 私は、子どもの頃を思い出す。50年代には、誰もがそうであったように私も、生きて西暦2000年を迎えるだろうという考えに魅了された。新聞は、つぎのように書いたものだった。2000年には、人間のすべての問題が解決されるだろう。なぜなら、技術は平和と自由と豊かさを保証するからである、と。いまや、2000年は到来した。しかしながら、平和の代わりに以前にもまして戦争が世界を覆いつくし、原子爆弾はすべての宗教的狂信者の手のなかで増殖している。
 自由の代わりに、経済的優先の申し分ない支配があり、豊かさの代わりに世界の3分の2の奴隷制・困窮・飢餓がある。市場ルールの狂信的な適用が、この愚行をもたらしたのであり、私たちはカタストロフィに向かうレースを疾走している。
 私たちがこのレースの方向をラディカルに再定義する気がないのであれば、改革や変化のためのどんなプロジェクトも無意味であり、そして戦士と商人のどちらもこのレースの方向性を決定することはできない。知者だけがそれを設定することができる。人間の知識だけが、その固有のルールと優先権と可能性の進路にしたがって、生産と交換のルールを再定義する権利を有する。知識の主体としての女性と男性だけが、世界が向かうべき方向性を決定することができる。これこそが、シアトルにおいて確立された偉大なる新しい経験だった。すなわち、商人は自分たちの経済的利益にもとづいて、多数の人々の生存に判決を下す権利を持たなかった。調査者たちの運動、自律的に組織されたコグニタリアートによるハイテク労働者運動だけが、金融企業の統治をストップさせることができる。1999年シアトルで爆発したグローバルな運動は、この方向を指し示した。グローバリゼーションは倫理的に動機づけられた知識によって導かれなければならないし、マイノリティの力ではなく、すべての女性と男性が手にする力にならなければならない。
 シアトルから前進し、認知労働の社会的、認識的、技術的再編成をめざす運動が出現した。これは、科学的調査が商人の利害から自律していることを要求する。この認識は、それ以来ずっと成長してきた。世界の多くの人々が利益からの彼らの脳の自律を主張しはじめた。情報技術において、私たちは、オープンソースの実践が拡大し拡散してきたことを目撃した。バイオ技術と薬学の分野では、知的発明の産物に対する自由なアクセスをめぐる闘争がつづいている。情報メディアのサイクルにおいて、アクティヴィズムが拡張してきた。
 資本は、リベラリストのイデオロギー方針にしたがい、集合的知識の生産物の強制的な私物化と、実験の経済的競争への従属をもって応答した。集合的知識の私物化は、あらゆるところで抵抗と反対に遭遇し、認知労働者たちは彼らのポテンシャルが承認の力を上回っていることを理解しはじめた。知識労働は生産シーンの中心であるのだから、商人はもはや私的所有の原理を課す法的・物質的手段をもたないのである。社会的生産におけるもっとも貴重な商品が非物質的で再生産的な性質をもつとすれば、産業社会において物質的商品の私物化を維持していた理由は弱まり、商品の私的な占有が無意味になることを私たちは理解する。
 記号資本と認知労働の圏域では、商品が消費されるとき、それは消える代わりに利用可能なままでとどまり、同時にその価値は使用が共有されればされるほど増幅する。このようにネットワーク経済は作動するのであり、これは今日まで資本主義が基礎を置いてきた私的所有の原理とまさに矛盾する。このパースペクティヴは拡がりつつあるとき、戦士は石油富豪と軍事産業の旧式経済とともにシーンに復帰した。19世紀に社会的労働の層に蓄積された悲哀・恐怖・不安の総量は、いまや狂信・攻撃性・アイデンティティへの強迫へ転化した。商人は、知者を再び服従させるために戦士をたよりにした。ビル・ゲイツは、ジョージ・ブッシュと同盟した。集合的知性を強奪した商人は、愚かな戦士と同盟し、いっしょになって徹底的に知恵を窒息させ、知識を利益と力に包摂させようと試みた。
 90年代に実現された株式市場の大衆的への開放により、資本の利潤への大衆的参加が可能になり、ドットコム経済に帰結した。これは、認知労働の自己組織化の大規模過程の可能性を開くものでもあった。認知労働者は、能力・知識・創造性を投資し、株式市場の事業を創造する手段を発見した。数年の間、事業の形式は、高い生産性における金融資本と認知労働が出会う点にあった。新しい形式の自主事業がすぐに、労働の自律性と市場への依存性を賛美した。妨げるもののない成長と、認知労働と再編資本の社会的同盟の10年間の後、この同盟は破綻した。
 2000年4月にはじまった株式市場の下落は、資本と認知労働の関係の政治的危機の始まりだった。多くの異なる諸要因がこの決裂をひきおこした。とりわけ、認知労働の心理的社会的エネルギーの崩壊がある。ハイパー労働のペースを維持するための過度の搾取、生活リズムの加速化、ケータイ労働者の24時間労働、抑うつ、刺激性ドラッグの過剰摂取は、認知労働者を抑うつ的局面へ導いた。崩壊は、内側から起こった。同時に、ドットコムの軍勢に対する独占者の攻撃、認知労働者と自由市場の戦線が起こった。実験に限界を画すること、独占者の基準を押しつけること。すなわち、独占者と政治権力の同盟は、拡散した経済の息を止めさせる。そして、独占主義的反革命がはじまり、ネットワーク経済から戦争経済への移行の条件が創出される。新しい経済は、事業の形式で認知労働の自己組織化の過程を言祝ぐが、同じ時期のすべてのポスト・エンロンの崩壊事例が示すように、略奪するルンペン・ブルジョワジーが伝統的な資本家ルールの危機から利益をむさぼろうと出現し、社会資本の膨大なシェアを占有しようとする。長引くネオリベラリズムが好んできたのは、自由市場ではなくて、独占なのだ。
 ここにきて、ほとんど奇跡的なことだが、危機がせきたて、ブッシュ政権につながる集団のすべての信用と力を減じさせたなかで、空から飛行機が落ちてきて、無制限の暴力の時代を開示した。あらゆる正統性を失った力が、戦争を通してみずからを正統化する時代である。しかし戦争において、パースペクティヴは再定義される。ナチ・リベラルの攻撃的資本主義は、優柔不断な力を定義するために戦争の亡霊を呼び出したが、戦争の経過のなかで、西洋の大多数の人々の良心とライフスタイルにとって受けいれられず、何事も起きなかった。けっきょく、起こりうることは、認知労働が内的突破に向けて組織化された対自的な形式を付与しはじめることなのである。ヴァイツゼッカーが語った危機は今日、緊急となっている。権力からの科学の自律にもとづく科学者の自己組織化は可能か? これはもはや、核物理学者の小集団の関心ではなく、科学と技術、統治、教育とセラピーにおける多数の労働者にとっての関心なのだ。
 コグニタリアートの太平洋部隊は、資本主義がみずからを防護する要塞の自動現象の鎖を解体する鍵を握っている。

英語テキスト
http://www.generation-online.org/t/twarriormerchantsage.htm