秘密言語の共同体──スペクタクルの社会におけるドゥボールの闘争の戦略 木下誠

スペクタクルはいつどこにでもある。美学の重要性はいまでも、酒の後の冗談の結構な話題になっている。われわれは映画館から外に出た。スキャンダルはあまりにも理にかなっている。わたしは決して説明することはないだろう。今、君はわれわれの秘密を前にして孤独だ。新しい美の起源にあって、そしてやがては、アレ・デ・シーニュの区切られた広い液状の荒れ地のなかで(すべての芸術は、凡庸で何一つ変化させない遊びである)、美の顔は美自らがその生と呼んでいたあの幼年期を初めて脱しつつあった。映画の特性は、空虚な沈黙に覆われた大衆によるエピソードを終わらせることを可能にしていた。アラビアのすべての香、ヴィレンヌの夜明け。新しい美の起源に。だが、もはやそんなことが問題ではなくなるだろう。これらはみな真に興味あることではなかった。重要なことは、道に迷うことだ。「フランス・シネ-クラブ連合のための略述」 ギ=エルネスト・ドゥボール(『アンテルナシオナル・レトリスト』 第2号、1953年)*1


1 スペクタクル

 ドゥボールが1950年代初頭にあらゆる芸術を批判する「前衡芸術運動」としてレトリスト・インターナショナルを開始した時以来用い、とりわけ1960年代のシチュアシオニスト・インターナショナルによる政治、文化運動の中で理論化していったキー概念である「スペクタクル」とは、単に権力やマスメディアが大衆に与える政治的−社会的イヴェントとしての「見せ物(スペクタクル)」とか、スターや人気商品を情報や広告・宣伝を大量に用いてこの社会での生き方のモデルとして提示する「イメージの大量伝播技術」といった狭い意味に限られたものではない。「スペクタクル」とは、政治や経済、生産や消費から個人の生活や趣味、人間関係に至るまで、すべてのものを動かす仕組みとして、「表象」に支配された「近代」社会を根底的に支える本質的構成原理である。ドゥボールはこれを、1967年に出版された『スペクタクルの社会』の冒頭に次のように定式化していた──「近代的生産条件が支配的な社会では、生活全体がスペクタクルの膨大な蓄積として現れる。かつて直接に生きられていたものはすべて、表象のうちに追いやられてしまった」(断章1)*2マルクスの『資本論』の冒頭の文章(「資本主義的生産様式が支配的な社会では、富は『商品の膨大な蓄積』として現れる」)を、そのちょうど百年後に巧みに転用して作られたこのテーゼは、マルクスの生きた19世紀後半からドゥボールの生きた20世紀末までの間に生じた社会の変質を正確に反映している。ドゥボールはこの変質を、『スペクタクルの社会』の断章17で、物の「存在(être)」から「所有(avoir)」への移行を果たしたマルクスの時代の資本主義(「社会生活に対する経済の支配の第1段階」)と、物の蓄積がある閾を超えて「所有」から「外観(paraître)」への大々的な移行が起きつつある20世紀後半の資本主義(「経済的生産物の蓄積が社会生活を完全に征服してしまった現在の段階」)の差としてとらえている(((『スペクタクルの社会』、21ページ)。この断章17の全体は以下の通り。「社会生活に対する経済の支配の第1段階は、人間的実現の定義を存在〔être〕から所有〔avoir〕へと明らかに堕落させてしまった。経済的生産物の蓄積が社会生活を完全に征服してしまった現在の段階は、所有〔avoir〕から外観〔paraître〕への大々的な移行が行われている段階だ。そこでは、あらゆる『所有』が、己れの即時的威光と最終的機能を『外観』から汲み取らねばならない。同時に、あらゆる個人的現実は社会的なものとなり、社会権力に直接依存し、それによって作り上げられることになる。個人的現実は、存在しないという限りにおいてのみ姿を現すことが許される」。))が、これは大量消費とテクノロジーの発達によって資本の増殖が加速度的に高まり、資本主義商品経済の拡張の果てにスペクタクル的で投機的(スペキュラティフ)な金融に世界経済が支配されるようになった現在の世界を的確に表現するものである。高度資本主義社会あるいはポスト−産業社会と呼ばれるこの世界では、モノとしての「商品」よりもむしろ情報や娯楽、映像やサーヴィスといった形のない「商品」が経済を牽引し、どんな「商品」もそれを飾って見せる「情報」なしには存在しえない。それどころか、むしろモノの使用価値から分離した「情報」がひとつの「イメージ」として独立し、政治や個人の生き方までもが、そうした「イメージ」に従って選択され、決定されている。「スペクタクル」とはこの「世界の領土を正確に覆う地図」*3(断章31)なのである。
 『スペクタクルの社会』の断章2はこうした情況をこのように描いている──「生のそれぞれの局面から切り離されたイメージは、1つの共通の流れのなかに溶け込み、そこではもはや、この生の統一性を再建することはできない。部分的に考察された現実はそれ自体の一般的統一性において展開されるが、この一般的統一性なるものはそれだけ別に取り出された擬似的な世界であり、単なる凝視の対象でしかない。世界のさまざまなイメージは、特殊化され、自律したイメージの世界のなかで、再び完全な姿となって見出されるが、その時は既に、偽りのものが自己を欺いてしまった後である。生の具体的な逆転としてのスペクタクルは、総体として、非−生の自律的な運動なのである」。新しい事物の創造や遊び、自律的な思考や活動などさまざまな可能性に満ちているべき人間の諸活動が生産と消費──あるいは経済──というカテゴリーに還元され、あるいは互いに分離しえないはずの人間の総体的活動が政治、経済、哲学、芸術、労働、余暇などさまざまな専門化された断片的活動へと解体されてしまった現代の社会においては、「生」の全体性がばらばらな断片に解体され、さまざまな「イメージ」によって人間の欲望や生が表象されるが、それらは決して「生の統一性」を回復するものではなく、「一般的な統一性」という疑似的な世界を提示するだけである。生の断片化、あるいは解体を、抽象的に救い上げると同時にさらにいっそうそれを断片化するもの、それこそがドゥボールの言う「スペクタクル」である。この「スペクタクル」が現代の社会を覆い尽くし、われわれはもはやそうした「スペクタクル」を通してしか、自分たちの「生」を感覚できなくなってしまった。それは、商品の物神化(フェティシズム)の絶対的完遂であり、「感覚しうるけれども感覚を超えたさまざまなモノ」による社会の支配(断章36)であるが、歴史的には、1920年代末の大量消費社会とファシズムの登場によってヨーロッパとアメリカで出現し*4、第二次大戦以降は、社会主義と言われる国々をも巻き込んで一般化した情況である。この「スペクタクルの社会」は、何よりもまず、そこに住み、それを凝視する人々を徹底して受動的な状態に置く。この社会ではスペクタクルに介入したり抵抗したりすることは誰にも許されず、スペクタクルの中で示されるものがすべてであり、政治から日常生活の中での人々の思考や行動まで、すべてがこのスペクタクルが選択した筋書きに従って、スペクタクルの舞台の上で許容されたものとしてのみ展開される。「スペクタクル」は「それについて議論することも、それに接近することも不可能な常軌を逸した肯定性」として姿を現し、「現れ出る(paraître)ものは善く、善きものは現れ出る」(断章12)と語るだけだ。それは現代社会の生の枠組みも目的もすべてを決する絶対的な存在(「現代という受動性の帝国の上で決して沈まぬ太陽」)であり、スペクタクルの「手段が同時にその目的でもあるという単純な理由によって「本質的に同語反復的な性格」(断章13)を持つのである。そしてまた、この「スペクタクルの社会」は、人々の共同性を奪い、人々を「孤立」した状態で幻想的に統合する。常にテレビの前にいて、そこから流される一方的な映像を共有することでかろうじて共同性を維持している現代社会の住民のように、「観客どうしを結びつけるものは、彼らを孤立状態に保つ中心に対する彼らの不可逆的な関係だけ」であり、「スペクタクルは分離されたものを1つに結び合わせるが、分離されたままのものとして結び合わせるのである」(断章29)。
 しかし、人々にこうした徹底した受動性と孤立を強いるこの「スペクタクル」は、単純に「現実」と対峙しているのではない。「スペクタクル」は「イメージ」や「表象」による支配であるとしても、それら以前にその支配にさらされない無垢な「現実」の「社会的活動」があるわけではない。かといって、ドゥボールの理論を歪曲した自称元シチュアシオニストボードリヤール*5の言うように、この社会ではすべてが「シミュラークル(見せかけ)」であるのでもない。「スペクタクル」が「現実の社会の非現実性の核心」でありながら、それは「さまざまなイメージの総体ではなく、イメージによって媒介された、諸個人の社会的関係である」(断章4)とか、「スペクタクル」は、「社会そのものとして、同時に社会の一部としボードリヤールはいくつかのインタヴュなどで、30代の自分はシチュアシオニストだったと語っているが、実際にはシチュアシオニスト(シチュアシオニスト・インターナショナルのメンバー)であったことは1度もなく、単に、CNRS(国立科学研究所)でアンリ・ルフェーヴルの 助手をしていた頃に、ルフェーヴルを介してドゥボールと出会ったにすぎない。cf. Christophe Bourseiller, Vie et mort de Guy Debord, Plon, 1999, p. 128.て、そしてさらには統合の道具として」姿を現す(断章3)とか言われるのはそのためであるが、表象であると同時に物質であり、メディア(媒介)であると同時に現実である「スペクタクル」のこのぬえ的な性格を、ドゥボールは次のような言い方で見事に示している。「スペクタクルと実際の社会的活動とを抽象的に対立させることはできない。この二極化はそれ自体、二重化されている。現実を転倒するスペクタクルは現実に生産されている。同時に、生きた現実のなかにも、スペクタクルの凝視が物質的に浸透し、現実は、スペクタクル的な秩序に積極的な支持を与えることによって、己れの裡にその秩序を再び取り込むのである。両方の側に客観的現実が存在する。こうして固定されたおのおのの概念は、反対物のなかへの移行だけを己れの基盤としている。すなわち、現実はスペクタクルのなかに生起し、スペクタクルは現実である。この相互的な疎外こそが現存の社会の本質であり、その支えなのである」(断章8)。ドゥボールが『スペクタクルの社会』の断章1で、マルクスを転用したテーゼに付け足した言葉──「かつて直接に生きられていたものはすべて、表象のうちに追いやられてしまった」──が、プラトン以来ルソー、へーゲルを経てマルクスの中にまで存続してきた、「存在(être)」あるいは「現前(paraître)」とそれらの堕落としての「表象(représentation)」、本来的な「生」とその「疎外」という単純な西洋形而上学の図式にとらわれているのではないかという誤解は*6、ここで明快に否定されていると言うべきだろう。


2 状況

 このことを十分よく理解するには、ドゥボールがその実践活動において、単純に「表象」を否定し、絶対的な「生」や「存在」を純粋に称楊したのではないことを見なければならない。この実践活動とはすなわち、ドゥボールが1950年代初頭からレトリスト・インターナショナル(1952−57年)、シチュアシオニスト・インターナショナル(57−72年、以下SIと略す場合もある)という2つの組織のなかで主に行ってきた「転用」による「文化」−「政治」批判活動である。「転用」とは、ドゥボール自身の定義では、「前もって作られた美的要素の転用」のことであり、「現在のまたは過去の芸術生産物を、環境のより高度の構築に統合すること*7」であるとされる。つまり、ドゥボールが「スペクタクル」の社会の「花形商品」(断章193)であり、それゆえそれとの戦いの中心的戦場として定めた「文化」──特に「芸術」──の領域で行うことは、無からの創造者として何らかの「存在」を生み出すことでも、既存の「表象」に取って代わる新しい「表象」を創造することでもなく、すでに存在する要素を別の場に移し替え、別の文脈を構成させて、スペクタクルの意味を換骨奪胎し、スペクタクルの要素そのものを用いてスペクタクルを用いてではなくスペクタクルを転覆することである。しかも、そうして作られたものが再びスペクタクルを構成することのないように、それを「作品」として示すことは決して行わず、「環境のより高度な構築」の中に統合するのである。そこには、19世紀から20世紀にかけて進められてきたあらゆる前衛的芸術活動がある種の極限(形態のない絵画を実現したマレーヴィチ、無音の音楽を作成したジョン・ケージ、言語破壊を押し進め意味のない叫びや絵−文字を詩として提示したイジドール・イズーらレトリスト、そして、映像のない映画*8を上映したドゥボール自身)に達し、もはや何も新しい「作品」は「創造」しえないばかりか、主体が対象に働きかけて何ものかを新たに「創造」し、そのことによって自らを「芸術家」として主体化するというロマン主義的な芸術家像そのものが破産したという、冷徹な認識がある。この「芸術」における「転用」の戦術は、絵画、小説、文章、映画といったさまざまなジャンルに実際に適用され、既存の言葉の転用だけからなるラジオ・ドラマのシナリオ(『教育的価値*9』、1955年)や書物(『回想録*10」と定義される「状況」とは、個人としての人間が投げ置かれた所与の環境というサルトル的な"Definitions", in Internationationle Situationniste, No 1, 1958, p. 13(邦訳、『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』第1巻、44ページ)。意味での情況ではなく、既存の空間と時間の中に、それらを切り裂く一種の裂け目として、ある種の共同性を持った集団が意図的に作り出す別の空間と時間である。だが、それは、既存のものを廃した後に固定的かつ永続的に存続するのではなく、流動的で一時的なもの、瞬間的なもの(「生の瞬間」)として構想されている。より正確に言えば、「状況」とは、スペクタクルの社会によって人為的に作り出された「欲求」ではなく、愛や創造、思考や行動、理論化や実践活動といった多様で個別的な「欲望」のさまざまな瞬間が積極的に発現し自由に展開するように時空間を組織化することであるが、そうして組織化された時空間自体がスペクタクルの社会の眼差しの中に捕らえられ、表象化−商品化されないために、この「状況」そのものもその都度独自で「反復」を拒むものとして構築されねばならない。固定的な作品にではなく、情動の生成と変化を生み出すとともにそれ自体つねに生成し変化する時空間としての「状況に「美」を見出すという態度は、ドゥボールが1950年代の始めから一貫して主張してきたこと(「形態の遊びを超えて、断固として、新しい美は状況のものとなるであろう」)*11だが、ドゥボールはこの「状況」概念を、1960年発行の『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』誌 第4号の「契機の理論と状況の構築」*12の中で、ロサンジェルスのワッツ暴動の際に、蜂起した黒人らが冷蔵庫を盗んで電気の通じていないアパートの中に置いた行為こそ、ハリウッドというスペクタクル産業の牙城で、「スペクタクル=商品」の支配に最も激しく曝されていた者たちが、既存の事物の交換価値を否定して事物の使用価値を革命的覆権した「転用」の実践だったと、最大限に評価し、このように書いている。「真の欲望が、祝祭のなかに、すなわち遊戯的肯定と、破壊のポトラッチのなかに、早くも表現されるのである。商品を破壊する人間は、商品に対する自らの人間的優位性を示している。彼は、自分の欲求のイメージにまといついた抽象的な形態に囚われつづけることはない。消費から消尽への移行が、ワッツの炎のなかで実現されたのである」。
 まさにこれこそが、「スペクタクル」を具体的に破壊する「状況の構築」の実践の1つの優れた具体例であり、この先駆的実践は、2年後の1968年5月のフランスで、より大規模なかたちで全面的に開花することになった。「スペクタクルの社会」の最も発達した国の1つである先進資本主義国で、抑圧的な大学の管理体制への学生たちの異議申し立てに始まり、支配的なブルジョワ権力とそれを補完する労働組合権力という既存の政治権力の図式の合間をぬって次々と自発的に開始された山猫ストと工場占拠が国の政治と経済を麻癖させ、権力を崩壊の瀬戸際まで追いつめたこの「5月革命」は、その形態においても理念においても、まさにシチュアシオニスト的な革命だったとドゥボールは主張する。なぜならこの闘争は、労働者や学生が政府−企業−組合のスペクタクル化された政治を乗り越えて開始した無定形の闘争であり、その闘争の中では、既存の固定的な権力に対抗するもう1つの別の固定的な権力を求めることなく,それぞれの領域で直接的な民主主義を追求し、自分たちの生のさまざまな条件を批判し、新しい共同性を作り出そうとした運動が、まさにスペクタクルの表象=代表システムの網をかいくぐって展開されたからである。そこでは落書きや大量のビラ・パンフレットの形でスペクタクル化された政治の言語とは異質の言葉が交わされ、それまでの政治システムとは異なり、多くの場所で決定と執行の両方を担った全員参加の総会や行動委員会が新しい政治の仕組みを作り出していった。ドゥボールの『スペクタクルの社会』は、この5月革命の直前に出版され、経済が順調に発展し、社会不安など存在しない先進国のフランスでは革命など起きないと誰もが考えていた時に、革命の到来が必然であると「予言」し、スペクタクルの社会への反乱というその革命の本質的な意味を何よりも深く見抜いていた。実際に、ドゥボールらシチュアシオニストの理論は、「5月革命」の最も早い前兆とされる1966年秋のストラスブール大学でのフランス全学連への学生の反乱にも、「5月革命」の直接的契機となった1967年冬から68年春までのパリ大学ナンテール分校での大学批判闘争にも強い影響を与え、68年5月にはドゥボール自身がその仲間とともにソルボンヌ占拠に参加して、そこでの直接民主主義の徹底と工場占拠への闘争の拡大を追求する活動を中心的に担ったのである。


3 統合されたスペクタクル

 『スペクタクルの社会』の理論装置である「スペクタクル」という概念は、それを破壊する「状況の構築」という実践と切り離しえないものとして使用され、そのことが68年とそれ以降の時期にシチュアシオニストの主張した思想(理論と実践)の全面化をもたらした。67年の『スペクタクルの社会』にはそのことを予感させるポジティヴな主張、人々を行動に駆り立てる言葉が数多く含まれてhた。しかし、その後、それぞれ約10年の時を置いてドゥボールが書いた『「スペクタクルの社会」イタリア語版 第4版への序文」(1979年、以下『イタリア語版序文』と略す)と『スペクタクルの社会についての注解』(1988年、以下『注解』と略す)は、一見したところ、よりペシミスティックな印象を与える。1972年のSIの解体以降のドゥボールの筆は、もはやかつてのように「状況の構築」とか「統一的都市計画」、「心理地理学」、「漂流」などの積極的な戦術を称揚することはなくなり、より強化された「スペクタクル」の支配がもたらす息苦しいまでに陰欝な世界がさまざまな形で示される。これはドゥボールの立場の変化を意味するのだろうか。
 ドゥボールは、『イタリア語版序文』の中で「この本には、一語たりとも変更すべきてき点はない」*13、「わたしのすべてのテーゼが出会う確証は、今世紀の終わりまで、さらにはそれ以後も続くにちがいないと思う」*14と書き、1992年の『スペクタクルの社会』フランス語版 第3版の序文にも、「ここに私が述べた批判理論は変更されるべくもない」*15と、自らの理論的立場に変更がないことを確認している。『イタリア語版序文』と『注解』でドゥボールが行ったことは、「スペクタクル」という概念規定には何の変更も加えず、世界の「スペクタクル」化のその後の進行のなかで明らかになっていった新たな事態を記述すること、単に「現状を指摘する」ことである。この「現状」とは、スペクタクルを自明とする世代の登場、メディアの過剰、経済と政治の融合、政治のマフィア化、秘密による支配、「歴史の終焉」という言葉で語られる永遠の現在という虚構など、1970年代から80年代に進行していった情況であろが、こうしたスペクタクル情況の深化を示すさまざまな現象のなかで、『イタリア語版序文』が強調する変化は、スペクタクルの中で提示されるモノの価値に関ることである。つまり、スペクタクルはもはやかつてのように人々に価値あるものを指し示すのではなく、価値の優劣を問わず、さらには価値がないことを隠すことさえせずに、何もかも一緒にして並列的に示して見せるようになった。スペクタクルは、かつてのように「現れるものは善く、善きものは現れ出る」とは言わず、ただ単に「それはこんな風である」と言うだけだ。書物も、書物を生産する専門家も、スペクタクルの中に場所を占めることだけに関心を払い、この体制の論理と文化に合わせた「見かけだけの議論」を行い、何かを創造したり批判したりするよりも、読者を獲得することだけを目的とする。メディアに現れる政治家や政治的言説の専門化たちは、あたかも現実の対立軸がなくなったかのように振る舞って、みな同じ政治的な議論の枠組みの中で、同じスペクタクル的な議論を行う。このスペクタクルの体制の中では、また、「パンやワインやトマトや卵や家や都市」の生産者−消費者の趣向もメディアによって人為的にでっち上げられ、「本物」の味や役割は市場から完全に姿を消してしまっている。メディアは、どれも味のないパンや、どれも同じ規格化された家、歴史とコミュニケーションの場ではなくなったモノとしての都市について、それぞれの差異を説明して、それらの間でのみの選択=消費を扇動する。まさにそこでは、「真」と「偽」の対立そのものが、スペクタクルの舞台の上で無用のものとなり、消滅してしまったのである。
 一方、『注解』は、この情況を「スペクタクルの連続性」と言い換え、「この20年間におきたあらゆることのうち最も大きな重要性を持つ変化は、スペクタクルの連続性そのものの中にある」*16として、スペクタクルの支配が社会を完全に覆い尽くし、あらゆるものの歴史が消去され、スペクタクルそのものの過去の痕跡までもが消失する事態が出現したことを指摘する。「スペクタクルの支配」の中で育てられ、スペクタクルの法に完全に服従したこの世代が生きている「途方もなく新しい環境」こそ、現在のスペクタクルが妨げるものと許容するものの「正確で十分な要約」である。この世代も、スペクタクルについて語り、時にはそれに反抗することもあるが、そのやり方そのものがスペクタクル的であり、自分たちがスペクタクルの中にいることはまったく意識できないでいる。こうした「スペクタクルの連続性」が支配する世界を前にして、ドゥボールは、ただ1点だけ理論的追加を行っている。すなわち、『スペクタクルの社会』の中で行っていた「スペクタクル的な権力」の2つの形態──ソ連やナチス・ドイツのような中央集権的な官僚主義国家やファシズム国家の「集中した」スペクタクル権力と、アメリカ合州国を筆頭とする先進資本主義国の「拡散した」スペクタクル権力──が、以後、「統合されたスペクタクル」という単一のスペクタクル権力のもとに収斂するということである。この「統合されたスペクタクル」は、世界的な市場経済の発展の結果、かつての冷戦下の敵対的な2つの世界の間での「スペクタクルの世界的任務分割」が終わりを告げ、2つの性格のスペクタクルが相互浸透して統合されたものである。これは、79年の『イタリア語版序文』が述べていた「真」と「偽」の対立の消失、『注解』そのものが指摘する「スペクタクルの連続性」というスペクタクル化過程の論理的結果だが、その後、現在にいたるまでの世界の進行を的確に予言した点で注目に値する。なぜなら、この「統合されたスペクタクル」の力こそ、この『注解』が発表された1年後、1989年に、突然のようにして起きたソ連と東欧社会主義諸国の崩壊の原動力であり、さらに、その後の世界が単一の普遍的な価値──民主主義と自由経済──のもとに自らの統一を公式に宣言するにいたった最大の要因だったからだ。ソ連の崩壊は、社会主義に対する資本主義の勝利ではない。『スペクタクルの社会』の1992年の序文でのドゥボール自身の説明によれば、それは、「スペクタクル的に偽造されスペクタクルによって保証された世界市場」の中で「後進的形態の支配階級」であった全体主義的官僚主義が、より良い形態のものになることを願って行った改宗にすぎず、この世界の統一は、「全世界の政治経済的現実」において「拡散されたスペクタクル」と「集中されたスペクタクル」の融合がすでに生み出されていたことを事後的に宣言したものにすぎない*17。それはまた、民主主義や人権が全体主義のイデオロギーに勝利した証でもない。なぜなら、そこでの民主主義とは、「観客的(スペクタトゥール)な人間の権利〔=人権〕の承認によって和らげられた〈市場〉独裁の自由」*18を意味する1個のイデオロギーにすぎず、それにもまして、ソ連崩壊以降の「統合されたスペクタクル」の段階においては、かつてのいわゆる社会主義圏の国々が西側のスペクタクル=商品経済の中に巻き込まれるだけでなく、民主主義を標榜する自由主義圏の国々もまた「集中されたスペクタクル」の特性であったはずの「秘密」による政治を行わざるをえなくなったからだ。このことをドゥボールは、「いまや、統合的スペクタクルの統一的実践が『世界を経済的に変化させた』と同時に、『知覚を警察的に変化させた』と言わねばならない」*19と、明確に書いている。ここで言われる「知覚の警察的変化」とは、スペクタクルの世界がかつてのような仮想の敵や自己の正当性のために捏造した外部(西側にとっての東側、東側にとっての西側)を失って、現実全体と完全に混ざり合うなかで、自己を維持するために、自らの世界の内部にそのつど人為的に偽の対立と解決策を作り出さねばならなくなった箏態を指している。この「世界の握造化」のために、スペクタクルはメディアを最大限に利用する。もはや、政治も戦争も事件も災害も革命もメディアの中で起き、政治家や専門家は次の日には嘘であることが明らかになることを平気で語って自己保身と大衆操作を行う。一方で、支配権力はその決定を完全な秘密のなかで行って、歪曲した情報だけをメディアの中に流すが、その嘘に反駁する者は誰もいない。メディアが日々流す循環的な情報は歴史を除去したものであり、それを受け取る観客たちも永遠の現在の中に置かれて歴史認識そのものを奪われているからだ。『注解』は、さまざまな例を挙げて、こうした「統合されたスペクタクル」の風景を執拗に描いているが、それはむしろグローバル化されたと言われる現在のわれわれの世界の正確な肖像ではないだろうか。実際、1988年のこの『注解』以降にわれわれが眼にしてきたものは、東西の対立軸が失われるなかで、ついに統一された世界の警察による犯罪行為の討伐として、メディアの完全な操作によってメディア上の物語として実行された湾岸戦争であり、ボスニアヘの空爆であり、ティミショアラの「虐殺」であり、近くは、完全な秘密と情報操作の中で実現した日本の権力交代であった。


4 隠語(アルゴ)の共同体

 すべてが包囲されてしまったかに見えるこの「統合されたスペクタクル」の社会において、それでは、ドゥボールはそれとの闘争をどのようなかたちで構想しているのだろうか。『注釈』の中では、このスペクタクルとの戦いの方法は具体的に示されているわけではない。このことはしかし、この書物の性格に関わることであり、その方法を具体的に示さないこと自体が、ドゥボールのこの書物での戦略であることは、ドゥボール自身が最初に述べている。すべてを表象の舞台に上げようとするこのスペクタクルに対して、敵に自分の手の内をすべて見せ、「誰にでもすべてを教え*20」ることは致命的な失策である。この『注釈』そのものが、敵の牙城の中で書かれ、敵に姿を見破られないために、「いくつかの要素は意図的に削除され、全体の見取図はかなりわかりにくいものにとどま*21」っている。スペクタクルの社会との闘争においてドゥボールが選択した戦術は、何よりもまず、スペクタクルの舞台に完全には姿を見せないこと、スペクタクルによって同定されないこと、スペクタクルとは別のルールで闘うことである。しかし同時に、すべてを語るのではないこの『注釈』が、公式に定められた条約に密かに付け加えられる「秘密の条文」のように、「あちらこちらにいくつもの別のぺージを挟み込めば、全体の意味が現れる*22」のと同様に、ドゥボールの戦術は、秘密の鍵を持ち、言葉を聞き取るすべを心得た者たちには容易に理解できる。それは、60年代以降のドゥボールの同伴者アリス・ベッケル=ホーが明らかにした隠語(アルゴ)の戦略と同じものである。ベッケル=ホーは、1990年に出版した『隠語の王様たち』*23の中で、現代のヨーロッパとアメリカのアウトローたち(危険な階級)が用いている仲間うちだけに通じる秘密の言い回しである隠語(アルゴ)が、中世のロム、すなわちジプシーたちの言語から派生したものを多く含んでいると主張する。彼女は、多くの言語学者が過小に評価する隠語のジプシー語起源説を、ヨーロッパヘのジプシーの出現以来5世紀以上にわたる過去の文献の比較検討によって証明し、フランスの悪党たちの語る隠語とヨーロッパ・ジプシーの話すさまざまな言葉との関係を示す語彙集を作成した。さらにベッケル=ホーは、このジプシー語起源の隠語(アルゴ)は現代のヨーロッパの幼児語の中にも5世紀の時を経て受け継がれ、ロムでも悪党の子でもない普通の市民の子供たちが、とりわけ性的な話題を話す時に、そうした隠語(アルゴ)を用いて話しているが、それは父親や母親からの禁止によって子供たちの無意識の中に抑圧され、成人になってからはすっかり忘れ去られてしまうのだとも語っている。スペクタクルの社会の申し子である民族誌や言語学の研究者によっては捕らえることができず、スペクタクルの社会の市民にとってもアルゴ意識できないこれらの隠語(アルゴ)は、まさにスペクタクルの社会の意識には決して上らず、スペクタクルの社会を巧みに逃れるために編み出された秘密のコミュニケーションの手段である。それはいかに抑圧されていても、スペクタクルの目の前で、スペクタクルに悟られぬようにして伝わり、スペクタクルそのものを破壊する回路をつねに突飛なかたちで作り出すだろう。ベッケル=ホーはこのように書いている。「ジプシーとは、保存されたわれわれの中世である。つまり、別の時代の危険な諸階級である。さまざまな隠語の中に受け継がれていったジプシーの語は、ジプシー自身と同じである。彼らは、最初に現れた時から、自分たちのたどった国々のさまざまな名字── gadjesko nav〔ロム語で「外人名」の意〕を名乗ったので、読み書きができると思っている者たちすべての眼には、紙の上での彼らの「身元=同一性(アイデンティティ)」はいわば失われてしまうのである」*24
 ドゥボールは、アリス・ベッケル=ホーとともに、文字通りこの「隠語の戦略」を実践する。ドゥボール自身が、『注解』の翌年に、「〔フランソワ・〕ヴィヨンの共犯者たち」がかつて実際に使っていたこの隠語(アルゴ)を部分的に用いて、常にスペクタクルから隠れた場所で行ってきた自らの過去の生を語っている(『称賛の辞(パネジリック)──第1巻』*25、1989年)が、そこで語られる彼の人生は500年前の危険な階級がパリという「同じ町、同じ岸で*26」行っていた生き方になぞらえられている。「わたしの全生涯を通して、わたしが見たものは、動乱の時代、極端なまでの社会の分裂、そして、途方もない破壊だけだった。わたしはこれらの動乱に関与した*27」という言葉で始まるこの自伝の中で、ドゥボールは、1929年の大恐慌──スペクタクルの社会はそれと時を同じくして誕生した──の災厄とともに破産の中で始まった自らの生、文字通り危険な階級であったレトリスト・インターナショナルやシチュアシオニスト・インターナショナルの仲間たちとの冒険、68年5月の行動、その後のフィレンツェやローマ、スペインでの隠れた生活、呑んだ大量の酒、愛した数々の女たち、住んだいくつもの家、投獄され、自殺した多くの仲間を語る。そしてとりわけ、自らのこの生を、スペクタクルの廃墟──スペクタクルによる廃墟化であると同時に廃墟のスペクタクル化──の中での1つの「戦争」として生きたことを強調する。それはちょうど、「世界は錯誤でしかない*28」(ヴィヨン)という認識の上に、世界との戦争を行った中世の危険な階級の悪党たちの生き方と同じである。ドゥボールもまた、その仲間たちと隠語(アルゴ)で語りつつ、スペクタクルのコミュニケーションではない別のコミュニケーションを作り出し、さらに、その別のコミュニケーションに基づいた社会の可能性を伝えながら、スペクタクルの社会との戦争を遂行したのである。
 スペクタクルの社会の中で、スペクタクルの共通言語には翻訳できないこの「別のコミュニケーション」としての「隠語(アルゴ)」による共同体を創出することこそが、「統合されたスペクタクル」の時代において、それと闘う唯一有効な戦術ではないだろうか。この共同体は、依然として、「自律的なプロレタリアートの総会が、その総会の外にはいかなる権威も所有権も認めず、自分たちの意志をあらゆる法とあらゆる専門化の上に置くことによって、諸個人の分離=〔疎外〕と商品経済と国家を廃絶する*29」(『イタリア語版序文』)というシチュアシオニスト的な意味での「評議会」である。ドゥボールの言う「プロレタリアート」とは、生産労働に従事する労働者だけでなく、社会の全領域の賃金労働者、さらには、社会の中に場を持たないあらゆる非所有階級の人間という意味での「現代のプロレタリアート」のことだが、この彼らが、それぞれの生きる場で、また、職場と地域を横断して、自発的に結成する共同体が「評議会」である。この共同体の意志は、全員参加の総会の場で、代理性や専門化を排した徹底的な直接民主主義によってしか決定されず(それゆえ、この「評議会」こそが唯一の権力である)、そこで決定された政策の実行もまた、全員が平等に行わなければならない。この決定と実行の平等が実現される集会、その都度、自らを生起させ、自らの権力を構成し直す集会としての「評議会」は、かつてドゥボールが「状況」として構想したものの「政治」的な表現であるとも言えるが、「統合されたスペクタクル」の時代において、ドゥボールはもはやそれを名指すことをやめる。だが、この「状況」も、この「評議会」も、スペクタクルの支配する社会のあらゆる壁に、この社会に仕える知者には決して読めない「メネ、テケル、パルシン」という謎の文字として確実に刻み込まれている、というのがドゥボールが最終的にたどりついた結論である。新バビロニアネブカドネザルがバビロンの補囚とともにエルサレムの神殿から奪ってきた財宝を前に、その子、ペルシャザル王が宴会をしている時に突然現れた人の指が、壁に書き込んだこれらの謎の文字は、宮廷の知者には意味が判読できず、ただダニエルだけがその意味は「数える、量を計る、分ける」、すなわち、神が王の治世を「数え」、王の力量を秤にかけて「計」って不足だと判断し、王国を2つに「分ける」、ということだと理解した。そして、その通り、実際にその夜、ペルシャ人によるバビロン陥落によって、ペルシャザルは殺害され、新バビロニアは崩壊する。現代のバビロンである「統合されたスペクタクル」の社会も、それ自身には理解できないこの謎の文字、すなわち「隠語」による「別のコミュニケーション」の共同体によって、不可避的に崩壊するだろう。ドゥボールの『イタリア語版序文』の結論はこのようになっている。「不幸で滑稽な現在のどの結果、どの計画の下にも、すべての幻想の都市の不可避の崩壊を予告するメネ、テケル、パルシンという文字が刻み込まれているのが見える。この社会に残された日数は限られている。その大義もその長所もすでに測られて、軽いものであることが分かった。その住民は2つの派に分かれてしまった。その一方はこの社会が消滅することを願っているのである」*30。実際、冷戦の終結による世界の単一市場化という「統合されたスペクタクル」のなかで、チヤパスからシアトルまで、この世界の単一化に反対する行動として、スペクタクルからは姿の見えない者たちが、スペクタクルには理解できない言葉を交わしながら開始したさまざまな新しい形態の闘争は、このドゥボールの予感を十分に裏付けるものではないだろうか。この文章の冒頭に挙げたように、「スペクタクルはどこにでもある。〔……〕重要なことは、道に迷うことだ」と、ドゥボールは最初に書いていた。これらの新しい闘争に対して依然として求められていることは、再びスペクタクルのなかに捕らわれてしまわないように、スペクタクルの公道で道に迷うことであり、逆にスペクタクルの社会を迷路化することである。

(きのしたまこと・フランス文学)

*1:Internationale Lettriste, No 2, 1953 (邦訳、『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』第2巻、木下誠 監訳、インパクト出版会、1995年、246ページ)。

*2:GuyDebord, La société du spectacle, Gallimard, 1992(初版は Buchet/Chastel,1967),p.3 (邦訳、『スペクタクルの社会』、木下誠 訳、平凡社、12ページ)。以下、この本からの引用は、邦訳のページ数のみを記す。また、「断章」の数字を本文に記入した場合は、原則として、わざわざ出典のページ数は記さない。

*3:『スペクタクルの社会』、32ページ。

*4:ドゥボールは『スペクタクルの社会についての注解』の中で、スペクタクルの社会が誕生した時期を「1967年」の「40年」前、すなわち、1920年代末ごろであると述べている。GuyDebord, Commentarires sur la société du spectacle, suivi de préface a là quatriéme édition italienne de "La Societe du spectacle", Gallimard, 1992 (Commentarires の初版は、Editions Gérard Lebovici, 1988), p. 15(邦訳、『スペクタクルの社会についての注解』、木下誠訳、現代思潮新社、2000年、10ページ)。

*5:ボードリヤールはいくつかのインタヴュなどで、30代の自分はシチュアシオニストだったと語っているが、実際にはシチュアシオニスト(シチュアシオニスト・インターナショナルのメンバー)であったことは1度もなく、単に、CNRS(国立科学研究所)でアンリ・ルフェーヴルの 助手をしていた頃に、ルフェーヴルを介してドゥボールと出会ったにすぎない。cf. Christophe Bourseiller, Vie et mort de Guy Debord, Plon, 1999, p. 128.

*6:こうした「誤解」の典型的な例は、Frederic Schiffter, Guy Debord, l'atrabilaire (deuxième édition) , disitance, 1999 に見られる。ドゥボールのスペクタクル概念は、「生」が「表象」の中に「遠ざかり」、堕落するという、プラトン的な現前の形而上学の反映にすぎないとするシフテールの議論は、それ自体、ドゥボールの理論を観想的に捕らえ、実践との関わりの中で理解しないものである。

*7:"Definitions", in Internationationle Situationniste, No 1, 1958, p. 13(邦訳、『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』第1巻、44ページ)。

*8:ドゥボールの最初の映画である『サドのための絶叫』(1952年)のこと。この映画については、ギー・ドゥボール著『映画に反対して──ドゥボール映画作品全集』(上・下)、木下誠訳、現代思潮社、1999年、を参照。

*9:この「作品」はレトリスト・インターナショナルの機関誌『ポトラッチ』第16号(1955年1月)から第18号(1955年3月)に3回に分けて収録されている。『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』第3巻、272−279ページ。

*10:))』1958年)、既存のフィルムの断片だけでできた映画(『スペクタクルの社会』、1973年拙文「『起源』の『物語』──『回想録』におけるドゥボールの表象の戦略」(『aala』第100号、1995年)を参照。どを、ドゥボール自身が制作し、他のSIのメンバーもさまざまな転用の実験を行っている。  「状況(シチュアシオン)の構築」という、シチュアシオニスト・インターナショナルの名称の元になった彼らの中心理念や、スペクタクルの主戦場である都市の隠れた回路を探り出す「心理地理学」や「漂流」、スペクタクル的な都市計画の批判としての「統一的都市計画」などのSIの行動綱領、あるいはまた「労働の拒否」、「遊び」、「日常生活の意識的変更」などの彼らの実践的理論も、「スペクタクル」と「現実」の相互嵌入的な構造の中で、「表象」のシステムに回収されるのでもなく、「存在」へのノスタルジーに駆られて幻想の「生」の中に無限に退行するのでもなく、あくまでも現代の──最先端の──技術と環境のなかでそれらのものをラディカルに組み替えることによってスペクタクルの支配を突き崩す方途としての「転用」の考えが、その底に流れている。これらすべてについて詳述する余裕がないので、ここでは「状況」という彼らの概念についてだけ述べておこう。  「統一的な環境と出来事の成り行きを集団的に組織することによって具体的かつ意図的に構築された生の瞬間((

*11:Internationale lettriste, No 2, 1953(邦訳、『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』第2巻、294ページ)。

*12:))という論文の中で、アンリ・ルフェーヴルの「契機」の理論との関係でより理論的に考察したこ"Theorie des moments et construction des situations", in Internationale Situationniste, No 4, 1960, PP. 118-119(邦訳、『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』第2巻、33−39ページ)。とがある。ルフェーヴルの「契機」の理論とは、通常の時間的持続の屈曲あるいは内施(involution)として現れる、ある種の実体性を備えた「現存の様態」であり、具体的には「熟考の契機」、「闘争の契機」、「愛の契機」、「遊びの契機」、「休息の契機」、「詩の契機」、「芸術の契機」などが存在し、「自由な行為」はそれらの「契機」を変革し、新たに創造する能力として定義される、というものだが、ドゥボールはこの考えを踏み台として、「状況」とは「不確実な諸瞬間を制御する(助長する)1つの相対的な組織」であり、「瞬間」と「契機」の「中間的レヴェルに位置」するが、「契機」とは異なり「それ自体としては『契機』のように反復できるものではな」く、「より未分化」で「無限の組み合わせに適して」いると考える。この「反復」不可能で「未分化」な様態こそ、「状況」が「無限の組み合わせ」を行いつつ自己を構築し、そのようにして構築されたものが「スペクタクル」の眼差しから常に逃れることを可能にする様態である。ドゥボールはさらに続けてこう書いている──「状況も『契機』と同じように『時間のなかで拡散したり凝縮されたりすることもある」。だが、それは1つの芸術生産の客観性の上に自らを築こうとする。ここで言う芸術生産とは、永続的な作品とは根底的に断絶したものである。商品形態下での保存とは本質的に異質な使用価値として、この芸術生産は、即座に消費されることと不可分である」。つまり、「状況」は、ある種の「客観性」を持って蓄積され交換されるべき「商品」の生産を行う「スペクタクル」に対抗して、それ自身の「芸術生産の客観性」──物質性──を持つが、この「芸術生産」とは「交換価値」を生むための資本主義的生産ではなく、「作品」=「商品」としての「交換」を拒否した純粋な「使用」の別名、「商品」を破壊し、それを別種の目的で「消費」することの別名としての「生産である。ここで言われる「使用」と「消費」は、どちらも「転用」と同義語である。なぜなら「転用」とは、「スペクタクル」の中で場を占めるために何らかの物を作り出すことではなく、「スペクタクル」に気づかれないやり方で既存の事物の別種の「使用」を発見し、しかも、そうして生み出された新しい「使用価値」が「スペクタクル」の中で表象され流通する何らかの「商品」となることのないように、即座に「消費」することだからだ。この「消費」は、スペクタクルの社会を成り立たせている消費経済の中での消費(consommation)ではなく、交換経済を破壊する「ポトラッチ」としての「消尽=焼き尽くし」(consumation)である。実際、ドゥボールは『スペクタクルの社会』の理論的考察を導いた1966年の論文「スペクタクル=商品経済の衰退と崩壊」(("Le déclin et la chute de I'économie spectaculaire-marchande", in Internationale Situationniste, No 10, 1996, PP.3-11(邦訳、『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』第5巻、12−36ページ)。

*13:GuyDebord, Commentaires sur la société du spectacle, suivi de préface a là quatriéme édition italienne de "La Societe du spectacle", Gallimard, 1992 p. 100(邦訳『スペクタクルの社会についての注解』、木下誠訳、現代思潮新社、2000年、139ページ)。

*14:Ibid.

*15:GuyDebord, La société du spectacle, Gallimard, 1992, p.IX(邦訳、『スペクタクルの社会』、木下誠訳、平凡社、5ページ)。

*16:Op. cit., p. 18(邦訳、前掲書、15ページ)。

*17:Op. cit., pp. X-XI(邦訳、前掲書、6−8ページ)。

*18:Ibid., p. XI(邦訳、同上書、8ページ)。

*19:Ibid., p. X(邦訳、同上書、7ページ)。

*20:Op. cit., p. 13(邦訳、前掲書、7ページ)。

*21:Ibid.(邦訳、同上書、8ページ)。

*22:Ibid.(邦訳、同上書、8ページ)。

*23:Alice Beker-Ho, Les Princes du Jargon, Editions Gérard Lebovici,1990 (Gallimard, 1993).

*24:Ibid., p. 50.

*25:Guy Debord, panégyrique-tome premier, Editions Gérard lebovici, 1989.

*26:Ibid., p. 37.

*27:Ibid., p. 90.

*28:Op. cit., pp. 111-112(邦訳、前掲書、155ページ)。

*29:Op. cit., pp. 111-112(邦訳、前掲書、155ページ)。

*30:Ibid., p. 112(邦訳、前掲書、155ページ)。