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〈運動〉以降 酒井隆史

「しかし、どうしても歴史を参照するというのであれば、なぜ、堅固このうえなく定着しているかにみえた人間、制度、思想が一掃された画期的な時期を参照の対象としてえらばないのか……」(フェリックス・ガタリ)


1 post-political politics

 イタリアの76年はフリーフェスティバルの年であった。とりわけ都市部の若者に多大な影響を与え、また「若きプロレタリア」という語を流通させ、68年世代の新左翼とも一線を画する新たな集団性、ポリティクス(77年の運動の高揚の大きな源泉であった新たな政治的主体性としての「若者」)の形成に一役を買っていた雑誌レ・ヌードの支援のもとで、ミラノでは多くのポップ・フェスティバルが開催される。「われわれの生を自らの手に」。それは旧来の体制の崩壊を、左派と中道ともにタッグを組んでの上からの混乱回収のための「危機のイデオロギー」とそれに足場を置く「緊縮政策」に対して反抗を表明した。フェスティバルはとりわけ緊縮政策が強いた祝日の削減への抵抗という色合いをともなっていた。週労働時間の短縮を、労働に関係なく欲求の充足を、こうした主張とともに。高学歴、消費者、半失業者といった特徴をもつ若者は、かつての戦闘的労働者による「労働の拒否」戦略が取り上げたテーマを、女性に続き工場の外で取り上げ始めたのである。それは68年からはじまった階級構成の組み替えを端的に表現していた。「オペライズモの伝統に接ぎ木されたカウンター・カルチャー主義者の同盟」である。つまりマルクスウッドストックが同盟を組んだわけである。ダンスは延々と続き、やがて警官、機動隊との対決に至る。これはレイシズムという要因を加えイギリスで80年代に繰り返される場面である(フリーフェスティバルに関してはイギリスの影響である)。
 さらに76年にスクウォッティングは単に住宅問題への対応というだけでなく政治的、文化的センターとしての意味を帯び、不法占拠は増え続ける。77年にはミラノの「若者調整グループ」は『われわれは家族とは異なる生を営みたい。われわれは思うがまま生きたい」という声明を上げる。このスクウォッティングのコミュニティ指向性のゆえに、そこは従来は政治運動の周縁的存在であり、またそれ以前にポジティヴなアイデンティティを剥奪されていた女性やゲイたちのオルタナティブな共同性構築のための自律的空間、実験場となった。こうした68年に端を発する主に文化的アイデンティティや表現のレベルでの動きがイタリアの68年以来の長期にわたる議会外左翼の(固有名詞として〈運動〉と呼ばれる)既存の左翼組織からも含む自律を志向した運動において──主体も立場も様々なグループからからなる横断的動きとしての〈アウトノミア〉──目立ってあらわれたのは76年であるとされる。長続きしない多様な小集団、マニフェストの数々、自発的値引き、山猫スト、そして機動隊との暴力的衝突、テロリズム。文化的創造性を志向する勢力、より政治的指向性、あるいは直接軍事行動への指向性の勢力などが混在して、またひとつの勢力のなかでも混在して最高潮に達したのは77年である*1
 政治と暴力、テロルと国家奪取の夢、新たな主体性、欲求、コミュニティ──古い地層と生成に属する動きとが絡まり合って、やがて、アルベルト・メルッチのいうイタリアの制度的特質(必ずしもそうだとは思えないが)による既成左翼勢力の「過小代表 underrepresentation」とそれに由来する「過剰政治化」という操作のために、国家の側と〈運動〉の側の双方のテロリズムの上昇を生み、モロ誘拐殺人をきっかけにした議会外左翼ひとくくりの大弾圧によってそのポテンシャルはひとまず窒息させられた。
 いずれにせよ、〈運動〉において徐々に中心をしめるようになった、きわめて特異でありガタリたちを注目させた側面は、他者に変化を要求すること──敵とぶつかること──を第1目標としない、という「今日まで歴史を揺るがせた革命とはまったく異なる」(ガタリ)異例の運動のかたちであった。たとえ〈運動〉が他者と正面から衝突するとしても、それは副次的な問題である。まずもっては「自足」的であった。閉鎖的であるという意味ではなく、ぞれは〈運動〉自体が目的、すなわち「生の形式」(の実験)となるという意味である。つまり手段と目的が分かたれないスピノザ的な「構成的実践」である。われわれの生がどのようなものでありうるのか、われわれの身体がなにをなしうるのか、その可能性の自由な展開の試みが〈運動〉である。その意味で〈運動〉は本質的に肯定的なものである。敵があるとしたら、それは生の形式の実験を拒み暴力的に抑圧してくる勢力である。だがそれは〈運動〉の意義からしたら二次的なものにすぎない。少なくとも〈運動〉の主要な傾向は、なにかイシューがないと、敵がいないと──被抑圧者がいないと──闘えない、こうした否定的/反応的な論理(これはスラヴォイ・ジジェクがPCの論理としたものにつながるだろう。社会が悪くないと──抑圧されるマイノリティがいないと──自分の存在理由を失ってしまうから常に強迫的に悪をみいださざるをえないやましい良心)とはまったく無縁であろうとした。ジョルジオ・アガンベンのいうように、裸形の生と生の形式とを分割することがひとつの権力技術であり、また代表/表象の論理を機軸にした政治の形態ともつながっているとしたら、そしてそれが私生活と活動生活、快楽と運動を分裂させる重苦しい倫理主義へとつながっていたとしたら、むしろ〈運動〉は単純に別種の生き方とそれを可能にする別種の時間・空間(「第2の社会」と呼ばれた)を構成することでその分裂を克服しようとしたといえるだろう。

 だが今回のここでの関心は過去の堀り起こしではない。むしろ現在である。ヴィルノもいうように、〈運動〉以降に運動の動きを抑圧しながらあらわれた保守反動は、単に運動の革命的ポテンシャルの解放にストップをかけたのではなかった。つまり80年代においてその相貌をあきらかにした新しい保守、ライトは、単純に運動が解き放ったポテンシャルに対して受動的にリアクションしたわけではない。それは〈77年の運動〉──さかのぼれば68年──のもたらしたポテンシャルにあたかも波乗りであるかのように積極的に身を委ね、そのヴェクトルを向け変えたのである。したがって、現代の新たな保守/ライトの動きをイノヴェーション、変革、新たな主体性/集団性の積極駒構成など「運動」の相で捉え返す必要がある。現代の状況は、敵が運動の担い手であるという意味でも〈運動〉以降なのである。
 だがそれはイタリアに限った現象ではない。イタリアでは極端なかたちであらわれたにしても、68年のもたらした切断を不回帰点として踏まえた上でそのポテンシャルヘの開発/搾取をはかるニュー・ライト主導の攻勢を甘受しているという点では新自由主義の波を多かれ少なかれ被った(ている)いわゆる先進国共通の経験であろう。問題は、このポテンシャルのエクスプロイテーションの経済をフォローすることで、現状を正確に把握することである。コベナ・マーサーがいうレフトの自身へのナルシスティックなイメージ──変革の独占的担い手、未来の占有者としての──は、ニュー・ライトが変革の力をつかみうまく利用している状況の把握を妨げ、そのためレフトのリニューアルを困難にしている。レフトが旧来のヴィジョンのもとに過去に固着しているあいだに、あるいはポストモダンの分散/脱中心化状況をうまく自らのものになしえないまま無力化している一方で、生来的にオポチュニストたるライトは着々とリニューアルを果たしつつあるのだ。
 とりわけ日本の「レフト」は(世界的な意味/視野のもとでの)68年の意味をつかみそこね、80年代にかけて、ポストモダニスト、ニュー・ライトの言説的ヘゲモニーのうちに「過去」に追いやられ断片化されつくした感がある(ねばり強い闘いや新たな闘いはますます周録に追いやられながら)──この点ではそうしたレフトの側の無理解と照応したかたちで80年代の日本のポストモダン・イデオロギーが(ドゥルーズ=ガタリたちとは正反対に)68年の埋葬者としてあらわれたことは銘記されるべきであろう。また時代状況のはらむ切断に敏感でありそれを踏まえた上でレフトのリニューアルをはかっているカルチュラル・スタディーズの努力は、その主要な(とりわけ日本での)文化主義的傾向によって、資本の運動や政治的力関係を看過する傾向にあり、その複雑で動的な運動がもたらす現象に対する受動的なポジションの結果、アイデンティティ・ポリティクスの迷宮をさまよっているようにもみえる。
 いずれにせよ、「われわれ」(だがこれがなにを指すのかそこから問題であろうが)の状況はきびしく(「そし敵は、依然として勝ち続けている」)、イタリアにもまして無惨な日本の80年代、90年代は、現在のそして未来のアクティヴィズムのためにも分析されそして乗り越えられる必要がある。「すべての光はここ、闇のなかにある」とヴィルノは述べているが、現在ある状態のうちに解放への=生成状態のポテンシャルを見出す努力、つまり解放を現在から切断し過去や未来のファンタスムで包み込むことなしに、「あるがままに暴力的に到達する」(スチュアート・ホール)営みと希望を結びつける展望において、ネグリたちの努力はわれわれに欠如しているもの、あるいはひとつの抜け道を提示してくれているように思う。この場所で「80年代の経験を変革し投げ捨てるために」(ヴィルノ)──その準備作業として、ここで彼らの思考のひとつの大きな特徴であるさまざまな創造された(あるいは流用された)概念を中心にそのパースペクティヴの一端を覗いてみたい。


2 労働の拒否/一般的知性

 イタリアにおいて、50年代の北部大工場での南部出身の移民労働者たちの闘争に端を発する、従来、労働者の代表権を独占していた労組や党(とりわけイタリア共産党)の実践やイデオロギーに抗しつつ編み出された独特の戦術や集団行動の形態(自発的値引き、生産サボタージュなどは)つまり「オペライズモ(労働者主義)」の伝統は、「労働の拒否」「より少ない労働と、より多くの賃金を」といったスローガンに結実し、実践的には69年「熱い秋」において爆発した。こうした闘争を背景としつつマリオ・トロンティをはじめとする、オペライズモの流れのなかにあるイタリア・マルクス主義は、マルクスの『経済学批判要綱(以下『要綱』)』における有名な分析(「機械についての断章」)の「完全にマルクス主義的であるとは言いがたいテーゼ」(Virno)を活用した。そこでマルクスは、労働のうちに価値を普遍的に還元するという(通常マルクスのものとされる)労働主義イデオロギーを自ら覆していたのだが、その議論はおおよそ以下のように要約できる。後にテーラー主義の原理である「構想と実行の分離」へといたるであろう、相対的剰余価値追求のための生産過程の機械装置による合理化の過程が、労働を生産過程において周縁化する。つまり、機械あるいは固定資本と一体化した抽象的知が、労働を周縁化しつつ(「労働者は生産過程の主作用因であることをやめ生産過程と並んで現れる」)主要な生産力となる。したがってこの過程においては労働は価値源泉としては副次的なものとなり、それゆえ資本主義自身によって価値法則が否定されるのである、と(「直接的形態における労働が富の偉大な源泉であることをやめてしまえば、労働時間は富の尺度であることを……やめる」)。富の生産という観点からするなら、労働はもはやネグリジブルなエレメントである。それにかわって主要な生産力になるのは、生産(機械やのちには組織──プロセス・イノヴェーション)に応用された科学抽象的知、固定資本に客体化された「一般的知性 intelloto generale / general intellect 」である。生産過程の主要な役割を担うのは機械という具体に入り込んだ知という抽象なのである。この「一般般的知性」という比喩は抽象的知がモノのうちに「染み込む」という事態をいいあらわしているという意味でも奇妙なテーゼである(それゆえへーゲル的として嫌われもしたのだが)。
 だがここに存する決定的矛盾にマルクスやオペライストは注目した。もはや労働は主要な価値源泉ではない、だがそれにもかかわらず、依然として価値法則は用いられているという矛盾。つまり富の尺度単位には、事実上依然として労働(時間)が用いられているという矛盾。そうだとしたら、この矛盾をより押し進め激化させることで「交換価値」にもとづく生産の崩壊(「交換価値は使用価値の[尺度]であることを、やめるし、またやめざるをえない」)、ひいてはコミュニズムヘと導くことが可能なのではないか?『要綱』のマルクスと同様、オペライストたちは、この生産における労働の周縁化を逆手にとって労働からの解放に自らを賭けたのであった。より豊かに、だが仕事は避けたい、というのである。しかもそれは「客観的」過程のはらむポテンシャルの暴露にすぎない。労働者たちは「客観的傾向のコンフリクト含みヴァージョンを主張しようとした」のである。
 マイケル・ハートが注意を促すように、「労働の拒否」は単なるスローガンではなく、プロレタリアの様々な抵抗のかたちを包括的に考察するための分析的カテゴリーでもある。たとえそれが明示的に「労働の拒否」を掲げていようといまいと、この概念はマルクス剰余価値概念のように様々な抵抗のかたちの分析格子となる。サボタージュ、集団移住、組織的ストライキ、個人的アブセンティズムなど。また過剰な賃上げ要求もこれにあてはまるだろう。たとえばそれは、必要労働時間と剰余労働時間の配分を窓意的なものとして、つまり経済法則ではなくポリティクスの領分に属するものとしてあらわにしているのだから。「労働の拒否」は、諸々の闘争の主体の意図はどうあれ、それらを──「妥協」の一環としてあらわれようと──反動的/反応的な対立、あるいは単なる修正への圧力としてではなく、資本による垂直なコマンドとしての価値法則からの積極的/肯定的な「分離」──これは政治哲学の領域では構成された「権力 potenza」に敵対する構成する「力能/潜在力 potenza」として捉え返される──のポリティクスを潜在的に内包していると解釈するための装置なのだ。つまりそれは常に肯定的なそれゆえ存在論的に先にくる──(労働者の)力とそれに否定的に垂直に働く権力のあいだの力の経済学としてマルクスを解読する試みである。この二ーチェ主義によってマリオ・トロンティはドゥルーズに後にフーコー(抵抗が先にくると考えた)のひとつの源流とされるわけだが、その基本的発想は単純である。「われわれは資本主義の発展を第1に、そしてその次に労働者について考える。だがそれは誤りだ。問題を足で立たせること。まず最初に労働者階級の闘争がある。社会的に発達した資本主義のレヴェルでは、資本主義の発展は闘争のあとをやっとでついてくる」。

 60年代の広範な労働者の闘争はテーラー主義的労働編制の限界を内部から促進させ、テーラー主義、フォードシステム、ケインズ主義的福祉国家の三位一体からなるフォーディズム体制を危機に陥れるひとつの大きな要因となった。生産性上昇率の鈍化、インフレ、財政赤字の増大、失業率の増加といった状況が三位一体への見直しを資本の側にも迫った。だが、それと同時に労働者の「労働の拒否」戦略は70年代のはじめにけ危機に瀕する。資本は労働者が行使した「分離」のポリティクスを受け入れ、自らさらに抽象度を上昇させることでコンフリクトの源泉である労働の場面からの撤退をはじめたのである。次の引用はマリオ・トロンティの有名な言葉である。「資本の政治史は、資本の階級関係からの撤退の試みの連続である。より適切には、労働者階級への資本の政治的支配の様々な形式の媒介によって、労働者階級から自らを解放するという資本家階級による試みの連続である」。「拒否の戦略」はこの資本の傾向を資本から労働、あるいはより正確には資本のもとでの労働からの解放として逆転させようとしたのだった。
 マルコ・レヴェッリが指摘するように、テーラーの生産哲学はそもそも労働者の「抵抗」を自らの前提としている。それは二元論哲学なのである。つまり、テーラーの出発点は、工場内には「第2の世界」があることの承認である。そこは資本家/経営者のはかりしれない「特別法」の支配する世界である。労働者はサボり、作業速度を落とし、そして自らの本当の能力を上役に隠す。要するに──逆説的のようにみえるが──テーラー主義の第1前提は労働者の自律性なのである。この抵抗/自律性を「構想と実行」という機能単位へと置き換えることがテーラーの二元論的哲学の核心にある。テーラー主義の行き詰まりは、合理性上昇とともにある不合理な要素に出会ってしまうこと、この二元論に由来する抵抗の痕跡──最静的には労働者の身体──を消去できなかったことに大きく原因を置いていた。ただしテーラーを導いていた資本の衝動はこうした「不完全な包摂」を乗り越えようとするのだが。この衝動は、フィアットの無人工場として完成をみろ。

 テーラー主義が生産過程と労働過程をひとまず切り離し、前者のもとへ後者を従属させるというかたちでの労働者階級からの撤退の試みの第一歩であったとしたら、さらに資本は労働の生産の場からのそもそもの「排除」というかたちで資本のリストラクチュアリングを進めていった。労働からの解放は豊かさという展望から離されて実現をみたのである。資本による攻勢は次のようなかたちであらわれた。アブセンティズムのような個人的労働の拒否に対しては、工場へのオートメーションの導入、労働の協働的関係を切断する集団的拒絶への応答としては、生産的社会関係のコンピューター化を推進すること。さらにグローバル化によって、テーラー主義は第三世界へと、周辺部へと移転する、また情報化によって資本と労働は空間、時間的に離れて存在する傾向にある。従来の労働者の集団性は解体され、その力を相対的に失っていく。その場所で〈運動〉は主体の重心を労働者から若者、女性などへと広げていった。


3 市民社会の死滅

 以上のような生産の場からの労働の排除は、同時に社会的なものおよび政治的なものからの労働の排除と並行している。68年以来、闘争のポテンシャルは、かつての政治における弁証法的、媒介的プロセスを機能不全に追いやった。そしてそのポテンシャルは政治的脱出口を求めてさまようことになるのだが、70年代後半からの動きを方向付けたのは政治的にはPCIの「歴史的妥脇」であった。これは直接にはチリのアジェンダ政権に対する反革命クーデターと政権の崩壊を背景として、73年にPCI書記長のベルリングェルが提起した政策だが、そこには次のような仮説が存在した。PCIとDCの政治的協調の制度化以上にイタリアは統治不能だ、と。歴史的妥脇、「国民的連帯」政府は、一方で、ヴィルノがいうように、フォーディズム的イデオロギーといえる労働主義(市民=生産者)を擁護しながらも、他方で統治のマトリクスとしてはすでに80年代以降の新自由主義反革命が全面的に展開することになるダイアグラムを用いていたようにも思える。その本来の意図としては、とりわけ主要な労働組合(CGIL)は、PCIが政府に接近することでネオ・コーポラティズム型の代表制形成が実現することを期待していたはずである。それは68年以来の闘争の制度への定着、出口の模索のひとつの試みであったわけである。しかしそれは逆説的にも、支配階級の側からの「労働の拒否」を積極的にあと押しすることになり、後の新自由主義反革命の母体を形成することになる。ここではその統治の方向へと逆転された「労働の拒否」=労働の排除が、媒介の排除、すなわち後にネグリらが定式化した「市民社会の死滅」というかたちをとったとして考えてみたい。
 76年あたりからの〈運動〉の創造的側面の爆発は制度、とりわけPCIとの決定的亀裂となってあらわれた。ちょうど当時、76年の総選挙で得票率30パーセントの壁を破り、閣外協力というかたちではあるけれどもDCと連立政権を組んだPCIはここにおいて「歴史的妥協」の展望を実現に近づけた。この動きは、68年以来のポテンシャルの回路づくりを放棄し、新たな政治的動きを政治的枠組みの外へ追いやることにもなった。また、既成勢力の「過小代表」は〈運動〉の側に内在していたレーニン的蜂起路線、「過剰政治化」をも促進させ暴力的な衝突を頻発させることになる。
 セルジオ・ボローニャは歴史的妥協の戦略を、国家の市民社会の省略へむけての1歩とみなしている。つまり、国家はもはや市民社会におけるコンフリクトを媒介あるいは代表することを目標としない。それどころか、「市民社会における運動に抗して、新たな階級の配置構成の政治的プログラムに抗して対置させられる「政党システム」の組織化へと向かった」。
 そしてこうした衝突がやがて「赤い旅団」をはじめとする軍事武装勢力を強化させ〈運動〉の弱体化に比例してモロ誘拐殺人と、その後の自在にフレーム・アップを駆使した猛烈な暴力的弾圧へと導いた。この間の緊急事態にメディアが深く関わっていたことには注意せねばならない。

 権力構造がアウトノミアに抗して乗り出したキャンペーンはすべてが誤っている。詳細において誤りがあるというのではない。すべてだ。証拠、証言、状況のすべてが嘘なのだ。権力構造はそれを知っているし、そう白状したりもする。しかし権力構造にとって誤りがあるかどうかは問題ではないのだ。これが政府の動きの背後にあるホンネだ。政府活動のための軍事力は、莫大な量の暴力的キャンペーンを氾濫させることにある。〈シミュレーション〉にもとづくキャンペーン。攻撃の真の担い手は、裁判ではない。テレビ、新聞、そしてパフォーマンスである。それゆえ攻撃は政治を超えている。最終的に真理から、そして現実との照応から解放されたのだ。戦争のシナリオを際限なくシミュレーションせよ、そしてそれを大衆の想像力のスクリーンヘと投射せよ──これが戦略である。まさにこの想像力こそ、現実の戦争が闘われる場所なのである……(Bifo)。


 コンフリクトはその正当な回路を与えられず、それ自体が排除され、排除された場所にシミュレーションが生産される。権力への正当化は交渉やバーゲニングではなく、メディアなど情報装置が生産するシミュレーションの場によって調達されるのである。そこは同意調達の場という意味では「市民社会」といえようが、へーゲルやグラムシのいう労働や労働組合、教育制度の織りなす装置としての市民社会ではない。つまりシステムにとって「外的」なエレメントを一面では規律・訓練、他面では交渉・代表によってシステムヘと包摂する媒介的場としての市民社会ではない。危機管理・緊急事態のポリティクスは、こうしたコンフリクトをはらんだ場としての市民社会を宙づりにする。そしてその空白にシミュラークルとしてのより高次の「市民社会」を生産するのである。要するに「市民社会が市民社会の不在それ自体に奉仕するよう構成される」(Negri and Hardt)。グラムシは市民社会おけるヘゲモニー獲得による市民社会への国家の吸収として「国家の死滅」を捉えかえしたが、その展望はひっくり返ってしまった。つまり国家による包摂によっていまや死滅したのは市民社会の方なのである。
 こうしたシミュラークルとしての「市民社会」を自らの同意調達空間として登場したのがベルルスコー二にほかならない。メディアの受動的受け手であると同時に諸手を挙げての支持を与える選挙──ネグリらのいう新自由主義的(あるいはニュー・ライト的)「権威主義的民主主義」的手法の行使の場にまったく合致しているのがこの「市民社会」であるといえよう。その点でも考えねぱならないのは、後述するように、テロリズムを介して構成された緊急事態のポリティクスが(イタリアのみならず)新自由主義的方向性をとる政治のマトリクスとして配備されているのではないかということである。


4 コントロール社会:新たな権力のダイアグラム

 フーコーの統治性の議論のひとつの背景となっているであろう民主主義の「統治不能」論──日米欧三極委員会の『民主主義の統治能力』報告が75年である──は、フーコーのいう規律・訓練権力の装置の場となる「市民社会」の危機を明確に記していた。78年にはフーコーは規律社会の終焉を語っている。フーコーはそこでは、リジッドなアイデンティティを主要な照準点として行使される権力形態としての規律はもはや過去に属する権力テクノロジーであると断言している(「ここ数年で社会も個人も変化してきており、ますます多様化し自律的になっています。規律によって強制されたのではない人々のカテゴリーがますます増大しているのです。それゆえ規律なき社会の発展を想像するよう要請されています。支配階級はいまだ古いテクノロジーにとりつかれているようですが」)。
 規律・訓練は設定されたノルムヘむけて諸々の力を調整する努力であり、それゆえ媒介的なものである。いまや「支配階級」ないしは国家は、「古いテクノロジー」を脱ぎ捨てて、この努力を省略しはじめた、あるいは異なる方向へと向けなおし始めたのである。社会的/政治的場面における労働(=コンフリクト)の排除はこうしてすすんでいく。
 この傾向はフォーディズム的政体=構成の調整様式としてのケインズ主義的福祉国家の解体──「社会的なものの危機」とされた事態──としてあらわれる。たとえばそれについては法のあり方を考えてみれば了解可能であろう。「交渉 negotiation」、「調停 settlement 」は、福祉国家ける社会法の中心概念を占めていた。社会法は社会を和解不可能な諸勢力のコンフリクトの場として把握したうえで、そのコンフリクトのその都度の収斂の場を設定するためのルールとして機能しているといえる(一面では)。社会法は「経済的なもの」と「社会的なもの」を相互制約的な関係に導き、さらにポジティヴな循環形成(経済的局面での労働者の妥協が社会面での「豊かさ」を保証するという)をもたらすフォーディズム体制のための結節点として機能していたわけだが、それはコンフリクトを不可避の条件として認めるという意味でポスト・マルクス主義のいう「社会の不可能性」を引き受けその上で否認していた。それは、精神分析的意味で「抑圧」の機制を機軸にした構成=政体であったといえよう。
 ところが危機管理・緊急状態のポリティクスのメカニズムの機軸にあるのは「抑圧」ではなく「排除」である。それは「正常状態」の達成を媒介を廃して性急に、そして暴力的に実現しようと試みる。排除の機制のもとでは、コンフリクトはシステムの言語に翻訳されない。コンフリクトは正当性の場に登録されないのである。敵対的社会実践は端的に病理でありテロルとしてたちあらわれる。問題は、こうした危機・緊急状態のポリティクスが新自由主義においては「正常な」統治のメカニズムを構成する傾向にあるという点である。ネグリとマイケル・ハートは「ポストモダン国家」におけるこうした傾向を、近年の法理論の傾向、とりわけロールズの権利論のうちにみいだしている。彼の社会契約論の顕著な特徴は、間主体的バーゲニングや交渉の役割が不在であるという点である。社会法が文字どおり社会的勢力への積極的加担によって特徴づけられていたとすれば、ロールズ(あるいはそのリバタリアン的解釈)においては法的秩序は社会的勢力からの抽象化によって確立される。ロールズの法理論はそれゆえ「ポストモダン国家」の危機管理の正常化のポリティクス──「排除」を機軸とした──をその核心部分で反映しているというのである。
 この点で湾岸戦争は「ポストモダン国家」のポリティクスの範型となりうるだろう。そこではメディアに対して厳しい統制が敷かれたと同時に、メディアの構成するシミュラークル上で「現実」が構成され、そのヴァーチャルな平面上で圧倒的同意が調達されていた。まさに市民社会が排除され、その場所に同時に「市民社会」が形成されるという論理が再演されている。だが間題は外敵だけではない。いまや社会は内部から敵の攻撃に晒されている。新自由主義やニュー・ライトの福祉国家批判がつねにそうであるように、従来のマイノリティは経済危機、政治危機と結びつけられ、にわかに社会の「敵」といった様相を帯びる。ポストモダンにおいては「すべてが内戦に駆り立てられる」とネグリはいうが、それは現存の秩序に対する逸脱や逸脱的な要素は法の外部で非合法なものとしてあらわれる傾向にあるということだろう。それゆえ常に社会は内部の敵から防衛されねばならず、その意味では恒常的に緊急事態なのだ。移民、人種的マイノリティ、「エイズもち」のゲイ(ひいてはゲイそのもの)、マフィア、テロリスト、活動家など。ネグリらはとりわけ米国におけるこの10年における外敵、内敵へ向けられた戦争における最大の犠牲者のひとりとして「権利章典」を挙げている。米国において重要なのは、ドラッグやギャングヘ向けての国内の戦争であった。それは「準戒厳令の永続状態をつくりあげている」。第一共和制の崩壊の直接のきっかけをつくった90年代のはじめから現在にかけてのイタリアにおける政治腐敗、マフィア摘発にむけての検察、判事の活躍──かつての〈運動〉への弾圧の主役でもあった──も、こうした背景において捉える必要があろう。
 再び湾岸戦争を用いるなら、それは新自由主義的ポリティクスの背後に存在する新たな権力のダイアグラムを示すのに有益である。現代の戦争においては陣地戦は無効である。規律社会としての市民社会を革命的ヘゲモニーの形成の場と考えたグラムシの陣地戦( war-of-position )は決定的に無効になる。それは時間空間的にローカルに限定されたボジション、「場所(place)」に依存した闘いである。ところがアメリカ軍率いる多国籍軍は、モニタリング装置のディスプレー上ですべての陰影をはらんでいるはずの「場所」を平面的に把握し、塹壕をスムーズにならしイラク軍を生き埋めにしてしまった。このディスプレー上のシミュラークルのスムーズな平面が力の行使の現実的平面である。そこではもはや陣地戦は不可能であり、固定的な要塞は圧倒的に不利である。つまりアイデンティティに依存する闘いはスムーズな平面、あるいはマニュエル・カステルが「場所」と対比させる「フローの空間」のうちで完全に権力によって掌握されてしまう。「無限にプログラム可能なコードと情報のフローで構成されたサイバースペースの平滑平面」、これが、規律社会以後の、すなわち「コントロール社会」(ドゥルーズ)の隠喩的空間なのである。資本主義のグローバル化の文脈でいえば、情報化によって資本は、国民国家のような「場所」に依存した単位を超えて、リアルタイムに世界単位で作動する。世界のどこであれ、投資と生産のための最適な環境を瞬時に把握し貨幣が動員される。


5 非物質的労勧/大衆知性

 再び生産の場に立ち返ってみる。知のプロセスから労働者を排除するというテーラー主義の原理を支えていた資本の衝動のさらなる展開をはかる一方で(ネオ・テーラー主義)、資本主義は、奇妙なかたちで工場の核心に「生ける労働」を再ぴ組み込んでいる。労働の分析は深化し、その組織は脱中心化される。テーラー主義的労働過程からの脱却がそうしたポスト・テーラー的工場をレヴェッリは「統合工場」と呼ぶ。それはテーラー哲学とは異なり「一元論的」である。つまりそこでは、労働者は構想という知のプロセスから切り離され、肉体に還元されることはない。資本は身体をむしろ積極的に自らの知を作業工程に解消しなければならない。
 これについては工場と社会、工場と市場との関係を考えねばならない。フォーディズムにおいては工場から社会へ(ほとんど)一方向的関係が成立していた。フォーディズム体制におけるいわゆる「規模の経済」が成立したのもこうした関係を背景にしてである(モノをつくれば売れるということ)。ところが現代においては「成熟した」市場は(そしてエコロジー的にも世界自体が)「有限」であり、その商品吸収能力は硬直的で飽和的である。したがって、工場は市場に直結して自らを共振させ、変容することのできるオート・ポイエーシス的システムとならねばならない。
 ここで労働者はかつては工場では否定されていた主体性を要求される。労働者はいわば「インターフェイス」(ネットワーク組織論のいう「媒介的企業者」)とならねばならないのである。さまざまな機能、情報のフロー、ワーク・チーム、ヒエラルキーのあいだを臨機応変(フレキシブル)に横断し、選択、連結、切り捨てをおこなわねばならない。労働者は知的スキル、肉体的スキル、(自ら協働関係を組織、運営/管理するという意味で)アントレプレナー的スキルを自身のうちで結びつけねばならない。その意味では、以上の特徴が現代に置いて主流の情報、サーヴィス、文化産業という物的生産に主眼を置くのではない「非物質的労働 lavolo immateriale / immaterial labor 」のきわだった特徴であるとしても、その特質は「物的労働」を含むすべての労働形態が共有するものとなるといえる。
 また生産の意味そのものが変容する。「インターフェイス」としての労働は工場から溢れだし、ネットワーク、フローというかたちで貯水槽として社会総体のうちに分散している。そのなかからアドホックに特定のプロジェクトのために小規模の「生産単位」が取り出され組織される。拡大する派遣業、あるいはコンピュータ−関連ビジネスで増大する小規模のオフィスをみよ。そしてプロジェクトが終わると、生産能力と豊富化を求めるべくネットワークやフローヘと解消される。価値生産はこのような価値生産とは直接には結びつかないより幅広いネットワークを前提としている。この工場に限定されない社会総体と外延を等しくする水平的平面が資本優位のフレキシビリティ、つまり資本主導による雇用の弾力化の条件である。好調といわれるアメリカの現在の「完全雇用」はアルバイト的サーヴィス業へのサラリーマンの転業、一時雇用が支えている。われわれは常態としてパート労働者なのであり潜在的にはつねに「失業者」なのである。
 それゆえ労働者の活動はつねに利潤の生産のための機能からははみだしている。非物質的労働に携わる労働者はつねに資本がその都度求めるよりも、過剰なネットワーク、知、コミュニケーションのプロセスのなかにあり、それを駆使し、なおかつその能力を向上させねばならない。ヴィルノが述べているように、これは〈運動〉においては、継続教育への権利として、雇用の不安定性のなかから積極的な要求として提起されていたものだが、現代では権威主義的に転倒され、資本の要求/命令として経済新聞、週刊誌だけでなくテレビのCMにいたるまで日々がなりたてられているものだ。要するに知を備え、コネをつくり、より自律せよ、というわけである(『アントレ[アントレプレナーの略だろう]』という雑誌まで出ている)。マルクスは価値法則からの脱出を交換価値からの脱出と結びつけ、それによってユートピアの展望を示していたわけだが、全く逆に価値法則からの脱出はわれわれの社会総体を(使用価値を)交換価値と化してしまった。
工場は社会に分散し、「社会−工場」となる。ここでマルクスのいう「資本による労働過程の実質的包摂」のみならず「資本による社会の実質的包摂」「社会の国家への実質的包摂」が完成する。
 現代では資本主義は『要綱』がコミュニズムヘの通路としていた価値法則とその矛盾を公然と自らの安定した原理として用いているというべきだろう。必要労働時間と剰余労働時間はもはや判然と区別できない。たとえばほとんど誰しも体験することであろうが、知的労働/非物質的労働は労働時間と非労働時間とを明確に区分しない。この時間のはらむ暖昧さが示す平面が──生活と労働、生産と再生産、私的なものと公的なものとが分かちがたい──いわばわれわれの存在の「零度」である。その平面は一面ではコントロールという台頭する権力テクノロジーと結びつき、社会総体を利潤生産の場として形成することで「資本による実質的包摂」の完成を印しづけているし、また逆に他面では資本のコマンド全般から逃れる可能性をも印づけている。この平面を利潤形成の方へと収斂させて、つまり生活への全般的資本の支配として解釈するのか、それともそこから全面的に逃れるための高度の可能性として解釈するのかである。
 後者の可能性は先に述べた、ネットワーク、フローの価値形成過程への過剰に端的にあらわれる。現在の生産様式においては、労働過程はもはやテーラー主義のように、実行から構想を分離して、労働過程における協働のかたちを資本が準備/構想し細部にわたって指定するのではない。一般的知性は固定資本に体化された「死んだ労働」として「生きた労働」に対立するのではなくて、現在では「生きた労働」と一体化する。非物質的/知的労働においては、社会的協働は、そしてその組織化、運営は一般的知性を備えた労働者のヘゲモニーのもとに回帰する傾向がある。ネグリらがいうには、いまやテーラー主義のように資本(構想)のあとに社会的協働のかたち(実行)が組織されるのではなく、構想と実行の機能をともに我がものとした社会的協働が資本のコマンドの前提となる。資本が肉体労働から脱出し、知的労働へと、あるいは知的なものへと焦点を移動させるにいたって、資本のコマンドは価値形成過程に外的なものとならざるをえない。ネットワークは資本に先立って、利潤形成の前提として組織されねばならないのだから。それゆえモーリッィオ・ラザラートがいうように、雇用者は二重の問題に悩まされる。いまや生産における協働の唯一の可能な形態は労働者の自律と自由である。同時にそれとして認められないよう、それが含意する力──自律的──を「再分配」しないよう要請される。
 この資本にとって外的な知のネットワーク、知の社会化を表現する言葉が、「大衆知性(マス・インテレクチユアリティ) intellectualita di massa / mass intelectuality 」である。大衆知性を〈運動〉のもたらした「自己価値化 autovalorizatione / self- valorization の要求と資本主義的生産の要求との結びつき」とラザラートはまとめている。それは「水平的に社会を横断して広がる集団的インテリジェンスであり蓄積された知的力」であり、単に特定の集団にのみ──知的労働者など──限定されるものではない。非物質的労働のヘゲモニーが物質的労働の性質まで変えているように、それは多かれ少なかれ現代社会の人間総体を規定している。こうした概念によって示されているのは、ポスト・フォーディズムの資本主義における解放的ポテンシャルを明確に指示するためである。つまり、それが「自己価値化」の運動を丸ごと組み入れているというアンビヴァレンツなイメージを与えるためである。かつてアウトノミア運動は「自己価値化」をひとつのスローガンにした。それは資本による労働過程における剰余価値形成プロセスを指示するために用いられる「価値化 valorazation [価値形成]」との対比でマルクスが『要綱』において用いたものである。価値がもはや価値法則の命令に服属しないこと、剰余価値生産ではなく生産コミュニティの集団的必要や欲求にもとづいた価値のオルタナティヴな社会構造を指示するために用いられた。これは〈運動〉のなかで、「資本主義的生産関係や国家の管理とは相対的に自律的な社会組織や福祉の地域、コミュニティに基盤を置いた形式の実践」を指して用いられた。資本は現在こうした実践を自らの価値形成の源泉としてそのまま組み込んでいるといえる。資本は労働者の協働にとって外部からコマンドを下し、そしてその生産物を我がものとする。その意味で、ネグリは資本はますます「寄生的」となっているという(「吸血鬼やゾンビの隠喩が資本の支配にこれほど適している時代はない」)。


6 群衆/エクソダス

 こうした条件のもとで、われわれの社会ではフレキシビリティが法則となる。資本と同様に労働者も臨機応変に環境の変容に対応し、自らを順応させ、たえず好機をつかみとるように目配りを強いるし、また異質なグループ、価値とのコミュニケーションをたえずおこない、ネットワークを維持拡大せねばならない。こうした状況において、確固たるアイデンティティはむしろ障害である。それゆえメルッチは次のようにいう。「アイデンティティはもはやいかなるルーツももたない。それはアイデンティティの交換、維持、開拓に必要な社会的コンテナはもはや十分安定的でも堅固でもないために、永遠といったかたちでその保障者としてふるまうことはできない」。こうしたアイデンティティのルーツレス状態をニュー・ライトの台頭の背景に考えなければならないとメルッチはいう。ニュー・ライトはアイデンティティのルーツレス状態への単純な防衛的反応ではない。ここでもニュー・ライトや反革命は単なる反動ではない。これを認識することは、ポストモダン思想とニュー・ライトの共犯関係を理解する上でも重要である。ニュー・ライトのルーツ主義は深いニヒリズム、シニシズムを基礎としている。ポストモダン思想は人々の存在条件を構成しているフレキシビリティヘの要請に、思想的基礎を与えそれを現状への無条件の肯定へと向けなおしているのだが、そのシニシズムは現存のルールヘの無批判な支持となってあらわれる。ところが他方で、それはルールヘの軽蔑をもはらんでいる。というのもそこでは、ルールは尊重されるわけではなく、戯れの対象なのだから。ルールの軽視、フレキシビリティの賛美は、民主主義への嫌悪、軽蔑、あるいはあらゆる「建前」的なものへの侮蔑となってあらわれ、それはニュー・ライトの台頭を準備する強力なメンタリティとなっている。メルッチはそれに対して強い危倶を表明している(彼はファシズムの萌芽すらそこにみている)。「制度的ゲームと戯れ、同時にそれを否定することは、ニュー・ライトの根深い反民主主義的特徴である」。
 しかしルーツの不在──ヴィルノはわれわれの存在の零度としての〈帰属 Belonging 〉の純化と述べている──それ自体はラディカルな解放の指向性にとってもポジティヴな条件となりうるし、もともと〈運動〉にはらまれていた68年のポテンシャルもアイデンティティの固定性への批判も含んでいた。問題は、ネグリが定式化しているように、そのポテンシャルを右派が領有している現在、宛先をもたない純粋な〈帰属〉にどのようなラディカルな政治的形式を与え返すかである。
 ネグリたちは、オペライズモの末裔のひとりでもあるレギュラシオン派を絶えず意識しながらオルタナティヴを提起しているようにみえる。その批判は、恐らくレギュラシオン派が同じ問題を同じ方向で提起しながら──つまりアフター・フォーディズム状況それ自体はポジティヴに受けとめながら、ポスト・フォーディズムの社会編制を左へと向けるという──、彼らがその問題提起を最初から「妥協」(より一般的には媒介)というタームで示していることに対して向けられているように思われる。レギュラシオン派は、ネグリでいうなら政体=構成の存在をアプリオリに前提としているということになろう。つまり、アプリオリに、マクロな社会編制の再構成の問題を、命令者と服従者のあいだの契約の結び直しとして把握している。しかし、それはラディカルではないという前に、まず端的に不可能ではないか、とネグリたちはいいたいのではないだろうか。つまり、リングが明確に定まっていて(国民国家)、構想と実行という機能分担によって2人のプレーヤーとして対時しているという構図が描きうる状況とは異なり、もはや資本と労働は活動する平面が根本的に異なるし(カステルであればフローと場所の相違とまとめるだろう)、それゆえに妥協、媒介の試みは根本的にすれちがわざるをえないそしてそのすれちがいは代表民主制やネオ・コーポラティズムを迂回し危機においやっている資本の高度の抽象的運動の有利に終わっている(レギュラシオン派のオルタナティヴ「勤労者民主主義」の実践上の苦戦)、ということである。この2つの平面は、ネグリらがマルクスに即しては「価値化」と「自己価値化」の敵対として、スピノザに即しては「力能」と「権力」の敵対としてまとめていたものであろう。事実上、「自己価値化」の平面があからさまに形成され、資本は寄生の度合いを増している以上、どうして自ら妥協を求める必要はあるのだろうか? というわけである。

 ヴィルノは先ほど経済的分析のなかから「大衆知性」と呼ばれていた新たな主体性を、政治哲学の観点から「群衆/多数性(Multitudo) 」と位置づけ直す。政治哲学においては、群衆とは常に構成された秩序にとっては破壊、壊乱の要因として恐れられ、私的/公的の二項対立によって私的な(剥奪された)存在へと還元されていたものである。あるいは民主主義・社会主義においては集団的(生産者=国家)/個人の二分法のもとで個人へと還元されて、そのポテンシャルを封じ込められていた。ところが、それらの二項対立を無用なものにしたポスト・フォーディズム的協働において群衆/多数性は舞台の中央へおどりでる。市民なのか生産者なのか、あるいは消費者なのか、作者なのか受け手なのか、この不分明な「いまだ」統一を欠いている「渦巻き」、本来的に代表=表象不可能なそれゆえに国家に異質な「一者 One 」を出発点に政治は再考されるべきということである。彼らは指揮者がいなくてもすでにスコア(一般的知性)を有しているがゆえに、演奏に指揮者を必要としない。彼らは「一般意志」へと収斂しないしそれゆえ権利を主権に委譲する必要をもたない。それを肯定的な平面で捉え返すならば、政体=構成に対する「構成する力能 constituent power 」となる。
 こうした表象不能な構成的主体性に見合ったラディカルな政治戦略として、ヴィルノは「エクソダス」という概念を提起している。無論それはかつて学生や若き労働者が実践のなかで提起していたものであり、かつての「拒否の戦略」の社会全体への延長、ポスト・フォーディズム版である。それは国家や資本との直接的対決、より一般的には媒介にもとづく戦略──レギュラシオン的「妥協」をも含めて──を避け、むしろシステムから「逃走」をはかる。だがそれがシニシズムやオポチュニズムヘと堕さないためには、どうすればよいのか? ヴィルノはハンナ・アレントを参照にしつつそのエクソダスの戦略を明確に組み立てるよう試みている。ヴィルノはひとまず人間の活動領域を〈労働〉(ヴィルノは Work と Labor を区別していない)〈活動〉〈知性〉の3つに区分する。アレントは知性を秘私的な活動とみなし公共領域にかかわる〈活動〉や〈労働〉とは切り離したのであるが、マルクスの一般的知性論が示していたように〈知性〉は〈労働〉は密接に結びつき、また〈知性〉は協働にとっての公的資源になる。その点を前提にヴィルノは、〈活動〉の位相をとらえ返す。非物質的労働においては〈労働〉は生産物という完成をみることのない〈活動〉の性質を帯びる。「他者の現前」との関係にもとづいたこれらの技芸的パフォーマンスに、あらゆる点で似ているがゆえにそうなのである。「だがこうした技芸的性格は政治的活動の特色ではないか」。そこであとは、〈知性〉が〈労働〉と切り離され〈活動〉的特質を政治の方に向ければよい。エクソダスとは「〈知性〉が〈労働〉から分離され、〈活動〉の方に向かうべく鍛えられるプロセスである」。

 ここでいわれる〈エクソダス〉は、徐々に代表制の外で自律的〈活動〉空間を押し広げていく不断の運動と考えるべきだろう。なにかあらかじめ定められた組織形態、集団性のあり方があるわけではない(「構成的共和制は構成=政体ではない」)。それゆえ、かつてアウトノミアが自らの内部から分泌した性急な秩序の転覆の夢も分かち持たず、ジグザグに試行錯誤を経ながら「妥協」をも織りまぜつつ、「生の形式」の練り上げを、民主主義の実験を反復していくのである。コントロール権力が生成するシミュラークルと全般化するウェブ状の管理に抗して、そしてポストモダンが追認し/醸成する「明日もまた同じ」に対して、「予期せぬ出来事」を、陰謀の「会議」を、無償の短期的プロジェクトを、思いもよらぬミニコミを、思わぬ場所でレイヴを、デモを、少量の新たな自律的時間ー空間を形成していくこと。とりわけ(骨の髄までシニシズムに蝕まれた)今の日本では自律とともに連帯を、連帯なしには自律はないことを銘記し、連帯を恐れないことが重要である。メルッチもネグリもともにいうようにポストモダンファシズムは個人主義を軸に形成されるだろうし。「創造とともに大衆を」──逆もまた真なり。

(さかい たかし・社会学)

*1:〈アウトノミア〉にしてもその語の意味は一筋縄ではなく、また運動の構成配置やそれがはらむ意味もきわめて複雑である。だがイタリアの60年代以降の〈運動〉、アウトノミアのその流れや内容についてついてはここでは詳述しない。その一端はこれまで日本でも紹介されている([http://d.hatena.ne.jp/araiken/20100915/1284516871:title=粉川哲夫]、小倉利丸、麻生令彦氏による)。また近年では Robert Lumley, 1990, States of Emergency, Verso が六60年代からの運動の流れを詳細にフォローし分析を加えている。