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このここまでヤバい、今の日本! 斎藤貴男(ジャーナリスト)×キー(反戦落書き裁判被告)

 オリジナルテキスト


● 公園のトイレに落書きをしただけで、なんと1年2ヶ月の懲役?!

斎藤:今日の往復インタビューは教育基本法のことについてということですが、今、僕らがこの国で置かれている全体状況というのは、教育の問題も含めて、相当ヤバイものがある。教育基本法とは直接関係はないのだけれど、キーくんの事件というのも、このままいったらどうなってしまうのかという最悪の近未来をイメージするには、丁度いい、といったら失礼だけれど、ふさわしいものがあるので、その話から伺います。
 事件の概要から聞かせてください。

キー:昨年(2003年)4月17日に、東京・杉並区の西荻わかば公園という小さな児童公園の公衆トイレ外壁に「戦争反対」「反戦」「スペクタクル社会」という落書きをしたのを、道路に面した近所の住民に見られて(恥)、即警察に通報されて、近くを巡回していたパトカーによって、準現行犯逮捕されました。容疑は器物損壊です。
 事件当日は夜だったこともあって普通の署の刑事(荻窪署)の取調べだったんですが、落書きの内容が政治的内容ということで、翌日から公安刑事の取調べを毎日6時間から8時間くらい受けました。そして事件後12日目の4月28日に、容疑が器物損壊から建造物損壊に格上げされ起訴されました。建造物損壊というのはものすごく重い罪で、器物損壊は3年以下の懲役か罰金刑なんですが、建造物損壊は罰金刑はなくて、5年以下の懲役刑になります。落書きで建造物損壊罪が適用されたっていうのは、僕が知る限りでも初めてのことです。
 なんでこんな重い罪を適用されたのかっていうと、書いた内容が政治的内容だったからです。昨年の3月20日以降の反戦デモへの弾圧、それと一体となったものだということです。事件後、僕を支援してくれる「落書き反戦救援会」という支援団体が結成されて、その救援会と担当弁護士によって、5月30日に勾留理由開示公判を開いていただき、その公判を流すかたちで保釈になりました。それまでのあいだ、44日間荻窪署の留置所と東京拘置所にブチこまれました。
 6月16日から公判が行われ、被告人である僕と弁護人は一貫して無罪を主張しました。検察側の論告求刑は懲役1年6ヶ月。今年の2月12日の判決公判では懲役1年2月、執行猶予3年の有罪判決になりました。もちろん納得できないし、不当なので控訴しました。その控訴審判決公判が9月3日に行われましたが、控訴棄却で2度目の有罪になってしまいました。ああぁ…
 その判決文はといえば、一審判決文の垂れ流し。被告人・弁護人の論旨をまったく省みず、かつ省略するという、手抜き極まるふざけた代物でした。僕は判決文の朗読が終わると、裁判長にあくまで平和的な態度で質問したんですが、裁判長が突然退廷命令を告げて、警備員にケリを入れられたり、柔道技で投げつけられるなどして、強制的に退廷させられました。あまりにふざけた判決-判決文、また僕への暴力的排除-暴行。これに怒った傍聴者が抗議すると、今度は全員強制退廷の命令が強行され、みんな廊下に叩き出されて。そこでわれわれと警備員でもみくちゃ。もう、一種の騒乱状態というか大衆団交状態の事態に発展。かたや裁判長はそそくさと逃走しちゃうし。まさにスペクタクルです。この最中、警視庁公安二課が乗り込んできて、われわれは退散することにしました。しかしまったくこんな不当な裁判を、法治国家の枠組みさえも大きく逸脱する判決を二度も食らわされ、絶対に納得できません。最高裁に上告します。ここまでが一番最近の近況です。

斎藤:質問しかけてキーくんは追い出されてしまったということですが、何を質問しようとしたのでしょう。

キー:公安刑事の取調べでは、「君はノンセクトか」とか「政治的なことに関わっていたら人生だめになるゾ」とか、反戦落書きをしたので「イラク戦争をどう思う」とか「君は戦争に反対なのか」とか、事件の事実関係よりも僕の思想・信条を重点的に聞かれました。「私には子どもがいるが……君は今の教育をどう思うんだ」、とか(爆笑)。事件後僕のアパートに家宅捜索が入って、政治的内容のビラが押収されたんです。そのアパートは結局この家宅捜索によって解約されてしまったんですけれど。あと僕の背後関係とかを執拗に聞いてきて。これだけをとってしても、この起訴が政治的な起訴であるということは自明です。なのに1審-2審とも裁判長は「政治的な意図ではない」と言い渡すばかりで、ちゃんと納得できるような説明はなかったので(そもそも説明できないのだが)、まず家宅捜索や思想背景を公安が調べたことについて聞こうとしたんです。

斎藤:「裁判長」と一言くらい言っただけで?

キー:ええ、まぁ。それだけでもう、警備員がドヤドヤッて来て。

斎藤:警備員は何人くらいいたの?

キー:傍聴者と同じくらい、40人…もっとかな。いすぎだろっていう。

斎藤:最初から控えさせておいたわけね。


● 公共空間へのこだわり

斎藤:言わずもがなのことだけれど、昨年の4月17日に落書きをしようと思ったきっかけは何ですか。

キー:…一番の動機は、戦争反対です。最近はあまり言ってないけど「戦争反対」。「なんで落書きで反戦を訴えようとしたのか」とよく聞かれるんですが、公共空間を使って表現行為をすることに意味がある、大ありだと思っているからです。後、中毒気味ではあるのですが、個人的には落書き断固支持者だから(笑)。法的には落書きは犯罪行為ということで罰せられますけれど、一定程度、というよりも落書きは重要な表現手段ですし。落書きが軽犯罪ならまだしもまさか建造物損壊になるとは思わなかった。もっというと、最初の器物損壊のときだってものすごく重いと思った。事件後12日目に建造物損壊に格上げされて、ものすごくびっくりして、怒りよりも「これからの人生どうなってしまうんだろう」という絶望的な心情になりました。起訴をされるということは裁判をやらなければならないわけで、裁判にどれくらいの時間や費用がかかるのか、精神的にかなりの負担がかかりましたし、もう不安で一杯で。

斎藤:戦争反対を表現するやり方としては、デモもあるだろうし、今だったらネットで投書をするという方法もあるだろうし、なのに公共空間というものにこだわった理由っていうのは?

キー:それは僕が街路とか都市とかいうものにこだわりがある、同時に好きだからです。判決文でも「彼は他にインターネットとかの手段があったにもかかわらず、落書きという安易な行動をとった」と。インターネットで反戦を訴えるということとトイレに反戦落書きをするということを、まったく同列に論じているんですね。これを裁判長だけでなく――2ちゃんねらーはともかく――反戦デモでビラ撒きしてるだけで同じように文句を言われたり(苦笑)。笑ってますが、イタイんです。僕の立場から言わせてもらえば、媒体も空間も違うし、まったく同列に論じることはできない。要は政党だけではもちろんなく、市民の側も民主化してるというか。確かに落書きは逮捕されるという点において違法なんだけど、街路を使って表現することは――デモとかと一緒で――重要な表現手段だと僕は当たり前ですが考えます。

斎藤:あと、「スペクタクル社会」と書いたわけだけど、これはどういう意味なんですか。

キー:日本語訳しますと「茶番な社会」。この、紛れもなく現代社会。

斎藤:フランスの思想家のギー・ドゥボールっていう人が唱えた概念ですね。映画館のお客さんのようにしか市民が状況に関われなくて、ただ見せられているだけ。ひとりひとりの意思が反映されることなく、ただ観客にさせられているだけ、こんな理解でいいかな。

キー:はい。

斎藤:取調べのときに「それはどういう意味だ」ってこともずいぶん聞かれたと言ってたけど、警察はその言葉にも関心を持ってたみたいだった?

キー:持ってましたね。

斎藤:全然知らなかった?

キー:ええ。「なんだ、この言葉は?!」って。

斎藤:無視されてしまった弁護側と被告側の主張ですが、主なところはどういう争点を柱にしていたんですか。

キー:さっき言った「政治的」捜査-起訴ということのほかに、そもそも建造物損壊罪の成立は何を根拠とするか、という点です。建造物損壊となるには、建物を使用不能にするか、あるいは外観・美観を著しく損ねるか、です。「使用不能」という点においては、当たり前ですが、トイレはその後も普通に使えるわけです。つまり外観・美観の問題になるわけですが、僕の落書きによって「見た人がものすごく不快な思いをする」ということを検察側は論告求刑でも言ってますし判決文でも言ってる。でも、外観・美観というのは、人によって感じ方がさまざまなわけです。街に氾濫する落書き(グラフィティ)。多くの人は(大)嫌いであるとか、何のことはないかもしれないが、これが好きな人もいる。興奮する人もいる。そういう曖昧なものを権力側が一方的に「著しく損ねた」と押し付けてくるのは、法律的には、実のところおかしい。曲がりなりにも法治国家であるし。というか違法なんです。

斎藤:「戦争反対」というのが不快なんだろうね、彼らにしてみれば。でも、元々そこには大きな落書きがあったんでしょ。

キー:僕のより少しだけ小さい落書きがありました。「悪」「タツ」というヤンキーが書いたような落書きが。でもあくまで「被害者」と自称している杉並区はそれまでまったく放置していたんです。その杉並区は(逮捕された)翌日僕を告訴したんですが、その告訴手続きがものすごくズサンで、どれが僕の落書きかもわからなかった。警察が杉並区に告訴するように促した。杉並区は落書きで告訴なんていうことは、これまで経験がなくて被害届すら出したことがない。

斎藤:そりゃないだろうね、普通。

キー:警察に促されて追認するかたちで告訴をした。自治体の自立性もなにもあったもんじゃない。警察に飼われた犬、杉並区は警察犬(笑)。

斎藤:言いなりだよね。あと、場所的に、住民が敏感だったという背景もあったのかもしれない。

キー:たぶん。あの公園付近は一軒家が多いですし、おそらく防犯協会とか自警団的なものがあっただろうと。また(ボロ)アパートなどが並ぶ地区よりも、パトカーの巡回は多いだろうと思います。あくまで憶測ですが、現場地域のブルジョア層と警察は結託してますね。事実、バトカーが夜間巡回してたし。僕が以前住んでたアパート地区では、夜間にパトカー巡回なんて目撃したことないし。

斎藤:金持ちの町だから…。あと、オウムが来そうになったときもめたよね。

キー:はい。異物を排除するような背景は事件以前から実はあっただろうなと。あと、声を大にして言いたいのは、やはりこれは政治的な事件だということ。裁判でも毎回公安刑事が来ていますし、普通の事件とは一線を画す、クドイですけど公安事件だということです。検察が裁判所よりも上にあって、裁判所は検察の言いなり。判決も検察の主張に沿ったものでした。公安事件だから。

斎藤:検察が裁判所より上にあるというのは、具体的にはどういうこと?

キー:公安の検察というのもあって、僕の事件だけじゃなくて、反戦デモなんかで逮捕されたりした場合、2泊3日とか、拘留を10日延長するとか、さらに10日延長とか、公安が裁判所に申請するんですけど、ほとんど公安検察の言うとおりになるんです。

斎藤:裁判所は独自の判断ができないということだね。


● 戦争と差別と監視の国へ

斎藤:ところで、キー君の場合「戦争反対」と書いた内容を許さないということになるわけだけど、一方で「落書き自体を許さない」という流れもあるよね。警察でいえば生活安全局が唱道している、最近流行の「ゼロトレランス*1」。そういう意味合いはあまりなかったの?

キー:僕の場合には違いますが、落書き一般を考えるときにはそれは限りなくあって、落書きを警察だけが取り締まるんじゃなくて、住民参加型行政、自治体や住民も一体となって取り締まる。「割れ窓理論*2」を模範に浸透していて、落書きはもちろん、犬の糞の放置の取締りや監視カメラの大普及とか(泣笑)、そういうのが着々と進行し、勢力を拡大していますね。したたかです。

斎藤:結果として、キー君の判決はいろんな受け取られ方をすると思うんですけれども、「戦争反対」を叫ぶとこうなるんだぞ、という見せしめがひとつ。で、もうひとつは、落書きするとこうなるぞ、っていうメッセージが込められているよね。
 日本ではここ数年、今の「割れ窓理論=ブロークンウィンドウ・セオリー」というのをしきりに使って、例えば警察白書などにも紹介してる。一昔前は「検挙に勝る防犯なし」というのが日本の警察のスローガンであったものを180度転換して、今の警察の犯罪捜査のやり方は、何も起こらないうちから予防するんだとなったわけです。だから、この場合で言ったら、「落書きするようなやつは、他で何をするかわからない、犯罪者予備軍だ」という受け止め方をする。
 この事件から、キーくんは、今の日本の社会がどういう状況になっていると考えていますか。

キー:僕の事件もそうですし、公共空間の締め付けっていうのがものすごく強くなってきたなって感じですね。タバコのポイ捨てを取り締まれ、とか、千代田区では喫煙自体を取り締まっている。犬の糞や落書きもそうですけど、今まで普通に行われてきた、営まれてきた行為が、「マナー」という名の下にできなくなっていく。どんどん都市が農村化していくというか、いろいろな人がいて、雑多なものがあって、自由に移動する――ということができなくなっていく。行為そのものが決められて、国と行政がだめだというものは抑圧され、規制され、時には逮捕されて僕みたいに弾圧される。インターネットで反戦を訴えるのはいいけれど、街頭でやるのはどんどん取り締まられる。相当ヤバイです。

斎藤:要するに、戦後僕らは少しずつ自由を獲得してきたのだと考えていたわけですね。本当の自由はとてもまだまだだったと思うけれど、多くの人が自分のやりたいことをやり、封建時代だとか戦時中だとかに較べればまだしも少しずつ自由を勝ち取る過程でいたんではないかと思います。
 よく僕は「このまま行くと日本は、戦争と差別と監視の国になっちゃうぞ」という警告を発しているんですけれど、じゃあ今までが平和で平等で監視のない素晴らしい社会だったかというと、そうではないですね。理不尽な差別も偏見も相変わらずだったし、朝鮮戦争ベトナム戦争にも協力していたわけだし、監視だっていろんな形であった。ましてや日本人が平和だ平等だと言えてきたのは、差別の上に乗っかってきたからこそだ、という恥ずべき歴史でもあった。だけれど、少しずつそれだけじゃいけないよ、という程度のコンセンサスはあったんだろうと思うんです。だから90年代に入って、在日であることを隠して日本名できた在日の人たちが――たとえばにしきのあきらなんかが「実は」と言うことができるようになったということは、まだしも、少しずつ、いい方に向かっていた証拠じゃないかと思うんです。
 ところが90年代半ばくらいから、つまり戦後50年を過ぎたあたりから、急速に揺り戻しがあって、人々が自由にものを考えたり行動したりということ自体に対する反発がものすごく強くなってきた。だから、自民党や民主党の政治家たちが必ず言うのは、戦後「押し付け憲法」のせいで国民が権利ばかりを主張するようになった、と。その見返りとしての義務をまったく果たさなくなった、と。
 冗談じゃないよ。我々は税金だって払っているし、義務なんか嫌というほど果たしている。だけど、本来あるべき自由を、なかなか謳歌するところまでなっていない。まだその発展途上の段階だったんだけど、その程度の自由も認めたくないという人が、今社会の中枢にいて、一方ではなかなか自由を謳歌することのできない一般の人たち、むしろ自由を持て余してしまっているような人たちが「統制してほしい」というような流れが、確かにあるような気がするんです。


●「生活安全条例」のおぞましさ

斎藤:そういう中で、公共空間への縛りというものが急速に強まっている。具体的には「生活安全条例*3」というのが今や全国1000以上の自治体で制定されて、警察と自治体と地域社会――具体的に言うと町内会とか――が共同で防犯対策に当たらなければならない云々と条例で制定されている。例えば、ビルを建てる業者さんはあらかじめ所轄の警察に相談して監視カメラをつけるようにしましょう、とかね。
 さっきキー君が触れた千代田区の場合、タバコのことばかりが強調されて何にも問題が明らかにされないんだけれど、あれは「禁煙条例」じゃなくて、あくまでも「生活安全条例」の一つのバリエーションなんです。たまたま千代田区の区長はそういうことに熱心だったから禁煙と一緒にしたんだけれど、禁煙のところだけとってみても、この問題の本質ってすごく出ていると思うんですよ。月に2回合同パトロールの日というのがあって、その日は警察と自治体、町内会が全部で30人くらいでそのあたりをウロウロしてタバコを吸ってるやつをつかまえる。
 僕自身は本当はタバコが好きじゃないんだけれど、実験したことがあります。千代田区の神田駅前でタバコを吸ってみたんです。そしたら、ものの1分もしないうちに、黄緑のユニフォームを身を包んだ男性に咎められる。「タバコ吸わないでください」と。こっちは実験ですから無視して吸っていたら、その人が他の人も呼んできて、5、6人に取り囲まれた。「吸うな」と言われても構わず吸っていたら、今度は問答無用で取り上げられた。で、新しいのにまた火をつけたら、その中の一人が「おい、こいつわざとやっとるぞ」と。「科料じゃない。罰金5万円だ」と言い出した。そしたらもうひとりが「まあまあ」と言いながらずずいっと身を乗り出してきて、「あんたどこの人か知らないが、ここは千代田区だよ。千代田区に来たら千代田区の掟に従ってもらおうじゃねえか」というわけです。
 「生活環境条例」。確かにこれに従っている。やめれば科料、やめなければ罰金5万円とちゃんとそこに書いてある。だけど、その条例が決まる直前までみんながやれていたことが、ある日、区長と区議会が決めたというだけで180度ひっくり返っちゃった。このことの異常さにもうちょっと僕らは敏感であるべきではないのか。
 今はタバコの話だけをしたけど、実は他にも千代田区の条例で禁じられている行為があります。例えば、ラーメン屋さんが店の前に看板出してる。これもいけない。麹町界隈では、お客がいる店内に見回りの人が看板を放り込んだ、とかいうトラブルが続出しています。
 公共空間というのは天下の往来であって、みんなの場所だから誰もがそこを堂々と歩くことができる場所だった。ところが、こういう条例ができると、全国1000以上の自治体で、公共空間というのは行政と警察のものだ、そこを普通の人間がヘコヘコと頭を下げて通らせていただく、しかもその通り方にも、タバコを吸っちゃいかんとかあれやっちゃいかんこれやっちゃいかんというのが全部決められていて、逆らうと罰金だ、こういうことにされちゃったということです。
 警察官とか自治体の人間は教育されているので、そういう本音の部分はなかなか言わないけれど、僕を取り囲んで「罰金だ」と言った人たちは町内会の人たちだったんですね。だからつい本音を喋っちゃった。本当は警察でも自治体でもないのに、権力の切れっ端を与えられて舞い上がってるんです。だから、より深刻なのは、普通の人が権力の手先になることを喜んでしまっていて、逆らうやつは許さん、というメカニズムになっていることです。これは戦時中の隣組と同じ空気だと思いますね。

キー:僕はタバコを喫むんですが、どうやって反撃しようかというときに、文書を提出するとか勿論あるわけですが、まずもって怖気づいちゃいけないと思うんです。堂々と吸っていいと思うんです。路上における主従関係でいえば、警察ではなく、僕らが主人公であるはずです。
 行政も自治体も「割れ窓理論」とか知っていて、その日本版が生活安全条例と目されている。でも、そういうことと関係なく堂々とすればいいと思います。その場で、街頭で。

斎藤:それは大事なことなんですが、おそらくこのサイトの読者は、それだけを言うと必ず反発してくるでしょう。タバコが嫌われる理由はあるわけですね。狭いところで吸えば煙い。多分に情報操作のにおいもあるけれど「受動喫煙」の問題もある。あと、街を歩いている場合で問題なのは、指に挟んで歩いていると、ちょうど子どもの目の高さになるんで非常に危険――これは僕自身、子どもがいたときに思ったので、わかる部分もいっぱいあるんですね。だけど、それこそマナーの問題であって、そのことをきちんと広報するとか、それで子どもが傷ついたりした場合の罪を重くすることがあってもいい。だけど、その行為そのものをすべて禁じて、「逆らったら罰金」というのは、これは明らかにいきすぎだし、いつも子どものことを考えているお母さんたちの思いを逆手に取る非常に汚いやり方だと思う。
 吸う人間がちゃんとマナーをわきまえる、これは当然だけど、それはそれぞれの人の生き方の問題だということです。それなのに、なんで行政が介入するのか。これはもっと言えば「健康増進法」とかいろいろ他の問題もいっぱいあるんですけれど、人の肉体の使い方に行政が介入する、一定の規範をつくる、ということの恐ろしさを多くの人たちにどうかわかってほしい。
 さっきの実験のときにね、僕はその日は2時から合同パトロールがあるってことを知っていたんだけど、2時5分前くらいになったら、駅前の「マツモトキヨシ」の店員さんがワアーっと出てきて店の外に置いてあった商品を全部店の中に入れるわけ。「どうしたんですか」って聞いたら、「いやあ、2時になったらお上が見張りにくるんだよ」って。いつの時代ですかって言いたかったね。まるで江戸時代の町人が殿様が駕籠に乗ってやってくるからビビッて土下座して待ってるみたい。いつのまにかお上と取り巻きの町内会が強くなっちゃった。このことは非常に恐い。だから、キー君の事件は、ただ単に「戦争反対」と書いたことだけじゃなく――それ自体非常に大事なことなんだけど――ゼロトレランスの部分と、少なくともそのふたつの意味合いがあるってこと。


●地域住民を巻き込んでの監視・摘発体制

キー:東京都が平成13年度に、『ジュリアーニ市政下のニューヨーク』というパンフレットを発行したんです。ニューヨークってもともと観光都市ですよね。ニューヨークは移民が多いし、ストリートチルドレンも結構いた。そういう社会的貧困層のなかでは犯罪も起こるし風紀が乱れたり、いろいろある。そういう問題を解決した、とそのパンフレットには書いてある。警察が取り締まり、地域住民も追随するかたちで。でもやっぱり排除されるのはアフリカやヒスパニック系の人たちだった。最後には歯止めが利かなくなって、死亡事件にまでいたる事態が結構起きているんです。路上でのコミュニティも解体させられて周辺部に追いやられる。すごくきれいになって観光都市化が進むんだけど、周辺には貧しい場所がある。つまり、要塞化してるわけです。だから、はっきりいって生活安全条例もなめちゃいけないんです。ソフトパワーだけど。

斎藤:なめちゃいかんどころか、これはとんでもない問題だと思うけど。思いつくままにいくつか言うと、警察庁が監視カメラをどんどん入れなさいという大綱をつくって出してたり、警察の予算でそうするだけじゃなく、江戸川区の小岩のように商店街が積極的に住民から一人頭500円ずつ集めてみたり。金の出所はいろいろだけど、すべて映像は警察に行くような流れがいつの間にかできちゃってる。監視カメラは顔認識システムだとか総背番号制度とリンクしていくので、カメラに映った人間が、「どこの、誰で、今何をしているのか」すべて警察が握るということができるわけ。一方逆に生活安全条例みたいにローテクで、人間の人力でお互いを見張る仕組みというのもいっぱいできています。
 産経新聞だけに載っていてあまり報道されていないんだけれど、都の条例でコンビニのエロ本が規制されるようになったでしょ。シール貼らなくちゃいけないって。

キー:たしか、「青少年健全育成条例*4」。

斎藤:あれはあれで手間もカネもかかるものだから、やらない業者も結構いるわけです。そこで文部科学省が音頭をとって、所轄の警察、町内会、自治体、PTA、教員を組織化した協議会を設置する。そしてそのグループで日常的にコンビニを見回る。こういう方針が打ち出された。警察とか町内会、自治体だけなら普通の生活安全条例と同じなんだけど、これにPTAと教員を導入したのがミソでね。教員っていうのは、今の世の中ではまだしも「戦争反対」の立場を取る人の多いかたまりなんです。PTAもいざ戦争となれば、子どもの命を考えますから反対に回る人も多い。それを警察の指揮下におく、というのが非常に大きな狙いかなと思います。
 何年か前の大晦日に世田谷区の一家4人惨殺事件というのがありました。犯人はまだつかまっていないわけですが、あれも口実になった。あそこの周りの愛犬家たちは、毎朝一定の時間帯に散歩するわけですね。それを「ワンワンパトロール隊」として組織して、これも警察の指揮下に置くわけです。あの周りの愛犬家はみんな、今や警察の別働隊にさせられているわけです。もちろん犯罪捜査は大切だけれど、それとこれとは意味が違うだろう。
 あと、新聞配達の人も、早朝とか夕方とか毎日決まった時刻に動く人たちで、中日とか読売とかが所轄の警察と協議会をつくって、同じことをやる。警察は「早朝に新聞配達をする人は危険だろうから、パトロールしますよ」とか何とか言って、そのバーターでね。これにはいろんな余波があって、そんなことを販売店が日常的に続けていれば、やっぱり警察に逆らう記事はあんまり書けなくなるだとか、新聞社総体としてはそういうことにもなるわけです。
 短い時間では喋り尽くせないほど、「犯罪予防」だとか「テロ対策」の名の下に、あらゆる人の営みが、なんでもかんでも警察の支配化に置かれつつあるということです。
つづく

*1:=寛容さゼロ。アメリカの荒廃した学校に秩序を取り戻すため、学校現場で採用されている方法。一切の例外を認めず、あらゆる非行、不法行為、逸脱行為を厳しく取り締まるというもの。違反を犯した生徒は即座に退学、または警察に引き渡される。実際アメリカの学校内の秩序が著しく向上したとして、高い評価をされ、地域の治安維持にも採用されようとしている一方、ちょっとした間違いや過ちも認めず、本人が違反を犯すつもりがなくても厳しく罰せられるため子どもが傷つくこと、いきすぎた過剰な処分が横行したり、学校を放り出された子どもがギャング化するなど、さまざまな問題を指摘する声もある。

*2:80年代にアメリカで唱えられた犯罪捜査の思想で、ビルのちょっとした割れ窓を放置しておくと、そのビルの管理が行き届いていないということで犯罪や治安の荒廃の温床になり、やがては深刻な犯罪の温床となる。したがって、ちょっとした割れ窓も見逃さずに、徹底的にその一帯を管理・統制していくべき、という理論。ジュリアーノ前ニューヨーク市長がニューヨークの治安回復にこの理論を採用し、その発想に基づく捜査を90年代以降すすめ、ニューヨークの犯罪はその結果減少したと伝えられている。しかし対談にもあるように、貧富の差や自警団とマイノリティの対立を招くなどの問題も指摘されている。

*3:「安全・安心なまちづくり」をスローガンに、全国1000以上の自治体で採択・施行されつつある条例。そのなかには監視カメラの設置を義務づけたり、公共の場での喫煙を禁止・罰則規定を設けるなど、警察と自治体、市民組織が一体になって、市民的自由を制限する内容のものも多い。【参考】[http://www009.upp.so-net.ne.jp/kansi-no/index.htm:title=監視社会を拒否する会]

*4:「青少年の健全な育成」をはかるため、各自治体が発令する条例。東京都では、青少年の目に安易に触れないようにするために、ヌード写真や過激な画像等を掲載している雑誌、書籍、ビデオなどは立ち読みできないようにビニールで包装することが義務づけられてる。しかし「健全な育成」に「有害」かどうかの判断は東京都に委ねられているため、「有害指定」を受けないため、出版社が内容を自粛する可能性がある。これについて「言論の自由への介入」と反発する声も挙がっている。