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「空間」を(とりわけ社会の中で)考えようとする者たちへ│八束はじめ

今回は新刊でなくちょっと古い本をとりあげる。原書が書かれたのは1974年で翻訳が出たのはずっと最近だが、それでも2000年である。どちらにしてもいま頃になって、なのだが、それも私がいままで読んでいなかった怠慢の故でもある。この書評欄でいえばソジャの『ポストモダン地理学』(青土社、2003)をとりあげた際にちょっと触れたりしたのだが、そういえばこの本が出たのだっけと気にかかっていたので、眼を通してみたわけだ。その時にも書いたように私の世代にはルフェーブルは懐かしい名前なのだが、そのブームは日本では疾うに去っていて、次の世代、つまり構造主義からポスト構造主義の隆盛で忘れられていた。ルフェーブル自身はこの流れには批判的で、それは本書でもいろいろ書いてあるが、ここのところはまぁ、仕方がない。私としては、例えば、あとにも触れるように、彼のフーコー批判に俄に同調する気持ちはないが、かといってもはやルフェーブルは古いのだから(それは確かにあるんだけれど)、と軽率な引導を渡してしまうわけにもいかない、という気持ちに本書は改めてさせる。それは何といっても、ルフェーブルほど「空間」の問題と直接に取り組み、理論的な大枠を与えようとした思想家は以降誰もいないからだ(そもそも流行だけで思想本を読むなら、読まないほうがましだ)。

この日本語版にはルフェーブルの死後の第4版へのまえがき(レミ・エスによる)が載せられているのだが、そこでは外国語への翻訳には国によってずれがあり、要するに著者の発見の時期もまちまちになる、というようなことが書いてあるが、英語圏ではどうやらルフェーブルは近年のブームらしい(日本みたいに70年前後のブームがなかったということか――あちらでもベトナム反戦とか共通する背景はあったように思うのだけれど)。それはひとつには、ソジャの書評でも書いたように、英米での地理学の分野(そこでは「空間」とマルクス主義の再評価が急である)への影響によるものらしい。ポストモダン地理学の旗手であるデーヴィッド・ハーヴェイなども『ポストモダニティの条件』(青木書店、1999)のような原論的な議論とは別に地域空間(地理)と経済の関連性などを分析している(ほかの例ではドリーン・マッシーの『空間的分業』[古今書院、2000]なんかもある。殆ど地域経済の分析なので、建築畑の読者にはちとしんどいかもしれない)が、こうしたアプローチからもルフェーブルが格好の基礎を供給することは良く分かる。ソジャにもハーヴェイにもルフェーブルの影響は少なからざるものがあった。また社会学でも、ジョン・アーリの『場所を消費する』(吉原直樹+大澤善信監訳、法政大学出版、2003)などを読むと、「なかでも1990年代に影響力をもったのは、バシュラール、ベンヤミン、ルフェーブルらのかなり以前のテクストであった。これらは近年になって再発見され、場所をめぐって隆盛している言説のなかに位置づけられている」などという文章が見られる。

このレミ・エスの前書きにはルフェーブルのキャリアの手短な要訳がある。そのなかで私の個人的な関心を引いたのは(へぇ、そうだったのかぁ!という態のものだが)、彼が70年前後に『空間と社会』という雑誌の編集委員をやっていて、その相方がアナトール・コップだったということである。コップは翻訳もないから、大部分の読者はそういってもピンとはこないだろうが、ロシア・アヴァンギャルドの研究者で、“TOWN AND REVOLUTION(原文は仏文)”は日本でも随分流布したはずだが、私の『ロシア・アヴァンギャルド』(INAX出版、1993)でも何度も言及している。必ずしも同感ばかりにはよっていないが(何しろコップのはあまりにストレートにモダニズムでありすぎるから)、彼の『都市を変革し、生活を変革せよ』(TOWN AND REVOLUTIONの次に書かれたもの/これは英語になっていない)などのスタンスと本書とを比べるといろいろと感慨は深い(ロシア・アヴァンギャルドのキャッチフレーズであった「社会のコンデンザー」なども出てくる)。

ルフェーブルは「空間」に関する知を伝統的に支配してきた認識論(ギリシャからデカルトを経てカントに至る)および数学の流れを、(自分が考えるような)社会的空間の批判には寄与しないものという。つまり心的空間と現実的空間は別であり、前者は生きられた経験からの切り離しの結果得られたものだというわけだ(個々の批判としてはともかく、原則論的には少し明解な切り離しでありすぎるようには思うが)。その結果、認識論的な哲学の省察が基盤を与えられなかった空間の科学を自分が試みてみようというのが本書である。ルフェーブルにとって、空間は「在る」ものではなく(社会的に)「生産される」ものである(これは明解な前提だ)。この生産において、16-19世紀(の西欧)には建築と都市計画と政治に一体のコードがいまだ存在して、このコードが農村と都市の住民に、また権力機関と芸術家に共通の言語活動を与えていたが、今世紀のはじめ(1910年頃と特定化されているが、その理由説明はない)に良識、知、社会的実践、政治権力に共通する空間がうち砕かれた、というのだ。それ以来、ユークリッドと遠近法の空間が消滅し、抽象空間が支配する。空間の表象と表象の空間とが分離し、しばしば対立する。「空間の表象」とは、抽象空間を操作するための技術であり、それを保有するのは一部の専門家たちである(最近の経営工学風にいえば「シンボリック・マネージャー」とでもいうところか)。これに含まれるのは政治家、官僚、学者、そして我らが(じゃなかった、我ら)建築家や都市計画家である。「空間の表象」とは、思考される空間、科学者の空間、社会・経済計画の立案者の空間、都市計画の空間、区画割りを好む技術官僚の空間、社会工学者の空間、ある種の科学的性癖を持った芸術家の空間であって(ここのところは私が『空間思考』(弘文堂、1986)という旧著で、まったく違う角度からではあるけれども、触れた問題とも幾分重なる)、直接に生きられる空間であり、それゆえ「住民」=「ユーザー」の空間である、「表象の空間」と対立する。別にこれは建築家弾劾論ではないので留意してほしいが、ルフェーブルの位置づけでは、フランク・ロイド・ライトが「聖書とプロテスタントの伝統に由来する共同の表象の空間を受け入れた」建築家とするなら、ル・コルビュジエは「専門家の科学主義的で論理化された空間の表象を練り上げた」建築家なのだ(ここのところは、かつての長谷川堯さんの「神殿」と「獄舎」とか「雄」と「雌」という位置づけをちょっぴり思い出さなくもない)。この「抽象空間を支えるのは批判ない『肯定的な』知であり、抽象空間を支持するのは暴力の恐るべき力」である。弾劾論ではないとは書いたが、基調がそうであるのは否定できず、我ら建築家は、マクルーハンによってもはや時代遅れのメディアの使い手と見なされ、ルフェーブルには圧政者(の予備軍というか手先かな?)と見なされ、という状況にあることは――恐れ入ることもないけれども――留意くらいはしておいてほしい、といっておくことにしよう。

ヨタ話(じゃないが)はともかくとして、歴史的に見ればどうか? ルフェーブルはヴェネツィアのような町はどうかと問う。彼によれば、都市は「芸術品」のように意図的につくり上げられたものではまったくない。自然の作品と芸術の志向性とのあいだには超え難い溝があり、歴史的な村落や都市の空間はもっぱら作品の概念に言及するだけで適切に扱うことができるものではない。しかし、1910年以降の空間では、ミクロの空間の生産である建築とマクロなそれである都市計画の分離が行なわれ、ゆっくりと集団の意志によって生成したヴェネツィアとは違って、いたるところで反復が、つまり抽象空間が支配する。革命と合理性に基盤を置いたバウハウスの実践が生み出したのは「世界規模における均質で単調な建築」にすぎない、というわけだ(その張本人の名前がミエ・ヴァン・デア・ロエとまったくのフランス語読み――で殆ど人名不明[ミースのこと]――なのは、まったくすぐれた翻訳をされた斉藤日出治さんにしては――いくら「敵」であっても――ちょっとなぁ、とは思うけど/ついでにもうひとつ、ブルネレスキがブルネルシというのも困る)。

ここのところは、下手をすると懐旧的な都市論と読めなくもないが(それもまったくあたっていないわけではない)、ルフェーブルが空間の表象化の徴候を「視覚の絶対的優位性」、「読解可能なものの支配」に見出していることは押さえておくべきだろう。われわれ建築に携わっている者としては、自分達が手にしている「表象」の技術が両刃の剣であることは承知している(かな?ほんとに)としても、そして古い町は良かったとかいわれても困るとしても、この批判が結構的を射ていることは否定できないのではないか? それは建築のあり方が圧倒的にメディア(パブリシティ)・オリエンティッドになったことに起因している。ルフェーブルは、空間占拠(英語でいうoccupy)されてこそ意味がありしたがって絶対に相対的なのだ、というライプニッツの言を引いている。これは数学的な思惟、つまり抽象的な空間への批判であり、空間の身体性の議論である。生きた身体は基本的な場と空間の目印をまず身体によって設定するわけだが、その身体とは他の身体を前にした身体であり、自我の前に他者がいるということがその前提にある。囲いは内と外を分離し、したがって生命体を「明確な身体」として確立する、だからこの囲いとは相対的な囲いなのだ、とルフェーブルが行なうライプニッツ議論の拡張は見事な運びである。それは、かつてシュールレアリズムに関与し(ルフェーブルの日常生活批判はもともとここに起点があるらしい)、その後身でもあるシチュアショニストに影響を与え(その創始者ギー・ドゥボールはかつてルフェーブルのゼミに在籍した)、最晩年には身体の基盤にあるリズムの問題を議論した(彼の遺作は『リズム分析の要素――リズム認識序説』である)ルフェーブルらしい転回であり、懐旧趣味として斥けられるものではない。耳を傾けるべき議論である。

ルフェーブルがこのような生きられた空間に見出すのは「網状組織」、つまりテクスチャーの複合性であり、それは強調点、根拠地、係留点であるモニュメントを包含する(ヴェネツィアの寺院や広場のように)ものの、全体としてはひとつの意味されるものではなく多面的な意味の地平をもつ。この辺は、現代の実践に携わっているわれわれにはいささかユートピックに響く(それは彼も百も承知に違いないが)。私が思い出すのは、エクリチュール(書く行為)が一部の専門家(エクリヴァン)に独占されているいまの状況に対して、すべての読者がまた書き手でもあるようなユートピックな社会を夢想したロラン・バルトのテーゼである。あるいは「千の台地」でのドゥルーズ/ガタリの「条理空間」に対抗する「平滑空間」という図式にも似ている(「平滑空間」は定住する農耕民族が空間に刻む「条理」に対抗するノマドの空間としてモデル化されている)。しかし、われわれ職能的な建築家はこのユートピア性を咎めることはできない。何故ならわれわれこそ自らの行為のなかにユートピア性を見出していなければ、ただちに抽象空間へ、あるいは商品(スペクタクル)としての空間に陥るべき地点で仕事をしている存在だからだ。実際、われわれがこの議論に対抗しうるのは、この(ブレードランニングすべき)両刃の上でしかない。

これは空間を規定するプログラムの問題でもある。ルフェーブルは建築を資本主義的空間の統一的母胎であり、社会的諸関係を冷酷に凝縮するものとしている。19世紀以来の公共建築の様式(学校、駅、市庁舎、警察、省庁)などは空間のパラダイムを還元するように包み込むものだというわけだが、これらのビルディングタイプは啓蒙期の産物である。ここを分析したのは(ルフェーブルが批判する)フーコーだが、フーコーがそこに見出したのは抑圧と解放の背中合わせ状態だった。権力は遍在し、その両方の可能性をもつ(上記の両刃の議論と同じ)。ルフェーブルの権力論は、もはや教条的なマルクス主義には立っていないまでも、それに比べてより古典的である。フーコーは絶対的な抑圧者も絶対的な解放者もありえないとする(これはル・コルビュジエを引いて述べられている)。空間の表象もまた「権力」のモメントであるが、それはこうした権力のあり方を反映している、と私は考える――建築に携わる者としての自己正当化であることは否定しないが。というわけで、私は必ずしもルフェーブルの立論に100%賛成するわけではないのだが、ここから引き出しうる教訓(われわれは結論を期待するべきではない)はそうした部分的な反駁(あるいは留保)でキャンセルされるようなものではない。あなたが、空間の問題を虚心に考えようとするのであれば、そして建築家こそは空間の専門家であるなどという井の中の蛙のような馬鹿げた思いこみに支配されているのでなければ、30年前のこの書物は依然として有益な宝庫でありつづけるだろう。結構厚い本だが、努力には酬いてくれる本ではある。

なお、本書の訳者である斉藤日出治氏の『空間批判と対抗社会――グローバル時代の歴史認識』(現代企画室、2003)も併せて一読を勧めたい。その第2部(「空間の政治」)は本書の訳者あとがきに手を加えたものだが、それ以外の議論も興味深いものがある。

[やつか はじめ・建築家]