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なぜアーティストは貧乏なのか?

ハンス・アビング

(村上華子・訳)

みなさま、本日は私の著書『なぜアーティストは貧乏なのか?』日本語版の出版に際しまして講演にお招きいただきたいへん光栄に思います。

講演に先立ちまして、今日この機会を設けて下さいました関係者の皆様、また、この講演ツアーを助成してくださいましたオランダ大使館、特に文化広報参事官のマリオン・ペニンク様に心よりお礼申し上げます。

そして誰よりも、この本の素晴らしい翻訳を成し遂げ、なおかつこの講演ツアーを実行してくださった山本和弘さんにお礼申し上げます。

この本は、アートにおける助成制度について、あるいはパフォーミングアートにおけるコストの上昇など、皆さまに興味を持っていただけるようなさまざまなトピックを扱っています。しかしながら今回の講演では、本書のタイトルでもある「なぜアーティストは貧乏なのか?」という問題にフォーカスしてお話ししようと思っています。本書をすでにお読みになった方にもこのレクチャーが有意義なものとなるように、私が本書を書き終えてから新たに発見した事柄も盛り込んでお伝えしようと思っています。

この本は、西欧におけるアーティストの現状を前提にして書かれたもので、かならずしも東洋の状況を考慮したものではありません。しかしながら、アートを取り巻く状況について西欧と東洋の違いはかつてほど指摘されることはなくなってきていると思います。そのため、私が本書で述べた内容はますます、東洋においても有効になってきているのではないかと思います。私の知るところによれば、日本では平均収入は決して低くないにも関わらず、人口10万人あたりのアーティストの数は、オランダなどに比べて少ないようです。しかし、将来的にはこの違いは徐々に小さくなっていくでしょう。貧しいアーティストの出現という比較的新しい現象に、人々は戸惑いを覚えており、そのため私の著書は日本語のみならず中国語や韓国語にも翻訳されています。日本では、つい最近まで、若いアーティストというのはそれほど貧乏ではなかったのです。

しかしながら、私のレクチャーをききながら皆さまはきっと、西欧の状況とここ日本における現状とで違う点を見いだされることでしょう。議論の材料として、私はそういった点のご指摘を歓迎します。私は現在新しい著書を執筆中で、それは『アート・イベント』という題名になる予定ですが、皆さまによる指摘をそれに反映することができればと思っています。

1. はじめに:アーティストは貧乏である。

多くのアーティストは貧乏です。プロのアーティストの定義は国により大きく異なりますが、それでもアーティストは貧乏だ、という調査結果については各国ともに共通しています。西欧とオーストラリアにおいては、アーティストの3分の1が、その全体収入から鑑みて、貧困ラインあるいは生存最低ラインと言われるレベルにとどまっています。なかでも、ヴィジュアルアートの作家が最も貧しい傾向にあるようです。

全体収入ではなく、アートによる収入のみにフォーカスして見てみると、その額はさらに少なくなります。もしアートだけで生活していこうとしたら、大多数のアーティストは生活していけなくなります。アートによる収入と実際の収入の差は、西欧においてアーティストの多くが、より実入りの良い副業を持っていたり、社会援助受けていたり、パートナーや親類から援助を受けていたりする事実により説明がつきます。

たとえばオランダでは、ヴィジュアルアーティストの77%が、法定最低賃金以下の収入で生活しており、45%は貧困の状態にあります。さらに、75%つまり4分の3の人々がアートのみでは生活することができず、40%は制作費を埋め合わせることさえできないでいます。後者のアーティストは、アーティストでありつづけるために費用を払い続けていることになります。しかしながら、ごく一部のアーティスト、つまり1%未満ほどの人々は非常に高い収入に得ています。グラフを見てみましょう。この折れ線は、アートによる収入で表記の額より少ない収入を得ているアーティストの割合を示しています。赤い水平線は、貧困ライン、つまりオランダにおいて社会保障が必要とされる最低水準を表しており、より高い位置にある線は法定最低賃金を示しています。次のグラフでは、より急な線が全体収入を表しています。細かい違いはあるかもしれませんが、基本的にこのグラフは西欧における典型的な収入分布を表していると思います。

西欧におけるアーティストは常に貧乏だったわけではありません。19世紀半ばのアーティストの収入は決して低いものではありませんでした。アーティストの収入が減少したのはそれ以降のことです。20世紀後半においてその下降は相当のものでした。アーティストの収入が減っただけでなく、アーティストの数自体が増加したのです。西欧におけるアーティストの数は20世紀後半以降にかなり増加しました。これは人口自体の増加率よりも大きな幅で増加していたようです。

このレクチャーの文脈で、次のような例を引くことは決して無駄ではないでしょう。第二次世界大戦以降、西欧においては副業で生計を立てている、いわゆる副業持ちのアーティストが増えました。彼らの大部分はアートよりも副業の稼ぎのほうが多いのです。国によって、あるいはそのアーティストが受けた教育により異なりますが、およそ60〜90%のアーティストが副業を持っています。副業として考えられるのは、アートに関連した仕事、つまり音楽のレッスンをしたり、絵画教室で働いたりといった教育産業であったり、あるいはアートとは全く関係のない清掃業やモデル業、あるいは(私がそうしているように)大学での教職、といったようなやりがいのある仕事、が挙げられます。現在、オランダのヴィジュアルアーティストの収入においてはアート自体による収入よりも副業による収入のほうが2倍多いということがわかっています。副業を持つ人が増えているということは、アートによる収入は低いままであるにも関わらず、副業による収入によって埋め合わされているということです。

本日お越しの皆さまの多くはおそらく、芸術を学ぶ学生や若いアーティスト、教師、キュレーターかと思いますが、多くのアーティストが副業によって自らの活動を支えているという現実は日本においても同様であることにはきっと同意していただけるのではないでしょうか。このように、アーティストは自分の活動から得る収入はほんのわずかです。アーティストとしては、彼らは貧乏なのです。このような観点においては、西欧との状況の違いは程度の問題であると言って良いでしょう。

2.アートにおける収入が低い理由

もしアーティストの数がもっと少なければ作品の価格はもっと高くなり、少なくとも貧困ラインよりは多い収入を得るアーティストが増え、アーティストの貧困は比較的解消されるのではないか、と考えられるかもしれません。アーティストの収入が同レベルの教育を受けた人々に比べて低いことを鑑みれば、アートの供給過剰が起きていると考えられるからです。しかしこの点に関して言えば、アートは他の産業分野とは異なっています。他の分野においては、実質的な供給過剰は長くは続きません。例えば、もし公認会計士の数が多すぎて、彼らの収入がアーティストと同じくらい低くなったとしたら、公認会計士を目指す人は減るでしょうし、その仕事から離れる人も多く現れるでしょう。その結果、個々の会計士の収入は上がり、供給過剰は解消されるはずです。しかしアートの世界ではそうはなりません。西欧ではすでに長いあいだ、アーティストの数はたいへん多く、収入は低いままなのです。したがって、アートの経済は普通のものではなく本書の副題にあるように、それは「例外的な」経済であることがわかります。

収益が比較的少ないときには供給が減少する、という経済のメカニズムはアートの世界では機能しません。それはなぜでしょうか?その理由は国によって、あるいは西欧と東洋とでいくぶん異なるでしょう。しかしながら、この現象がグローバルなものとなるにつれて、その理由もだいたいはどこでも同じものではないかと私は考えています。いずれにせよ、これについては皆さまの意見をききたいと思っています。なぜ人々は、高い収入はおろか、妥当な収入を得る可能性さえ低いとわかっていながらアーティストになるのでしょうか?そしてなぜ、低い収入にも関わらず、長い年月あるいは一生をアーティストとして自ら進んで働くのでしょうか?アートにおける高額な収入というものはとてつもなく高いものです。ほんの一部の高い収入が、アーティストの意欲をかきたてているのかもしれません。人は決して論理的に行動するわけではありません。多くの人が宝くじ売場に並ぶのと同じように、アーティストは自分が裕福になる可能性を買いかぶっているのです。また、意欲に燃えるアーティストは自らの才能を実際よりも高く評価する傾向にあります。彼らは、他の学生よりも自分のほうが成功する確率が高いと簡単に信じ込むのです。とはいえ、これはプロのスポーツ選手や、アート以外のエンターテイメントの職業にもあてはまることです。また、アーティストは、他の人々よりも野心的である、という点を指摘することもできるかもしれません。アーティストはだいたいにおいて、喜んでリスクをとる傾向にあります。しかしこれが本当なら、これもまたスポーツや、アート以外のエンターテイメントにもあてはまることです。そして、これらの分野における収入はアートにおけるほど低くないことから、アートにおける収入の低さはきっと他の要素によるものであると考えられます。

アートの絶大な魅力は金銭だけではないと考えられています。多額の金銭は通常、名声と注目を伴います。有名かつ金持ちになる可能性は、アート界では非常に低いものです。しかしそれでも、有名人になって皆の注目を集め、お金持ちになる可能性というのが、アーティストという職業がこれほどまでに人をひきつけている理由にあるでしょう。しかしここでもやはり、同じことがアート以外のエンターテイメントやスポーツにもいえます。しかしながら、両者のあいだにはたいへん重要な違いがあります。そのエンターテイナーやスポーツマンが、意欲的に活動しつつも、やはり自分がプロとして活躍が見込めないことが判明するとその職業から離れていくのに対し、アーティストの場合はそれでも活動を続けることがとても多いのです。したがって、高い収入や名声を得ることの可能性だけでは、多くのアーティストが低収入であることを説明することはできません。

アーティストが作品によって得ているものは金銭ではなく、注目と名声であるらしいことがわかってきました。仲間うちの評価なども同様に、低い収入を補う非金銭的報酬であると考えられます。しかしながら、同様の例はまたもや他の分野の職業にもみられます。科学研究がその良い例です。科学の研究者にとっては、他の研究者からの評価がたいへん重要な報酬なのです。しかしこの分野において、低い収入が例外的に低いことはありません。よって、アートにおける低い収入を説明するには他の要素を考慮しなくてはならないことになります。

アートをつくること自体の喜びも、また違う形の報酬かもしれません。しかしながら、アーティストでなくても多くの人々が喜んで自分の仕事をしています。仕事は喜びと満足感をもたらすのです。ただ金銭だけのために働いている人はいません。そしておそらくこのために、他に職業においても平均収入が比較的低いことはあります。西欧の多くの国において看護士や教師などが、彼らの最終学歴からすると低いレベルの収入に甘んじています。しかし、彼らの収入が低いと言ってもアーティストほどではありません。収入の水準が低い職業というのが他にも存在するにしても、アーティストより平均収入の低い職業は他になく、またこれほど多くのプロが貧乏である職業は他にないのです。

クリエーティブな仕事をすることは特別な満足感をもたらし、それ自体が価値のあることのように思われます。たしかに、これは事実でしょう。ファッションやグラフィックデザイナーなどクリエーティブな仕事をプロとしてやっている人の収入は比較的低く、一方でその中でトップレベルの人の収入は非常に高いものです。しかしやはり、アートにおける収入はそれよりさらに低いのです。

彼らは仕事から得られる喜びを別にすれば、もし彼らが生活できるだけの収入を得ることができなければ彼らの多くはその仕事を離れていくでしょう。したがって、クリエーティブな仕事をしていることの喜び、という要素でアートによる収入の例外的な安さを説明することはできません。

3. アートは特別である

アーティストにおいて例外的であるのは、彼らが非常に特殊な世界に属しているということです。大文字のAではじまる「アート」の世界です。この世界に属することが彼らに喜びや満足感をもたらしているのです。喜び、という表現は適切ではないかもしれません。アーティストの人々は概して、あまり幸せそうに見えません。彼らは自分の作品が尊重されることを望んでいて、それが叶わないといとも簡単に失望したりするものです。したがって、報酬の金銭的側面はここではあまり適用できません。大文字のAではじまる「アート」の世界に関わっていることがアーティストを情熱的に駆り立てるのです。報酬が低くても彼らはそれに関わろうとします。

したがって私の見解では、アーティストの収入の根強い安さと、アーティストの数の多さはこの、「アートは特別である」という事実によってのみ説明しきれるのです。西欧では、アートは神聖である、という言い方をします。ここ日本では違う表現が使われるかもしれません。現在、アーティストの方が収入が低いことを考慮に入れると、アートは科学よりも特別なのです。大文字のAのついたアートは、その経済的価値がしばしば低いものであるとしてもやはり特別なものなのです。このように、アーティストであるということは大きな特権であると同時に責任のあることでもあるのです。

ヨーロッパにおいてアートが特別視されるようになったのは、19世紀前半にアートの一部が自律的なものとなり、人々が自分の存在の根本と関わるような深い結びつきをアートと持つようになった頃からではないかと思います。アートは真正性、つまり本物であること、と結びつけられるようになったのです。人々は真の個人であろうとし、その、本物らしさの探求においてアートは大きな役割を果たしたのです。アートを通して人は「ほんとうの自分」を発見することができるのです。少なくとも西欧においては、アートは宗教からその神聖さを引き継いだのです(このことについてはさらに説明が必要でしょう。しかし、それをやっていたらきっとレクチャーをもう一回ぶんすることになります)。

真の個人であろうとする願いは、アートの特殊性とともに今日まで引き継がれてきました。ほとんどの西欧人はアーティストを、自分よりも本物とみなしています。アーティストは、その作品を通して自分を表現し、自らの真正性を証明しているのです。この、本物であろうとする願い、大文字のAではじまるアートの世界の一部であろうとする願いが、アーティストになろうとする若者たちを後押しするのです。そして、アートの世界に属していることからくる、作品をつくらなければという衝動が、低い収入に耐えてでもプロのアーティストであり続けようとすることの理由になっているのです。

もし、アーティストの低い収入が非金銭的報酬によって大きく埋め合わされているとしたら、アートの供給過剰というようなことはなく、アーティストが多すぎるということもありません。ただ、アーティストがたくさんいる、というだけの話なのです。しかしながら、非金銭的報酬よりも作品をつくることの衝動で制作しているアーティストに関して言えば、この場合彼あるいは彼女はその低い収入に比して考えても、部分的にしか報われていないか、全く報われておらず、世の中にはアーティストが多すぎる、と言うこともできるでしょう。さらにこの場合、貧しさに苦しむアーティストという一般的なイメージの由来を理解することができます。しかしながら、この問題についてはさらなる考察が必要でしょう。

4. アーティストには労働選好がある

どんな犠牲を払ってでも作品をつくる衝動的な行動は、アーティストの低い収入からだけでなく、アーティストの習性からも説明できます。アーティストは作品をつくる際に選り好みをする傾向があり、それは労働選好とよばれます。たとえば、副業を持ったアーティストが、以前より多くの収入を得るようになったとしましょう。前よりも作品を売ることが多くなったとか、公演数が増えたとか、助成が得られたとか、支えてくれるパートナーが見つかったとか遺産が入ったとか、理由はさまざまでしょう。このような状況において「普通の」人々はたとえば、最新型のテレビを買うとか、より頻繁に旅行に出かけるとか仕事を減らすなどするでしょう。しかし一方で典型的なアーティストは、手に入った金額の全額あるいは大部分を、副業に費やす時間を減らしアーティストとして働く時間を増やすために用いるでしょう。あるいは高級画材やハイスペックのヴィデオカメラなど、作品づくりに必要な材料や機材を購入するためにそのお金を使うかもしれません。もしそのアーティストが既にフルタイムでアーティストとして働いている場合でも、彼はきっとそのお金を消費するよりは自分の作品のために使うでしょう。労働選好は、学者など他の職業の人々にもみられることですが、平均的にみるとそれはアーティスト、とくに貧しいアーティストほどのものではないでしょう。

アーティストがしばしば非常にお金に執着する、という現象はあるいはこの労働選好という傾向と矛盾するように思われるかもしれません。しかしそうではないのです。私は、ヴィジュアルアーティストとしてしばしばモデルを使います。彼らの多くは、ヴィジュアルアーティストやダンサーといった若いアーティストです。普通、私は彼らに一定の金額を提示し、イエスかノーで決まります。しかし若いアーティストというのはそこから金額交渉を始めるのです。彼らは、自分が他よりも良いモデルであると主張し(実際そうであることも多いですが)、なるべく高い時給をどん欲に要求します。しかし彼らのうち、たとえばヴィジュアルアーティストは助成を獲得し、ダンサーが予算のついたプロジェクトに参加することになると、彼らは突然辞めます。時間に余裕がないわけではないのに、たとえ私が倍の値段を提示したとしても、彼らは働こうとしないのです。生活するのに十分な金銭を手にした今、彼らは余った時間を、制作に充てたり、特別なトレーニングを受けたり予算のつかないプロジェクト参加したりといったことに使うのです。つまり、彼らには労働選好があるということです。したがって、このような状況においては、彼らはお金のことを気にしていないように見えます。しかし、その助成やプロジェクトが終了すると、彼らは私のところに戻ってきて、喜んで働き、またなるべく多くの報酬を得ようとするのです。

これは、多くのアーティストにおいて、貧困は一般的に想定されているよりもさほど悲惨なものではないことを暗示しています。よそから見る限り、彼らには多くの選択肢が与えられています。第一、彼らはその気になれば材料や機材をもっと安く済ませることも可能です。第二に、彼らはアートよりも実入りの良い副業にもっと時間を割くこともできます。

しかしながら、後者に関して言えば限界があります。もしアートに割く時間がだんだん少なくなってゆけば、ある時点でその人はプロのアーティストではなくなります。これをどの時点とするかは分野によって、あるいはプロフェッショナリズムがどこに措定されているかによります。週4時間詩作する人は詩人であり得るかもしれませんが、週2日ヴァイオリンを弾く人がプロのヴァイオリニストと呼ばれることは難しいでしょう。おそらく本人としても、自分はアマチュアになったと思うかもしれません。

以上より、アーティストは大きく3つのグループに分けることができます。一つ目は、貧乏ではないアーティスト。これはごく少数の人たちです。彼らの収入は法定最低賃金より多く、また、このうちさらに少数のアーティストは非常に多額の収入を誇っています。次に、貧乏だけれどもよそから見てそうはみえないアーティストのグループがあります。これは大きな集団です。彼らの収入は、生活するのにぎりぎりくらい、あるいはそれより少し多いくらいで、それでも最低ラインよりは低いものです。彼らは、もし作品を多く売る機会や公演数が増えたり、副業で収入が上がったり、社会保障や助成金や寄付、親類からの援助などでお金が手に入ると、材料や機材、スタジオ費などに使うか、副業の時間を減らすなどします。そして収入が減ると、逆の行動に出ます。このようなアーティストは、振れ幅があるのです。彼らは貧乏に慣れることもできる一方で、進んで貧乏になる必要もないのです。とはいえこの振れ幅にも限界があります。もし収入が極端に低くなれば、ふるまいを変えることにより貧乏を避けることがもはやできなくなります。

そして、3つめのグループは、貧困を避けることのできないグループです。彼らは、「どのみち貧乏な」アーティストなのです。彼らは危険なゾーンに居ると言えます。彼らは生活するのにやっとのお金だけ稼いでいますが、もし収入がほんの少しでも減れば、彼らはアートを離れざるを得ないでしょう。しかしながら、彼らはさまざまな工夫をしてなんとかこの危険ゾーンにとどまっているようにも見えます。ピンチに陥るたびに、彼らはなんとかしてアートを続けるために何かしら解決を見いだすのです。もちろん、ほんとうにアートを去る人もいますが、その間、また新しい人が参入してきます。だいたい、ほとんどのアーティストがこの危険ゾーンから自らのキャリアをスタートさせます。そしてしばらくたってからやっと、彼らのうちほんの一部が貧乏を免れることができるのです。

5. アーティストへの援助は貧困を助長する

アート界にもっとお金が流れ込めばきっと、アーティストの貧困は解消されるはず、と思う人も多いでしょう。しかし、一般的に、そうはいかないのです。短期的には貧困は軽減されますが、費やされた金額のわりにその効果は薄いでしょう。重要なのは、この効果が持続せず、ただしばらく経ったのちアーティストの絶対数は増えるだけであることでしょう。これは先ほど申し上げた、アーティストを大きく3つにわけた説明を思い出していただければ納得がいくと思います。

もしより多くのお金がアート界に流れ込めば、貧困を免れることのできた2つ目のグループは自らの作品により多くの経費をかけるでしょう。したがって、彼らの最終的な収入は最低生存ラインぎりぎりのものとなり、彼らは貧乏なままなのです。短期的には、法定最低賃金よりも高い収入を得ている比較的少数のアーティストはその数を増やし、他方でもはや身動きがとれないほど貧乏なアーティストはやや減るでしょう。ただしこれはすでにアーティストになっている人たちだけにあてはまります。

収入の高いアーティストが増えたこと、また貧乏なアーティストが減ったこと、あるいは副業をしなくてはいけない時間の減少や作品に費やすことのできる時間の増加により、アーティストの大部分を占める中間層の人々の暮らし向きが前よりも良くなったこと、といった点に野心的なアーティストが気づいたとき、それはアートにおける見通しが前より改善されたことを意味します。アートが特別なもので、しかも極端に魅力的なものであるために、その世界に入りたいと熱望する人は多く存在します。彼らの能力からすると、成功の確率はほんのわずかでしょう。そのため、アーティストの全体数は増えても、貧乏なアーティストの割合は変わりません。したがって、アート界に流れ込んだ余分な金銭により、貧乏なアーティストの絶対数は増加するのです。つまり、西欧においてそうであるように、アーティストの実収入を増やす目的で助成金が出されるとしたら、これらの助成金は非生産的であると言うことができます。

助成金にかんして言えば、これは残酷なサイクルにより成り立っています。西欧諸国の裕福な国で特に社会民主主義者は、プロとして働いている人、とりわけ特別な仕事をしているアーティストである人々の多くが貧乏であることを看過できない傾向にあります。そのため、彼らの収入を増やすために助成金が設けられるのです。結果、貧乏なアーティストが増え、すると助成金が増やされ、、、といった具合です。もちろん、このサイクルも永遠に繰り返されるわけではありません。しかしこの傾向があるのは明らかです。

その例外的な魅力ゆえ、アートにおける貧困は構造的なものです。アート界に流れ込むお金は貧困を助長させるだけです。しかしながら、需要の増加と、助成金や補助金、社会保障、寄付、親類の助けといった援助の増加は根本的に異なるものです。援助はアーティストをより貧乏にしますが、需要の増加はより多くの芸術作品が消費者の手にわたることを意味し、作品数の実質的な増加へと繋がります。援助の増加は、作品数の増加にはなかなかつながりません。これは助成金の削減により、実質的な作品数を減らすことなく貧乏な芸術家の数を減らすことができることを暗示しています。むろん、アーティストが多く存在することが、都市の中のクリエーティヴな地域の拡大に寄与する、といった外部効果については議論されていいでしょう。これらの効果がどれほど有効なものであるか、また、貧乏なアーティストが増えることと比べてどちらが良いのか、といったことは政治的なものごとに属することでしょう。

6. おわりに

プロのアーティストというのはリスキーな職業です。金持ちになることはおろか、他のプロフェッショナルな職業のそれに比することができるような収入を得られるようになる可能性さえ非常に低いのです。しかしながら、平均的なアーティストは比較的教育水準の高い、裕福な家庭の出身であることが多いので、彼らは本当の貧困からは守られているのです。そのため、多くの野心的なアーティストに関して言えば、リスクを取る傾向の有無ではなく、リスクを取る能力の有無が、アートの道に進むかどうかを決めています。

皆さまは、裕福な国では貧乏なアーティストが少ないと思われるかもしれません。しかし、実際はその逆なのです。西欧では第二次世界大戦以降、経済成長とともにアーティストの絶対数と貧乏なアーティストの数も同時に伸びていきました。アートは繁栄の象徴でもあるので、経済の成長よりも先にアートの需要のほうが高まったのです。また、裕福な国では政府や寄付者が芸術に対して寛容な傾向にあります。裕福な国には社会保障から親類縁者からの大小の援助に至るまで、熱心なアーティストを養いうるさまざまな余り物があるのです。繁栄はアーティストに貧困であることを許すのです。

アートにおける貧困は構造的なものです。政府によるアーティスト助成金の縮小以外に、講じうる対策はあまりありません。困窮するアーティストというのは、アートの特殊性の不可避な帰結なのです。しかし困窮と貧困は客観的に認識されるべきでしょう。一つ目にアーティストは、少なくとも部分的には、貧困を埋め合わせています。二つ目に外側から見た場合多くのアーティストは貧困を回避することができました。また三つ目に、多くのアーティストは平均よりも裕福な家庭の出身であるのです。もし状況が悪くなれば多くの貧乏なアーティストは家族に頼ることになるのです。