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T. A. Z. The Temporary Autonomous Zone(一時的自律ゾーン), Ontological Anarchy(存在論的アナーキー), Poetic Terrorism(詩的テロリズム) Hakim Bey(ハキム・ベイ) 箕輪 裕 訳

ハキム・ベイ

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存在論的アナーキー協会のコミュニケ集

第4コミュニケ 世界の終わり The End of the World

 AOAは、自身が「世界の終わり」に〈飽き飽きしている〉ことを公式に宣言する。その正典は、相互確実破壊(Mutual Assured Distruction=MAD)への恐怖へ、そして我々のスーパーヒーローである政治家たち(唯一、致死的な「緑色のクリプトン光線」[TVの「スーパーマン」を殺すことのできる光線]を操ることができる者たち)へのしおらしい隷属へと我々を萎縮させておくために、1945年以来用いられてきているのであるから……
 我々がこの地上の全生命を絶滅させることができる方法を発明したことは、何を意味するのであろう? 大したことではないのだ。我々はそれを、我々自身の個人的な死を観想することからの逃避として、〈夢に見て〉来たのである。我々は、もやは顧みられない不死のイメージの逆像としての役を果たす、1つの象徴を作り上げたのだ。発狂した独裁者の如くに、我々は〈すべてのもの〉を自分たちと共に「奈落」に落とすことを考え、恍惚としているのだ。
 黙示録の偽典/外典は、滅亡への、ホロコースト以後の世界における楽園(エデン)への淫らな渇望を伴っているのだが、その楽園では、生存主義者(サヴァイヴァリスト)たち(あるいは『ヨハネ黙示録』の選ばれし144000の人々)が、二元論者のヒステリーのお祭り騒ぎ、魅惑的な罪との果てしない最後の対決に耽ることができるのである……
 我々はルネ・グェノン[1886-1951、フランスの思想家。神秘主義や宗教についての著作がある]の幽霊を見たことがある。死体のようでいてトルコ帽を頭に戴き(『再生』[1932年の作品、原題"The Mummy"]でアーディス・ベイを演じたボリス・カーロフのように)、「文化」と「宇宙」との死のためにうるさくざわついたアブラムシの聖歌を奏でる「単調な産業騒音」の葬列のロック・バンドを先導していたそれは、すなわち感傷的ニヒリストの最も極上のフェテシズムなのであり、「性以降(ポスト・セクシュアル)の」似非知性人のグノーシス派的な自己嫌悪なのである。
 これらの侘びしいバラードは、「進歩」と「未来」に関するあらゆる嘘と決まり文句──「コンセンサス」の世界においてはあらゆる拡声器から放射されていて、あらゆる教科書とTVからの誇大妄想的な脳波のように感動的なもの──の単なる逆像なのだろうか? 「ヒップな千年至福説信奉者たち」のタナトスは、膿汁のように「消費者と労働者のパラダイス」の偽りの〈健康〉から吹き出すのである。
 脳の両方の半球体を用いて歴史を読むことができる者は誰でも、あらゆる瞬間に世界が終わりを迎えていることを知っている──時間の波は、閉じられて化石となった過去のひからびた記憶だけをその背後の岸辺に打ち上げ、通り過ぎて行 く──それは不完全な記憶であり、既に滅ぶべき定めにあり、初老期を迎えているものである。そしてすべての瞬間は、世界を生み出してもいる──身体が麻痺したまま成長した哲学者と科学者の揚げ足取りにも関わらず──すべての不可能性が息を吹き返す現在、そこでは、過去への哀惜と未来への予感は、1つの黙示現在主義的(presential)でホログラム的、心理マントラ的な身振りの中で色褪せ、無に帰すのである。
 「規範的な」過去、あるいは未来における宇宙の熱力学的な死は、我々にとっ ては昨年のGNPあるいは国家の衰退と同じ程度のわずかな意味しか持ち得ない。すべての「観念的」な過去、未だに到来しない未来のすべては、単に、色鮮やかな現実全体の我々による意識を妨害するだけのものなのだ。
 あるいくつかの宗派は、この世界(あるいは「ある」世界)は〈既にいわゆる終焉を迎えた〉と信じている。エホバの証人たちにとっては、それは1914年に起こったことである(そうとも、皆さん、〈今〉我々は黙示録の時代に生きて いるのだ)。ある種の東洋の神秘主義者たちにとって、1962年の「惑星直列」のあいだに世界は終焉した。フローラのヨアキムは聖霊の「老年期」を主張し たが、それは「父」と「子」の時代に取ってかわるものであった。アラムートのハッサン2世は「大いなる復活」を主張したが、それは終末の内在化であり、地上のパラダイスである。涜神の時代は後期中世のどこかで終わりを迎えた。それ以来、我々は天使の時代を生きてきた──我々の大部分がそれを知らないだけである。
 もしくは、より「急進的な一元論者」のスタンスをとるならば、次のようになる。すなわち、「時間」などは決して始まらなかったのである。カオスは決して死んだりしなかったのだ。「帝国」は決して創設されはしなかった。我々は、今もまたかつても過去の奴隷、あるいは未来の人質などではないのである。
 我々は、「世界の終わり」は〈既成事実〉(fait accompli)であると宣言されるべきだと提起しているのだが、その正確な日付は重要なことではない。1650年代の原始メソジスト教徒たちは、千年王国が〈今〉それぞれの魂に到来すること、そして魂はそれ自体に、それ自身の中心性と神性とに覚醒することを知っていた。「喜べ、同胞よ」というのが彼らの挨拶であった。「すべては我らのものなり!」
 わたしは、それ以外のどのような「世界の終わり」にも関与したくはない。1人の少年が通りでわたしに微笑む。黒いカラスがピンクの木蓮にとまり、オルゴン集積機&発射機のように、瞬時にして街中に響く声でカーカー鳴いている…… 夏が始まる。わたしはあなたの愛人かも知れない……だがわたしは、あなたの千年王国に唾を吐く。


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ハキム・ベイ

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存在論的アナーキー協会のコミュニケ集

第3コミュニケ ヘイマーケット問題 Haymarket Issue

 「わたしはついでに、大衆的なゴジラ映画の連作に「ナマズ」の伝統の奇妙な再発現が存在していることに言及だけはしておかねばならないが、それは核のカオスが日本で解き放たれた後に起きたのである。事実、映画による大衆的民間伝承であるゴジラの進化における象徴的な細部が、極めて驚くべき点で、アンビヴァレントなカオスの被造物(ある映画は『モスラ』のように宇宙卵/瓢箪/繭と いう古代のモチーフを直接的に再生させている)との闘争という、伝統的日本と中国の神話的、フォークロア的な主題と近似しているのであり、そして、その闘いは通常、文明的秩序の破綻の後に、子供たちの特殊かつ間接的な働きかけを通じて制御されるのである。」──ジラルドー、『初期タオイズムにおける神話と 意味:カオス(「混沌」)の主題』)
 
 古いモーリッシュ・サイエンス・テンプルの(シカゴとボルティモアの)いくつかで、友人の1人は、(天鵞絨で縁取りされたケースに入った)組み合わされた2丁の6連発銃と〈黒い〉トルコ帽とを戴せた、秘密の祭壇を見たことがあると主張した。恐らく内部社会へのイニシエーションは、新参のモール人に最低でも警官を1人は暗殺することを要求していたのだろう。
 ルイス・リング[1886年のメーデーに、シカゴのヘイマーケット広場で起きた爆弾事件の8人の犯人の1人]はどうだろう? 彼は「存在論的アナーキズム」の先駆者だったのだろうか? 「お前を軽蔑する」──このような感傷を賞賛しないではいられない。だが、22歳にして絞首刑を逃れるために自分をダイナマイトで吹き飛ばした男……それは必ずしも、我々の定められた道程というわけではない。
 警察の理念は、切られた首のそれぞれからヒュドラのように100の新しい頭部を生じさせる──そして、それらの頭部すべてが〈生きている警官〉なのだ。その斬首は我々に何ももたらさず、ただ、それが我々を呑み込んでしまうまでに獣の力を強めるだけである。
 まず、その理念を殺害せよ──〈我々の内部〉のモニュメントを吹き飛ばすのである──そうすれば恐らく……力のバランスはシフトするだろう。我々の脳内の最後の1人の警官が、最後の充たされない欲望によって撃ち倒 された時──恐らく我々の周囲の風景でさえ、変化し始めることであろう……
 「詩的テロリズム」は、現実に対する唯一の実践的な蜂起戦術として、この 〈原型のサボタージュ〉を提起する。しかし、すべての警察、アヤトラ、銀行家、死刑執行人、司祭等の(あらゆる手段を用いての)廃止を熱望する「シーア派の過激派」として、我々は、ラディカルで行き過ぎの「失敗した企て」でさえ崇拝するという選択肢を留保するものである。
 「虚偽の帝国」の鎖から解き放たれた束の間の数日間は、相当な犠牲を払って獲得する価値があるものであろうし、高尚な実現の一瞬は、小頭症的な退屈と労働の一生に勝るものだろう。

 しかし、この瞬間は〈我々のものとならねばならない〉──そして、我々によ るその所有は、仮に我々がその高潔さを保つために自殺しなければならないとしたら、酷く汚されてしまう。ゆえに我々は、我々の崇拝を皮肉と混ぜ合わせるのだ──我々が提起するのは殉教ではなく、ダイナマイト男の勇気であり、カオスの怪物の冷静さであり、犯罪的で違法な悦びの達成なのである。


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存在論的アナーキー協会のコミュニケ集

第2コミュニケ カリカク家を記念するボロ&カオスのアシュラム:1つの提案 The Kallikak Memorial Bolo & Chaos Ashram : A Proposal

 エアストリーム社の長距離旅行用トレーラーへの強迫観念を育むこと──車輪を備え動かすことのできる精巧なそれらの小型模型への──そしてまた、ニュージャージー州のパイン・バレンズ、砂浜の入り江とタール松の広大な失われた後背地、クランベリーの湿原とゴースト・タウン、1平方マイルあたり14人程度の人口、羊歯の生えた悪路、棟の折れたキャビン、そして前庭に燃え尽きた牽引車をつけ、取り残されて錆び付いたモービル・ホーム
 神話的なカリカク家──田舎の貧しい民の不妊手術を正当化するため、1920年代に優性論者によって研究された松林の中の家族──の土地。カリカク家のある者は、良質な遺伝子のおかげで立派に結婚し、成功し、そして中産階級へと 繁栄していった──その他の者はしかし、決して正業に就くことなく、森林へと寄生した──近親相姦、男色、精神的に足りない者が大勢──彼らを虚ろで陰気 に見せるために加筆修正された写真──宿無しのインディアン、ごろつきの傭兵、ラム酒の密造者、脱走兵などの筋をひく者たち──ラヴクラフト主義の性的倒錯者たち
 カリカク家の者たちが、秘密のカオス主義者、セックスの急進者の先駆、「ゼロワーク」の預言者たちを生み出したのではないか、と考えること。その他のモノトーンの風景(砂漠、海、湿地帯)のように、このバレンズにはエロティックな力が浸透しているように見える──急降下作戦あるいはオルゴンというよりは、むしろいわゆる物憂げな無秩序、造化の薄汚さほとんどそのままであり、あたかもその大地と水とが、性的な肉、膜、海綿状の勃起性組織からなっているかのようだ。我々がそこでスクウォットしたいもの、それは多分、旧式の薪ストーブと屋外トイレを備える放棄された狩猟/釣り用のロッジ──あるいは、ある廃れた「田舎のハイウェイ」沿いの壊れかかった「休暇用キャビン」──あるいは、 小川か水泳用の深みのそばの松林の裏手に隠された、我々がエアストリーム社のトレーラーを2〜3台停車することができる植林地でもよい。カリカク家の者たちは、何か良いものに気づいていたのだろうか? 我々は見つけるだろう
 どこかで少年たちは、ETが彼らをその家族から救出するために訪れ、その際もしかしたらエイリアン光線が彼らの親を蒸発させてしまうことを夢見ている。結構なことである。暴露された宇宙海賊の誘拐計画──シーア派の狂信的で頭のおかしい詩人であることがばれた「エイリアン」──パイン・バレンスの向こうに目撃された未確認飛行物体──「失踪した少年たちは地球を去るであろう」、 いわゆるカオスの予言者たるハキム・ベイはそう主張する
 逃走した少年たち、混乱と無秩序、エクスタシーと怠惰、裸で泳ぐこと、恒久の蜂起としての少年時代──蛙の、蝸牛の、木の葉のコレクション──月明かりの中での放尿──11歳、12歳、13歳──親から、学校から、「福祉」から、TVから、自分自身の歴史の操作を奪い返すには充分に大人である──来たりて我々と共にバレンズで生きよ−−我々は自身の贅沢品のため、夏期の錬金術 計画の資金調達のため、シンセミア地域ブランドを栽培するだろう──さもなくば、「詩的テロリズム」の遺物と我々の快楽の思い出の他、何1つ生み出さないことであろう
 古ぼけたピックアップ・トラックに乗っての気ままなドライブ、釣りと採集、コミックを読み、葡萄を食べながら木陰に寝そべること──これが我々の経済である。「法」の鎖から解き放たれたときの事象の基本的性質とは、それぞれの分子は1つの蘭であり、それぞれの原子は注意深い意識の集中へと向けられた真珠なのだ──これが我々のカルトである。エアストリーム社のトレーラーはペルシャ風の敷物で覆われて、芝生は満足げな草がぼうぼうで
 木の上の小屋は、7月の真夜中の無防備さの中で木製の宇宙船と化し、星々に対して半ば開かれ、快楽主義者の汗で温められたそれは、「松の木」の息遣いによって急襲を受け、そして鎮圧される。
 (親愛なる『ボロ・ログ』[スイスのボロ・ボロ関係の雑誌]よ。 あなたはかつて、実践的かつ実行可能なユートピアを求めていた──それがここにある。ホロコースト以後を描いた単なるファンタジーではなく、木星の衛星上の城塞でもなく──我々が明日、始めることができるかも知れない計画──その計画のすべての個々の局面が、今でも法を犯し、アメリカ社会の絶対的タブーを暴き、その真の枠組みを脅かしていることは別として。お気の毒なことだ。だがこれが我々の真の欲望なのであって、そしてそれを達成するため、我々は、純粋 なアートの生活だけではなく、純粋な犯罪、純粋な蜂起の生活をも観想しなければならないのである。かくあらせたまえ=アーメン。)

 (ヤル、ガノ、シラそして諸思想とに捧げられた、プロヴィデンスのシ・ファン・テンプルのグリム・リーパーと、その他のメンバーに感謝を捧げる)


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存在論的アナーキー協会のコミュニケ集

第1コミュニケ (1986年春) COMMUNIQUE #1 (SPRING 1986)

Ⅰ. 地下鉄の落書きやその他の目的のためのスローガンとモットー I. Slogans & Mottos for Subway Graffiti & Other Purposes

 
 ルートレスなコスモポリタニズム
 
 詩的テロリズム
 
 (広告の上に書き殴ったり、ゴムのスタンプで押すためのものとして)
 これがおまえの真の欲望なのだ
 
 マルクス主義−シュティルナー主義
 
 怠惰と精神的な美のためのストライキ
 
 幼子たちの足は美しい
 
 法の鎖は既に断ち切られている
 
 タントラ的ポルノグラフィー
 
 ラディカルな貴族主義
 
 ちびっこ都市解放ゲリラたち
 
 仮想のシーア派熱狂者たち
 
 ボロ・ボロ[P.M.が提起したフリーゾーン]
 
 ゲイ・シオニズム
 (男性同性愛者のためのソドム)
 
 海賊のユートピア
 
 カオスは決して滅びてはいない
 
 これらのいくつかは、存在論的アナーキー協会(以下A.O.A.)の「正真正銘の」スローガンである──他は、公衆の不安と疑念とを惹起するためのものだ──しかし、我々にはどれがどちらであるのか定かではない。スターリン、某氏、ボブ・ブラック、ピール・ハッサン(彼の著作に幸いあれ)、F・ニーチェ、ハンク・パーセル・ジュニア、P.M.、そしてモーリッシュ・テンプル・オ ブ・ドラゴンのブラザー・アブ・ジェハード・アル=サラーに感謝を捧げる。

 
Ⅱ.「コンセプチュアル・アート」の王国にあって未だに痛ましくも萎びている詩的テロリストのいくつかの思想 Some Poetic-Terrorist Ideas Still Sadly Languishing in the Realm of "Conceptual Art"
 
 1.混雑する時間帯のシティバンクあるいはケミカル・バンクのコンピューターによる顧客サービスエリアに歩み入り、フロアに排便し、そして立ち去れ。
 2.1986年のシカゴのメーデーにて、ヘイマーケットの「殉教者」の ための「宗教的」行進を組織すること──KKK/カソリック・スタイルのフード付黒色ガウンをまとった悔悛者によって捧持される、花輪と安っぽいピカピカ するものとリボンの吹き流しで囲まれた、センチメンタルな肖像画の描かれた巨大な幟──香と聖水を持った、めっぽうキャンピーな服装倒錯者の侍祭が群衆を清める──灰を塗りたくった顔のアナーキストたちが自らを小さな殻竿と鞭とで打ちすえる──泣き悲しむパンクたちによって「共同墓地」へとうやうやしく運 ばれてゆく小さく象徴的な棺を、黒いローブに身を包んだ「教皇」が祝福するのだ。このようなスペクタクルは、〈ほとんどすべての人〉の気分を害するに違いない。
 3.公共の場にゼロックスでコピーしたチラシを貼り出すこと、裸体でマスターベートしている美しい12歳の少年の写真に、神の顔とはっきりタイトルをつけて。
 4.精妙で洗練された魔法の「祝福」を〈匿名で〉、あなたが例えばその 政策、スピリチュアリティ、肉体美、あるいは犯罪での成功等のため崇拝する人々や集団へと郵送すること。下記のセクション5で概説されているものと同様の通常の手続きに従うこと、だが、それにふさわしく、幸運の、祝福あるいは愛情の美学を活用すること。
 5.『ニューヨーク・ポスト』やミューザックの会社のよ うな有害な〈機関〉へ、恐ろしい呪いをかけること。これは、マレーシアの魔術師から翻案された技術であって、つまり、その「会社」へ黒いワックスの栓で密閉された瓶入り小包を送付するのである。内容物はと言えば、死んだ昆虫やサソリ、蜥蜴といったようなもの、墓地の泥(アメリカのブードゥー教の用語で言え ば「グリーグリー」)に加えてその他の不快な物質を入れたバッグ、鉄の爪とピンとで貫かれた卵、ある紋章が描かれた巻物である。
 
 (この〈ヤントラ〉あるいは〈ヴェヴェ〉は、黒いジン[イスラム起源の精霊]、 自己の暗黒の影を呼び出すものである。その完全な詳細はA.O.A.より入手できる。)添付される通牒には、この魔力は個人にではなく〈機関〉に対して送られたことが説明されている──しかし、その機関自体が〈有害であることを止めない〉のなら、その呪いは(鏡のように)その機関全構内を、不快な運命、否定性の毒気で染め上げ始めることだろう。その呪いを解説し、全米詩歌協会の名の下に著作権を設定した「ニュース・リリース」を準備せよ。そのテキストのコピーを、その機関の従業員すべてと選ばれたメディアへと送付するのだ。手紙が届けられる前夜、その機関の全構内に黒いジンの紋章のゼロックス・コピーを糊で貼りつけること、そうすれば、翌朝出勤するすべての従業員が見ることができるだろう。
 (再びエイブ・ジハードに、そしてシュリ・アーナマナンダ──ベルベデーレ気候観測塔のモール人城代──に、そして、セントラル・パーク・オートノマス・ゾーンとブルックリン・テンプル・ナンバーワンのその他の同志たちに感謝を捧げる)


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ハキム・ベイ

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 この小冊子があなたへ告げているものは、ありふれたことなどではない。それは壁にピンでとめられるかも知れないが、しかし依然として生きており、のたうちまわっている。それは、あなたがとても若くて容姿端麗でない限りにおいては 誘惑しようとは思わない(近影同封のこと)。
 ハキム・ベイはいかがわしいチャイニーズ・ホテルに住まっているが、そこでは経営者が新聞を読みながら、あるいは京劇のノイズだらけの放送を観ながら麻薬で陶酔している。天井の扇風機がものぐさなダルウィーシュのように回って──お菓子が本のページに落ち──詩人のカフタン[トルコ風長衣]は着古るされており、そのトルコ葉煙草は絨毯の上に灰をまき散らして──彼の独り言は支離滅裂で、ちょっとばかり不吉のようでもあり──鎧戸が閉ざされた窓の外では、スペイン人街が椰子の木と溶解し、汚れない青い海、熱帯信仰の哲学となる。
 あなたは、ボルチモアの東のどこかにあるハイウェイ沿いで、霊的読書(Spritual Reading)と大きく記し、赤地の上にぞんざいな黒い手を描いた幟を掲げたエアストリーム社製の長距離旅行用トレーラーを追い越す。あなたは心のうち に、夢判断の本、数当て賭博の本、ブードゥー教やサンテリア教のパンフレット、薄汚れた古いヌーディストの週刊誌、一山の『ボーイズ・ライフ』、闘鶏についての研究を思い浮かべている……そして、この本『カオス』を。夢の中で語られた言葉、不吉で、束の間で、芳香へと変化するもの、鳥、色、忘れ去られた音楽のようなものを。
 この本は、うわべのある種の無神経さ、ほとんどどんよりとしていることに よって、自らに距離を置いている。それはその尻尾を振ったり唸ったりもしないが、噛み付いたり家具にさかったりはする。ISBN番号を持たず、あなたを弟子にしたいとも思っていないが、しかし、あなたの子どもたちを誘拐するかも知れない。
 この本は、コーヒーあるいはマラリアのように神経質である──それは自身と 読者とのあいだに、身代わりと安全な運び屋のネットワークを用意している──しかし、あまりに破廉恥でいて文学的精神に溢れているために、実際には自身を暗号化してしまっている──自らをくゆらせて恍惚となっているのだ。
 仮面、自分自身の神話、地名のない地図──誰かの顔を愛撫しようとしているにも関わらず、エジプトの壁画のように硬直したもの──そして、突然自らを、街路に、身体に見い出すもの、光の中に体現されたもの、歩いていて、覚醒していて、ほとんど満足しているもの。
 

──1984年5月1日から6月4日、ニューヨーク・シティにて


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魔術 Sorcery

 宇宙は演じたがっている。無味乾燥な精神的強欲から拒否を行い、彼らのヒューマニティを犠牲にして単なる黙想を選び取った者たち──鈍い苦悶から拒否を行った者たち、躊躇い、神となる機会を逸した者たち──諸思想の盲目の仮面へと自らを型にはめ、そして死者の眼から見ることによって、彼ら自身の健全さの終焉の証拠のいくつかを探し求めつつのたうち回る者たちを。
 魔術、それはすなわち高められた意識、あるいは通常ではない意識のシステマティックな修練であり、欲された結果を引き起こすための、行為と目的の世界におけるその展開なのだ。
 知覚が徐々に幕を開けると、偽りの自己、我々の不協和音的な亡霊は漸進的に消去されてゆく──嫉妬による「黒魔術」や血の復讐は逆効果に終わるが、それは「欲望」が強要され得ないためである。我々の美の知識が〈自然の遊戯〉(ludus naturae)と調和するところで、魔術は始まる。
 いや、それはスプーン曲げや占星術ではなく、「金色の黎明」でも見かけ倒しのシャーマニズム、星気が投影されたものや「悪魔のようなミサ」でもない──もしそれが迷信(マンボ・ジャンボ)であるならば、あなたは──説得力のないブラヴァツキー主義者のナンセンスなどではなく──混じりけのないコカイン、銀行業務、政治、社会科学の方を支持することだろう。
 魔術は、その周囲に心理的/物理的な空間を作り出すもの、あるいは制約のない表現の空間への幕を開けるものである──日々のありふれた場の、天使のような球体への変容なのだ。これは象徴(それは事象でもある)の操作、そして人々(それは象徴的でもある)の操作を伴っている──すなわち、諸原型はこのプロセスに語彙を供給し、その結果、それらは言葉のように、あたかもリアル/非リアルであるかのごとくに見なされるのである。想像上のヨガなのだ。
 魔術師は「単純なリアリスト」である。つまり、世界はリアルなものなのだ ──しかしそれゆえ、その効果があまりに具体的であるために、意識もまたリアルでなければならないのである。愚者はワインでさえ味がないと考えるが、魔術師は水を単に眺めただけでも酔うことができる。知覚の質が陶酔の世界を定義するのだ──しかし、〈他者〉を巻き込むためにそれを持続させ、そして拡張するには、ある種の活動が必要とされる──それが魔術である。
 魔術は法則を破壊したりはしないが、なぜなら「自然法」などというものは存在せず、ただ〈創造する自然〉(natura naturans)の自発性、すなわちタオのみが存在するからである。魔術はこの流れを束縛しようと企てる諸法を踏みにじる──それゆえ司祭、王、導師、神秘主義者、科学者、そして商店主といった人々は皆、彼らの滑稽な魔術の力を脅かす、彼らの錯覚に基づく網(ウェヴ)の張力の強度を脅かす〈敵〉としての烙印を、魔術師に押すのである。
 詩は呪文として振る舞うことができるし、逆もまた真である──しかし、魔術は単なる文学のためのメタファーであることを拒絶する──象徴は私的な直感的真実の把握はもちろん、出来事を引き起こさねばならないと主張するのである。それは批評ではなく、作り直すことなのだ。それは〈存在〉の激動、あるいはその強奪の味方であり、すべての逃げ腰の終末論と形而上学を、すべての疲弊したノスタルジーと耳障りな未来派とをはねつけるのである。
 香そして水晶、短剣と剣、魔法使いの杖、法服、ラム酒、葉巻、蝋燭、乾燥された夢のようなハーヴ──インク壷をじっとのぞき込んでいる童貞少年──ワインとガンジャ、肉、ヤントラヒンドゥー教で瞑想時に用いる幾何学図形]、そして身振り──快楽の儀式、フューリ[イスラム世界で極楽に住むとされる黒い瞳の美女]とサキ猿の庭園──魔術師は、それ自身の色で完全に染め上げられた瞬間へと向かってそれらのヘビと梯子とを昇るのであるが、そこでは山は山であり、樹木は樹木でなのであって、そこでは身体はすべての時となり、愛しいすべての空間となるのである。

 存在論的アナーキズムの戦術は、この秘密の「アート」に根ざしている──存在論的アナーキズムの目的は、それが花開く時に明らかとなる。カオスはその敵に魔法をかけ、それに帰依する者たちに褒美を与える……この不思議で黄変したパンフレット、ペンネームを用いて著され、埃の染み着いたパンフレットが、その全貌を明らかにするのである……恒久の引き裂かれた1秒を、郵便で取り寄せよ。



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犯罪 Crime

 どのような「法」の下であろうとも、正義を手に入れることはできない──自然発生的な本性と調和した行為、正義である行為は、ドグマによって定義され得ないのである。これらの宣伝ビラの中で提唱されている諸犯罪は、自己や他者に対してではなく、ただ、有害な「王位」と「支配」の構造へと向かう「諸思想」の皮肉な具体化に対して犯されねばならないものである。
 それはつまり、本性あるいはヒューマニティに対する犯罪ではなく、法律に基づいた命令による犯罪なのだ。遅かれ早かれ、自己/本性を暴露して白日の下にさらけ出すことは、その人を略奪者と化すものである──それは、もう1つの世界へと踏み込んだ後でこの世界へと立ち戻り、あなたが反逆者、異教徒、国外追放者であると宣告されてしまっていることを知るようなものなのだ。
 「法」は、ある存在様式にあなたがつまずくのを待ち受けているのだが、それは連邦食品医薬局(FDA)推奨の紫色のスタンプが押された標準的な死肉とは異なった、亡霊のごときものである──そして、あなたが本性と調和した行為を始めるやいなや、「法」はあなたを絞首刑に処し、息の根を止めるのだ──だから、幸福でリベラルな中流階級の殉教者を演じてはならない──あなたが犯罪者であり、その者として振る舞う準備が整っているという事実を受け入れること。
 それはパラドックスであるが、カオスを信奉することはエントロピーへと滑り落ちることではなくて、星々のようなエネルギーへと、その瞬間に起こる洗練の思考様式へと浮かび上がることなのだ──それは、サルタンの、ムフティー[イスラム教の法官]の、カーディー[イスラム世界の裁判官]の、歯を剥いて笑う死刑執行人の腐肉のピラミッドとはまったく別物の、自然発生的な有機的秩序なのである。
 カオスの後には「エロス」が続く──これが、絶対的な神の空虚に内在する秩序の原則である。愛とは構造であり、システムであり、隷属や麻薬による眠りによって汚されていない唯一のコードである。我々は、その不法で秘密の微小な空間、スパイ行為という隠された庭園において、その精神的な美を保護するために、詐欺師に、ペテン師にならねばならないのだ。
 あなたの頭をはっきりさせてくれる誰かの革命を待ちつつ、単に生き延びているようなことがあってはならない。拒食症と過食症という軍隊に兵役登録をしてはならない──あたかも既に自由の身であるかのように振る舞い、賭け率を計算し、道を踏み外すこと、そして「決闘の掟」──「マリファナを喫み」/「鶏を食べ」/「お茶を飲むこと」──を忘れぬこと。すべての人は、それぞれの葡萄の木と無花果の木を持っている(『サークル・セヴン・コーラン』、ノーブル・ドルー・アリ[モーリッシュ・サイエンス・テンプル・オヴ・アメリカの創始者])──であれば、誇りをもってあなたのモール人のパスポートを携えること、十字砲火に捉えられないこと、背後にも注意し続けること──しかし、危険を冒せ、あなたが石灰化してしまう前に踊るのだ。
 存在論的アナーキズムの本来の社会的モデルは、ちびっ子ギャングあるいは銀行強盗団である。通貨とは詐欺のようなものである──この冒険は、それなしに遂行可能でなければならない──戦利品と略奪品は、それが芥塵に帰する前に消費されなければならないのだ。今日は「キリストの復活の日」である──ゆえに美のために浪費された通貨は、不老不死の妙薬へと錬金術的に変容されるであろう。わたしの叔父メルヴィンが言っていたように、盗んだ西瓜はことに美味なのである。

 世界は既に、心の欲望によって作り直されている──しかし、文明はすべての賃貸物件と大部分の銃器とを所有したままである。我々の凶暴な天使たちは私たちに不法侵害を求めるが、なぜなら彼らは禁域にのみ出現するからだ。「追い剥ぎ」。眼に見えないヨガ、稲妻のような急襲、財宝の享受。